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箱庭の白い花  作者: 夏目華亘
5/7

不思議な彼ー後編ー



【瀬名】

「……衣装もウィッグも似合ってるよ。そこまで嫌がらなくてもいいのに」

「慰めてくれてありがとうございます。他クラスの友達から死ぬほどからかわれました」

「……お化粧も可愛いよ?」

「俺みたいなゴツい男より、先輩がコスプレしたら似合うと思います。着てみますか?」

「……嫌だ」



神崎が帰り他愛もない会話が続く。



先輩と神崎の元へ合流する前に遡る。文化祭実行委員の山本からお客さん減ってきたからもう制服に着替えてもいいと言われ更衣室へ向かったものの衣装を着替える男子用の教室を三年生が占領していた。更衣室代わりの教室は一つしかないのに何十人もの三年生が大声で騒いだり動画を取っていたりして一・二年生はその空間に入るのを躊躇っていたのだ。



当然同じクラスの男子も着替えができず、教室に女装コスプレした店員が大量発生する事態となった。書道部のパフォーマンス公演に加え、演劇部の発表会がそろそろスタートするということでお客さんはかなり減った気がする。大量発生した店員は暇を持て余している。



 先輩はキャラになりきって遊んでいるクラスメイトに目もくれず涼やかな目で窓の外を眺めていたが、マカロンピンクのまま戻ってきた俺を見て目を丸くした。



事情を話し椅子に座り直す。オレンジジュースを頼み行きたい場所等を話していると、もう見たくもない男二人組がズカズカとやって来た。



「凛央! 三人揃ったマカロン戦士のチェキを撮りたい客がいっぱい来てるぞ」

「チェキ?」



チラッと後ろを見るとさっきまでガラガラだったチェキスペースに行列が出来ていた。暇すぎて男子が呼び込みをしたようでマカロン戦士の番はあと十分後だと言われた。やっと解放されたと思ったのに……。



「俺たち目当てで来てる人いっぱいいるぞ」



マカロン戦士ホイップホイップのメンバーで、水色のロングヘアが特徴的な水色担当の三浦と金髪のボブヘアに大きなリボンを付けた黄色担当の原が口角を上げ笑顔で詰め寄ってくる。二人のキャラクター名は覚えていない。



「写真だけは嫌だってさっきも言っただろ」

「でも見ろよ。幼稚園の女の子もちらほらいるんだぞ? 凛央は小さい子の夢を壊すのか?」

「三人とも男だぞ。十分夢壊してるだろ」



 三浦は柔道部、原は帰宅部だが外部でレスリングをしている。ノースリーブに長い手袋をしても筋や血管は浮き出ているし、ミニスカートにロングブーツを履いても強大な大腿四頭筋と腓腹筋は隠れていない。



「手を振ったら振り返してくれるぞ? ほら」



 原が笑顔で手を振ると女の子は可愛らしい小さな手をブンブンと大きく振った。ママ、ホイップホイップかあいいね、と小さな口を開けて頑張って伝えようとしている。純真な心が愛らしい。



「マカロンピンク、あの子を見捨てるの?」

「マカロンピンク、これは世界を救うのよ?」



 高い声で言っているつもりなのだろう。だが二人とも元々のハスキーボイスが残っていて全体的に声が掠れている。絶対に嫌だ、頼むから二人でやってくれと言いかけたその時だった。



「……行きなよマカロンピンク。可愛いから自信を持って」



 声の主に吃驚する。



「凛央……じゃなくて、マカロンピンクお借りしてもいいですか? すぐ返すんで」

「……うん。マカロンピンク頑張って」



 両手をグーにして頑張れと応援する先輩。可愛いと言われてニヤけたのも束の間、怪力の二人に両腕をホールドされ、ズルズルとチェキスペースまで引きずられた。





「マカロンピンク! もっと笑顔で!」

「笑ってるよ!」



 三人揃ったマカロン戦士とチェキを撮ろうと教室の外まで長蛇の列が出来た。面白半分で決めたチェキ会は一枚百円するにも関わらず全員バージョンやソロバージョンをお願いする人も少なくない。まるでアイドルのリリースイベントだ。メイド服を着た飯沼が、百円もするのにもったいないなと呆れ返っていた。芸能人でもない俺達とのチェキになぜ百円もするんだ。ていうか金とるなよ。



