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死体

溶けた足場から天井を利用して抜け出す器用さ。

生物の肉体と同じように壊死が発生する身体。

ダメになった肉体を作り直す再生力。

落ちてるものを利用し、使えなくなった武器を捨てる知能。


死者どころか、魔法のゴーレムであってもこれほど高性能なものはそうそうない。特に何かを操る魔法は操縦者の技量が必要になるし、自動で動く魔法は魔法回路も呪文も酷く手間のかかる物だとマルコに教えられた。

今の所、幸運に縋りながら紙一重の所で逃げ延びているものの、いつ足を踏み外してもおかしくない。そこにある絡繰りを読み解く必要がある。

そして、良い発見と悪い発見。

良い発見『溶けた肉体は再生しない』

悪い発見『肉体を溶かせる魔法薬はもうない』


「どん詰まり…ってやつだね…」


杖は使えない。剣は振れない。

武器らしい武器と言えば採取用の小さなナイフ。

巨体に切っ先を向けると小枝よりも頼りない。


「ならまず…観察と、考察」


どうしようもないときはどうしようもないのだ。

無力な人間の、唯一死ぬまで働く武器は思考しかないのだから。


―――イダァァァアアアアアイ


どうして貴方はそんなに賢く動き続けるの?

距離を詰めて切りつけてくる刃を紙一重で躱しながら観察を続ける。


・・・・


「痛ったあい!また頭殴った!」

「隙だらけなんだよ、お前は。大体女の癖に身体が固いんだよ。ストレッチしろ」

リィルの腕を掴んで引き起こしながら、ガウストが揶揄うように叱りつける。

ガウストは武器を使わない、という条件のもと行っている組手だが、リィルはガウストの攻撃を避けるのが精一杯で反撃に転じようとする瞬間に毎回負けていた。

「なんで勝てないのかなぁ」

「そりゃお前が俺を見てないからに決まってんだろ」

「攻撃は避けられるのに…」

ガウストの物言いに不満げな声を漏らすと、ガウストは少しだけ考えて問題点を指摘した。

「避けるのは問題ねえ。だがお前は何のために避けてるんだ?」

「なんのためって…そりゃあ、攻撃が当たらないようにするために避けてるんだよ」

「そこだよ」

問題点を見つけたと言わんばかりの声に、しかしリィルは得心がいかず首を捻った。

「だからな、お前は避けるとき自分の事しか考えてねえ。避けながら俺の事を考えなかったらいくら避けたって勝てねえぞ」

「…そっか…そっか!ガウスト、もう一回!」

ようやく納得がいったとばかりの顔で、ガウストにもう一度戦闘を挑む。

しかし結局一度もガウストは勝たせてくれなかった。


・・・


目の前の怪物はスマートな体型になって随分動きやすくなったようだが、それでもガウストの動きには今一歩及ばない。しかしそれはリィルに余裕がある事にはならない。

動きはめちゃくちゃだが、剣の動かし方や身体の使い方は十分剣術と言えるレベル。ぎこちなかった関節の動きも、時間経過で滑らかになりつつある。死なないように躱すのが精一杯。

躱すと言っても致命傷に至らないというだけで、服は千切れ、体中に巻かれていた包帯は破けて垂れ下がり、裂かれた皮膚はトクトクと血があふれ出ていた。

魔法薬師や白魔導士には『服薬三本、白魔一』という言葉がある。

一日に使用していい魔法薬の量と白魔法の回数を表した言葉で、それ以上飲んだり白魔法を掛けたりすると、体内で魔法薬が混ざり合ったり白魔法で体内がグチャグチャになったりすることに由来している。

