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箱庭の白い花  作者: 夏目華亘
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憧れの世界

 その日の放課後、三年生の靴箱前で先輩を待ち続けた。特進クラスは文系クラスより授業が多い上、先輩は下校時刻まで図書室にいる。図書室に行けば逃げられるのを避けるため出口を塞いだ。



「先輩!」



 下校時刻まで下駄箱で待ち伏せしてた俺に驚き、先輩は一歩どころか十歩も後ろへ下がった。



「……君はストーカーか?」

「ごめんなさい。先輩に嫌な思いさせたならきちんと謝りたいんです」

「君は何も悪くない。俺の問題だから、もうこれ以上は……」

「待って! 卒業するまでの間だけでも話がしたいんです」



 背中を向け逃げようとする先輩の手首を掴む。振り払って逃げられると思ったが、先輩はぴたりと止まり、驚いた表情で俺を見つめた。



「学年主任の樫本が言ってました。数年ぶりに特進でアメリカの指定校に合格した奴がいるって。先輩のことですよね?」

「……そうだけど」



 何で分かったんだ、と言わんばかりに眉間のシワがぐっと深くなった。



 偏差値の高さで有名な特進は有名私大の指定校推薦枠をいくつか持っている。その枠を狙って入学する生徒も多く倍率は毎年十倍近くにも及ぶ。



 アメリカの超有名大学枠もあると噂では聞いていたが、選考基準の偏差値・学力テスト・必須資格・英語での面接は桁違いの難易度で、ここ数年合格した者はいない。



 にも関わらず先輩は合格したのだ。今日の学年集会で学年主任である樫本が嬉しそうに発表した。点滴石を穿つ、君たちも高い目標をもって勉学に勤しむようにと激励の言葉をかけたが殆どの生徒と先生たちは、特進でも飛び抜けた学力を持つ先輩だから受かったんだよと思ったに違いない。



「もう駆け引きとかする時間ないじゃないですか! だから俺もど直球でいきます!」

「……俺も?」

「会えないって分かっているのに、後悔したくないんです」

「……」



 別れは突然訪れ、音沙汰もなく未来は奪われる。後悔と懺悔に押しつぶされる日々をまた経験したくない。ああ、また父ちゃんのことを思い出す。



「最初で最後の友達じゃダメですか? 俺のこと嫌になったらすぐ友達やめます。せめて一週間だけでも……」



 必死すぎて先輩が引いている。周りにいる三年生が何だ何だと聞き耳を立てているのがどうでもいい。からかっているわけじゃない、数年経って、あの時こうしていれば……と後悔したくないだけだ。