「はいチーズ!」



 カシャッ――



「ありがとうございまーす! え、先輩たち超かわいい! 三人とも本家を超えてますよ!」

「だろ? さっき原とも話してたんだけど、来年もコスプレするしかないな!」

「凛央、お前も一緒だぞ」

「俺は今日限りだ」



 何回撮っても行列が絶えず表情筋が段々引きつってくる。三浦と原も顔に疲れが出てきているだろうと思ったが、清涼飲料水のコマーシャルのような笑顔でお客を魅了している。毎日スポーツで鍛えている二人にはこれくらい余裕なのだろう。



「凛央、あと十分で飯沼たちと交代だって」



 神の声が聞こえた。やっと終わりが見えたおかげか固くなった表情筋がほぐれ少しずつ動き始める。そんな喜びも束の間、マカロン戦士のチェキ会が終了するのを聞きつけたのかお客の数が三割増しになった。



「……あの、お願いがあるんですけど……」



 先輩が撮影担当の安藤に話しかけていた事に気付かないほど、俺たち三人は最後の最後までお客の対応に追われ続けた。





「マカロン戦士のチェキ会終了でーす! ここからはメイド二人のチェキ会になりまーす!」



 ようやく飯沼たちと交代し更衣室で制服に着替える。クラスの女子が貸してくれた化粧品は落ちにくい物だったらしく、母ちゃんから借りたクレンジングとやらでは綺麗に落ちず苦労した。化粧落としで顔を擦りすぎたせいで頬がヒリヒリする。女装コスプレは二度とゴメンだ。



 教室に戻ると先輩は窓側の席でメニューを見ていた。一テーブル二十分までだが先輩は無制限にしてほしいとお願いし今に至る。せっかく来てくれたのに俺も神崎もいなくなって申し訳ない気持ちで一杯になった。



「先輩。何か注文するんですか?」

「……アイスティー頼もうと思って」

「サービスしますよ。せっかく来てもらったのにずっと一人にさせてすみません」

「……ううん。……着替えたんだね、コスプレしたままでよかったのに」

「ずっとあの恰好は嫌です」



 体格と合わないフリフリのワンピースを着た魔法少女の俺を見て、他クラスの生徒から何度からかわれたことか……。



「……クラスの中で君が一番似合っていたよ」

「それ褒め言葉ですか? それは置いておいて、もうクラスの仕事終わったんで校内見て回りましょう」



 鞄から文化祭のパンフレットを取り出す。



「さっき屋台見に行きたいって言ってましたよね」

「……うん。あと美術部の展示会も行きたい」

「昨日神崎と焼きそばとたこ焼き食べました。おいしかったですよ」



 食べ物の話をした途端先輩は目を輝かせた。売り切れになる前に先に屋台で食べ物を買い、食べた後美術部の展示に行くことになった。



「……食べたいっ」



校舎の外には焼きそばやたこ焼き以外にも綿飴や人形焼き、金魚すくいや射的等まるで夏祭りのような屋台がこれでもかと並んでいる。昨日は神崎に連れ回され、屋台の食べ物はほぼ制覇した。



ざっくりとルートを決め教室を出ようと席を立ちあがる。俺たちに気付いた佐藤の、いってらっしゃいませ、ご主人様! と柔道部で培った野太い声が響き渡り俺も先輩も軽く耳鳴りが続いた。





「座る場所ないな、どうしよう」



 文化祭二日目が土曜日ということもあって来校者は一日目の倍以上いる。屋台が立ち並ぶ外はまだ日差しが強いにも関わらず、座って食べられるスペースにあるガーデンチェアは満席だった。更に呼び込みの声や友達とおしゃべりする声が溢れ返っていて先輩の声が聞き取りづらい。



