第1話 久々の訪問 アイゼンマキナ入国
はるか悠久の空の彼方。
無限の空に点々と浮かぶ島々に、龍と人が住んでいた。
その龍が住む島々の世界を、人は『レヴェリア』とよんだ――。
◇
その日はどこまでもよく晴れわたっていた。
右を見ても左を見ても、見あげても見おろしても、延々と空が続いている。
とくに自分の真下は吸いこまれそうなほど深い青色で、下に落ちていったら一周まわってまた上から落ちてくることになりそうだ。
だが、落ちてしまっても怖くはない。
相棒がすぐさま急降下して俺を拾ってくれるだろうから。
俺は龍の背中に乗って空の旅をしていた。人間ひとり、龍一匹の気ままな旅だ。
相棒の龍、ヒュードは左右それぞれ自身の全長ほどもある大きな翼をはためかせ、ときどき蛇行して遊んでは、悠々と飛んでいる。
ヒュードの煉瓦色の胴体には鋼の鞍が装着されており、宙籠をけん引するための丈夫な鎖が連結されている。
宙籠とよばれる木製の荷台には車輪と翼が付いており、陸上でも空中でも運搬が可能なように設計されている。
空気の抵抗を減らすよう、馬車の荷台とは違って角がとられ、底部はなめらかな曲線を描いているのだ。
荷台には大量の荷物が積みこまれており、そこそこの重量があるはずだが、龍はその程度の重さなど意に介することなく飛ぶことができる。
俺たちが前に進むのに合わせて、ぽつぽつと浮かぶ白雲や、宙に浮かぶ小島が後方へ、後方へと流れていく。
あらゆる物はみんな下のほうへ落ちていくのに、雲と島だけがぷかぷかと浮いている理屈を、この世界の誰も気にしたことがないだろう。
だって、この世に生まれついたときからそういうものだったのだから。
やがて、丸っぽいかたちをしていた島々が、だんだんと急峻な勾配のついた山のようなかたちを帯びてきた。
島の表面に生いしげる緑の草木の隙間に、ごつごつとした岩肌が見えている。
旧『カレドラル』領の島々の特徴だ。
俺は自分が乗っている龍の背中に声をかけた。
「ヒュード、そろそろ関所が見えてくるころだ。もうひと頑張りだぞ」
ヒュードはひと声、甲高い鳴き声をあげ、了解の意を示す。
両翼を力強く羽ばたかせ、空気をうねらせた。
関所のある島が近づいてきた。
旧カレドラル領、現在は鉄炎国家『アイゼンマキナ』の出入り口となる関所だ。
正面から近づいていくと、巨大な門の両側に石造りの城壁が国境に沿って延々と伸び、島の両端まで続いている。
――と言っても、城壁の存在は概念的なものだ。
実際には国の三百六十度全方位の空を城壁で囲うことなどできないので、一定の間隔で見張りのための島がある。
関所で通行許可を得ていない者が通過しようとすると飛龍に乗った兵士が駆けつけ、問答無用で処刑される。
このレヴェリアには同様に、領空権を持った島国がいくつか存在している。
宙籠が壊れないように、ヒュードに軟着陸させる。
旧カレドラル領の島は平地でも小岩がゴロゴロと転がっており、地盤が固いのでより注意が必要だ。
俺が相棒から降りて関所の門のほうへ向かおうとしたところで、詰め所のほうから若い兵士がひとり、龍に乗って駆けよってきた。
青銅製の兜と肩当てを身につけ、両手にはヒュードの翼ほどもある、非常に長い槍を持っている。
年齢は俺よりも若そうだが、いかにも番兵、といった精悍な顔つきをしている。
兵士が乗っている龍は浅葱色の鱗で覆われており、翼はヒュードよりも小さく、飛ぶよりも走るほうが得意そうだ。
「お立ちどまりください」
兵士は長い槍を横にかざした。俺の行く手を遮るかたちだ。
「我らが国になんの御用でしょうか」
「今日は新入りさんか。