今日私が飲んだのは瘴気焼け対策の魔法薬と死霊術媒介薬を解毒するための高位魔法薬(ハイポーション)。疑似魔力薬を飲んだから三本目。

これ以上魔法薬を飲むことはできない。


血が溢れる――

体内でグチャグチャに――


「もしかして…」


観察と考察が終わったら仮説と実行。

小型のナイフ一本でもあってよかった。

距離を取って戦えればそれが一番だけど、投げて刺さる訳もないし距離を取って戦う手段がないから、やっぱり私が直接刺さないと。


―――シ、シ、シネェェェエエェエ


避けつつ反撃するなんて、器用な真似は出来ない。しかも相手が今握っているのは長剣で私が握っているのは()()()なナイフ一本。どうやっても届くはずがない。

つまり―――


――ザグッ


「っ…!」


――ドスッ


長剣の刺突が左の脇腹を抉る。

痛くない。痛くない。肝臓は右側。

理論は苦痛を消しはしないが、心を抑えつけてくれる。

渾身の力を振り絞って使い古したナイフを死体の身体に突き立てる。

首元を狙ったつもりだったけれど、身長差が大きすぎて届かず、横向きのナイフは肋骨の隙間から肺の辺りに突き刺さっていた。


「いっ…やあっ!」


焼け付くような左わき腹の痛みを我慢して肉を裂くようにナイフを引き抜く。硬くなった肉の繊維を切る気持ちの悪い感触と共にナイフが飛び出しお互いに後ろへよろめく。


―――イダイィイイィ!!!


ナイフが付けた傷口からドロドロとした液体の飛沫が上がる。

酷い腐卵臭のする液体が正面から吹きかかり、咄嗟に目を瞑ってしまった。


―――ニンゲンンンンンン!!!!


「おぐ…っ…!」


ガラ空きになってしまった胴体の、しかも左側を蹴り飛ばされ、奇妙な浮遊感と肺の空気を押し出される圧迫感とともに待機所の壁に打ち付けられた。衝撃で視界が明滅し、全身の神経と折れた肋骨が危険信号を訴える。

ずっと倒れていたい床の安心感を振り切って血まみれの脇腹を抑えながら立ち上がる。

乙女の全身を臭い液体で汚した罪は重い。

しかしこれでようやく謎が解けた。


「や…っぱり…」


この死体には血液が流れている。


ずっと不思議だったのは、何故魔族の『頭』が体に練り込まれているのか。

腕や足は分かる。細かな動きができる腕はあるに越したことは無いし、接地面積が広ければ巨体も安定する。

けれど頭部はそうじゃない。

重いし、形も歪だし、なによりうるさい。魔法で操作するなら最も要らない部分。

わざわざ切り刻んだのだから『いらない部品』は排除する方が効率的なはずだ。

そんな『部品』が組み込まれている理由。

それこそが自律思考する死体の秘密だ。


―――イギャアアアァァァア

―――ゴロ゛ズゥウウゥウウウ


術者が一々操作するよりも、脳みそを残しておいて自分で考えさせる方が効率的で効果的だ。人間の脳は死んだ瞬間から欠落していく。歪な叫び声が正にその脳の欠落の証拠。

故に複数人の脳みそをくっつけることで欠落部位を補いつつ、術者が下した命令を自分で考えながら実行する兵士にしている。

血液を流すメリットは大きい。死後硬直を防ぎ、細胞に魔力なり酸素なりを送れば再生を起こすことだって不可能じゃない。


「でも、血液が流れてる、なら…倒し方は、一緒だよね…」


鞄の中から丸底フラスコを引っ張り出す。

濁ったスライム状の薄紫の液体には塵やゴミが大量に混じっている。しっかりと振った後、コルク栓を指ではじいてひっくり返すと、溢れ出た液体は空気に触れて固まっていき、真っすぐな小ぶりの短剣になって床に刺さった。


「問題…は、どうやって、刺すか…」


脇腹を抑え、右手で二本目のナイフを拾い上げながら溜息を吐く。

私の脇腹は生憎二つしかない。しかも片方には肝臓が入っている。

しかも腹筋に力を入れるたびに折れた肋骨が痛むおまけ付きだ。

どうしろと言うのか。


―――シネェアアアアァァァ


私が動かなくても相手は待ってくれない。

先刻付けたナイフの傷もすっかり治っていて羨ましい限りだ。

もう一度、刺し違える覚悟で飛び込もうか。

それは考えたとは言わないか。

ぼんやり考えている間にも相手は眼前に迫っていた。浅く息を吸い込んで、ナイフを握る手に力を籠める。避けるのは間に合わない。

少しでも振り下ろされる剣の軌道を逸らすしかない。


―――ギィイッ!


