第37話 if you lieten to muisc1 ―臙脂のレオタードー
お話はおさらい会が終わった、牧嶋バレエスタジオから始まります。
おさらい会の夜。
私は深い眠りに沈んでいった。
耳に響く拍手の音が、夢とも現実とも区別がつかぬまま眠り続けた。
心地よい春の宵。
私は温かい充足感に満たされていた。
次の週の土曜日。
おさらい会のDVDが生徒たちに手渡される。
皆大喜びで、レッスン後急遽上映会が開催された。
再生時間は二十分ほどの短いものだが、プロのカメラマンが撮影しただけあって良い出来だった。
生徒たちは大はしゃぎで、自分の出番が来ると、歓声を上げたり互いに褒め合ったりしていた。
私はおっとりと風雅な岩永の踊りに見とれた。
……そして、私の番だ。
賑やかだったスタジオは静まり返り、皆が私の踊る姿に注目した。
自分が踊る姿を撮影したものを見るのは初めてではないが、やはり緊張する。
他の人と一緒ならば尚更だ。
「やっぱり綺麗ね、沙羅ちゃんは。……これは、世界的に有名なプリマバレリーナが子供時代に踊ったものと同じよね?」
と、岩永。
「は、はい……なんだか申し訳ないです……」
褒められるのは嬉しいけど、プリマの名を出さては恥ずかしい。
彼女は現在、世界中の舞台で活躍しているのだから。
「この人の踊りは、動画で見たことがある……技術も素晴らしいけど、ドラマチックな演技に感動しちゃった! いつか本物の舞台が見たいわぁ……」
恍惚の表情を浮かべる岩永。
ドラマチック。
感動。
踊りが地味な私には無縁の言葉だ。
子供の頃から、
「沙羅ちゃんの踊りは綺麗ね」
「踊りが丁寧で好感が持てる」
「素直でクセのない踊りが子供らしくていい」
そんな風に言われてきた。
―― でも、それではダメなのだ。
牧嶋の言う通り、このスタジオの生徒達は目が肥えている。
だからこそ、私の良さを理解してくれたのだ。
だが、劇場にはバレエを知らない人さえ訪れるのだ。
六歳の時見た、『くるみ割り』の舞台を思い出す。
ダンサー達は、バレエを初めて見た私を虜にしたのだ。
「沙羅ちゃん? ……どうかした?」
岩永が私を気遣っている。
「いえ……綺麗に撮れていて良かったですね……」
「本当に! 一生の記念だわぁ〜」
『一生の記念』
私にとってもそうだ。
おさらい会は私に強い達成感を与えた。
……でも……。
それは神様が与えてくれた、ちょっとしたご褒美のようなもので、時と共に高揚感は薄れ、それに代わって新しい課題が姿を現す。
私は、本格的なレッスンに取り掛かることさえできずにいるのだ。
まずは調子を取り戻さなくてはならない。
それからバレエ学校に入学する。
その後は……。
ハードルは日々高くなり、低くなることは決して無い。
一つクリアすれば次にと、連鎖は続く。
その繰り返しなのだ。
さらに翌週の土曜日。
私はいつものようにスタジオへと向かう。
戸口の前に立つと、中から物音がした。
(……人がいる……)
誰かがバーでストレッチをしている。
珍しい。
たいてい私が一番乗りなのだ。
臙脂色のレオタードを着た背の高い少女だった。
細身だけど筋肉質で、肌が浅黒いために一層引き締まって見える。
身長は……170センチはありそうだ。
(私は164センチ……ううん、今はもう少しあるけど、やっぱりこの子は背が高い……)
浅黒い肌に臙脂色のレオタードが良く似合う。
ダンサーというよりは、スポーツ選手のような印象を受けた。
私と同じくらいの年頃だろうか?
「こんにちは、私は有宮沙羅……お名前聞いていいかしら?」
第一印象が大切なのだ。
私にできる最高の笑顔で挨拶をする。
「……近藤真希です……」
表情は硬く、無機質な声に威圧感がある。
(えっ……と? なんか言い方冷たくない? 目線も……)
棘のある口調に、ひやりとする。
何となく距離を置きたい気分になり、私は彼女とは反対側の、鏡から遠いバーについた。
「もっと鏡の近くに来ればいいじゃないですか……せっかく早く来たのに……」
「あ、……そ、そうよね……あはは……でも、私、いつもここなの……」
笑ってごまかす私。
距離をとろうとしたことがバレただろうか?
だが、私は自分の気遣いが無駄であることに気付く。
彼女は初めから私をよく思っていないようだ。
私の何に不満があるのか知らないが、こういった感情は不思議と伝わるものだ。
(ど、どうしよう……)
私がまごまごしていると、
「こんにちは〜」
岩永だ。これで二人きりの気まずさから解放される。
「あら〜、沙羅ちゃん。今日も早いわね〜」
朗らかな声に安堵したのも束の間だった。
「……ま、真希さん……!?」
声を震わし名を呼ぶも、黙り込む岩永。
更衣室へ直行し、その後、そそくさと私の前についた。
レッスン時間が近づくにつれ、続々と生徒たちが到着する。
だが、誰もが真希と少しでも離れた場所へと向かった。
何かがおかしい。
真希のせいだろうか。
だが、真希は変わらずストレッチを続ける。
片足をバーに乗せ、軸足を伸ばしたままバーに乗せた脚に上体を倒す。
(……えっ……?)
なんだろう?
この違和感……。
彼女は難なくストレッチをしている。
……が、動きがぎくしゃくとして、柔軟性が感じられない。
やがて牧嶋が現れ、レッスンが始まった。
まずは、バーレッスン。
その後、支えの無いフロアレッスンが始まる。
「じゃあ、アダージョの振り付けをするから見ていて……」
アダージョは、移動の無い緩やかな動きのことだ。
「まずはク・ドゥ・ピエ……それからルティレ……その足をア・ラ・スゴンドに上げて……」
振り付けが終わると、一斉に位置に就く生徒達。
まずは五番ポジションで準備のポーズ。
軸足の足首にもう片方の足を付けて、ク・ドゥ・ピエ。
爪先は伸ばして。
そして爪先を軸足に沿わせながら、膝まで引き上げルティレ。
膝を伸ばして、ア・ラ・スゴンド(横)に足を上げる。
「……そう……膝を伸ばして……綺麗ですよ……」
皆すごく一生懸命。
多少のふらつきがあるものの、丁寧に動いている。
それを見れば、私自身も励まされ、心も背筋も伸びていく。
「できる人は、もっと高く上げて……」
牧嶋が指示を出すと、真希の爪先はさらに上へと引き上げられた。
「……それをキープして……」
真希は足を横に高く上げたまま、揺らぐことなくバランスをとった。
(……すごいキープ力……体幹が強いのね……)
しかも、背が高いから踊りがダイナミックに見える。
並大抵の体力ではなさそうだ。
……でも……。
(何かが違う……)
そう思わずにはいられない。
他の生徒は何とも思わないのだろうか。
真希の技術の高さに、圧倒されているのだろうか。
卓越した技術を持つ真希。
だが、私は違和感を覚えずにはいられなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
このエピソードは3話まで続きます。
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