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箱庭の白い花  作者: 夏目華亘
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追想ー前編ー

次の日、先輩と一緒に下校した時に綾波水族館のチケットを渡した。


「天野から貰った無料チケットです。ここに行きませんか?」

「……水族館」



先輩はチケットを見た途端、足を止めた。



「先輩?」



先輩は想定外の返事をした。



「……俺、君と南水族館へ行きたい」











先輩が行きたいと話した水族館は電車で一時間半、バスに乗り換えて三十分以上もの時間が掛かった。先輩は小学生の時に行ったことがあるそうで、降りる駅の名前もバス停の場所も完璧に覚えているらしい。



 ようやく着いた頃には優に昼を超えた。雨のせいで灰色に淀んでいる海、年季を感じるボロボロな看板。味があると言えばいいのだろうか。悪く言えば雰囲気がお化け屋敷に近い。土曜日にも関わらず人気はおろか車が走っている様子もなかった。一応ネットには午前十時から午後六時まで営業していると書いてあるが、本当に営業しているのだろうか。



 錆びだらけのチケット窓口が一つポツンと佇んでいる。窓口に人がいる気配はない。



「すみませーん、誰かいませんかー」



 暫くすると奥にあるドアからはいはい今行くよー、と小さな声が聞こえた。出てきたのは水色の帽子をかぶり青色の作業着を着た七十代くらいのおじいさん。名札には館長という文字が書かれていた。



「いやーごめんごめん、窓口にずっと座っていると寒くてね、休憩室のヒーターが暖かくて寝ちゃったよ。二人かい?」

「はい、学生二人で」



 学生証を提示する。不景気にも関わらず高校生以下は無料、大人は三百円という今時珍しい価格設定だった。



「東高の学生さんかい? こんな所まで来なくても最近できた大きな水族館があるだろう」



 そういえば、この水族館へ行きたい理由をまだ聞いていなかった。先輩の記憶には素敵な思い出として脳裏に残っていたのだろうか。



「……あの、クラゲが見たいんです。多分ミズクラゲだったと思うんですけど」



 館長は首を傾げた。



「クラゲ? 対したものじゃないよ? クラゲ目的で来たのかい?」

「……はい。ミズクラゲが一番見たいんです」

「案内するよ。天井の照明が壊れて暗い所があるからね」



 天井の照明が壊れても直さないのかと些か愕然とした。ノスタルジックな雰囲気は外見だけではないようだ。ゆっくりと館内を見て回りたかった気持ちに反して、七十代とは思えないほど早歩きの館長を追いかけるようについていった。



 綾波水族館は最新型のプロジェクションマッピングを融合した演出が人気で、ここ最近テレビでもよく取り上げられている。エリアによっては整理券が配られるほど人気で、観るなら平日がオススメだと紹介されていた。対してここ、南水族館のクラゲエリアはどうだろう。スマホで検索しても館内の写真や口コミは殆ど掲載されていなかった。先輩が綾波水族館を蹴ってまで見たいクラゲだ。沢山の種類があるのか珍しい種類が展示されているのか、期待と不安が入り混じる。



 電球を変えていない薄暗い天井や明らかに数の少ない生き物たちが何度も目に入った。今の所期待より不安の方が勝っている。地震が来たら崩れそうなほど脆い建物に歩き続けていると館長がパッと振り返った。



「さあ、ここがクラゲエリアだ」

「わあ……」



 壁一面の大きな水槽が雄大な海を思わせる。壁一面が水槽となっていて、何百匹いるであろうクラゲが青い照明に反射している。クラゲたちの幻想的かつ優美な姿に思わず口が開いてしまう。



「お兄ちゃん変わってるね。うちはこのミズクラゲしかいないよ。他の水族館の方が広いし生き物の種類も多いのに」

「……幼い頃ここへ来たことがあるんです。四つ葉のクラゲだって当時は言っていました。かわいらしいと思っていた四つ葉の部分が胃腔と生殖腺でしたけど」

「え、これ模様じゃないんですか?」

「はっはっは、模様じゃないよ。お兄ちゃんは四つ葉のクラゲって言ってたけどミズクラゲはヨツメクラゲとも言う。まあ、あながち間違ってはいない」



 クラゲという言葉を聞いて、まず一番にこのミズクラゲの姿を思い浮かべる人が多いだろう。クラゲたちは意思もなくただ水の流れに身を任せて浮遊している。



 最後に水族館へ行ったのはおそらく小学生の頃だろうか。イルカやペンギンなど水族館の顔とも思える彼らの姿しか覚えていない。



「……母がミズクラゲ好きだったんです。他の生き物には目もくれず、ベンチに座ってずっとクラゲたちを見ていました」

「昔はイルカやアザラシもいたのに、クラゲしか見なかったなんて変わってるね」



 俺もそう思う。クラゲに対する水槽のサイズが大きすぎて優雅とも捉えられるが、言い方を変えれれば貧相という言葉がしっくりくるほどクラゲエリア全体が寂しい。いや、建物全体が寂しい。



「クラゲの寿命は一年なんだ。たった一年しか生きられないのに水槽の中で飼われるなら、ぎゅうぎゅうに詰まった水槽よりだだっ広い水槽の方がいい気がしてね」

「一年……」



 なんて短い命なんだ。水の流れに身を任せ空間を浮遊する彼らは自分の命が短いと思うのだろうか。



 クラゲエリアへ向かって歩いている時にチラッと見えた生き物の種類も数も少なかった。それに他の従業員がいる様子もない。



「あの、これで儲かるんですか?」

「金儲けのためにやってないよ。昔稼いだお金で水族館を作ったが、今は建て替えするお金も時間もない。建て替え中にあの世へ行っちまうよ」



 はっはっは、と館長は俺の肩を叩きながら笑い飛ばす。



 館長は先輩の方へ顔を向けた。



「今度母ちゃんと一緒においで。サービスするよ」

「……えっと」



 先輩の目が泳いだ。



「……母は亡くなりました。小学生の頃ここへ来たので、よく覚えているなって驚いていると思います」



 ここのミズクラゲが好きだったんです、と水槽に手を当てる。先輩の表情は妙に穏やかだった。



「無神経なこと言って悪かったね」



 館長は申し訳なさそうに謝った。



「……気にしないでください」

「展示されている生き物は少ないが楽しんでいってくれ。閉館時間は午後六時だよ」



 館長はそう言ってクラゲエリアを後にした。



 館長が去ってすぐ、先輩は俺の方を振り向いた。


 

「……わざわざチケットくれたのにごめんね。水族館って聞いて、ここのクラゲを思い出したんだ」

「貰ったチケットなんで気にしないでください。……ここ、お母さんとの思い出の場所だったんですね」

「……うん。水族館って聞いてふと思い出したんだ。外観とこのミズクラゲしか記憶ないけど」



 誰もいない閑散とした館内をぐるっと見渡す。



「……懐かしい。昔はもっとミズクラゲがいたけど」

 


 クラゲを目で追いかける姿は無邪気な子供のように見えた。先輩が何かに興味を持っている姿を見るのは初めてだった。



ここは、先輩と亡くなったお母さんとの思い出の場所。何歳の頃まで一緒に訪れていたのだろう。今と同じように水槽に手を当て、キラキラとした眼差しでクラゲを見つめていたのだろうか。



「先輩」

「……ん?」

「俺ね、未だに”瀬名”って苗字に慣れないんです。一年前までは、”伊藤”って苗字だったから」



続く





 





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