第47話 気まぐれ者の帰る場所
カレドラルでのエピソードも、残りあとわずかとなりました。
◇
カレドラルを出立する前日の夕方。
狭い街路にまぎれこむように建つ店の看板には、フルートを吹く天使のシルエット。
俺はジェドの街なかにある『天使の笛吹き』という酒場を訪れていた。
少しだけ扉をひらき、そっと店のなかを覗きこんだ。
「アイラさん、こんばんは~……と」
夕方の開店にあわせて訪れたので、店内はやはりガラガラに空いている。
すると、奥のほうからドタドタと走る音が近づいてきて……。
「ちょっとぉ!
グレイスさん今までなにやってたのよぉ、めちゃくちゃ心配したんだから!」
赤みの混じった黒髪は帝国民の特徴。
女性店主のアイラさんが扉を勢いよくひらいた!
俺は扉に危うくぶつかりそうになってよろける。
彼女はそんな俺の様子などお構いなく、ものすごい勢いで問いつめてきた。
「だっていきなり押しかけてきてずっと預かってた怪しげな薬をやっと持ってったと思ったら、城がドカーンでしょ! 私ぜったいあなたが犯人だと思って私も共犯!? とかドキドキしてたらいつまでたっても戻ってこないし、もしかしたら爆発に巻きこまれて吹きとんだのかなんて思って私……!
とにかく心配したんだから!」
俺が犯人なのも知らぬ間に共犯にしてたのもだいたい正解だったりするのだが、とりあえず俺は彼女をなだめることにした。
「ごめんごめん。
事情はぜんぶ話すからさ……可能なかぎり」
最後のほうは目線をそらして小声でつぶやいたが、幸いなことに彼女は聞き逃してくれたようだった。
俺は彼女に案内され、いつものカウンターに腰かけた。
アイラさんは俺のお気に入りのカレドラル産ワインをだしたのち、料理の支度をしてくれている。
カレドラルが復興して、名産の白ブドウも栽培が本格的に再開されているという話だ。
俺は上機嫌でワインを嗜みながら、カウンター越しに彼女と話をした。
アイラさんは元・帝国民で、十年前の大規模侵攻のあとに旧カレドラル、つまりアイゼンマキナに移民してきた。
この度の戦いで新生カレドラルが復興したのちも、亡くなった旦那さんとひらいた店を捨てることができず、カレドラルに帰属して店をひらきつづけている。
彼女には数年がかりで影死国『シャティユモン』から運びこんだ『液体助燃剤』を事情も聞かずに預かってもらったという恩義がある。
俺が翼竜騎士団に加入し、城を爆破した経緯をおおむね事実にもとづいて説明した。
(俺が帝国の義賊『トネリコの介殻』の元・首領であった過去は秘密なので、今までどおり帝国士族ヴァンロード家の生まれであることにした)
俺がすべてを話し終えたとき、案の定というか、アイラさんは信じられないという顔をしていた。
「は~、怪しい怪しいとは思ってたけど、まさか帝国の裏切り者だったとはね。しかも爆破だなんて、とんでもないわ。
私はもうカレドラルの人間だからいいけどさ。帝国民に命を狙われないように気をつけてね」
「ははは……。もう手遅れさ。
俺は全帝国民の敵になっちまった。
……どうせおたずね者なんだからいっそ、騎士団の遠征に付いていくことにした。
危険な旅だ。この店を訪れるのは、最後になるかもしれない。
だから冥土の土産にしたくて、こうしてアイラさんの顔を拝みにきた」
アイラさんは驚いたような顔をしたまま話を聞いていたが、やがてぷっと吹きだした。
「あはは、冥土の土産に顔を拝みにきたってなんじゃそら」
「駄目?」
「ううん、いいよ。
好きなだけ拝んできな」
そう言って、彼女はまた悪戯っぽく笑った。
俺とアイラさんのあいだを、心地のよい静けさが包みこむ。
……やっぱりこの店は居心地がいい。
もう来れないかもしれないと思うと、名残惜しくなってしまう。