いつもの兵士さんだと顔見知りなんだけどなぁ」
俺はついつい愚痴をこぼしてしまい、頭をかく。
言いかたが率直すぎたのか、新入りの兵士は少し腹を立てたらしい。
気が立ったような声で問いつめてくる。
「入国の目的はなんでしょうか。
お名乗りください」
「おっと、これは失礼。
私の名はグレイスと申します。このたびは行商のために参りました。
帝国領土内で作られた服飾品を運搬し、販売しています。
……どうです、たいへん質がよいでしょう?」
俺はうやうやしく挨拶してみせると、宙籠のなかから絹製のドレスを一着取りだし、毛羽立たないように目の前で優しくなでてみせた。
光沢のある鮮やかな色彩と、滑らかな肌触りに自分の仕入れ品ながらうっとりしてしまう。
ふと我に返ると、兵士がとても胡散臭そうな顔でこちらを見ている。
「こんな目つきの悪い商人がいるか」とでも言いたげな顔をしている。
「こんな目つきの悪い商人がいます……?」
おいおい、口にだしちゃったよ。
初対面で大概失礼なヤツだな、こいつも。
とは言え、目つきの悪さを指摘されるのは毎度のことなので、慣れている。
「申しわけないけどこの目つきは生まれつきなもんでね。
それに、帝国の認可証も持ってますよ。
ほら、このとおり」
俺がドレスとともに取りだしていた書類をひらひらと振って見せると、兵士は眉根を寄せて紙に顔を近づけた。
文字を目で追ううちに顔がみるみる青ざめていく。
紙にはしっかりと、帝国『ヴァレングライヒ』の国章が刻まれている。
「なんと、帝国第二等士族ヴァンロード家のご子息でしたか!
これはたいへん失礼いたしました」
兵士が態度を急変させ、頭を深々とさげるので、慌ててやめさせる。
初対面の人間にこういう待遇をされるのは、いくつになっても慣れない。
俺がただのチンピラにしか見えないもんだから、だいたい相手も決まりが悪い思いをする。
「いいよいいよ、俺は士族のなかでははぐれ者みたいなものだし。そっちも人を疑うのが仕事でしょ。
同じ働く者どうし、仲良くしましょうぜ」
兵士がようやく顔をあげると、不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「しかし、帝国士族ともあろう方が、どうしてこのご時世に宙籠で行商などされているのですか?
我らが偉大なる宰相、ゲラルド様が開発された巨大飛空艦で物資の運搬など事足りていますでしょうに」
「そりゃごもっとも……」
俺は的確な指摘をされてしまい、再度頭をかく。
「ほら、俺は親父の妾の子だからさ。
帝国内じゃ肩身が狭くてね。
家督継承もまるで関係ないんで、こうして気ままにいろんな国を旅させてもらってるってわけ」
兵士はなんとも言えない表情をしてみせたが、あけすけに話される身の上話に返す言葉が見つからなかったらしい。
それ以上は深く聞こうとせず、俺を通すことにしたようだ。
「それでは、この笛をお渡しします。
どうぞお通りください」
兵士が通行許可の証として、笛を手渡してくれた。
指先でつまめるほどの小さな笛だが、音色ははるか遠くにまで響く。
国ごとに笛の音色は違っており、国境沿いの見張り兵が近づいてきたときに鳴らせば警戒を解除してくれる決まりになっている。
ちなみにアイゼンマキナの笛は硬質な音色だが、各国の笛のなかでもとりわけ遠くまでよく響く。
門を通過し、再度ヒュードに乗って関所島を飛びたつ。
こうして俺は、晴れて鉄炎国家アイゼンマキナの領空内に入ることができた。
アイゼンマキナを訪れるのはおよそ数カ月ぶりだ。
※浅葱色:うすい藍色のこと