第63話 渦まく黒雲
前回の場面の続きです。
◇
――ロブナウトの話は、こうだった。
『氷銀の狐』は、古くからルトレストの北方の山脈に住んでいたものだ。
狐たちがどうやって生まれたのかはさだかではないが、一説によればかつて北の山脈には水氷の龍神が宿り住んでいたと言われている。
狐たちは龍神のまとう神気によって、自然発生的に生まれた精霊なのではないかと考えられているらしい。
なかには人の姿に化ける個体もいると言われているが、あくまで言い伝え上の存在に過ぎない。
ミネスポネがそうであるという確証はなく、ロブナウトは言及しなかったとのことだ。
だが、レゼルの感知能力によればミネスポネや双子は氷狐と同様の存在らしく、伝説が真実味を帯びてくる。
ひとつたしかなのは、氷銀の狐たちは数百年前に人と龍が移り住むよりも、はるかに昔からファルウルに住んでいたということだ。
つまり、奴らこそがファルウルの本来の主であり、人と龍はあとから侵略してきた者だということになる。
肥沃な大地を我がものとするために、人間はファルウル王家をつくり、氷銀の狐たちと永きにわたって戦い、居座りつづけてきた。
しかしついに、賢王クルクロイの代に国家の威勢は頂点に達した。
強大な軍事力にものを言わせ、一度は氷銀の狐を壊滅にまで追いこんだのだという。
その後、賢王の治世は安定していたが、十年前の帝国の大規模侵攻によって王国は占領されることとなる。
ほどなくして『氷華』ミネスポネが五帝将に選出。
一夜にして氷の壁が建造され、ルトレストの人々はみんな氷漬けにされてしまった。
ちなみに俺がファルウルを訪れてロブナウトと出会ったのは、このさらに約一年後のことだ。
水氷の短剣エインスレーゲンはファルウル王家が代々国宝として秘蔵していたものだが、帝国皇帝に奪われ、ミネスポネに授けられたようだ。
そうして、氷銀の狐は再びまたその数を増やしつづけ、現在にいたる。
……ロブナウトの話はこんなところだ。
氷の壁内は外界から断絶されていたし、このオヤジとは商売の話ばかりしていたので、俺としても初めて知ることが多かった。
シュフェルはロブナウトの話を聞いて、首をひねっていた。
レゼルも口もとに拳を当てて、考えこんでいる。
「……んん!?
氷銀の狐はカイメツに追いやられたんでしょ?
なんでその狐が五帝将の座について統治してんのよ」
「話から推察するに、ミネスポネは当時の氷銀の狐の生きのこりで、ファルウル王家に対する復讐という点で帝国と利害が一致したというところでしょうか」
「でも、もともとファルウルに住んでいたのは狐たちのほうなのよね?
人間の都合で一方的に滅ぼそうとするなんて、ケンオーってのも相当横暴な王サマだったんじゃないの?」
ロブナウトが首を横に振った。
「すみませんね、お嬢さんがた。
私も粋がってはみても、所詮はしがない街長。
ミネスポネに関してはこれ以上詳しい話はわからんのです。
ただ、賢王クルクロイ様はその名に恥じぬ名君でした。
人格者としても有名で、氷銀の狐とも共存を望んでいたようなのですが……。
ある日を境に、氷銀の狐のせん滅を強行するようになったそうです」
「ある日を境に……?」
その後もレゼルたちは当時のいきさつを聞いていたが、氷の壁を破壊するのに役立ちそうな情報はなさそうだった。
俺がぼうっとして噴水から水が噴きでるさまを眺めていると、ロブナウトに話しかけられた。
「役に立ちそうな情報はない、って顔してるな? 坊主」
「う゛」
見抜かれた。
……この男は一見して豪快な外見と性格でがさつな男と思われがちだが、商人としては一流だ。
その風体とは裏腹に、人間の細やかな感情の機微を読み、緻密な商談を持ちかけてくる。
なにせ商才一本で商会の会長にまでのぼり詰めた男なのだから。
……このオヤジのそういうところも苦手なんだよな。
「役に立てなくてすまねぇな。
……だが、お前は困難にぶちあたっても、逆転の芽を虎視眈々とねらう図太さと小賢しさがある。
俺はお前がそうやって数々の商談を成立させてきたことを知っている。今回も負けるなよ、坊主」
「知ったようなこと言いやがって……」
「……グレイスさんのことを、評価されているのですね」
「そりゃまー、私の愛弟子ですからな! ガハハハ!」
「誰が愛弟子だっつーの」
ロブナウトの肩の上ではシュフェルが「ウン、ウン」と満足げにうなずいている。
俺は君の弟弟子でもないんだけどな。
と、そのとき。
なにかの拍子で噴水の水がいっそう高く噴きあがった。
噴水の下の溜まりから、澄んだ水が滔々と水路へと流れこんでいる。
「それにしても、ほんとうに水が豊富な国だな。
これだけの量の水、どっから湧いてくるんだ?」
「あぁ、それは地下水さ。
ファルウルの地下には、全土にわたって広大な水脈が広がっている。
水脈は各地の川や湖沼へとつながり、暖かな空気によって蒸発して雲をなし、雨となってまた地下の水脈へと還っていく。
この水の循環こそが水氷の龍神の加護をえた神秘の島、ファルウルの秘密ってわけさ」
ロブナウトは身ぶり手ぶりをまじえて、芝居っぽく語った。
「へぇ……」
俺たち人間と狐のいざこざなどまるで意に介しちゃいないと言わんばかりに、水路の水は自然のあるがままに流れつづけていた。
「んあ?」
ポツっ、とシュフェルの鼻頭に雨が一滴降ってきた。
上を見あげると、晴れわたっていたはずの空はいつの間にか暗い雲に覆われはじめていた。
ファルウルの天気は非常に移りかわりやすい。遠くからはゴロゴロと遠雷も聞こえてきた。
雨はポツリ、ポツリと降りはじめ、またたく間に本降りになってきた。
「こりゃあ大雨になりそうだな。
お嬢さんがた、商会本部の建物まで戻りましょう」
ロブナウトに言われて、俺たちは建物のほうまで引きかえそうとした。
だが、噴水のある広場を抜けるあたりでレゼルが付いてきていないことに気づく。
後ろを振りかえると、彼女はじっと空を見あげたまま、元いた場所に立ちつくしていた。
「おーい、何してるんだよレゼル。
びしょびしょに濡れちまうぞ」
「姉サマー、また風邪ひくよぉ」
このあいだ風邪をひいていたのはシュフェルだったような……。
「あ……はい……」
レゼルは上の空な様子で返事をした。
雨粒が、彼女の流れるような銀の髪をしっとりと濡らし、雫となって頬を伝う。
彼女が見つめる先には黒雲が渦まき、内なる怒りを増幅させているかのように、雷電をその身にまとわせていた。
グレイスが帝国をでて、ロブナウトのもとを訪れたのは帝国侵攻のあと。
それまでは盗賊をやっていて帝国をでたことはないはずなので、彼が初めて国外にでたのは侵攻後ということになります。
第一部第2話でグレイスが大規模侵攻前のカレドラルの街並みを見たことがあるかのような描写がありますが(『静謐な雰囲気の漂う石造りの街だった』)
それは帝国貴族の出身を装っていたためであり、実際には人から伝え聞いた知識を物語っていたのだということがわかります。
けっこうな嘘つきですね!
次回投稿は2022/8/18の19時以降にアップロード予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