「ちょっと神崎に電話してもいいですか?」

「……うん」



 神崎はすぐ電話に出た。遠くから、誰から電話ー? うちら先行ってるねー、と女子の声が聞こえる。どうやら彼女と一緒らしい。



「はいはい、どうした?」

「悪いんだけど、今複製した鍵持ってる?」

「もちろん。屋上行きたいの?」

「屋台の飯食べようと思ったんだけど、落ち着いて座れる場所がなくて」

「はいよ。俺が鍵開けておくわ」

「サンキュ」



 静かで落ち着ける場所が一つだけあった。先輩が、複製した鍵? と怪しむように聞いてきたが適当にはぐらかした。



 晴天で心地よい秋風が吹く屋上には誰もいない。それもそのはず、行事中の屋上は毎回閉鎖されている。なんで入れるのかって? 一年の頃、神崎が屋上の鍵を複製し毎日持ち歩いている。それで開けた。なんて悪知恵の働く奴なんだ。きっと学校の鍵を複製する生徒は日本であいつしかいないだろう。まあ、それを使う俺も俺だが。



「……これ全部久しぶりに食べる」



 さっき買ってきた焼きそばやたこ焼き、綿飴をキラキラした目で見つめている。小さい頃親に買ってもらった屋台の食べ物やお面、金魚すくいで獲れた金魚、全てがキラキラした宝石のようだったことを思い出す。



「先輩って普段何食べてるんですか?」

「……料理の名前も分からないのが多い」



どんな料理だよ、と声が出そうになった。あれかな、両親の作る料理がかなり独創的か外国の料理が好きでよく作る、とか?



「これ全部奢りなんで好きなだけ食べてください」

「……いいの? ありがとう」



いただきますと手を合わせた後、熱々のたこ焼きをふーふーと冷まし大きく口を開けて頬張る。小さい頬がいっぱいになるくらいの量をもぐもぐする姿が可愛らしい、見てるだけで幸せだ。



 それにしても、先輩はどんな料理でも沢山の量を食べている気がする。にも関わらず身体は健康的かつモデルのように均整の取れた身体だ。食べても太らないのかな? 羨ましい、俺は食べた分だけ太る体質だ。



「先輩っていっぱい食べるのにスタイルが良くて羨ましいです」

「……昔はあんまりご飯食べられなかったんだ。高校生になってから食べられるようになったんだけど、全然体重が増えない」



 数分前の笑顔が消えた。女子だけでなく男子も自分の体型を気にしている人はいる。毎回地雷を踏む自分に腹が立った。



「そうだったんですね。もし食べたい料理があったら言ってください。夕飯の時作ります」



 箸の動きが止まった。



「……どうしてそこまでするの?」



 突拍子もない言葉に、はい? と素っ頓狂な声が出た。先輩は手に持っていたたこ焼きのトレーを輪ゴムで括りビニール袋にしまう。



「……初めて会った日、ずぶ濡れになった俺に優しくしてくれた。でも俺はキツく突き放して酷い言葉も言った。人と会話してこなかったせいで声は出にくいし、話すスピードも遅い。性格は暗くて大した反応もできないのに君は沢山話してくれる」



 瞳の奥にある光が消え、真っ暗に見えるのは気のせいだろうか。



「……クラスの中心で女子にモテて、友達も沢山いる。神崎君のように明るくてノリのいい友達といるべきだよ。」



 自分自身を卑下していることが悲しかった。先輩と話すたびに新たな一面を知ることができたりギャップに驚いたりして、一緒にいる一分一秒が楽しいし幸せだ。だがその気持ちは伝わっていなかった。



「先輩と一緒にいる時間が楽しいんです。それにアメリカに行くまであと半年もない、だから出来る限り先輩との時間を作りたくて文化祭も誘いました。コスプレ姿は見られたくなかったけど」

「……」

「でも、先輩の気持ちも考えず夕飯から行事まで誘って鬱陶しかったですよね。ごめんなさい……」



 確かに先輩と一緒にいた自分は自分じゃないみたいだった。なるべく時間を作りたい、先輩が望むことをしたい、先輩のことを知りたい。まるで重い恋人のようだ。相手の気持ちを汲み取らない、一方的で、自己満足なエゴをぶつけているだけだった。何故気付かなかったんだろう。



「……ち、違う。迷惑なんて思ったこと一度もない。申し訳ない気持ちでいっぱいになるだけ」



 暗然とした俺を見て慌てて弁明する。



「俺が好きでやっていることです。だから悲観的に考えないでください」



 分かった、と小さな声で返事をした。沢山買った屋台の食べ物はそれ以上口にせず、先輩が持ち帰ることになった。





 若干気まずいまま美術部の展覧会へ足を運んだ。初めて知ったのだが、東高の美術部は数々のコンクールで賞を獲っているらしい。美術室は特進の校舎内にありその広さに驚いた。教室四つ分はある。先輩は美術の成績があまりよくないらしく、勉強も兼ねて鑑賞したいと言った。後期の授業は油絵を勉強するらしく、それ以外の絵画は見ないそうだ。



