傀儡(ミーグ視点)
「…コレか!アッタぞ―――ぐあアあっ!」
漸く鞄の中から赤い瓶を見つけ出したが、振り向こうとした瞬間、燃えるナイフが右肩を貫いていた。
咄嗟に反対の腕を振り払ってリィルの身体を打ち据える。数時間前のような身のこなしはなく、まるで人形が殴られるようにそのまま吹き飛ばされ、竜車の壁にぶつかって跳ね返る。人間の身体は魔族のそれよりも遥かに柔く脆い。
軍人でありながらに、殺してしまったのではないかという不安が胸をよぎった。
「クソっ…何ノつもり…ダ…」
肩に刺さったまま煙を上げているナイフを引き抜いて、近くにあった樽に放り込む。肩が千切れそうなほどの激痛が響いてくるが、幸か不幸か傷口を焼かれたおかげでほとんど出血はない。それよりも多少なり信頼していた者に攻撃された事実の方に動揺していた。
「全ク…何ガどうナってるンダ…」
今朝から、胸の奥でざわつくような感覚に襲われていた。過去にこのざわつきを感じたのは魔界で腐竜が村を襲った時以来だ。
朝は濃茶の入ったカップが割れて、ようやく完了した書類(手が大きいため簡単な書類でも時間がかかる)の上に零したし、昼はお気に入りの弁当が目の前で売り切れた。挙句の果てに夜は見張りをしていたら人族の女を発見して、成り行きのまま協力関係になったら今度はコレだ。訳が分からない。
「……まさか、こんな所に人間の女がいるとは…しかもまだコレクションしたことのない女の魔法薬師…カハハ、僥倖僥倖」
「…誰ダ」
「カハハハ…巨体の魔族を見るのは初めてだ…是非ともコレクションに加えたい…」
倒れたままのリィルが突然喋り出す。
しかしその口調は先ほどまでとは全く違う。ねっとりと絡みつく蛇のような喋り方。人を、他者を無機質に測量するような気味の悪い物言いに吐き気がしそうだった。横たわるリィルの魔力は別人のものだ。力なくフラリと立ち上がると、口の端を無理やり持ち上げるかのようにニタニタと笑みを浮かべる。
どうすれば元に戻せる。
この薬はまだ有効なのか。
ダメなら殺そう。
迷いながらも腰に提げていた長剣を引き抜き、そのまま峰の部分を横薙ぎにリィルの身体へ打ち付ける。
「やめて!!」
「!」
しかし、当たる寸前でリィルが怯えたような格好で叫ぶ。リィルの意志ではない事は百も承知だが、さっきまで親しげに話していた人物が目の前で叫べば、嫌でも体が硬直する。その隙を見逃すはずもなく、リィルは魔法薬の詰まった鞄を拾い上げてミーグの身体の脇をすり抜ける。その先は竜車の外だ。
「…逃ガすかッ!」
「……!」
すかさず腰をかがめ、脚をかける。避けられるかと思っていたが、差し出した足は見事に細脚を絡めとり、リィルの身体は再び地面を這いつくばる。しかし、相手の方が一枚上手だった。
「!…なンだッ…コレは…」
「カハハッ!『粘着薬』だぜ!」
通り抜けざまに放り投げられた魔法薬がミーグの手元で弾け、飛び出した緑色の粘体が左手を壁に固定する。引いても押しても剝がれそうにない。だが、目の前で怯えたような態度を取られるよりはよっぽど楽だ。
「…フンっ!」
「なっ、壁ごと引き剝がした!?がっ」
剣を握っていた右手ならともかく、人間の2,3倍ある大きな手を壁に接着するには量が足りない。俯せから起き上がろうとするリィルを殴りつけて馬乗りになる。薬を飲ませるために剣を離すと、暴れるリィルの髪を掴んで頭を持ち上げた。少々手荒だが抵抗されないようにするためにはこの方が手っ取り早い。リィルの顎を掴んで無理やり口を開けさせると、瓶の首を折って中身を流し込む。
「あっ…がっぁ」
「無駄ダ」
リィルに憑りついた何者かは薬の中身を知っているのか必死で吐き出そうとする。しかし無理やり上を向かせられた状態で喉奥まで流し込まれたものを吐き出すのは容易ではない。とどめに口を塞いで無理やり飲み込ませる。
「がっ…く…そ…覚え、て…おけ…」
死に物狂いで暴れていたリィルの身体から力が抜けていく。やがて負け惜しみの言葉を残して何者かの魔力は体から抜け出ていった。再び意識を失ったことを確認すると掴んでいた手を放し、仰向けに寝かせる。
「……ゲホっ」
「!…生きていタカ…」
