完璧な男が本当に完璧とは限らない
私の婚約者―レイブン・マクレナルは侯爵家のただ1人の令息である。
宰相を父に持つ彼は己を律し、文武両道を極めており、どこを叩いても塵や埃すら出ない程に清廉潔白に生きている。
『完璧な男』とまで言われる程に。
宰相の息子で侯爵家のただ1人の跡取りと言うだけでも貴族の御息女達にとっては喉から手が出る程の超優良物件なのだが、そこに輪をかけてとても魅力的な容姿を兼ね備えているものだからタチが悪い。
かたや私―メリッサ・バリモアは子爵家の次女である。
目立つ程の美貌はないがそこそこは愛らしい顔をしていると思っている。
少々胸のボリュームが寂しいのが玉に瑕だがそれはしょうがない。
本来であれば侯爵家等とは釣り合わないのだがレイブンとは幼馴染な上に我がバリモア家とマクレナル家は代々とても強い信頼関係にある。
何でも何代か前のバリモア家当主がまだ侯爵ではなかったマクレナル家の危機を支援し、復興に手を貸したとかでその縁がずっと続いているのだとか。
私の母とレイブンの母はとても仲が良く、私達が小さい頃から互いの家を行き来してはお茶を楽しんだり避暑地に旅行する仲だし、父同士も休みの日はチェスを楽しんだりお酒を嗜んだりと楽しそうにしている。
当然その子供である私とレイブンも小さい頃から仲が良く、一緒に過ごす時間が長かった。
私はレイブンを歳の近い男兄弟位にしか捉えていなかったが、彼が12歳、私が10歳になったある日、真面目な顔で求婚された。
「メリッサ!僕と将来結婚してくれないか?!」
しかも双方の両親の目の前でである。
突然の事に何が起きたのか分からなかったのだが親達はとても喜び、私の返事を待たずして2人の婚約が決まった。
「少しずつでいい、ゆっくりと愛を深めなさい。それで駄目ならその時はその時に考えましょう。」
レイブンの母と私の母に優しくそう言われ、私はただただ頷くだけだった。
それからのレイブンは野原で摘んできた綺麗な花をプレゼントしてきたり、美味しいと噂のパンを並んでまで買ってきてくれたりと私に貢ぎ始めた。
まだ12歳だったので可愛らしい、高価では無い物がほとんどだったが、そんな事をされ慣れていない私はほとほと困り果てた。
でもそれと同時に嬉しくてこそばゆい感じがしていた。
「お誕生日でもないのにこんなに貰ってばかりは困るわ」
そう言うと彼はしょんぼりしてしまった。
「…気持ちは嬉しいのよ、ありがとう。でも贈り物は誕生日だけにして欲しいの。こんなに貰ってもお返しも出来ないし…」
と言うと輝くような笑顔を見せて
「分かった!じゃあメリッサの誕生日には絶対特別な物を贈るから!」
とキラキラした目で言われたものだった。
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小さい頃はただ可愛らしいだけの男の子だったレイブンだが15歳になった頃から身長が伸び始め、顔も驚く程凛々しくなっていった。
その頃には既に私達はお互いに相思相愛だと確認し合う仲になっていた。
一方巷で彼は凛々しく美しい顔をしているのにニコリともしないその容姿から「氷の貴公子」と称される様になっていた。
笑わないなんて有り得る?と思ったのだが事実彼は私や家族の前以外ではほぼ笑わなかった。
「楽しくもないのに笑えないだろ?」
聞いてみたらそんな言葉が返ってきた。
「宰相の息子だってだけでチヤホヤして来たり擦り寄って来る連中ばかりの中で気が抜けるわけがない。それにあの連中の話す内容は全く面白味もない話ばかりだ。無下にも出来ないから付き合ってるだけで全く楽しくないんだから仕方ないじゃないか。」
少し不貞腐れた様にそんな事を言う彼が愛おしかった。
そういう話をすると彼は決まって私の膝に頭を乗せて横になる。
私は彼の滑らかで綺麗なプラチナブロンドの髪を優しく梳いて撫でる。