「……もう分かったから。これ以上君を避けても地球の裏側まで追いかけてきそう」



 これ以上言っても無駄だと、十数回目の大きな溜息をつく。普通は傷つく所だけど、やっと友達になることができて心が踊った。



「本当ですか! じゃあ一緒に帰りましょう! あ、その前に本屋寄ってもいいですか?欲しい漫画があって」

「……」

「ご、ごめんなさい。俺ばっかりはしゃいじゃって……」



また呆れられたに違いない。これ以上嫌われてどうする。



「……ううん、行こう」



 チラッと顔を見ると先輩の口角が少しだけ上がっていた。











 駅前の本屋で俺は目的の漫画を、先輩は数学の参考書を買い店を出る。もう夏も終わりなようで、風物詩である入道雲は完全に無くなり代わりに大きな鱗雲が広がっている。



「あ、電車乗る前にスーパー寄ってもいいですか? 最寄り駅のスーパーより学校近くのスーパーの方が安いんです」

「……おつかい?」

「今日母ちゃんはばあちゃんの家にいるんです。介護をしていて職場も近いから週の半分はいません。弟は壊滅的に料理が下手なのでいつも俺が作ってます」

「……偉いね」

「簡単に作れるものばかりですよ。あ、よかったら食べていきます? 今日母ちゃんいないし」

「………」

「えっと、いきなりそれはないですよね。ごめんなさい」



 距離の詰め方の手順を間違えた。また家へ誘ったら余計警戒心を抱かせてしまう。一緒に帰るだけで先輩は手一杯なはずだ。



「……携帯貸して」



 先輩はそっと右手を出した。



「え?」

「……携帯持ってないって言ったでしょ? 家に連絡したい」



 思ってもみなかった返しに一瞬固まってしまった。人は驚くと声も身体もフリーズするんだな。



「どうぞ」



 ポケットからスマホを取り出し画面ロックを解除する。スマホを渡すと十秒ほど指を動かず静止しスマホを俺に返してきた。



「……この携帯、ボタンないの?」

「え?」









 家に着く頃には既に六時を過ぎていた。野菜と精肉のタイムセールが重なり、思った以上に買い物が長引いてしまったのだ。



「ただいま」

「兄ちゃん遅い! 俺腹減って死にそう……あれ、友だち?」



 制服も脱がずソファでゴロゴロしているこいつは弟の幸人。中学三年生のお調子者で顔も性格も全然似ていない。俺は父ちゃん似で幸人は母ちゃん似だ。



「泉千早先輩。今日一緒に飯食べるから。先輩、弟の幸人です」

「こんちわっ」

「……どうも」

「今日チャーハンな」

「また? もう飽きたよ!」

「チャーハンが一番楽なんだよ。ちゃんと風呂洗ったか?」

「洗った。カレーできるまで時間かかるでしょ? ポテチ食べていい?」

「ダメ! そういっていつも飯残すだろ!」

「ケチ! 兄ちゃんの帰りが遅いからだろ!」

「………」



 やばい、完全に先輩を置いてけぼりにしている。先輩は俺たちの方に微塵も興味を示さず、テレビのワイドニュースを見ていた。新人女性アナウンサーが日本初出店のスイーツを紹介している。愛嬌たっぷりの笑顔を振りまく彼女を見つめる先輩は正反対の無表情だった。



「先輩、リビングでも俺の部屋でもいいんでくつろいでください」

「……部屋がいい」

「分かりました。お茶入れるんで先に部屋行っててください。部屋の場所覚えてます?」

「……大丈夫」



 先輩が二階へ上がった後、幸人がはっと目を見開いた。あの大雨の日、家の前ですれ違った人が先輩だと気付いたらしい。傘もささないで出ていくなんて喧嘩でもしたの? と聞かれたが、説明しても理解できないよと適当に答えるしかなかった。





 冷蔵庫で冷やしたペットボトルのお茶をコップに入れ二階へ運ぶ。先輩は本屋で買った参考書で勉強をしていた。



 自分のリュックを下し買った漫画を本棚へしまう。表紙の絵柄が綺麗に揃っていくと謎の収集欲が満たされる。



「……弟君と仲良さそうだね」



 ペンを動かしながらボソッと呟いた。先輩が幸人に興味を示したことに驚く。さっきの口喧嘩が仲いいように見えたのか?



「我儘で自由人なんで大変ですよ。親は末っ子に甘いし、一人っ子に生まれたかったな」

「……寂しいよ、一人っ子は」



 スラスラと動いていたペンの動きが止まる。先輩は一人っ子なのかな。今まで寂しい思いをしてきたのかな。



何となくだけど、これ以上声をかけてはいけない気がした。



「俺ご飯作ってきますね。何かあったら呼んでください」

「……うん」



 ずっしりと重たくなった空気から逃げるようにキッチンへ戻る。



 スーパーで買った食材を並べていると、明日食べる予定だったポテトチップスがなくなっていた。



【幸人】

 兄ちゃんが初めて高校の先輩を連れてきた。不思議な雰囲気を持った人で兄ちゃんと仲のいい友達とは大分かけ離れたタイプだと思う。最近の長風呂や声を掛けても返事が遅れるという怪しい様子から、この人と兄ちゃんには何かあるに違いないと推理する。



 よし、直接本人に聞いてみよう。



 コンコン――



「こんにちはー」

「……こんにちは」



 何でお前が来るんだ、とばかりに怪訝そうな顔を浮かべる。



ちらっと俺を見てすぐノートに目を移した。ノートには難しそうな数式がびっしり書いてある。



「暇だから泉先輩とお話したいなと思って。兄ちゃんと仲いいの?」

「……仲良くはない」



 仲良くない後輩が先輩を家に呼んでご飯食べるってどゆこと?



 こうなったら先輩にカマをかけてみよう。



「じゃあ兄ちゃんの片思い相手? ここ最近兄ちゃんが上の空な理由は先輩か」

「……いや違うから」



 意味分かんねえと小さな声で呟く。何が言いたいんだと言わんばかりにギロリと睨まれたが無視して持論を語る。



「好意を持っている人や恋人に向ける目線や表情、距離感って全然違うんだよ。兄ちゃんは先輩にゾッコンだね。あ、俺男同士は…とかいう古い偏見持ってないよ」



 家に入った時から二人の距離感に違和感があった。兄ちゃんが隣に立つ距離も、先輩の顔を覗き込む距離もやたら近い。普通好きでもない人がパーソナルスペースに何度も入られたら多少嫌な表情をするのに、先輩にはそれがない。仲良くないなら尚更変だ。



「……勝手に想像しないでくれ。俺は……」

「俺は?」



 先輩は数秒間黙り込んだ。



「……自分と正反対な、彼の世界を知りたいだけ」

「は?」



 想像を遥かに超える答えに思わず間抜けな声が出た。



正反対な世界? 



