盗み聞き
宿について新しい鍋や小物の埃を払って綺麗に拭いていると、火にかけている鍋の蓋がカタカタと震えだした。急いで火を止めて鍋を三脚から降ろすと、蓋を紐で縛り中身が漏れないように固定し、ゆっくりと冷ましていく。
「よぉーし♪後は遅延の薬草の効果をごろうじろ♪」
冷やすと魔法薬の体積は減っていく。
正確には凝縮されていくのだが、熱する時間が増えるほど無駄になる部分が増えてしまうのだ。この無駄になる部分はどうしても出てしまうので、それを極力減らすために今回は熟成を遅くさせる薬草を使っている。
「~♪」
鼻歌を歌いだしてしまうほどに薬の完成が待ち遠しかった。
綺麗に浄化された瓶を机に並べていつでも注げるように準備しておく。
「お腹すいたな…今日もここの食堂使うのはさすがに嫌だし…通りで探そうかな」
鍋が冷えるまではまだまだ時間がかかる。
それまでに少しお腹を満たしておこうと、ブーツを履きなおしてローブを被るとまた宿を出た。筋肉痛や大量の傷跡がまだ内側にジンジンと響くが、少しでも体を動かしておいた方が治りも早いだろう。一階に降りてみたが宿の店主は昨日の夜以来見かけていない。ローブに身を隠しながら街道の様子を窺えば、周りには急ぎ足の魔族たちがいる。だというのにテンションの上がったリィルは、今にも鼻歌が飛び出しそうだった。空腹にせかされてよく整備された街道を早足で歩いていく。陽が沈みかけ薄暗くなった町の中でリィルは昼間から気になっていた店に入った。
「いらっしゃい」
「これとこれ、これとこれとこれ、3番席に。あと水多めにください」
「かしこまりました。少々お待ちください」
古風なバーを改築したような食堂だが、外から見るよりも少し広く感じる。金貨をウェイトレスに渡して、できるだけ人目につかない食堂の隅のテーブルに身を隠すように席に着く。少しお腹を満たすだけのつもりが、食堂の匂いにつられて本格的に注文してしまっていた。『3番席』とカウンターで指定したのはローブのせいで店員に気づかれない可能性を考えたからだ。料理が来るのを待っていると、後ろの席の会話が自然と耳に届いた。
「おう、お疲れさん、───はどうだった?」
「ああ、全く、変な奴もいる───」
「そういうな。あれでもよくやっている」
「はっ、ああいう胡散臭い───よな」
食堂の中は喧噪が広がっており後ろの席の会話でも所々抜けて聞こえる。途切れ途切れの会話に、それでも耳を澄ますのは人間領に近づけば近づくほど魔族の人口は増えていくので少しでも情報を集めておく必要があったからだ。
「まぁ、───せよ北大陸までの仕事は上手く行ったよ」
「これが終わったら新しい仕事だな」
「―――な、数日でカタがつく」
南大陸から渡って来て北大陸で仕事をするほどに魔族の経済圏が広がってるのか…
私が知ってる限りだと北大陸には戦線があるから交易路がないっていう話だったけど…それとも元々あった交易路を利用したのかな?