穏やかな時間。
そんな穏やかな時間を過ごし、彼が帰った後私はドレスを捲し上げてバルコニーへと向かう。
名目上バルコニーから彼を見送る婚約者のふりをしているのだが本当はドレスに落ちた大量のフケを落としに行っているのだ。
そう彼はフケ症なのである。
私は紺色や小豆色等の色の濃いドレスが好きなのだが彼が来る時は必ず白やアイボリーのドレスを着る。
それは彼が好きな色であるからと言う事にしているが本当は違う。
彼に膝枕をさせた後に彼のフケが目立たなくする為なのだ。
彼が白やアイボリー等の色を好むように仕向けたのも私だ。
濃い色の服を着るとどうしても目立ってしまう大量のフケが目立たないようにする為に。
あれだけ美しい容姿をしているのにフケ症等とはあまりにも残念過ぎて、彼の御学友で親友とも呼べるただ1人の人にもさり気なくフケを払ってもらうようにお願いしている為恐らくはまだ私と私の家族と彼の家族、親友以外には知られていない。
もしかしたら彼自身も気付いていないかもしれない。
彼の名誉の為に言うのだが決して不潔にしているわけではない。
毎日入浴し、洗髪もしているのだが石鹸が合わないのか体質なのか彼のフケは歳を追う毎に酷くなっていて、私はそれを改善すべく肌に良いとされる石鹸を取り寄せてはさり気なくプレゼントしている。
前よりは幾分かマシになったのだが、それでも膝枕をし髪を手櫛で梳くと後には大量のフケが落とされるのだ。
他のご令嬢ならば顔を顰めて嫌がるのだろうが私は慣れているしこんな事で嫌いになったりしない。
完璧な男とも称される彼の完璧ではない部分が愛おしいとすら思える。
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この国では男は17、女は15で成人の仲間入りとされ、王宮主催のお披露目会が開かれる。
2つ違いの私とレイブンの元にもそれぞれ招待状が届き、私達は2人揃ってその会に出席した。
勿論レイブンのエスコートで。
レイブンに婚約者がいる事は知れ渡っていたがその婚約者の姿を見た者はほとんどいなかった(私が堅苦しい場が苦手で全て断っていた)為、お披露目会で私は注目の的になってしまった。
私を見て「勝った!」とばかりの顔をするご令嬢の多い事多い事。
そしてやっぱりと言って良いのか私が1人になった隙をついてご令嬢達が取り囲んできた。
「メリッサ様と仰るのですね?」
「なんでも子爵家だとか?」
「侯爵家と子爵家では釣り合いが取れないのではございませんこと?」
「どの様にレイブン様に取り入ったのです?まさか色仕掛けなんて事はありませんわよね?」
蔑む視線がビシビシと痛い。
だけどこんな事は慣れている。
あのレイブンの婚約者という立場なのだから今までにもこんな風に言われた事は少なからずあったのだ。
しかもわざわざ我が家に来て大騒ぎするご令嬢までいた程だ。
卑しい女が体を売ったのだろうと言われた時は殴り掛かってやろうかと思う位腹立たしかったものだが、まだこのご令嬢達は可愛いものだ。
私は笑顔を貼り付けて
「私にも彼が私のどこを見て愛しいと思っていらっしゃるのか分かりませんわ。見目麗しいご令嬢は沢山いらっしゃいますから」
と伏し目がちに控えめに見える様に答えた。
ここぞとばかりに不釣り合いだの何だのと私を罵るご令嬢達。
「そう仰っても……彼が私と彼の両親の前で求婚してきましたのでお受けした次第です。お疑いならば宰相である彼のお父上にご確認して頂ければ宜しいかと思いますわ。この婚約に不服がございますならばそちらにお願い致します。何かあるのならば私に直接言いに来いと仰っておられましたから…」
としおらしく、でもはっきりと伝える。
宰相の名を出すと大抵のご令嬢は黙ってしまう。
国王からの信頼が厚く、この国になくてはならない存在である彼の父は全ての貴族から一目置かれる存在なのだ。