兄ちゃんは絵に描いたような普通の高校生だ。



「先輩って変な人だね」

「……失礼だな」

「兄ちゃん普通の高校生だよ?」

「……俺にはそう見えない」



 兄ちゃんとは正反対な、先輩が生きている世界を教えてよ。



そう聞き返そうとした瞬間ノックする音が響いた。ガチャリとドアが開き、料理を終えた兄ちゃんが部屋へ入ってきた。



「タイミング悪いなあ!」

「は? ていうか、何でお前がここにいるんだよ」



 それ以上聞くことができず、結局謎は解決するどころか余計深まった。スッキリするどころか濃霧のようなモヤモヤが脳内を覆いつくす。



けど俺は確信した、あの先輩は危ない香りがする。ミステリアスと言う一言では片付けられないこの妖しさの正体は何だろう。ベールに包まれた先輩を知りたい。兄ちゃんも俺と同じ感情を抱いたんだろうな。



「まあ、いずれ分かるか」



 この人の内を暴けば、優しい兄ちゃんが体験したことのないドロドロした面白いことが起きそうだと期待に胸が弾んだ。




【凛央】

 夕飯を作り終えリビングを見ると、幸人の姿が見えなかった。トイレにいると思い自分の部屋へ行くと、幸人が一方的に話しかけていた。



「タイミング悪いなあ!」

「は? ていうか、何でお前ここにいるんだよ」

「泉先輩と話してた」

「先輩、こいつ失礼なこと言ってませんでした?」

「……ううん、当たってた」

「当たってた?」

「兄ちゃんご飯まだー?」

「出来たから呼びに来たんだよ」



 わーい! とダッシュで階段を下りていく幸人。大切な勉強時間を邪魔されたようで俺はペコペコと平謝りし続けた。



 キッチンへ戻り料理を温めなおす。今日のメニューはチャーハンともやしの中華スープだ。先輩に好き嫌いがあるのか聞き忘れとりあえず無難な料理にした。先輩はチャーハンをじっと見つめている。



「いただきまーす!」

「……いただきます」



 母ちゃん直伝のレシピ。作るのに慣れた料理だけど先輩の口に合うかな。



「……おいしい」



 今まで聞いた中で一番大きな声だった。先輩の口に合って一安心する。



「先輩、おかわりあるんで沢山食べてくださいね」

「……うん。君って料理上手なんだね」

「簡単なものしか作れませんよ。先輩は料理とか作るんですか?」

「……しない。包丁持ったら指切る」

「俺と一緒!」

「アメリカへ留学するなら嫌でも自炊することになりますよ?」



 先輩の目が泳いだ。



「……目玉焼きは作れる、はず」

「三六五日目玉焼きはキツくね?」

「じゃあ今度一緒にカレー作ります? 俺も一緒ならできるはずです」

「………おかわり、ある?」

「もう食べたんですか!」



 身体が細いから少食かと思ったが俺と幸人より早く完食した。意外と食べるのが早く、元水泳部部長の幸人以上に大食い。スリムな体型からは想像出来ないほどの食欲に俺も幸人も唖然とした。



 食べ終わった先輩はお礼にと食器を洗ってくれた。片付け後三人でテレビをダラダラと見続けているとあっという間に十時を過ぎていた。そろそろ帰らなきゃ、と先輩が荷物をまとめだす。玄関で靴を履き、おじゃましましたと軽くお辞儀をした。



「駅まで送りますよ」

「……いい」

「……分かりました」

「……その、ご飯おいしかった。また食べたい」

「いつでも作りますよ! また遊びに来てください!」

「……うん」



 それからというもの、先輩は週に一・二回の頻度で夕飯を食べに家へ来るようになった。親子丼やパスタ、など別の料理も作ったが、チャーハンが一番好きらしい。美味しそうに食べてくれるけど、会話は微妙に弾まないし先輩の性格も未だに掴めない。時々ご飯のお礼にと数学の課題を手伝ってくれるが、何を言ってるのか全く理解できず毎回呆れられる。



 ただ先輩が少しずつ心を開いてくれるようになったことは胸を張って言える。眉目秀麗な容姿と相まって、元々感情を表に出さない性格だからこそ微々たる表情や声色の変化を少しずつ汲み取ることが出来た。特にご飯を食べる時の美味しそうな表情は小さな子どものようなあどけなさと可愛らしさは見るたびに胸がときめいた。



 言い方は悪いが、初めて会話をした大雨の日先輩は想像以上に冷めた表情で人間味を感じなかった。今は心の壁が徐々に溶けていったのかご飯を美味しそうに食べたり発する言葉が徐々に柔らかくなった気がする。ただ人と関わってこなかっただけで、うまく顔と言葉に表せないだけだ。そして先輩の笑みを見るたびに、他の人は知らない先輩の顔を俺は知っているという優越感に浸っている。



 因みに一緒に料理を作るのは開始三分で中止した。少なくとも先輩に包丁を持つ手は震え、熱したフライパンに近づくこともビクビクして結局肉が焦げた。留学へ行く前に簡単な料理を覚えてほしいが、結局後回しにし続けた。



そんな先輩との関係性が更に縮まったイベントがある。それは年に一回開催される文化祭だ。



続く


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