「……」



絵を鑑賞する先輩は真剣で、絶妙なタッチや背景とのコントラストの表現方法をメモしている。成績のためとはいえ些か真面目過ぎると思う。



「……時間かかると思うから他の絵観てて。終わったら声かけるから」

「分かりました」 



先輩と離れ多種多様な絵画を適当に観て回る。美術部員の作品というよりは芸術家として活動している卒業生の作品が多数展示されていた。作品は全て絵画。重厚で力強さが伝わる油絵以外にも、繊細で儚い透明感が美しい水彩画、切り取った写真や雑誌を張り付けた非対称さが新たな統一性を生むコラージュ等が展示されている。



 ひと際異彩を放つ複数の画に人だかりが出来ていた。作品は複数展示されており全て水彩画。立体感と繊細さを表現できる技術に圧倒される。しかも人物画のみ、モデルは幼稚園くらいの子から老人まで年齢層が広い。若い女性の画は裸体しかなく思わず顔を背けた。



「これが天野ユウリの作品ね」

「ここの卒業生なんでしょ? 若いのにアメリカとドイツで個展を開くなんて凄いわね」



 マダムたちの会話に聞き耳を立てる。



 スマホで調べるとすぐに画像とプロフィールが出た。年齢は二十九歳。藝大に入学し自身が描いた絵は数多くのコンクールで受賞。卒業後はアメリカの有名画家へ弟子入りし五年後に独立。その才能は世界中を魅了し、現在は水彩画家として世界中を飛び回っていると書いてある。彼の絵は一千万もの値段で買われたこともあるそうだ。



 美術室は広いが見に来る人も多かった。有名な芸術家の作品が無料で見れるのだ。保護者でもない大人が沢山いる。そのせいか室内の酸素が薄く満員電車にいるような息苦しさを感じた。



「疲れたな……」



 文化祭二日目の疲れもあって人混みに酔ってしまった。今すぐここから出て外の空気を吸いたい。



一旦ここから出よう。人混みの中先輩を探すと奥の方にある油絵の前にいた。作品をじっくり見つめながらまだメモを取っている。



「先輩、俺ちょっと出ますね。三十分後に戻ります」

「……どうしたの?」

「クラスに戻るだけです。ゆっくり見ていてください」

「……顔色悪いよ?」

「……そうですか? 気のせいですよ」



 いつも通りのテンションを装い美術室を後にした。もちろん教室に戻る予定はない。靴を履き直し外に出て十分ほど風に当たったものの酔いは治らなかった。外に出ても在校生と来校者は沢山いる。大きな声が聞こえるたびに頭痛がする。文化祭で静かに休める場所は保健室しかない。気が進まないが特進の校舎を出て文系の校舎にある保健室へ向かった。





養護教諭に体調不良を伝える。体温計を渡され熱はなかったものの顔色が悪いためベッドで休むことになった。



「気分がよくなるまでベッドで休んでて」

「ありがとうございます」

「先生いなくても大丈夫よね? 西高の養護教諭の先生が来ていて応接室へ行かなくちゃいけないの。何かあったら職員室の先生に声掛けてね」

「分かりました」



 どうやら保健室には俺しかいないらしい。先生は机の上にある書類を持って部屋から出ていった。



「高校の保健室で寝るの、初めてだな……」



 ベッドの横にある窓から賑やかな声や音が聞こえた。煩いけど煩くない、近くにいるようで遠くにいる。自分だけが世界から隔離され、文化祭を楽しむ人々をひっそりと覗いているような感覚になった。



 小学生の頃一度だけ保健室のベッドで寝たことがある。汚れのない真っ白なシーツと布団がなんとなく苦手で深く眠れず熱は下がらなかった覚えがある。今回も眠れないと思ったが連日の疲れのおかげで意識を失うように深い眠りについた。







 ハッと目が覚める。窓から見える空はうっすらオレンジ色に染まり涼しい風も吹いていた。屋台の匂いもないし呼び込みの声も聞こえない。



「今何時だ……」

「夕方の五時だよ」



 聞いたことのない声に驚きパッと横を向くとと知らない男が座っていた。趣味の悪い蛇柄のシャツに黒いパンツと先の尖った靴を履き、赤いサングラスを掛けている。パイプ椅子に座り長い腕と脚を組んでいる姿はもはやヤクザだ。


「誰……」

「そんな顔しないでよ。さっき君がスマホで調べていた男だよ」



 スマホで調べていた男? もしかして、天野ユウリ?