そうして感慨に耽って黙っていたら、ふと、なにかに気づいたかのように彼女は俺に問いかけてきた。
「……なんかグレイスさん、変わった?」
「えっ、ほんと?」
「うん。
なんか柔らかくなったっていうか……。
翳りがなくなった?」
「うーん……。そう?」
そんな風に言われたのは初めてだ。
俺は腕を組んで理由を考えはじめた。
たしかに、ここ最近はいろんなことがあった。
長いあいだ心を許せる相手は相棒のヒュードしかいなかったが、騎士団の面々に正体を見抜かれ、自分を偽らなくてよくなったのが、思いのほか大きかったのかもしれない。
そんなことを考えていてはっと我に帰ると、アイラさんがぐっと近づいて俺の顔を見ていた。
彼女はジトッとした目で俺を見つめつづけている。
「ど、どうしたの?」
「なんか怪しい……」
「あ、怪しくなんかないさ」
「グレイスさん、好きな女の子ができたでしょ」
「えぇっ」
アイラさんに指摘されて、なぜか翠色の瞳が頭をよぎった。
俺は慌てて自分の考えを振りはらう。
彼女は八歳も年下だし、なにより俺と彼女じゃ身分が違いすぎる。
「いやそんな、好きとかそういうんじゃなくて……。
たしかに危なっかしくて放っとけないなってコはいるけども……」
「浮気者」
「ええぇっ」
俺は一応、交際している女性はいないはずなのだが……。
正直に言えば、まったく交際の経験がなかったわけではなかった。
義賊の首領をしていたころには、恋人にあたる女性がいたこともある。
だが、仲間をすべて殺され、復讐にとらわれてからは、恋人を作ろうなんて考えは欠片も起こらなくなってしまっていた。
(目標を達成するために、相手の好意を利用することはあっても)
誰かを好きになる気持ちなんて、とうに思いだせなくなっていた。
だがそんな俺の恋愛事情などアイラさんが知るわけもなく、俺のことを妬ましそうに見つめている。
俺は視線に耐えられなくなって彼女から顔をそらし、ダラダラと冷や汗をかいた。
彼女は俺が視線をはずしたあともずっと見つめつづけていたが、やがて眼をふせて、ため息をついた。
「……あなたって、昔からずっとそう。
思いつきのようにふらっとやってきたかと思えば、次の瞬間にはどこかにいなくなってしまう。
まるで、猫とか風みたい」
うーん、自分ってそんな気まぐれな人間だったのか。
言われてみると、そんな風にも思えてきた。
「でも、それがあなたのよいところなのかもしれない。
あなたはこんな小さな店に閉じこもって、私と切り盛りするのには向いてないんだわ、きっと」
「……俺のこと、嫌いになった?」
俺はなんとなく申しわけないような気がして、おそるおそる尋ねた。
「ううん、もっと好きになった。
あなたの行きたいところに行ってらっしゃい。
でも、会いたくなったらいつでもおいで。私はいつもここにいるから。
……彼女にフラれたら、私が優しく励ましてあげる」
そう言って、なんの衒いもなく笑う彼女の笑顔はとても綺麗で、なにか尊いもののようにさえ思えた。
—―ほんとうに、俺なんかにはもったいない女性なんだろうな、この人は。
最後に、彼女のこの笑顔が見られてよかった。
それさえも、ただの自分勝手なのかもしれないけれど。
「アイラさん」
「ん?」
彼女にせいいっぱいの感謝を込めて。
気持ちをとても言葉にしきれなくて、結局簡単な言葉になってしまう俺を、彼女はいつものとおり受けいれてくれた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。またきてね」
次回でカレドラル出立です。
次回投稿は2022/6/27の19時以降にアップ予定です。何とぞよろしくお願いいたします。