第25話 星空の散歩
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陽はすっかり沈み、夜はさらに深まっていた。
レゼルはほぼ燃えつきて崩れ、まだ火がくすぶっているやぐらの跡を見つめながら、地べたに座っていた。
彼女は巫女の衣装を着たままだ。
俺がヒュードを連れて後ろからレゼルに近づいていくと、傍らで彼女を見守っていたエウロがこちらに気づき、立ちあがる。
レゼルはまだこちらを振りかえらない。
神儀が終わったあと、レゼルはほかのみんなを先に帰らせて、自分はそのままここに残っていたらしい。
彼女がなかなか宿営地のほうに戻ってこないのに気づき、俺はこうしてヒュードに乗って探しにきたのだった。
「みんなのところに、戻らないのか?」
「…………」
俺が後ろから声をかけても、レゼルはまだやぐらの残り火を見つめたままだ。
俺が近づいていたことには、とっくに気が付いていたのだろう。
「私は……」
レゼルが、かすかに震える声で語りはじめた。
「私は明日、皆の命運をかけた戦いに臨まなければなりません。
間違いなく、オスヴァルトとまた激突することになるでしょう。
彼とちからの差があることは明白です。
それでも、私はたとえ刺し違えてでも、その差を覆さなければなりません。
私の剣に翼竜騎士団の……いえ、龍御加護の民の命運がかかっているのです」
彼女は、震える左手を右手できゅっとにぎりしめた。
「私の研鑽が足りなかったために、すべての民の命を危険にさらすことになってしまいました。
わかっていたのに。
絶対に勝つと心に決めていたのに。
……それでも今になって、怖くて仕方がないんです」
彼女は震える手を抑えこんでいたが、それでも抑えきれず、小さく背中を震わせている。
彼女はほんの少し、泣いていたかもしれない。
俺は緑の衣装を着たままの彼女の背中を見つめた。
エメラルドは美しく、非常に硬度が高い石だが、ゆえに脆い。
彼女の震える背中は、そんなエメラルドの儚さを思わせた。
彼女がいかに才能あふれた騎士団最強の剣士だとしても、まだ少女と言ってもいい年ごろの女の子だ。
そんな彼女に、戦いの行く末を任せなければならない自分の弱さを、俺は呪った。
――だが、エメラルドの石言葉は『希望』。
彼女が乗り越えなければならないのだ。目の前に立ちふさがる困難を、希望を胸にして。
彼女自身が運命を切りひらかなければならない。
そして不意に、か細い背中で困難に立ちむかっていく彼女に、どうしようもないほどの愛おしさがこみあげてきた。
彼女を支えるためならば、俺はこの身を尽くすことをここに誓おう。
……とにかく俺は、彼女にそんな風にしてあげたい衝動に駆られたんだ。
「よしっ!」
「え?」
俺は彼女が落ちこんで隙だらけなのをいいことに、彼女の腕をつかみ、抱えあげた。
「えっ? えっ? えっ?」
「レゼル、散歩に行くぞ」
「え? 散歩?」
レゼルはわけがわからなくて、混乱している。
そりゃそうだ、俺も勢い任せで、よくわけがわかってないんだから。
俺のすぐ眼の前で、彼女の瞳が揺れている。
「今夜は星が明るくて綺麗だ。煮詰まったときは散歩に限る」
俺はエウロに「レゼルを借りてくぞ」と言う。
エウロもうなずいて、とめようとはしない。
「ででで、でもっ、こんな明るい夜に飛んで敵兵に見つかったら……」
「敵さんが明日に備えてきっちり守りに入ってるのは確認済みさ。
行こう!」
微妙に答えになってないのだが、細かいことは気にしないことにした。
レゼルをヒュードの背中に乗せて俺も乗り、そのまま何もない宙へと向かって飛びだしていった。
「どっ、どっ、どこに行くんですか?」
「ルシウルってのがとても綺麗だったから、そのお返しに」
俺たちはあたりに島が浮かんでいないところまで飛んでいった。
視界を遮るものが、何も見えなくなるところまで。
あたりに島や、人が灯す明かりがないと、星の見えかたは全然違ってくる。
後ろで俺の背中をつかんでいるレゼルが、夜空を眺めてため息をついた。
「綺麗……」
まさしく、満天の星だった。
よく見るとさまざまな色合いで瞬いている星々が、上にも下にも無数に散らばって、光り輝いている。
こんな雲ひとつない星空は、ほんとうにどっちが上向きなのかわからなくなる。
星空の下、ヒュードは気の向くままに旋回したり、上下逆さまにくるくる回ってみたり、のびのび真っすぐ飛んだりしている。
ヒュードの好きなように飛ばせてあげることにした。
俺の後ろにいるレゼルも、空気の澄んだ夜の風にあたって気持ちよさそうにしている。
彼女の流れるような銀色の髪が、星の光に照らされてなびいていた。
「作戦行動で夜に飛ぶことがあっても、いつも月のでない暗い夜を選んでいましたから……。