 よく見ると画像で見た男と同一人物だった。宣材写真はシックなスーツを身にまとっていたが、目の前にいる同一人物は一昔前のホストか借金の取り立て屋を連想とさせる厳ついファッション。ああ、だから気が付かなかったんだ。



「ていうか、何で俺の検索履歴知っているんですか!」

「変装してたけどあの時君の後ろにいたんだよ。あ、保健室の先生は今いないよ。挨拶に来たんだけどいなくてね。体調はどうだい」



 ここまで個性的な人が横にいて気付かないなんて、極限まで疲れていたんだろうな。



「寝たら大分よくなりました。えっと、じゃあ俺は帰ります」



 思いのほか沢山寝てしまった。アラームをかけ忘れたせいで約束の時間はとっくに過ぎている。まだ美術室にいるかな、迎えに来なかった俺に怒って帰っちゃったかな……。



「泉千早君は図書室にいる。君のことを心配していたよ」 



 ベッドから降りようとした身体が固まる。何で先輩の名前を知っているんだ?



「何で名前を知っているのかって? 面白い顔をするね」



 はっはっは、と大きく口を開けて笑う。芸術家は変人が多いと聞くが変人を通り越して不審者だ。今すぐここから出て通報したい。



「僕は先月ドイツから帰国したんだ。来年の夏に日本で個展を開く予定でね、そのモデルを探しているんだよ」

「高校生のモデルですか?」

「ああ。高校生というのは実に愛らしい。中学生のようなあどけなさが残っていながらも大人という形を完成させるために心と身体は成長している。大人ではないが子どもでもない。その曖昧さが美しいと思わないか? 何故今まで気が付かなかったんだろう!」

「はあ……」



 椅子から立ち上がり、ミュージカルのように動き回りながら力説する。香水の匂いだろうか、煙草のようなスモーキーな香りがしたかと思えばベリーのような甘い香りもする。高校生の自分が付けても似合わない大人の香りだ。



それはともかく、なんて暑苦しい人なんだ。自分との温度差を感じ取ってほしい。



「モデル探しも兼ねて展示会を開いて何人かの生徒をスカウトした。でも一人だけ断られたんだよ」

「……もしかして、泉先輩ですか?」

「その通り。君と一緒に美術室へ入ってきた時心を奪われたよ。彼は解語の花だ」



 胸がキュッとなった。世界的芸術家まで虜にするなんて……。



「どこか影を感じるだろう? まだ高校生なのにあの憂いを帯びていて、現実に期待していない真っ黒な瞳、僕の水彩画で表現したいよ」



 流石芸術家だ。神崎に相談した時も感じたが第三者の見方は実に的確でしっくりくるものがある。まさに岡目八目だ。



「得意分野である裸体を描きたいと言ったら断られてね」

「は!?」



 この人最低だ! 男とはいえまだ高校生だぞ? 未成年だぞ?



 清々しい顔で飄々と話す天野に軽蔑の意味を込めて睨みつける。天野はそんな俺を見て鼻で笑った。



「思春期だねえ。もちろん成人するまで待つよ。だけど何百万というモデル料を提案しても服を着た絵を提案してもダメだった。どうしてだと思う? 自分は形として残りたくない、ってさ」

「形として、残りたくない……」

「展示されるのが嫌なら個展には出さないし絵はあげるよって言ったけど、描かれること自体拒否されたよ」



 よほど先輩の絵を描きたいらしい。裸体は一旦置いておいて一千万円もの価値のある作品を作る芸術家が自分の自画像を描きたい、絵はあげるよ、と言われたら皆喉から手が出るほど欲するだろう。それでも形として残りたくないと拒否する理由は、他人と関わりたくない理由と結びついているのだろうか。