「お待たせいたしました、あら?」
暫く盗み聞きを続けているとテーブルの傍にウェイトレスらしき女の魔族がカートに四本の腕に料理を乗せて来ていた。席についているリィルの姿に気付かずキョロキョロと見渡しているが、律義に料理名を告げ、綺麗に並べてカウンターへと戻っていく。
何の肉かわからない煮込みシチュー、足の三本ある鶏の丸焼き、西大陸ではまず見たことのない変異した腕ほどの大きさの魚の塩焼き、明らかに瘴気汚染を受けた植物のサラダ。どれもこれも異質だが、昨晩と違ってきちんと処理・調理が施され、綺麗に盛り付けられているお陰で鳴りを潜めていた食欲が大いに刺激される。
「美味しい…まともな食事…久しぶり…!!」
旅の間はまともな食事などめったに取れない。基本的にリィルは戦闘行動を避けているし、川には野獣・魔獣が来る危険もあるため魚も取れない。魔法の火を使うポーションテーブルならいざ知らず、調理のために火を起こせば煙が立つし、明かりそのものに寄ってくる魔獣もいる。そんなわけでまともな食事などめったにできたものではない。人間領で食べたものに比べると調味料も調理方法もまだまだお粗末なものではあるが、それが変異した食物と調和しているようにすら思えた。
切っては食べ、掬ては食べ、。
「王都に戻ったら沢山美味しいもの食べよう…帰れたらだけど…」
煮込みのホワイトシチューにはゴロゴロと具材が入っているがよく煮詰められていて軽くかむだけでホロホロと崩れていく。焼き魚や鶏の丸焼きは濃いめの味付けだが、シチューのあっさりしつつ口に残る食感と相性がいい。勢いよく食べているとのどに詰まりそうになり、トレーに乗っていた水差しからコップに水を注いで流し込むと柑橘のすっとした香りが鼻を抜けていく。よく見てみれば水差しの中に果物の輪切りが一枚浮かんでいた。この機会を逃したら次にいつまともな食事ができるか分からない。
リィルの頭にふとみんなで旅をしていた時の思い出がよみがえる。
・・・・・
「リィルの作る飯が一番うめえなぁ。もうリィルが全部作ればいいんじゃねえか?」
「そうじゃな、料理に関しては大人しくリィルに餌付けされてれば良いんじゃないかのう。儂らに調理される食材が可哀そうで涙が出てくるわい」
星空に照らされながら、結界の中で焚火を囲む。その日の夕飯は捕まえた岩砕き猪のステーキとその肉を木の実・野草と合わせて煮込んだ鍋だった。鍋からおかわりのスープをよそいながら拳闘士ガウストと魔術師のマルコがからかい半分に称賛する。
「料理当番は交代制でしょ!美味しいものが食べたいなら自分で作る努力をしなさい!」
「…同じ女としてこれほど実力差があるのは悔しい限りだわ…おかわり…」
本気でリィルを料理係にしようとする二人に頬をふくらませていると、隣で食べていた白魔導士のソーネが落ち込みながらおかわりを求めて器を差し出してくる。いつでも料理を教えると約束を交わして器を返すと、向かいに座るシュリトと目があった。
「リィルはきっといいお嫁さんになるね」
「そんなこと言っても野菜残すのは許さないからね」
焚火の向こうで楽しそうに笑う勇者シュリトの顔がやけに印象に残っていた。
・・・・・
懐かしい記憶。今となってはもうリィルとは何の関係もない記憶だ。彼らが生きて帰ろうと魔界で死のうと、もう会うことはない。そういう契約だ。きっと彼らは生きて帰ってくるだろう。彼らほど聡明で、力強く、優しい者たちはそういない。この魔界特攻作戦も彼らと考え出した作戦だ。きっとうまくいく。
回想に浸りながら舌鼓を打っていると会話の続きが背中から聞こえて来た。
「これだけで――――ってんだからなぁ」
「ああ、流石魔法薬だ――――」
「あの一滴で――――人が死ぬんだからな。なんて言ったっけ?確か…」
「リィルライトの除血薬だよ。薬の名前ぐらい――――」
「!!」
カチャン
気付けば食器を取り落としていた。
さっきまでの食事が嘘のように舌が乾いて上手く息ができない。
幸い後ろの席の魔族は話に夢中でこちらに気が付いていないようだ。
背中越しに盗み聞きするリィルはややもすると魔物と対峙した時より怯えていた。
下手をすればこれまでの旅のすべてがここで無に帰すかもしれない。
ただ、今できる最善手を打つためにもリィルは息を殺して背後の会話に耳を澄ましていた。