公爵家ですら格下のはずの彼の父には大きく出られない。
「世間では子爵家だからと蔑む者もいるだろう。そんな時は私の名前を出しなさい。少しは大人しくなるだろう。これでも私はそれなりに顔が知れているのでな。」
と宰相である彼のお父上からは言われているので最大限利用させてもらう。
「ふん!行くわよ!」
ご令嬢達は呆気なく退散していった。
残された私はビュッフェ形式の軽食が並ぶテーブルへと吸い寄せられる様に向かって行った。
なんてったって王宮の料理が並ぶのだ。
食べないと言う選択肢はない。
見た目にも華やかな料理を取り分けて貰い口に運ぶ。
我が家やマクレナル家の料理も美味しいが王宮の料理はそこに輪をかけて美味である。
繊細でありながらバランスの取れた味付け。
パサつき易いお肉の絶妙な火の通り。
鼻腔をくすぐるフルーティさを感じるソース。
「んー、美味しい♡」
思わず口から零れていた。
「メリッサ、ここにいたんだね」
レイブンが近付いてきた。
「レイブンも食べてみて!美味しいわよ、これ!」
レイブンの指が私の唇に触れた。
「あ、ソースが付いてるよ」
甘く蕩ける様な微笑みを見せながら指で唇の端に付いたソースを掠め取るとその指を躊躇うことなく口に運んだ。
「うん、美味しいね」
恥ずかしげもなくこんな事をサラリとやってのけるのだ、この男は。
周囲が彼の笑顔を目にしてザワザワとしている。
「氷の貴公子が笑った!」
「初めて見たぞ、あんな笑顔!」
「あの噂は本当だったのか?!」
あの噂とは「氷の貴公子は子爵令嬢に夢中らしい」というアバウトな物だったのだけれど、如何せん私が出不精だったので「婚約者と言うのは見合い避けの虚言なのかも」「本当は婚約者なんて居ないのでは?」とも言われていた。
それが人前では絶対に見せない笑顔を見せているものだから周囲が騒然となって当たり前だろう。
さっき私を蔑んだ目で見ていたり勝ち誇った目で見ていたご令嬢達は何が起きているのか分からないと言う顔でこちらを見ていた。
「あなたが笑っただけで騒然としているわよ?」
「ん?そんなの放っておけばいいよ。メリッサ、それ僕に頂戴。あーん」
少し腰を屈めて子供の様に口を開けて待っているレイブン。
その姿も周囲には衝撃的だった様だが当の本人はどこ吹く風。
「もう、恥ずかしいわ…」
と言いながらもフォークを口に運ぶと彼はまた眩しいばかりの笑顔を向けて
「美味しい」
とこちらを見つめる。
そしてザワつく周囲なんてお構い無しに
「せっかく来たんだから踊ろう、メリッサ!」
と私の手を引き音楽が流れるホールの中央に行き踊り始めた。
「あなたと踊りたいご令嬢が沢山いるみたいよ?」
「何の冗談?僕はメリッサ以外と踊る気なんてさらさらないよ。気持ち悪いしね、着飾ってケバケバしいだけのご令嬢は」
とレイブンは若干の毒舌を含めて言い放つ。
「ほら見てごらん、あのご令嬢なんてまるで派手なオウムの様じゃないかい?」
レイブンの視線の先を見ると黒を基調にしつつも赤や黄色の原色を散りばめたドレスを着たご令嬢が目に入った。
「頬も何だか実にカラフルで、本当にオウムの様だね」
気合を入れすぎたメイクはとてもキツく、頬紅はほんのり所かベッタリ塗られていて本当にオウムの様だった。
「ほら、あちらのご令嬢は着飾ったラクダの様だ。ほらあちらは…」
これでお分かりかと思うがレイブンはかなりの毒舌…と言うか口が悪いのである。
しかも私の前限定で。
他のご令息やご令嬢を動物に例えるのが好きな様で「学舎の誰それがカバの様だ」とか「今日会ったどこそこの誰それは服を着ただけの猿だ」等と揶揄している。
そして必ず
「それに比べてメリッサは可憐で可愛らしい女神の様だね」
なんて甘い言葉を囁くのだ。
しかも実際揶揄された人を見てみるとその揶揄が実に的確だからタチが悪い。
