第2話 黒煙を吐く鋼鉄の機械城
物語の語り部・グレイスはアイゼンマキナ領空内を移動し、首都のジェドにたどり着きます。
◇
関所を抜けてから、俺とヒュードはさらに小一時間ほど領空内を飛びつづけた。
途中で浮かぶ島には険しい山々が連なっており、高地に広がる緑の絨毯が美しい。
どの山も頂は先鋭で、霞がかっている。
これぞまさしく山岳諸島である旧カレドラルの風景であったが、澄みわたる青空のなかに突如として不似合いな巨大な黒雲が現れた。
……いや、それは雲ではない。
ひとつの都市から排出される煙が巨大な浮き島を包みこむように覆っているのだ。
アイゼンマキナ最大の都市、『ジェド』がある島だ。
旧カレドラル領最大の島で、カレドラルの首都がそのままアイゼンマキナの首都になっている。
数多の高峰が連なる旧カレドラル領のなかでも、もっとも大きい山の麓のほう、周囲を絶壁に囲まれた高台の上にその都市はあった。
山の壮大さに比べると都市の規模は小さく感じるが、山に根元からかじりつき、そのまま崩してしまいそうな異様な存在感を放っている。
久しぶりに訪れたジェドの威容に感嘆し、都市の領空のすれすれに沿ってぐるりと一周飛んでまわることとした。
都市の中央部にある小高い丘には巨大な鉄の城がそびえ立っている。
城のかたちはいびつな形状をしており、まるで鉄の巨人が市街地を見おろしているようだった。
鉄の巨人は身体のあらゆる箇所が機械で構築されており、ピストン運動とともに煙を噴きだしたり、歯車が動いている様が見てとれる。
ときどき腕のように何本も伸びた突起部が関節で折れまがり、ほかの腕と結合したり離れたりしている。
アイゼンマキナを訪れるたびにこの城は増築され、拡大していっているように見えた。
城の周囲には幾何学的な鋼鉄の建物が次々と建築されているが、旧市街地の街並みはまだある程度保たれている。
街のはずれの高台にある広場では大聖堂が立っており、聖堂をとり囲むように数多の尖塔が突きだしている。
――かつてはこの荘厳な大聖堂がジェドの街の象徴であったが、今は都市中央に立つはるかに巨大な城の影に潜んでしまっている。
ジェドの上空からの様子を一周見てまわったのち、俺とヒュードは都市の入り口のほうに降りたった。
ジェドは城壁に囲まれた都市だ。
これも旧カレドラルの名残で、見あげると首が痛くなるような高い石づくりの城壁は、大砲を撃ちこんでも崩せないほどの厚みと強度がある。
城壁の門でも兵士に認可証を見せて通行許可をもらい、城壁のアーチをくぐる。
俺とヒュードはジェドの市街地へと入っていった。
俺たちが城壁の門を抜けたころ、いつの間にか時刻は夕暮れに近づいており、あたりはうす暗くなってきていた。
まずは行きつけの酒場を目指し、それから宿泊先を探すこととした。
ヒュードにはすぐ横を歩かせ、宙籠を引っぱらせた。
宙籠の車輪が石畳の路面でがたごと音を立てている。
街を歩く人影はまばらで、みな帝国からの移民だ。
旧カレドラル領民を見かけることはほとんどない。
上空からは旧市街地の街並みは保たれているように見えたが、実際に降りたって歩いてみると都市の内部は異様だ。
煉瓦づくりの家々のあいだには不似合いな鉄製のパイプが街中に張りめぐらされており、いたるところで蒸気や炎が噴きだされ、うす暗い街を赤く染めている。
そして、街のどこにいても昼夜の区別なく機械の塊が動きまわり、闊歩している音が響いてくる。
数多くの『機龍兵』がねり歩き、赤い目を光らせて、住民を見張っているからだ。
鉄炎国家『アイゼンマキナ』――。
神聖国家カレドラルが造りかえられてできた国だ。
わずか十年ほど前までは、静謐な雰囲気のただよう石づくりの街だった。
街のなかにある数多くの教会や礼拝堂、煉瓦づくりの家々はかろうじて取り壊されずに残っているが、建物のあいだには鉄道が敷かれ、ひっきりなしに機関車が走り、けたたましい音をあげている。
しばらく歩き、目的の酒場にたどり着いた。
狭い街路にまぎれこむように建つ店の看板には『天使の笛吹き』と書かれ、フルートを吹く天使のシルエットが象られている。
俺はヒュードに近くの龍停め場で待つように言い、店の扉を半分ひらき、顔を覗かせた。
「アイラさんこんばんは。
今、入ってもいい?」
カウンターの向こう側、流し場でコップを拭いている女性が振りかえり、明るい声で笑顔を振りまく。
「あらぁ、グレイスさん!
