第19話 治癒の波動
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「早くレゼル様をエルマ様のもとへ!」
「絶対に死なせるな!」
「無理矢理でもいい、塩水を飲ませろ」
俺たちは敗走したあと、名もなき小島へと避難していた。
小さな浮き島の群れの一角であり、遠方から見ると目立たない島だ。
小島に到着した一般龍兵たちがレゼルの応急処置を始めている。
傷病者の手当は慣れているらしく、兵士たちの手際はよい。
レゼルはエウロの背中から降ろされ、地面に敷いた布の上に寝かされている。
彼女はぐったりとして倒れたまま、ガタガタと全身を震わせていた。
「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」
レゼルの呼吸は乱れ、目の焦点が合っていない。
皮膚の大半は焼けただれ、ぬぐってもぬぐっても透明な液が沁みだしてきていた。
エウロはそもそもからだの構造が人間とは違うので命に別状はなさそうだが、やはり身体の大部分をひどく焼かれており、レゼルのそばでうずくまっている。
「私は大丈夫だから! 早く姉サマを!」
シュフェルはレゼルのもとへ駆けよろうとするのをほかの兵士たちに取りおさえられ、安静を強いられている。
彼女もかなりの重症のはずだが、兵士たちの手を振りはらって吠えていた。
そのとき、空高くから龍のいななきが聞こえてきた。
皆が見あげると、セレンに乗ったエルマさんが、お付きの巫女数人とともに飛んできていた。
エルマさんたちは戦場から離れた別の小島から戦況を見守っており、騎士団が敗走したのを見て落ち合い場所に合流しにきたのだ。
落ち合い場所の候補はいくつか決めていたのだが、敵からの追撃がなく、第一の避難場所で合流できたのは不幸中の幸いだった。
「エルマ様がきた!
着陸場所を空けろ!」
皆がエルマさんたちの着陸地点を確保するように場所を空けると、そこにセレンが急降下して着地した。
普段はおっとりとして笑顔を絶やさないエルマさんが、真剣な面持ちで兵士たちに指示をだす。
「早くレゼルを、私のところへ!」
介抱していた兵士たちが、エルマさんのもとへレゼルを運ぶ。
エルマさんがレゼルを抱きかかえると、さらにセレンが彼女たちを包みこむように身を寄せる。
エルマさんとセレンの共鳴音が鳴りひびき、サクラの花のような淡く柔らかな光が、彼女たちを包みこんだ。
『治癒の波動』
俺は目を見張った。
治癒が始まると、レゼルの火傷からの沁みだしは瞬く間にとまり、広く焼けただれていた皮膚の再生が始まったのだ!
みるみるうちに傷口に薄皮が張っていく。
この勢いならきっと、彼女の皮膚は何事もなかったかのように元の状態まで治ることだろう。
蒼白だったレゼルの顔色に生気が戻り、乱れていた呼吸が正しいリズムを取りもどす。
……レゼルやシュフェルの傷ひとつない滑やかな肌を見て、俺は勝手に思い違いをしていた。
彼女たちは戦場において圧倒的な強者で、敵の刃など掠りさえしないものなのだと。
しかしきっと、実際にはこうして何度も傷ついては倒れ、そしてまた立ちあがってきたのだ。
すさまじい勢いで傷が塞がっていくのに見惚れているうちに、レゼルの初期治療が終わったようだ。
レゼルは全身を苛む痛みから解放されたのか、母の胸に抱かれて赤子のようにすやすやと眠っている。
エルマさんが安心したように顔をあげた。
「これでこの娘は大丈夫。
テーベに戻ったら治療の続きを再開しましょう。まだ丸々一日は休息が必要だわ。
……さ、次はシュフェルの番よ。こっちにいらっしゃい」
シュフェルはおとなしくエルマさんのそばに行き、治療を受けはじめた。
エルマさんは龍の治療もできるらしく、エウロとクラムも順番を待っている。
レゼルが危篤状態を脱したことを確認し、ブラウジは輪の中心からはずれて俺の近くまで戻ってきていた。
俺はブラウジに話しかけた。
「そうか……。
エルマさんは治療の専門家で、戦闘向きの龍騎士ではないから、前線にはでないわけなんだな」
「何を言っておるか。
あのお方を誰だと思ってるんじゃ?
姫様の母君じゃゾ。
奥方様にメイスをにぎらせたらワシなんぞ甲冑ごと粉々じゃ。
ちなみにワシが人生でもっとも死に近づいた瞬間は、奥方様が大事にされていた花瓶を割ってしまったときじゃ」
ジジイ……。なに花瓶割ってんだよ。
「姫様とシュフェルが戦いの軸なら、奥方様はわれわれの精神的支柱じゃ。
常に死と隣りあわせでも、心臓さえ動いていれば奥方様が救ってくれる。
だからこそわれわれは、圧倒的不利な状況下でも限界まで戦うことができるのじゃ。
奥方様が傷つき倒れることだけは、絶対にあってはならんのじゃよ」
なるほど。
エルマさんは文字どおり、この翼竜騎士団の生命線なのだ。
たとえレゼルやシュフェルと同等、あるいは同等以上の戦闘力を秘めていたとしても、彼女を前線にだせない理由がここにあったわけなのだ。
シュフェルたちの手当も終わると、俺たちはテーベまで撤退することとした。
テーベの基地に到着すると、騎士団員たちは武装を解き、それぞれのテントへと帰っていく。
と、そこでふたりの龍兵が龍に乗ってブラウジのもとへと駆けよってきた。
騎士団の本隊とは別行動をとっていた兵士たちなのか、俺にとってはまったく見覚えのない顔だ。
ふたりの兵士は男女ひと組で、とくに女性のほうは若く、レゼルと同じくらいの年代に見えた。
「ブラウジ様!」
「おぉ、オヌシたち、無事じゃったか!
よくぞ戻ってきたナ」
「ご報告なのですが……」
ふたりの龍兵のうちの男性のほうがなにやら、ブラウジに耳打ちしている。
何を言っているのか内容までは聞きとれないが、話を聞いているうちにブラウジの顔がどんどん険しくなってくる。
「そうか……。よく調べてきてくれたのう。
しばらくゆっくりと休養していってくれ」
ブラウジはそう言ってふたりの龍兵の労をねぎらうと、あとは何も言わずに去っていってしまった。
次回は2022/3/22の19時以降にアップ予定です。何とぞよろしくお願いいたします。