「何か理由を知っているかい?」

「……その、先輩はなるべく他人と関わりたくないって思っているんです。俺は無理に頼んで話すようになったんですけど、さっきもその話で気まずくなっちゃって……」



 気が付けばこの男に今までの事を全て話していた。



 人生の先輩である上世界中を回って色々な人間を見てきたはずだ。それにこの人に会うことは二度とないだろう。神崎以外の周囲に相談したら学校中に広まることも考えられるから都合がいい。ついさっきぎくしゃくしてしまっただけに、これからどうすればいいのか助言が欲しかった。



 天野はパイプ椅子に座り直した。



「自殺願望でもあるのかな? でも留学するならその可能性は低いな」

「なんてこと言うんですか!」

「世の中に絶望している人は腐るほどいる。日本ではいじめに遭った人、正しい道に進めなかった人たちが自ら死を選んでいる。自然を守らないと人類は滅びるとか言うけどさ、その前に人間が一番人間を殺しているんだよ。平気な顔をしてね」



 さっきのふざけた様子とは一変して空気が変わっ

た。俺を見ているようで見ていない。天野は世界中を見てきたからこそ‟全て‟を見てきたのだろうと悟る。



「トラウマがあるのか知らないけど、センシティブな問題かもしれない。彼から話すのを待った方がいいかも」



 他人と関わりたくない理由を未だに知らない。俺も自分から打ち明けるのを待った方がいいと思う。が、それは自分にとって都合のいい解釈かもしれない。先輩の心の傷を抉ってしまうかもしれないという恐怖で、答えを聞くのが憚られるのだ。



「でも閉鎖的になった泉君の心がゆっくり開いているのは事実だ。ここからが勝負だよ」

「どういうことですか?」

「ずっと人と関わってこなかったのに三年の秋で急に人と関わるなんて変だろう? しかも弟と幼馴染の三人もだ。本当は友情や愛を欲していると思わない? 君のことが嫌なら一緒にご飯を食べたり文化祭に行ったりしないだろう」



 言われてみればそうだ。



なら、もう少し先輩の心の中に踏み込んでもいいのだろうか。



 天野は赤いサングラスを取った。



「君の優しさや気遣いが重いとは思わないよ。全てが初めてな泉君にとって戸惑いもあるだろう。君は泉君にとって陽光だ、だからマイナスに考えるのはもう終わり! ジ・エンド!」



 壮大な演奏が終わったオーケストラの指揮者のように右手を上げて大きく振った。



「展覧会が終わっても、泉君はずっと待っていたよ。僕が保健室にいることを伝えたら血相を変えて君の所に行こうとしたから図書室で待ってあげてって言ったんだ。君と二人で話がしたかったからね」



 俺と話がしたかった? 天野の目的は先輩をモデルに起用することだ。俺と会話した目的は何だったんだろう。



「お互い素直になった方がいい。大丈夫、君が思っている以上に泉君の大切な存在になっているよ」



 俺の肩を叩いて小さく励ます。ほんの少し不安が払拭された気がした。一人で溜め込むか誰かに話すだけでこんなにも楽になれるのかと驚く。身体に重くのしかかった鉛が溶けていくような感覚がした。



「えっと、少しだけ楽になりました。じゃあ俺帰ります」

「待って、泉君の所へ行くんだろう? 五分だけ彼と二人で話す時間が欲しい。もう一回モデルをお願いしたいんだ。五分経ったら図書室へ迎えに行ってあげて」

「え? あ、分かりました」



 この人もしつこいな。何回誘っても断られるだけだ。



「最後に質問。泉君を一言で表すと?」

「えっ……」



 唐突すぎる質問に目が泳ぐ。



「えっと、うーん……」



 一言でなんて難しすぎる。誰も寄せ付けない雰囲気を出していると思っていたが次第に人を惹きつける魅力のある人だと気付いた。唯一無二の毛色がある人だ。だが自分の語彙力が低すぎて一言にまとめるのが難しい……。



「時間切れ! じゃあねー」

「え、ちょっと!」



 そう言って天野はパイプ椅子を片付け、バイバーイと手を振り嵐のように去っていった。



「今まで出会ったことのないタイプの人だったな」



フレンドリーというか自由奔放というか……。



 ベッドに腰かけ時間の経過を待っていると校内放送が流れた。美術部の岡田先生が天野を探しているらしい。保健室を出た時イヤホンをしていたから聞こえていないだろう。校内放送を無視して余計怒られる天野を想像して時間が流れるのを待った。





