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記憶の底で

ミーグに支えられながら死霊術師の死体の元まで何とか辿り着く。

出来るだけ脇腹の火傷を刺激しないようにゆっくりとしゃがみ込み、肩から脇腹まで真っ二つに切られた死体を眺める。

多少大振りな炎のナイフとはいえ、骨も筋肉も断ち切って両断するとは恐れ入る。魔族の膂力のなせる技か、ミーグの剣の腕か、あるいはその両方か。男が最後まで握っていた褐色の杖は倒れた拍子に半ばから折れており、もう使い物になりそうもない。

仕方なく懐から自分の杖を取り出して男の顔を隠すフードを捲った。


「ぅえ…」


リィルの瘴気焼けとは比べ物にならないほど酷い瘴気汚染。

皮膚が内側から焼け爛れて骨が歪み、東国人特有の赤い瞳は濁って充血した強膜と区別がつかない。口や鼻の中まで生きたまま表皮が腐敗している。ただ仲間の怨みを晴らすという妄執だけで生きてきたのか、しかしそれ以上長生きするつもりはなかったようだ。


「甘い…ハナグサリと砂の匂い…快楽性の、魔法薬」


リィルの作った物ではないが、男は禁止された魔法薬を服用して苦痛を消していた。しかしその強力な効果の反面、副作用が大きく瘴気で弱った身体のまま使用すれば確実に中毒死する。

歪んだ顔の眉間に杖先を向け、深呼吸して呪文を唱えた。


記憶よ溶け出せ(エリーネリーネ)


身体が内側からバラバラに引き裂かれたような激痛と浮遊感。絶叫したいほどの苦痛なのに、喉の感覚すら失われて声も出ない。自分の目で自分の身体を見てもそこに手足がある事が信じられない。幻肢痛があるはずのない手足に痛みを感じる事ならば、それは存在するはずの手足が無くなっているのに痛みだけ襲い来たようなものだった。

だがそれだけの生命魔力(オド)を使って起こした魔法の効果を無駄にするわけにはいかない。

見開かれた男の瞳から一筋流れ出した大粒の涙を、感覚のなくなった指で視覚だけを頼りに動かし、小瓶の中に掬い取る。

しかし上手くこなせるはずもなく、瓶を取り落として涙に触れてしまった。


・・・


黒鉄の鉱業都市。

採掘者と労働者食堂で働く両親。

小さく自分の名前を呼びながら後ろを追いかける弟妹。

学校。船。学校。死霊術。

毒沼の奥に佇む、木と一体化した小さな家。

瘴気の蔓延。東国の滅亡。魔族。

怒り。無念。怨み。怨み。怨み。

戦線に横たわる数多くの死体。

瘴気の霧に閉ざされた黒鉄の都市への道。

瘴気で死んで積み上げられた人間の死体。

怒り。無念。怨み。怨み。怨み。

死霊術の儀式。死体の接合。

二人の魔族。

ナイフで自分の胸を貫いた。

隊舎。死体となって暴れまわる魔族と、殺されていく魔族。

死体を盾にして時間を稼ぐ間、魔力を体の中心に溜め込んでいく。

燃え盛る炎のナイフが振り下ろされる瞬間、男は自分に呪いをかけた。


・・・


男の記憶から解放された時、リィルは自分が呼吸できていない事に気が付いた。


「シね…死ねェ…」

「…っ!…っ」


虚ろな表情のミーグがリィルの首を圧し折らんばかりに締め上げている。

酸欠の頭では空気を取り込むことしか考えられず、ミーグの手を引き剥がそうとするが首元に血が滲むばかりでちらりとも隙間が開かない。声を掛けようにも肺の中に空気が無くては言葉が出てこない。見る見るうちに顔が赤く変色し、仄暗い視界が明滅し始めた。


死ぬ。


酸欠が限界に達し、眼球が裏返る瞬間。

視界の端で捉えたのは口の砕けた魔法薬瓶だった。

身体の中に残っている微かな力を全て腕の先に込めて、見えない場所に転がっている筈のガラス瓶に手を伸ばす。

冷たいガラスの感触を指先に捉え、人差し指で手繰り寄せて渾身の力の限りミーグの腕に突き刺した。


大したダメージではない。

だが、痛いものは痛い。

魔族は外皮こそ分厚く硬いものの、神経の数は人間の数倍に及ぶ。

原始的な感覚刺激がミーグの本能にほんの一匙の正気を取り戻させた。

その隙に一息分の空気を吸い込み、もう一度同じ場所目掛けて破片を突き刺した。

判断を間違えたかもしれない、と痛感したのはそれから間もなくだった。


「ガアッ!」


苛立ったようにリィルの首を掴んで持ち上げると、壁に向かって軽々投げつけた。

運が良かったのはミーグの肩が火傷で弱っていたことと、投げつけられた方向に壁が無く、代わりに入ってきた時の扉があったことだった。


「カハッ…はぁっ…ゲホッ…ゲホッ…」


錐もみ回転をするように宿舎の廊下を転がって、遠心力に肺の空気を奪われる。

平衡感覚を失って床に伏しながら、必死で肺を収縮させる。ぼやけた視界の奥で巨体がゆっくりと歩いて来るのが見えた。しかし身体を起こそうにも最早手足が言う事を聞かない。

最後に力を入れていたせいか、唯一動きそうな片腕を使って宿舎の外へと這いずっていく。

リィルが小股一歩分進む間にミーグは大股三歩分進んでいる。


「に、げ…ない、と…」


あの男がどんな魔法を使ったのかは分からないが、魔法の力を弱める方法は基本的に術者から離れる事だ。死者の魔力は長持ちしないと思いたい。時間を稼ぐか、引きつけながら逃げるか。

そのどちらも出来ない。

垂れた血液が目の中に入って前が見えない。

それでもここで死ぬわけにはいかない。

ミーグに自分を殺させるわけにはいかない。

魔族と人間の間に禍根を残すわけにはいかない。

ミーグを助けて、ここの処理をして、魔法薬を作り直して、リィルライトの魔法薬を見つけ出して、この先の食料も準備して、それから国に帰らないと。

剣の才能も、魔法の才能も、強靭な肉体も持っていないのに、やる事ばかりが多くて困る。

這いずる背中に威圧感と殺意を感じる。


「コロす」


ミーグの腕がリィルの足首を掴んで暗闇の中へと引き摺り戻す。

結局這いずった距離はその一手で全て無駄になってしまった。

仰ぎ見たミーグの顔はやはりどこか虚ろで目だけが怨みの籠った怪しげな火を灯しているように見えた。

命運尽きたかのように思われたが、まだ幸運は残っていたらしい。

ミーグはリィルの首を掴んで持ち上げると、折れた長剣を振りかざした。


「えぃっ」


小さな気合と共に、半開きになったミーグの口に指先の魔法薬を弾きこんだ。

一滴でも効果はあるが、一滴では即効性がない。


長剣が振り下ろされる瞬間、ミーグの瞳の奥に宿った男と目が合った気がした。

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