耳を塞ぎたくなるような金切り音と共に採取用のナイフは手からはじかれて飛んでいき、少しだけ勢いの弱まった長剣が腕を切り裂く。刃こぼれした長剣は鋸のように肉を裂き、痛みが思考を支配する。しかしここで止まるわけにはいかない。

歯を食いしばり、右手で握った薄紫の短剣を死体の腕に突き刺した。


―――ぐじゅる…


熟れた果実を潰すような音と共に、握っていたナイフが溶けて相手の体内に吸い込まれていく。体内に入り込んだ短剣は血流にのって全身へと回り、骨と神経を溶かす。脳を活かしているという事は、身体を動かしているのは魔術じゃなくて神経。魔族の神経配置など知らないが、神経なのだから血流に毒を乗せれば繋がっているのは確定している。


―――イダアアァァァアアァイ!!!

―――ジヌウウウウアウアウアウ!!!!!

―――ヤメロオオォオォォオォォオォ!!!!!


死体の体中にある顔が一斉に悲鳴を上げて後ずさると、倒れ込んで弓なりに痙攣し始めた。

耳を塞ぐほどの気力も湧かず、余りの大音量に平衡感覚が失われる。

悲鳴を上げたいのはこっちだ。

魔法薬師が腕を怪我してどうする。治癒の魔法薬だって備蓄がないし、自然に治したら後遺症が出るかもしれない。今の戦闘であらかじめ作って置いた魔法薬もかなり消費してしまっている。


「うっ…ぐぅ…はぁっ…」


少しでも気を抜いたら涙があふれてきてしまいそうなのを必死で堪えてよろよろと歩き回り、少し離れた所でへたり込む。切られた包帯を引き剥がす。毒の短剣を握っていた右手で触るのは流石に危険なので、左手の指先と口をうまく使って包帯をきつく巻き付ける。縛ることは出来そうにないが、今は止血するだけで満足するしかない。

それよりも問題は横腹の傷だ。

頑張って浅くなるように避けたつもりだったが、思いのほか深く切り込まれてしまった。服を千切ろうにもあの死体に流れていた血でべとべとになってしまっている。これで傷口を塞ぐぐらいだったら接着剤でも塗った方がましだ。


「あ、接着剤が…あったっけ…」


かなり強力な接着の魔法薬だが、数時間たてば自然と剥がれるし、ある程度の伸縮性もある。

ボロボロになってしまった魔法薬の鞄を片手で漁るが、いつも接着薬を入れていた場所に瓶が入っていない。左手で傷口を抑えてはいるが、溢れ出る血は止まらず、息が切れて体が重くなっていく。焦らないように呼吸を落ち着けて探すが、やはり魔法薬はどこにもない。


「あ、あれ…なんで…」


―――イヤアアァァァァァアアァァアアァア


鞄に気を取られていると、ドロドロに溶けたはずの死体が最後の一足掻きと言わんばかりに悲鳴を上げて飛び掛かってきた。耳が裂けそうなほどの金切り声に身体を硬直させてしまう。

鞄の中身を覗いて背を向けていた方向を振り返ると、死体は得体の知れない体液を振り乱しながらこちらへ向かっていた。


―――…ドブンッ

―――アァアアァアアァアァア!!!!


突然死体の身体がガクリと床に沈み、動きが一気に遅くなる。

そこは最初に呪文魔法薬で液状化させた石畳だ。

けれど呪文が解けかかっているせいで底が浅く、死体はゆっくりとこちらへ迫っていた。

死体は泥沼を掻き分け、私がいる方向へ手を伸ばしている。


逃げないと…


出血のせいか、或いは魔族の死体が上げた雄叫びのせいなのか、危険を頭では理解していても体が言う事を聞かない。

傷口を抑えながら、のろまな触手ナメクジ(スレッジワーム)のようにずりずりと床を這って少しずつ移動するのが精一杯だった。


お願い…止まって、止まって…!