 五分待ち図書室へ向かってひた走る。来校した保護者や他校の生徒は皆帰り、殆どのクラスが片付けをしていた。俺も早くクラスに戻って片付けしないとな。天野と長話したのもあってとうに五時半を過ぎている。



 先輩は図書室のドアの前にいた。図書室は既に施錠されていて、俺が戻るまでずっと待っていたらしい。



「……もう大丈夫なの?」

「はい。寝たら楽になりました。美術室へ行く時間破ってごめんなさい」

「……謝るのは俺の方だ。忙しい中付き合わせちゃってごめん」



 申し訳なさそうに深々と頭を下げる。



‟世の中に絶望している人は腐るほどいる。‟



 天野の言葉が頭をよぎった。先輩は俺と天野が会っていたのを知っているのだろうか。



 あのね、と先輩は口を開いた。



「……今日、凄く楽しかったんだ。卒業する前に青春を知ることが出来てよかった」



 先輩は鞄から何かを取り出した。それは三枚の小さなチェキで映っているのは全てコスプレした俺だった。一枚目はてんやわんやしている姿、二枚目は引きつった表情で小さい女の子とポーズを取っている姿、三枚目は完全に素に戻っている様子が映っている。



「……一緒に撮るのは恥ずかしいから、隠し撮りをお願いしたんだ。君との思い出の写真が欲しくて」



 隠し撮りされていたなんて全く気が付かなかった。今すぐ捨てろ! と他の人ならチェキを取り上げて怒るが耳まで赤く染まった先輩を見て怒る人がいるだろうか。小動物のような可愛いらしさにすんなり許してしまった。



「……さっき天野先生と話したんだ。彼は俺と真摯に向き合っている。対して君は人との温もりや優しさを求めているくせに、逃げ続けているって怒られちゃった」



 あの変人……! センシティブな問題かもしれないと言っていたのはどこの誰だ! 



「……核心を突かれて何も言えなかった。俺は無垢な優しさに甘えていたんだ。それが君を苦しめた理由の一つだよね。本当にごめん」



 そんなことない、と言おうとしたが、ストンと腑に落ちてしまった。本心で楽しんでいるのか無理をしているのか分からなかった。だから本人に聞くこともなく勝手に落ち込んでいた。二人とも素直になった方がいいという天野の言葉をまた思い出す。



 先輩は深く深呼吸をし、重く考えないで聞いてほしいと前置きをした。






「……今まで人を避けてきた理由は、俺と一緒にいたら絶対に後悔するって分かっているからなんだ」



絶対に、後悔する……?



「傷つけるって分かっているのに、これ以上親しくなったらダメだって分かっているのに、一緒にいるのが楽しくて時間を忘れてしまう」



 夜空に溶けていく夕焼けを見て力なく微笑む。それは喜びの笑みではなく何かを思い浮かべた哀しい笑みだった。



「……傷ついてもいいですよ」



 先輩は目を白黒させた。自分の被虐的な発言に驚倒する。



「また先輩の新しい一面が見られるじゃないですか。先輩と一緒に過ごして後悔なんてしません。それよりさっきの言葉、本当は言いたくなかったんでしょう?話してくれてありがとうございます」



心臓をギュッと握られた感覚と同時に酸素が少なくなるような息苦しさを感じた。苦しいのに苦しくない。背中がゾクゾクするのに心地いい。自分が自分じゃないみたいで気味が悪い。



……ああ、これが恋なんだ。



この人がどんな人でもいいし惑わされてもいい。誰に対しても抱いたことのない感情。ドロドロに煮詰めた蜜のようなものが脳を巡った。



「……君はどこまでいい人なんだ」



 そっと伸びた手が俺の頬に触れる。



温かい目で微笑んでいるはずなのに、頬を包み込む先輩の手は生気のない冷たさだった。

 









 先輩を送るために三年生の靴箱まで向かう。一緒に下校したいが生憎クラスの片付けが終わっていない。既に片付けが終わったクラスもちらほらいる。自分のクラスも終わっていたらいいなと密かに願う。急いで追いかけて帰るのに。



「それにしても天野って人、凄かったなあ。保健室でミュージカルみたいに踊っていたんですよ」

「……ふふ、何それ」

「先輩の前でも踊りませんでした?」

「……モデルのお願いしかされなかったよ。少ししつこかったけど」






‟泉君も意地っ張りだなあ。世界的芸術家の天野ユウリだよ? 君から感じる異質さを表現したいんだ‟

‟……異質さ?”