フケをカバーしてもらっている親友のバークレー様の事を「寝不足のカマキリ」と揶揄していたのだが、初めてお会いした時あまりにもその通りのお顔で吹き出しそうになったものだった。
清廉潔白な彼がこんな事を口にするような男だなんて誰も信じないだろう。
こんな所も私にとってはとても愛しいのである。
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今日は私の16回目の誕生日だ。
朝から我が家はパーティの準備でドタバタしている。
「お誕生日は盛大に!」
がモットーの我が家では領民まで招待して本当に盛大なパーティが開かれる。
「お嬢様は本日の主役ですのでこちらで休んでいてください!」
我が家の数少ないメイドのマーサが私を部屋に押し込んだ。
「主役は手伝いはしないもの!」
それが我が家のルールだ。
自分以外の家族の誕生日には私も前日から駆り出されて手伝いをするのだが、本日の主役は私なので手持ち無沙汰である。
ーコンコン
ドアがノックされた。
「僕だよ、レイブンだ。入ってもいいかな?」
「どうぞ」
ドアが開きレイブンが入ってきた。
クリーム色の上着には襟元と袖口、ボタンホールの周辺に見事な金刺繍が施されている。
「今日も素敵ね」
「君からの言葉は実に嬉しいよ。誕生日は君なのに僕がプレゼントを貰っている気分だ」
聞いていて恥ずかしい言葉を恥ずかしげもなく口にする。
「誕生日おめでとう、メリッサ」
跪き私の手を取ると手の甲にそっと唇を落とす。
しかも2度3度と。
啄む様な口付けにこちらの顔が真っ赤になるのが分かる。
「ありがとう…あの、そろそろやめてくれない?心臓が持たないわ」
「あぁ、ごめんね、メリッサ。君の手があまりにも愛らしくて理性が利かなくなってしまったよ」
ようやく解放された手をサッと引っ込める。
「お茶を出すわね、そこに座っていて」
そう言って後ろを向いた隙に手の甲の臭いを確認する。
『うっ!!臭い!!』
気付かれない様に予め用意しておいた濡れタオルで手の甲を拭いた。
彼の唾液は乾いてくるととても臭い。
自分のもそうなのだろうかと試した事があったのだが私のは臭わなかった。
お父様がお母様の頬に口付けをした後にお母様に抱きついて頬の臭いを嗅いでみたけれど、お父様の唾液は若干不思議な匂いが混じってはいたもののそんなに臭わなかった。
だけど彼はいつも臭いのだ。
口臭は無いのに唾液だけが臭いのだ。
鼻の頭にキスをされた時はどうしようかと思った。
キスをされるのは嫌ではないけれどその後の臭いがキツすぎて、その時は鼻を拭く事も出来ず極力口で息をしていた。
歯磨きを怠っている訳でも無さそうだし、何分口臭はないので体質の問題なのだろうか?
レイブンのお母様に聞いてみたら
「そうなのよ!あの子、子供の頃から唾液が異常に臭くって!だけど毎日食後にきちんと歯磨きはしているのよねー。少し気になってあの子に内緒でお医者様に診てもらった事もあったのよー。でもどこにも異常はないのですって…そんな事であの子の事を見限ったりしないわよね?普通のご令嬢なら幻滅するのかしら?」
と困った顔をされてしまった。
「そんな事でレイブンを嫌いになったりしませんから」
と言ったのは本心だった。
私は「完璧な男」と呼ばれる彼の完璧ではない部分が愛おしくてたまらない。
唾液が臭いのは少し困るがそれも彼のチャームポイントだと思っている。
完璧ではない、彼の不完全な部分も含めて彼を愛している。
結婚すると相手の嫌な部分ばかりが見えてくると誰かが言っていた。
百年の恋も冷めてしまうと。
だけどその嫌だと思われる部分を最初から好きならばその恋は冷めないのではないのだろうかと思っている。
だから私は彼の駄目な部分、他人から嫌だと思われる様な部分を積極的に探している。
彼には気付かれない様にそっと。