第81話 氷に宿るぬくもり
◇
俺はネイジュが火炎に身を焼かれ、弱った隙に押し倒していた。
首をかき切ろうと、ブレンガルドの刃先をあてる!
ネイジュは地に押さえつけられながら俺を見返している。
しかしなにかを察知したのか、急に視線をそらして、山のほうへと目を向けた。
「母上が、死んだ……!?」
氷銀の狐。
氷雪の化身。
恐らくこいつらには、俺たち人間にはない超感覚が備わっているのだろう。
彼女はこのファルウルから大いなる同族のちからが失われたことを感じとったのに違いない。
つまり、レゼルたちが勝利をつかんだのだということ……!
「……!」
同時に、自分の頭のなかに場違いな考えが浮かぶ。
大義のもととはいえ、目の前の娘は同族をすべて殺され、天涯孤独になってしまった。
俺はそんな彼女の境遇に、憐憫の情を抱いてしまっていたのだ。
『殺らなきゃ殺られる』
戦場での、唯一にして絶対の法則。
殺し合いをしているのに、相手を憐れむほど愚かなことはない。
迷う必要などはなかった。
だが、俺がブレンガルドの刃先を振りあげたとき。
俺の目に映ったのは、ネイジュの頬を伝わるひと筋の涙だった。
瞬間、俺の脳裏に蘇ったのは、あの夜の記憶。
一夜にして仲間をすべて殺され、孤独になってしまった過去の自分。
あのときの惨めな自分の姿が、目の前の娘の姿と重なる。
――馬鹿なことを考えるんじゃない。
愚かなことをするな。
同時に心のなかに聞こえてきたのは、レゼルの声。
『だからお願い……。
私のそばからいなくならないでください』
「……うおおおおぉっ!」
俺は迷いを振りきろうと叫び、刃先を降りおろす!
……だが、相手の首もとに触れる寸前で、刃先をとめてしまった。
ネイジュの氷の瞳と、視線が交差する。
自分の手が震え、汗が伝わり落ちていく。
俺は目をつむった。
――ごめん、レゼル。
それでもやっぱり、俺にはできない。
君が言ったとおりだった。
俺は心のどこかで、自分が死んでしまっていいと思っているのかもしれない。
俺はネイジュの首に当てていたブレンガルドの刃先を降ろした。
立ちあがり、彼女に背中を向ける。
前からはヒュードの視線を、後ろからはネイジュの視線を感じた。
「なにを……?」
「俺にはお前を殺すことはできない。
俺を殺したければ殺せ。
そして、人間に見つからないように山のどこかに逃げな」
「あなた……。私を逃がす気?」
「……あんたは今回の戦い、人間をひとりも殺してない。
あの怖い姉貴の言いなりになって、手伝いをしているだけのように見えたんだ。
それに比べて、俺たちはあんたの仲間をすべて殺しちまった。
ひとりぼっちは寂しいから、だから……」
俺はネイジュのほうを振りむいた。
「償いになんてならないことはわかってるけど。やっぱり俺にはあんたを殺せない」
近くの、雪に埋もれた樹に腰かける。
先ほどの雪崩で倒れた樹の幹だろう。
俺はうなだれて、足元の真っ白な雪を見つめた。
――俺はこの場で殺されるだろう。
だが、自分で選んだことだ。
あきらめはついていた。
ネイジュは立ちあがり、俺の足元にまでやってきた。
ひざまずいて、俺の顔を覗きこんでいる。
その氷のような瞳は、なぜか不思議な暖かみを宿していた。
「私を殺さないの? ほんと?」
「ああ、自分で決めたことだ。
二言はないよ」
「じゃああちき、主様について行く」
「え?」
――こいつ、今なんて言った?
「あちき、主様に一生ついて行くことに決めたでありんす!」
「ええぇっ」
いきなりなにを言いだすんだ、こいつは。
俺に付いていく?
てかこいつ、こんな喋りかただったっけ?
「付いていくって……騎士団の仲間になるってことか?」
「主様の仰せのとおりに」
「で、でも、俺たちはあんたの仲間を殺した仇なんじゃないのか?」
「殺した……? あぁ」
ネイジュは近くの雪を手ですくい、さらさらと零してみせた。
「あちきたちは氷の精。
魂さえ残れば、また少しずつ氷が集まって、新しく生まれかわるでありんす。
かたちを失う前の記憶は、なくなってしまうでありんしょうが……」
彼女は、手のひらから零れおちていく雪を見つめている。
「それじゃあ、あんたが姉上とか母上とか言っていたのは……?」
「氷銀の狐は氷の粒があればそこに魂が宿り、自然に生まれるもの。
でもときに、愛した人間への情念が漂い、人のかたちを成すことがある。
あちきたちの姿が母上に似ているのは偶然ではありんせん。
……あちきたちは、紛れもなく母上の子どもなの」
俺も、ネイジュの手のひらから零れる雪をただただ眺めていた。
「あちきと姉上は、もともとひとつの魂がなにかの拍子でふたつに分かれたものでありんす。
分かれかたのせいか、性格はぜんぜん違うものになってしまったでありんすが……。
双子に分かれるのは珍しいから、あちきたちは母上にとても可愛がってもらったでありんす」
俺は話を聞いて、納得していた。
ミネスポネに双子の娘がいるというのは、いったい全体どういうことなのだろうと不思議に思ってはいたのだ。
父親は誰だ、とか。
彼女の手のひらから零れた雪が今度は風に乗り、ふわりと舞いあがる。
「姉上は母上から人を憎み、殺すことを教わって、楽しんでおりました。
でも、今度生まれかわるときは、どうか優しい心をもって生まれますように」
彼女は舞いあがった雪の行き先を見つめていた。
たとえ性格や考えかたは違っていても、いなくなってしまったただひとりの姉へと、想いを届けるかのように。
俺はしばらくそんな彼女の様子を見守っていたが、不意に彼女がこちらを振りむいた。
「と、いうわけで。
今日からあちきは主様の妻としてついて行くでありんす」
「な、なにぃっ」
いったいなにがどうなったら「というわけ」になるんだ。
まるで話に付いていけない。
「妻としてって……なんでそうなるんだ!」
「でもさっき、あちきに償いがしたいって……」
「たしかにそんな風には言ったけれども……!
それとこれとは別の話で……!
だいたい、なぜに俺!?」
「だってぇ……」
ネイジュは氷雪の化身のくせに頬を赤らめ、両手を顔に当てていじらしく話しはじめる。
ふとした拍子に彼女の髪の隙間から、今まで隠れていた耳を覗かせた。
狐なのに、垂れ耳……!
「主様があちきに優しいお人だということは、からだを触れあってすぐにわかりました。
それになにより……その今にも獲物を噛み殺しそうな獰猛な目つきが、素敵……♡」
人間からは目つきが悪いってよく言われるんだけどな。
まさかこの目が他種族から見ると魅力的に映るとは夢にも思わなかったよ。
呆然としている俺のことなど、構う様子はない。
ネイジュは恍惚とした表情を浮かべ、俺の顔に右手を添えた。超冷たい。
「ああ、主様を氷漬けにして永遠にそばに置いておけたら……。
考えるだけでとろけちゃう」
その言葉を聞いた瞬間、話を聞いているだけでからだが凍りついてしまった。
俺は今、ブレンガルドの刃先を振りおろさなかったことをほんの少しだけ後悔していた。
――こいつ、ヤバいヤツだ!
勘のよい読者さまは察していたかもしれませんが、ネイジュが仲間になりました!
なかなかのトラブルメーカーですが、よろしくお願いいたします!
次回投稿は2022/10/12の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




