巨人鋼
「ん~~…ふぁ~」
昨晩は宿屋が見つかった喜びと山のように鶏肉を食べた満腹感に浸って寝てしまった。瘴気に覆われた空は曇り空のように灰色の空だが、明るくなっているということは既に瘴気の向こうでは太陽が高く昇っているのだろう。
「うう…動けないぃ…」
目を覚ましたリィルは全身の激痛に苛まれて動けずにいた。
筋肉痛、瘴気焼け、魔法薬の副作用、全身の切り傷や打ち身、一度休んでしまった身体はこれまで耐えて無視してきた苦痛を認識してしまう。元より身体がそれほど丈夫ではないリィルは、筋肉痛や小さな傷で苦しむ度に竜人族のガウストによくからかわれていた。
・・・
「久しぶりの宿屋だぁ……筋肉痛だよもう…」
「っは~だせぇなぁリィル~?その程度の筋肉痛で」
「二人とも、あんまり騒がないで頂戴。隣の部屋にも魔族が泊っているんだから」
ソーネの忠告もどこ吹く風で、ガウストはリィルの筋肉をつつき回す。
「こんなひょろっこい身体してんなよ。筋トレしろ筋トレ。俺みたいに」
「調子に乗って地駆竜に片腕食われた人に言われたくありませ~ん!」
「はあ~?もう治ってますけど~?」
「治したのは私の薬ですけど~!」
「筋肉痛すら治せないくせによく言うぜ」
「筋肉痛は傷害じゃなくて発達だから治さないんです~!」
・・・
そんな懐かしいやり取りを思い出しながらなんとか這いずるように無理やり体を起こす。小さな傷でも放置していたら化膿したり細菌が入り込んだりして大けがに繋がりかねない。引き攣るような筋肉痛に耐えながら枕元のポーション鞄から瓶を幾つか引き抜き、服を脱いで体中の包帯を剥がす。
「うわぁ…我ながらグロテスク…『水出でよ』」
鏡に映る姿はどこもかしこも傷だらけで汚れていない箇所の方がない。浄化のマフラーだけ着けているのもおかしいので、抗瘴気薬を飲んで丸めたマフラーも脱いだ服とまとめて洗うことにした。
桶に水を出し、薬を混ぜてタオルと服を濡らす。長旅でクタクタになったタオルや服だが、薬液で少し洗うだけで汚れが抜けて清潔な状態に戻った。
浄化の呪文を使えばもっと簡単に綺麗に出来るが、この魔法薬には汚れ防止や細菌の繁殖を防ぐ効果もある。傷だらけの肌に触れるものである以上、細部まで気を遣わなければならない。
筋肉痛に喘ぎながら軽くすすいだタオルと服を絞った。
今度は泥と血で汚れた全身の包帯をゆっくりと剥がし始める。
「んっく…あぅっ…ぐ…」
包帯は傷口の肉と癒着しており、剥がすたびに傷口を抉られるような痛みがはしる。
消毒や応急処置は施してあるが、傷口から入り込んだ瘴気のせいでいつまで経っても傷は塞がらず、骨に響くような痛みが続いていた。大きな傷はすぐに治療してきたため、身体に残っているのはどれもこれも小さい傷ばかりだが、化膿したり中途半端に治った皮膚が包帯に張り付いたりして剥がしにくい。
「うぐぅっ…はぁ…はぁ…痛たた」
最後の包帯を剥がすころには全身が血塗れになっていた。血や膿、泥で汚れた包帯を水桶に入れてじゃぶじゃぶと漱ぐと、水はあっという間に赤茶けた色へと変わり、包帯はすぐに白さを取り戻す。もっとも、ほつれた部分や切れてしまったものは魔法薬では直せない。
「うわぁ…汚い…でも包帯は綺麗になったかな…乾け、直せ」
汚れた水を屎尿瓶に流し込んでもう一度桶に出した水に、薄めて使い回していた薄桃色の治癒薬を全て混ぜる。もうほとんど薬効は残っていないが、小さな傷なら十分消毒効果がある。
綺麗になった包帯を魔法で乾かし、タオルで全身を拭いていく。
「っくぅ~…染みる…傷薬全部なくなっちゃったし、新しいの作らなくちゃ…」
消毒効果のある薬液が傷口をズキズキと刺激する。旅をしている間はお風呂に入れる暇がないので、声を我慢しながら全身を綺麗にすると少しだけさっぱりとした気持ちになれた。
治癒薬を含ませた水で洗ったお陰か、傷口はすぐに凝血した。少し湿らせた包帯を巻きつけて、乾かした下着や服を身にまとう。
「『おままごと』薬草は森で採取した奴があるけど、やっぱり足りないかもなぁ」
身体も心もさっぱりしたところで身体を伸ばし、ボサボサの銀髪を紺色の紐でまとめる。
長く伸びすぎているせいで結ってもベッドの上に広がってしまっているが、ベッドに座りながら作業するので関係ない。
ポーションテーブルを展開し鍋を火にかけると、薬草を放り込んでいく。