「はぁっ…はぁっ…」


やがて壁際へと追いやられ、泥沼から半身の抜け出した死体の腕が首元へと延びる。もう逃げられる場所はない。


殺される。


そう覚悟を決め、顔を背けながら目を瞑る。

だが、予期した冷たい感覚はいつまで経っても訪れなかった。


「…?」


ゆっくりと眼を開けると、ドロドロになった死体の指先は喉笛の数寸先で止まり、そのままパタリと床へと落ちて重力に身を任せ泥沼に引きずり込まれていく。

時折揺らめく石畳の床は静かにその波紋を吸い取り、やがて呪文魔法薬の効果が切れた床は元の硬度を取り戻した。


「…ミーグが…倒した、のかな」


部屋の中央から響いていた剣戟がいつの間にか聞こえなくなっている。だが暗くて部屋の中央の様子は見えない。


「…はぁっ…はぁ…」


魔法薬が見つからない。包帯もない。

このままだと失血死する。

ミーグなら…包帯ぐらい貸してくれるかもしれないけど…

それまでは…


「…はぁ…『燃えよ(ヴァブレ)』」


鞄の革ベルトを口で噛みしめ、傍らに落ちていた折れた短剣に火の魔法薬を掛ける。あっという間に鋼の刃が赤く染まって鉄の焼ける匂いが鼻腔に届いた。


「…ふぅーっ…ふぅーっ…ふっ――――


今から起きる激痛を想像して息が荒くなる。

深く息を吸い込み、震える手で刃を押し付けた。


―――ジュウッ!!!


――――ンぐぅっ!!!」


焼け付く痛みを我慢して傷口に押し付け続ける。歯が折れそうなほど顎に力を入れ、涙が滲む瞳を固く閉じる。刃を押し付けた部分の血が沸騰し、肉が熱で変質する。

深すぎず、浅すぎず、皮膚の奥が焼けないように注意しながら止血して短剣放り投げる。


「…うぅっ…ぐぅっ…ふぅーっ…ふぅーっ…」


痛い。痛いけど生きている。

出血性貧血による意識の混濁が、強烈な痛みによって振り払われる。

下手に動くと焼いた箇所が引き攣りまた出血してしまいそうで、壁に寄りかかりながら加えた革ひもを口から離す。唾液が糸を引く革ベルトにはくっきりと歯型が食い込み、その深さが痛みを物語っていた。


「リィルっ!何ヲしテイるっ!」

「あ…倒したん、だね…あの人…生きて、る…?」


短剣を燃やした光を見て気が付いたのか、ミーグが駆け寄ってきた。

咄嗟に服を引き上げて腹の傷を隠す。


「いヤ…手加減スる余裕ハ、無かッタ…そレよりモお前ハ」

「だ、大丈夫、大丈夫…掠り傷、だから…包帯とかあったら」


―――ビリッ


言い終わるよりも早くしゃがみ込むと、腰に巻いた布を破いて左腕に巻いたボロボロの包帯を剥がして処置してくれた。

後方支援隊長の名にふさわしく、私が巻いた時よりも手際よく、痺れない程度に止血されるようしっかりと固定されていた。


「あ、ありがとう…」


誰かに手当てをされるのも久しぶりだ。

ミーグの身体の方に目を向けるが鎧が凹んだり傷ついたりしているものの、リィルに比べれば身体の傷は殆ど軽傷ばかりだった。

羨ましい限りだ。


「立テるカ?」

「だ、大丈夫…」


全然大丈夫じゃない。

今も傷口が少し開いてまた血が脚を伝って垂れていく感覚があった。

けれど今は優先すべきことがある。


「ねえ、その人…ちょっと見てもいいかな」

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