「…はぁ……はぁ……た、助か、た…あり…が、と…ゲホッ」
「アレは何ダ?」
「た、ぶ…死霊、術…あなたの部下が、危険…話は…移動、しながら」
ミーグは剣を鞘に仕舞い、一人で起き上がれないリィルを背中に負う。辺りに散らばった荷物を拾い上げている暇はないので、そのまま管理塔に向かおうとするが、リィルの指示で炎のナイフとぐちゃぐちゃのポーション鞄を拾い上げた。驚いたことにリィルのナイフは水の中でも燃え続けていたらしく、水はぬるま湯になっていた。ナイフをリィルの持っていた鞘に戻し、竜車を出る。
幸い近くに他の魔族はいなかった。
気配を探りながら物陰を通って隊舎へ向かうと、背中で苦し気な吐息混じりにリィルが口を開いた。
「死霊、術と…いうのは―――」
死霊術。死んだ生物の遺体や霊を使う禁止された魔法。
使い手次第では生前の能力よりも強い力を発揮することすらでき、過去には強力な死者の軍隊を作るためだけに人々を殺した死霊術師すらいる。生命を冒涜する倫理観の欠如したこの魔法はいつの時代でも禁忌であり、死者の状態が生者に近ければ近い程、死霊術は強力になる。
ミイラは生態からすべての水分を奪った状態。除血薬を使った英雄達のミイラは「死」と「生者に近い状態」の二つの条件を満たしていたため、強力な「兵隊」が出来上がった。三日で国を亡ぼすほどに。
魔法の使えないミーグにはほとんど理解できない話だったが、口が上手いのかリィルの説明で死霊術という恐ろしい存在があるというのは理解できた。
「オ前も…死霊術デ…操られタノカ」
「死霊術の薬が、入ってた…私は、死んでないから…戻れたけど…あのまま…だったら、多分」
死ぬ前だったことと、直ぐに薬を飲ませたことでリィルは死者になる前に死霊術から逃れることができた。逆に言えば、解毒薬もなく除血薬もそのままの状態で飲んでいたら完全な死者の兵隊になっていたということだ。
「…部下ガ危険とハ、どウイう事ダ…」
「除血薬が使われた時、に…気づくべきだった…」
「悔ヤムのハ…後ニしロ」
「……路地裏の魔族も…多分、薬を飲まされ、てる…口封じと…手駒に…今、暴れてるかも」
「分かッタ…コレヲお前ニ返ソう…」
「…あり…が、とう」
懐に入れていたリィルの杖を左手に握らせる。杖を取り戻したことで多少は元気が出たのだろうか、背中につかまる腕に少しだけ力が籠る。
「…!この怪我…私が…」
「…気にすルナ…掠リ傷ダ」
深々と突き刺さった上に炎で焼き付けられた傷が掠り傷な訳はない。今も張り裂けそうなほどの痛みがズキズキと響いている。
それは背負われているリィルの方がよくわかっているだろうが、今それを気にしていてもしょうがない。連行された魔族がいる管理塔は、今いる広場から北へ移動したところにあり、他の建物に比べても距離が遠い。
「死体ノ…弱点ハ…なんダ?」
「…死体は温かな熱、火に弱い…あと、浄化の呪文…私は使えないけど…」
「そウカ…このナイフハ…借リてイいカ?」
「うん…私より、上手く使える、はず」
「…火以外には…無イのカ?」
リィルのナイフを腰に吊るしていつでも取り出せるように備えておく。小柄なリィルの手には大振りなナイフだが、巨体には小さく、もう片方に提げてある片手剣に比べると随分頼りない。しかし簡単に火を出せる道具というのも他に無いため、これを使うしかない。
「死霊術の、死者は…失くしたものを、恐れる…冷たい身体は、温もりを…穢れた心は、浄化を恐れる…」
落ち着いてきたのか、ゆっくりとだが喋れるようになったリィルが動く死体の弱点を考えながら挙げていく。ミーグも急ぎながら、しかし頭の中では目まぐるしく考えをまとめていく。「失くしたものを恐れる」その言葉にふと妙案が思い浮かんだ。
「…アれハ…使えナイか?」
「!…それは、大分アリかも」
「ぐああああああああああああああ!!!!」
「「!!」」
建物までもう少しというところで悲鳴が響き渡る。声は後方支援警護隊隊長ジェンキンスのものだ。ジェンキンスは慌て性で抜けている所があるが、腕に間違いはない。そのジェンキンスが叫び声をあげているなら、何かあったことはもはや疑いようがない。
「…急ぎましょう」
「アア」