こんなに星が明るい夜に空を飛ぶのは久しぶりかもしれません」
「たまには、悪くないだろ?」
「はい」
レゼルはほんとうにうれしそうにうなずいた。
彼女はまたしばらく黙って星を眺めていたが、やがて口をひらいた。
「やぐらのなかで消えゆく火を見ながら、いろいろなことを考えていました。
今までの戦いの日々。
仇をとる、国を取りもどすといっても、時が経ちすぎると道を見失ってしまいそうになります。
なぜ、私たちは傷つきながらも戦いつづけるのか。
なんのために戦っているのか……」
彼女の瞳に、星が映りこんだ。
「……私、やっぱり生きているということが好きなんです。
こうして美しい景色を眺めたり、美味しい物を食べたり、お腹の底から笑っちゃうくらい楽しいことがあったり……。
たとえ私たちが生きているこの世界が、争いのなくならない世界であったとしても」
レゼルは星空を見つめながら、話を続ける。
「テーベを解放して、やっと街の人々に会うことができて、うれしかったんです。
でも、あと少し間に合わなくて、あの小さな男の子を救うことができませんでした。
亡くなる最後の瞬間に、パンを食べたいと言って。
あの子にも、生きる喜びをもっともっとたくさん感じてもらいたかった。
私は……っ」
レゼルは口をつぐみ、感情がこみあげるのをこらえる。
涙をこらえているようにも見えた。
俺の背中をつかむ手に、ぎゅっとちからが籠められる。
「私はもう、誰にもあの子のような思いをさせたくはありません」
「……帝国が、憎いか?」
俺は尋ねた。
彼女の潤んだ瞳が、俺を見つめかえす。
そして、ちょっとだけ疲れたようにほほえんだ。
「ええ、正直。
とても憎くて憎くて、憎しみでこの身が燃えつきそうになるくらい。
それくらい、憎んでいた時期がありました。
……でも、長年戦いつづけるうちに、少し違う考えかたもするようになりました」
「違う考えかた?」
彼女は少し恥ずかしそうにして、星明かりの下でもわかるくらいに頬を赤らめた。
「しょっ、小説を読んでいるときなんかに、よく思うんです。
国や血筋は違っても、人間が笑ったり泣いたりする所は実は一緒なんじゃないかなって。
国という枠組みが違っても、そのなかに住んでいるひとりひとりの人間が考えていることは、そんなに違わないんじゃないか、って」
俺はアイラさんのことを思い浮かべた。
彼女だって帝国移民だが、街の片隅で一生懸命暮らしている善良なひとりの人間だ。
俺が諸国を旅しているうちに国のありかたについて考えるようになったように、レゼルもまた、長い戦いの日々のなかで多くのことを考えたのだろう。
「龍神信仰と邪龍信仰にしてもそうです。
たまたま生まれ育った環境が違うから、別々の方向から見ちゃっているだけで、ふたつの信仰は相容れないものじゃないかもしれないんです。
龍神の巫女である私が言うべきことではないのかもしれませんが……」
レゼルは再び星空を振りあおいだ。
「価値観の違いも、宗教の違いも。
すべての違いを互いに認めあって、皆が幸せに生きられる国を造ること。
それが、私の夢。
私が造ろうとしている『夢の国』なんです」
レゼルが唱える夢の国。
そんな国を造ることができたら、どんなにすばらしいことだろう。
だが、理想の実現には常に困難を伴う。
俺は彼女に忠告しなければならない。
理想論だけでは、人々を救うことはできないのだということを。
「国家の統一は新たな独裁の始まりだ。
そして、いくらあんたが良かれと思って国を造ったとしても、いつか国は腐り、争いを生み、新しい国が造られる。
それが、何千年と続いてきた龍と人の歴史だ」
レゼルは静かにうなずく。
「わかっています。
私や、私の後を継ぐ王たちが馬鹿なことをしないように、国の決まり事を整えなければなりません。
それでも、いつか私が造った国はダメになってしまうかもしれません。
そのときは……」
「……そのときは?」
「そのときは、私たちのあとに生まれてきた人たちに任せたいと思うのです。
今の私には、自分の剣が届く範囲の命しか救えません。
私たちにできるのは、今の世界を精いっぱいよくして、あとの人たちに受け渡すことだけですから」
彼女の答えを聞いて、俺はうなずく。
俺から言うべきことなどは、何もなかったのだということを悟った。
「そうか、そこまでわかっていれば大丈夫だ。
……明日は絶対に、勝とうな」
星々の光に照らされて、レゼルは笑った。
「はいっ」
エメラルドの石言葉は「幸福」「幸運」「愛」そして「希望」です。
次回は少し日にちが空きますが、2022/4/10の19時以降にアップ予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