久しぶり。いつジェドにきたの?」
「今日だよ。
街について、真っすぐにここにきた」
「うれしいこと言ってくれるわね。
座って座って、一杯サービスするわ。
いつものワインでいいかしら」
俺はうなずき、正面のカウンター席に座った。
白ワインが置かれ、グラスに注がれて運ばれてきたので、ひと口含む。
旧カレドラル領の高地で栽培された白ブドウが使われた、爽やかな飲み口のワインだ。
液色は金色がかった黄色で、口に含むとわずかに牧草の香りがする、この素朴なワインが好きだった。
だが、旧カレドラル領でしか作られないため、アイゼンマキナの侵略を契機に生産量は激減してしまったという話だ。
この街にはもう、牧草の香りがただよってくることはない。
鼻につくのは油を燃やした煙の匂いばかりだ。
「鉄と炎の国になってしまって、このワインが飲めなくなってしまうと思うと悲しいね」
俺が残念そうにつぶやくと、アイラさんはつまみのチーズを切りながら「そうね」と同意してくれる。
続けてでてきた仔牛のシチューに使われている肉も、高地での牧畜が盛んなカレドラルが滅んだことで、年々数が減っているらしい。
俺は久しぶりにきた店のなかを見まわした。
店内は帝国の風土品だけではなく、さまざまな外国の調度品などがうるさくならないように配置されていて、瀟洒な雰囲気がただよっている。
床やテーブルに使われたウォールナットの木目も美しい。
時間がまだ早いためか、客はまばらだ。
「最近の景気はどう?」
「おかげさまで売りあげは上々よ。
機関車の路線がどんどん広がってくれるから、遠くのほうからも常連さんがきてくれるようになったの。
ほら、龍に乗って帰ると、飲みすぎたとき振りおとされちゃうじゃない?」
酔っぱらいが乗ってきた龍に振りおとされて道端に置いていかれるさまを想像して、アイラさんと一緒になって笑ってしまった。
と、ふたりで笑っているところを耳ざわりな機械音に妨げられた。
窓のほうを振りむくと、巡回している機龍兵が室内の様子を覗きこんでいた。
ふたつの赤く不気味な光が部屋のなかを照らしている。
しばらく部屋のなかの様子をうかがっていたのち、赤い光はまた機械音を鳴らして去っていった。
アイラさんは窓のほうを横目で見たまま、悩ましげにつぶやく。
「機械の技術が進んで生活が豊かになっていくのはいいんだけど、街の雰囲気がこんなじゃね……。
心の豊かさなんてあったものじゃないわ。
自由な空気を求めてこの国に移民してきたけど、これじゃ本国にいたころとさして変わらないわね」
アイラさんは帝国からの移民だ。
赤みの混じった黒髪は帝国民の特徴で、年齢は俺より少し上くらいだが、若くして旦那さんを亡くしている。
十年前の帝国の侵攻によってカレドラルが滅び、アイゼンマキナが建国された。
彼女は帝国からアイゼンマキナへの移民が始まった際に旦那さんとともに移住し、旦那さんを病気で亡くしたあともひとりで店を切り盛りしている。
移民してきたときはまだ一六歳だったそうだ。
ちなみにアイゼンマキナは帝国ヴァレングライヒの分国のあつかいで、元首は帝国皇帝である。
「ごちそうさま。
そろそろ泊まり先を探さなきゃ。
やっぱりこの店の味が一番だね、また絶対来るよ」
夕食を食べおわり、帝国銀貨で支払いをした。
礼を言って立ちさろうとすると、アイラさんは出口まで見送りにきてくれた。
彼女はそっと身を寄せて、俺の耳もとで囁いた。
「ねぇ、今日こそは私の家に泊まっていってくれる?」
せっかくのお誘いにどう答えたものか迷ったあと、答えた。
「……いや、お言葉に甘えたいところだけど、遠慮しとく。
亡くなった旦那さんにも悪いし、それに……」
「もう、またそんなこと言って。
それに? 何なのよ」
アイラさんは不機嫌そうに拗ねてみせる。
拗ねた表情も可愛らしくて、とても魅力的な女性だと思う。
……ほんとうに、俺にはもったいないくらいだ。
アイラさんの問いかけに一度だけ振りかえり、答えた。
「それに、俺のそばにいると不幸が近づくからさ」
何も言いかえすことができないアイラさんを置いて、立ちさる。
背中に視線を感じながら、龍停め場でおとなしく居眠りしていたヒュードのもとへと向かった。
まだまだ導入部。
壮大に動く機械の城と、夜の酒場の大人っぽい雰囲気を楽しんでもらいたくて書きました。
それに石造りの街の異国情緒と、機械が巣くうアンマッチさと。
次話は2022/2/6にアップ予定です。何とぞよろしくお願いします。