第13話 無風の街に吹いた風
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敵軍基地の目の前で、シュフェルが最後に残った敵兵の剣を刀身の真んなかから叩き斬った。
折れた手甲剣の刀身は回転しながら飛んでいき、基地の鉄の壁に突き刺さる。
その敵兵は諸手をあげてその場にへたりこんだ。
戦意など、とうに喪失していた。
「勝った……!」
騎士団員の誰かがつぶやく。
続くように、団員の皆が歓喜の声をあげた。なかには涙を流して喜んでいる者もいる。
重装龍兵五人衆が踊っているのはもちろん、ずっとずっとずっと練習しつづけてきたという祝勝の踊りだ。
「信じられない。
ほんとうにこんな日が来るなんて……」
俺のすぐそばでは、レゼルも静かに涙を流していた。
彼女は胸の前で手を組み、深々と頭をさげた。
「ありがとうございます、グレイスさん。
あなたがきてくれたおかげです」
レゼルの素直な感謝の言葉に、俺もなんだか照れくさくなってしまう。
「何言ってんだよ。
騎士団のみんなが今日まで頑張ってきたからじゃないか。
俺の作戦は、たまたまうまく行っただけだよ」
駐屯していた敵軍を倒し、翼竜騎士団はついにテーベを奪還した。
翼竜騎士団の十年間の逃走と隠伏、そして遊撃戦の歴史のなかで初めてつかみ取った、大きな勝利だった。
しかも、騎士団のなかに多少の怪我人はいても、死者はいない。
「さぁ、皆の者。
テーベにいるわれわれの同胞も首を長くして待っておるゾ。
早く彼らのもとに向かうのじゃ」
ひとしきり喜びを分かちあったのち、ブラウジが皆をテーベのなかに入るように促す。
街のなかに入るためにはその前にある敵軍基地の敷地を越えなければならない。
敵軍基地の内部は、ほぼもぬけの殻だった。
基地に待機していた敵兵たちは機龍に乗ってジェドに退避してしまったのだろう。
ただ、司令室と思われる部屋で男性がひとり、短剣で首を切って自決していた。
立派な軍服を着ていることから、彼はおそらくテーベに駐屯している軍の司令官だった男だろう。
翼竜騎士団にほぼ損害を与えることなく敗北した責任をとったものと思われる。
鉄炎国家宰相のゲラルドは非情で冷酷な男だと聞く。
のこのことジェドへ逃げ帰ったところで死の刑罰は免れないと判断したのか。
あるいは、自ら責任をとることでほかの帰還した兵たちが許されることに一縷の望みをかけたのか……。
いずれにせよ敵ながら哀れで、やりきれない気持ちになる。
降伏した敵兵たちは装備品を没収し、いったん敵軍基地の幽閉所にいてもらう。
彼らの処遇は追って決めることとして、騎士団員の多くは解放したテーベの街の様子を見に行くこととした。
基地の敷地を抜けて市街地のなかに入ると、惨憺たる街の様子に騎士団員たちは愕然とした。
テーベの街全体が、ジェドの貧民街のようであった。
いや、ところどころではジェドの貧民街よりもいっそう荒れはてている。
半分崩れたまま放置されている教会の姿が、十年前の帝国侵攻の凄惨さを物語っていた。
ジェドが帝国移民の居住地として栄えているのに対し、テーベはあくまでジェドの防衛のために存続している都市だ。
旧カレドラル領民、すなわち龍御加護の民の居住区が主であり、もともとの街並みが残されている一方、居住民は理不尽な搾取を受けつづけてきた。
カレドラル特有の石畳の路上では数多くの浮浪者が寝そべっている。
亡くなったまま放置されている人間の数も多い。
……だが、すべての人間がちからなく横たわっているわけではない。
待ち焦がれていた翼竜騎士団の帰還を喜び、駆けつけてきて歓迎する者たちもいる。
古くから翼竜騎士団を知る者、成長して気力と体力にあふれた若者、そして新しく生まれてきた子供たち。
数は多くないが生きた龍もいて、年長者から龍に乗る技術をひそかに教わって鍛え、すぐに戦力になりそうな者までいた。
まだ、龍御加護の民は滅んだわけではない。
心が死んだわけではない。
ぼろぼろになりながらも、龍の鼓動はこの街にたしかに息づいていたのだ。
騎士団は基地に蓄えられていた食料や物資を開放し、テーベの住民たちへ分配した。
それだけでも、活力を取りもどした住民は多い。
さらに、怪我人や病人、飢えている者たちのなかに救える人間がいないか、騎士団は幾組かの小隊に別れ、街を探索することとした。
俺はレゼルと同じ小隊に入り、荒廃した街のなかを龍に乗って歩いていく。
衰弱して動けなくなっていた者に水を飲ませ、何人かは基地のほうまで龍に乗せて搬送した。
そんな風にして市街地の中央付近まで進んだころに、レゼルがかすかな気配に気づく。
「向こうに誰かいます」
レゼルとエウロが気配をたどって駆けだしたので、俺やほかの皆も彼女の後を付いていく。
レゼルが駆けつけていくと、狭い路地の物陰に小さな男の子が倒れていた。
年のころは四歳から五歳ごろだろうか。
レゼルはエウロから降り、男の子を抱きかかえた。
「ぼく、大丈夫?」
男の子は抱きかかえられるがまま、ぐったりとしている。
彼は呼びかけられるとうすく目をひらき、レゼルを見てつぶやいた。
「……お姉ちゃん、天使様?」
男の子のからだはやせ細って骨と皮ばかりになっていたが、下っ腹だけ不自然に膨らんでいるのが、ぼろぼろになった服の上からでもわかる。
栄養失調のため血液のなかの水を保っておけず、水が腹のなかに逃げてしまっているためだ。
飢餓におちいった人間は、最終的にこうなる。
男の子の周囲には親らしき人間はいない。
この荒れはてた街で親を先に亡くしてしまい、これほど幼くして、天涯孤独になってしまったというのか……!
「いけない、早くエルマ様を呼びに行かないと!」
小隊にいた別の兵士が慌ててエルマさんを呼びに行こうとしたが、レゼルは首を横に振った。
「ダメ、もう事切れる」
男の子も龍御加護の民の子供だ。
レゼルは彼が持つ龍の鼓動が今にもとまろうとしているのを、感じとっているようだった。
「……ぼく、パンが食べたいな……」
男の子は最後にそうつぶやくと、目をうすく開けたまま動かなくなった。
レゼルは彼を抱きかかえたまま、また涙を流している。
彼女の頬を伝った涙が、男の子の顔に零れおちた。
「ごめんね。
もう少しだけでも、早く助けに来ることができていたなら」
レゼルは男の子の亡骸を地面に寝かせ、手を胸の前で組み、祈りを捧げた。
「……龍神よ、どうかこの哀れな子に安らぎをお与えください」
無風だったはずの街に、優しく風が吹いた。
亡くなってしまった男の子の魂を、天国へと連れていくかのように。
次回は2022/3/1の19時以降にアップする予定です。何とぞよろしくお願いいたします。