第73話 あなたを支えてくれる人
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――ミネスポネたちを追いかけ、北の山脈へと向かう。
ヒュード、エウロ、クラムには全速力で飛んでもらった。
まだ冷たさの残る空気が、風をきってさらに冷たく感じられるが、もう少しで追いつくはずだから我慢だ。
そして、ついにミネスポネたちの後ろ姿を視認する。
氷狐たちは優雅に走っているが、その速力はすばらしく、奴らはすでに北の山脈に属する山の中腹にまでたどり着いていた。
ミネスポネが上空から迫る俺たちの気配に気づき、氷狐の背中に横向きに座ったままこちらを振りむいた。
「……きたわね。
ネイジュ、どちら様かのお相手をしてあげなさい」
「はい、母上」
そう言うとミネスポネはさらに速度をあげて先に行ってしまった。
代わりにネイジュが乗っていた氷狐が立ちどまり、こちらを振りかえる。
ネイジュが両手を向かいあわせて水氷の自然素の塊を練りあげると、また氷棘を息つく間もなく飛ばしてきた!
さらに、周囲に降りつもっていた雪も材料にし、氷の飛礫として吹雪のように浴びせかけてくる。
ヒュード、エウロ、クラムがそれぞれに身を翻し、氷棘と飛礫を回避した。
「攻撃してきたぞ!」
「いったん、近くの茂みに身を隠しましょう!」
俺たちはネイジュの激しい攻撃から逃れるように近くの樹氷の森のなかへと退避した。
身を潜めながら、シュフェルが忌々しげにつぶやいた。
「さっきまで城であんだけ弾撃ちしてたのに、まぁだ撃ってくんのかあのキツネ女……!」
まだこのあたりには氷雪や冷たい空気が多く残っており、ネイジュにとっては有利な状況が保たれている。
とは言え、奴はレゼルやシュフェルがいったん退避を選択するほどの圧力で攻撃を仕掛けてくる。
「……あれは、勝つことを目的とした攻撃ではありません。
私たちを足止めすることにすべてのちからを注いでいます。
私かシュフェルか、どちらかが相手をしなければ先に進ませるつもりはなさそうです」
――彼女の言うとおり、レゼルとシュフェルの戦力を分散させることが向こうの狙いだろう。
例えばネイジュのほうがシュフェルを足止めさえしていれば、ミネスポネは確実にレゼルを返り討ちにできると踏んだのだ。
そしておそらく、その考えは正しい。
水氷の自然素がうすれ、かすかな勝機は見えたものの、それはレゼルとシュフェルがふたりがかりで戦えばの話だ。
依然としてミネスポネたちに有利な環境であることに変わりはなく、レゼル単身ではまだまだ豊富に残っている氷の塊に押しつぶされてしまうことだろう。
かといって、賢王を人質にとられて逃げられている以上、ネイジュをふたりがかりで攻めおとしていくほどの時間も余力も残されていない。
その事実を、レゼルたち自身は直感的に感じとっていたのだ。
――俺は、自分の決断に迷いはなかった。
レゼルとシュフェルのほうを向き、自分の考えを伝える。
「俺が、あのネイジュの相手をする。
ふたりはミネスポネを追いかけてくれ」
「はぁ?」
先に反応したのはシュフェル。
「アンタに何ができんのよ。死ぬ気?」と彼女は言おうと思ったし、俺もそう言われることを予想していた。
だが、次に口をひらいたのは――。
「ダメです!
あなたをここでひとりでは絶対に行かせません!」
「レゼル」
「姉サマ……」
レゼルは俺の腕を強くつかみ、必死の表情で叫んだ。
俺はこの短い期間のあいだに、彼女の必死な表情を何度も見てきた。
でも今は、それらのどの表情とも違う顔を見せている。
彼女は触れただけて壊れてしまいそうなほどの真摯さで、俺への説得を続けた。
「あなたは、心のどこかで自分の命は捨ててしまってもいいと思っています!
以前、誰にも言わずにジェドの給油庫に忍びこんだときだってそうです!
あなたはあのとき、いつ敵にとらわれて処刑されていても不思議ではありませんでした。
それが予測できないあなただったとは、言わせません!」
「……!」
俺はレゼルに指摘されて、初めて自分のそうした特性に気付かされた。
掃きだめのような街で育った生い立ち。
そしてまだ義賊の頭領だったころ、自分の失敗で仲間を皆殺しにされてしまった日。
あの日の夜に俺は、たとえ刺し違えてでも帝国に復讐することを心に誓った。
だがたしかに俺は、そのときに心の一部が死に、仲間のもとに逝きたいと願ってしまっていた。
失敗を犯した張本人だけが、のうのうと今も生き残っている。
そのことに心のどこかで、罪の意識を感じていたのかもしれない。
「このファルウルでの戦いでも、私の目の前で数多くの兵士を死なせてしまいました。
私はもう、ひとりだって死なせるつもりはありません!
あなたが自身の命を軽んじる行為も許すつもりはありません。
だから……」
説得を続けながら、レゼルの胸にどんな想いが去来していたのか。
俺には彼女の想いのすべてを知ることはできない。
……そのときレゼルの脳裏に浮かんでいたのは、俺が知らない言葉。
彼女とシュフェルだけが知っている、友からの親愛の言葉。
「だから――」
『馬鹿ね。
あなたがひとりでたくさん背負いこんじゃってるからこそ、支えてくれる人が必要なんじゃない』
「だからお願い……。
私のそばからいなくならないでください」
レゼルの頬を、ひと筋の涙が伝った。
……その涙だけで、じゅうぶんだった。
彼女に反論する気など、微塵も起こりはしない。
俺は彼女の肩に両手を添え、うなずいた。
涙で潤んだ翠の瞳が、こちらを見つめかえしている。
指先でそっと頬の涙をぬぐうと、彼女はわずかにからだを震わせた。
それ以上泣かないように涙をこらえているからなのか、頬に赤みがさしている。
「わかったよ、レゼル。
君に言われるまで、俺は自分が命を軽んじていることなんて、少しも気づいていなかった。
これからは同じ間違いはしないよ。
だからもう、泣かないでくれ」
レゼルは頬を赤らめたままこくこく、とうなずいている。
その後ろではシュフェルが虎のように獰猛な目つきで「次姉サマ泣かしたら殺す」と唸っていて怖い。
俺はネイジュが待ちかまえている方角へと目を向けた。
「……でもな、レゼル。
今回に限って言えば、俺は命を投げだして足止めをする気はない。
あいつにひと泡食わせるのに、良い考えがあるんだ」
「良い考え……?」
レゼルがまだ目を潤ませたまま、不思議そうな顔をして聞きかえす。
その後ろではシュフェルが、「アンタ目つき悪いんだから遠くにらむと怖いよ」とのたまっていた。
次回投稿も仕事の都合が合わず、2022/9/16の19時に予約投稿とさせていただきます。何とぞよろしくお願いいたします。