ラウネビアの濃縮液──最後の1滴
ビトゥの煎薬──2匙
水を匙で加えながら魔法の薬杓でゆっくりと混ぜる。
乾燥キャクヤクの粉──これも最後の一袋
粉っぽさが無くなるまで右回りで練り続ける。
ハルハッカを銀のナイフで千切りにし、キッコンを大理石のすり棒で潰して加える。
スカスカの小瓶の中に小匙を入れてカサキノコをなんとか掻き出して水に溶かす。
事前に調合しておいた生薬をその水に加えて鍋の中身と合わせて左回りでかき混ぜる。
右腕で薬杓を持ち鍋の中身を混ぜ続けながら、左腕で杖を持ち空き瓶一本と小瓶数本に浄化の呪文をかける。あとは中身が完全に液体になるまで蓋をして待つだけである。
開けるのが早いと完全に失敗…遅いと一気に減っていく…これをどうにかできれば…そうだ
薬草袋から急いで一束の花を取り出す。カルルローズという花だが、魔法薬の成熟を一定の割合で遅延させる効果がある。花弁を切り取って鍋の中に放り込み蓋を閉めた。
砂時計の首飾りをクルリと回転させると道具類を全て綺麗に浄化して片づける。砂時計はリィルが小さい頃から使っている魔道具で、知りたい時間を念じながらひっくり返すとそのタイミングを示してくれるのだ。
「さーてと…どうしよっかな…体重いけど…動いてないと2度と動けなくなりそう…薬草の買い出しくらいなら出来るかな」
ビキビキと音を立てそうなほど痛む筋肉と骨に鞭を打って立ち上がり、肩掛け鞄だけを身に着ける。
魔法をかけても魔族にバレることはないので、部屋には簡単な施錠魔法をかけて部屋を出る。日差しを浴びながら宿屋を出ると、路地裏からでもやはり大通りの活気が見て取れた。
薬屋…この通りにはないのかな…じゃあ鍋とか探してみよう。道具だって古びてきてるし。
通りには食料品店や武具屋、生活用品を売っている店はよく見かけるのだが、薬草を補充できるような店はまるで見つからなかった。仕方ないと諦めつつ、今度は長旅でくたびれた道具を新調しようと道具屋に入る。
「はい、いらっしゃい」
「こんにちは…」
ずらりと並ぶ金属製品。どれも元々あった工房や図面などを利用して魔族が作ったものなのだろうが、品質には大きな差があった。形の歪んでいるもの、丁寧な装飾まで施され魔法加工までされたもの、塗装すらされずに金属むき出しのもの。恐らく以前人族が作ったものもそのまま店頭に販売されているのだろう。
けどどれが巨人鋼の商品か分からない…ん?
「すみません、巨人鋼の商品はどこにあるんですか?」
「あー、あれね。悪いけどここには置いてないよ。置いてあるのは鉄や合金ばっかり」
「そう…ですか」
「これでも結構金属加工の技術は上がってきたんだけどね、巨人鋼だけはまだまともに打てる鍛冶師がいないんだよ。ありゃーなんか特別な製法があるんだろうな」
「そうですか…鍋とか匙とかほしかったのに…残念」
「ん?そんなのでいいのか?それならこっちにあるぞ?」
「え?」
そういうと単眼の店員は棚の下の収納から一揃いの埃をかぶった鍋と小物の道具類を取り出す。埃の量からするに相当な年月放置されていたはずなのに、店主が雑布で軽く拭っただけで翡翠のような透明感のある緑と鉄の重厚な銀色が混じったような綺麗な金属が顔を出す。
「これ、売ってください」
「いいけど…こんなの何に使うんだ?」
「……」
「まあいいけどよ。10金貨と7銀貨だよ」
「はい」
「お買い上げありがとうございました」
鍋と小物をバックパックに押し込んで店を出る。
そして周りを見渡してようやく気が付いた。ここは元人間の現魔族の街。魔族は魔界からきているため巨人鋼の精製方法も知らないし、当然人間界の植生も知らない。
故に巨人鋼の武具や有用な品は前線へと運ばれ、魔法薬を作る道具も必要とせず、原料となる薬草を売ることなども到底ありえない。
なるほど…これはやってしまった…
妙な納得感とやらかしてしまっていないかという焦燥感が溢れ出す。リィルはローブを目深にかぶりなおして宿に戻るために歩き出した。やらかしてしまったものについては仕方がないし、今後は気をつければいいだけの話だ。首飾りの砂時計ももうすぐ完成の時間を示している。もっとも、今回は遅延の薬草を混ぜているので本当の完成はもう少し先だろうが。
魔法薬の完成に思わず小さく鼻歌を歌いながらリィルは仮宿への帰路に就いた。