‟ねえ、泉君から淡い狂気を感じるのは、僕だけなのかな? 彼はまだ知らないみたいだけど‟

‟……‟

‟ちょっと目が動いた。もしかして図星?‟

‟……さあ、どうでしょうね。そういえば美術部の岡田先生が天野先生を探していましたよ。さっきの校内放送聞いていなかったんですか?”

‟やべっ、片付けすっかり忘れてた! イヤホンしてたから気付かなかったのか。じゃあ泉君、気持ちが変わったらいつでも連絡してね‟






「それに服装も怖かったな。ヤクザかと思いましたよ……っ」


 階段を下りる足が止まった。



 先輩が、初めて会った時のような表情をしていた。喜怒哀楽の感情など持っていない、何も感じない、感じたくないという分厚い壁のようなものを感じた。天野に何か言われたのだろうか。



「……どうしたの?」

「あ、えっと、その、天野に何か言われました?」

「……いや、暑苦しい人だったなと思って」

「意外と毒舌なんですね」



 あっという間に三年生の靴箱に着いた。



「……じゃあ、また来週」



 文化祭は思っていたより先輩との時間を作ることが出来なかった。関係が進展したものの実感はない。新たな感情も知ってしまった。また神崎に相談するか、と小さく溜息をつき落胆した。





文化祭は無事終了し各々のクラスが片付けに追われている。二日間とも大盛況、そのお祝いに夜の八時から打ち上げをするらしい。来校者が多かったため予定の終了時間よりもだいぶ遅くに終了した。早く打ち上げに行きたい一心で皆テキパキと動く。



 固く結んだゴミ袋を運んでいると階段の手すりに寄りかかる神崎がいた。俺の帰りを待っていたのだろうか。


「運ぶの手伝おうか?」

「サンキュ。そっちのクラスは片付け終わったのか?」

「おう。これからクラスの打ち上げに行くんだけど、その前に聞きたいことがあってさ」



 両手に持っていたゴミ袋の片方を渡す。神崎は黙って廊下を歩き、体育館近くのごみ捨て場に着くまで一切口を開かなかった。



「で、聞きたいことって何?」



 神崎はキョロキョロと頭を動かし周りに人がいないかチェックする。後ろにいた女子が通り過ぎるのを確認しやっと本題に入った。



「今日の文化祭で、外国人の男の子見なかったか?」



 外国人の男の子? 今日はクラスの仕事で手一杯だったから先輩と一緒にいた時間以外はあまり学校内を見ていない。教室に来た客も先輩と外にいた時も外国人は見ていないはずだ。



「多分見てないけど、それがどうした?」

「音楽室前のトイレから出た時、泉先輩と金髪の男の子が二人でいたんだよ。何となく隠れたら、変な会話しててさ」



神崎が言うにはその人は日本語がペラペラの白人で

、年齢は高校生くらいに見えたらしい。




"……何でここにいるの?"

"一度東高の文化祭を見てみたかったんです。それに今日はバイトがあるって聞いていたので、文化祭にいると思わなくて……"

"……昨日だったらいなかったのに"




 先輩は顔を顰め、それ以上の言葉は無く、そそくさと階段を降りていった。男子は先輩を追いかけることはせず、トイレから出てきた同じ制服を着た友達とその場を去ったらしい。



「な? 意味分からないだろ?」

「ああ……」



 まるでお互いがお互いを避けているようだ。



 もしかしたら先輩が他人と関わりたくない理由を知っているかもしれない。いや、その男子が理由かもしれない。



しかし確証はない。神崎が言うには見たことのない制服を着ていてどこの学校に通っているか見当もつかないらしい。



 先輩との距離が近づいたと勝手に舞い上がっていたが、一気に地面に引きずり降ろされた気分になった。




 



 続く


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