ナイフ
忙しくて誤字脱字修正もまともにできてない
・・・・・・
「リィル、今入っても大丈夫?」
「大丈夫だよ、見張り交代だね」
「あ、違う違う。今はガイストが見てくれてるよ。うわぁ、凄い匂いだね」
「そう?それで、何か怪我でもしたの?」
「いや、リィルが元気なさそうだったから」
「……顔に出てたかな」
「ううん。なんとなくそう思っただけ」
「大丈夫だと、思ったんだけどなぁ」
「……」
何も言わないシュリトから顔を背けて、鍋の中の薬草をかき混ぜる。閉め切ってたせいでテントの中は目が痛くなるような酸っぱい匂いが充満している。
左に三回、右に二回。左に三回右に二回。
十分にかき混ぜた所で薬杓から手を放すと、傍らに置かれた小瓶の破片を摘まみ上げる。
中に入っていたのはリィルライトの魔法薬、『リィルライトの雨薬』。『雨薬』は町を包み込める程の濃霧を作り出す薬で、上空に打ち上げることで雲を作り、雨を降らせるのが本来の用途。
しかし――
「毒薬を混ぜて街を消そうとするなんて…思い付いても普通しないでしょ…」
「……」
今日目にしたのはリィルの魔法薬が実際に悪用される場面だった。邪神を信仰する狂信者たちが町の真ん中で毒の霧をばら撒いた。幸い毒は即効性ではなく、事前に情報を得ていたリィルたちが結界と解毒薬散布ですぐに事態は収拾した。しかし、死者がいなかったわけではない。老人、乳飲み子にとっては命を奪うのに十分な毒薬だった。
「彼らに殺されても文句は言わない。罵詈雑言浴びせられる覚悟だった。けど…」
『ありがとうございます…ありがとうございます…』
『あなたのお陰で娘が助かりました』
『命の恩人です』
薬を作ったのはリィルだ。そう説明しても彼らは頭を下げるのをやめなかった。
『罪人が悪であり、鍛冶職人に罪はない』
世間知らずなリィルより、彼らの方が道理を弁えていた。
動物の毒腺が詰まった瓶と普段より大振りなナイフを取り出す。魔法のナイフは鞘から取り出すと緑色に燃え上がる。刃の根元についたリングを回すと緑色が消えて、普通の赤熱色になった。
特殊な薬材を加工するときに便利なナイフだが、熱くなると冷めるまで目を離せない上に洗うのも手間がかかるので普段はあまり出番がない。
「リィルは、罰を受けないことが腑に落ちないんだ」
「!」
毒腺を加熱しながら刻む手がピタリと止まる。
振り向くことはせず、再び作業に集中しながらシュリトがこの後何を言うのかと耳を澄ませるが、シュリトはそれ以上何かを言うこともなく、ただテントの隅に座ったままリィルの作業を見つめていた。
・・・・・・
「昔、私は危険な毒薬をいっぱい作ったの。それがどれだけの人を殺すか、なんて考えなかった。むしろ、自分で作った薬を喜んで受け取ってくれる事に感動するくらいだった」
薬の調合に使ったナイフが冷えるまで、くるくると手の内で回しながら滔々と胸の内を吐き出していく。少しでも信用を得ていくために正直に話しているというのもあったが、話し相手がいる状況を懐かしんでいる自分がいた。
「……」
「無関係な人が私の毒で死ぬなら、知らなかったじゃ済まされない。ゲホッ、私は罪悪感に耐えられなかった…ゲホっゲホっ」
「!…大丈夫カ!?」
ナイフを取り落として血痰にせき込む私にミーグが慌てて立ち上がる。毒水の影響かもしれないと思ったのだろうか、駆け寄ろうとするミーグをリィルは片手で制して呼吸を落ち着かせる。
「ゲホッ……はぁ、大丈夫…瘴気のせいでね、激しく動いたり…喋ったりするとこうなるだけだから。はー…」
「もウイい…喋ルな」
「ケホ、私の砂時計にね、刻んであるの。『正しい道を辿らなければ、いつか誰かを傷つける』…私は、私が作り出した薬を、私が外れさせた道を…ケホッゲホッ」
「…何も言うナ」
咳込むリィルの身を案じて話を切り上げ、ミーグは再び口を閉じる。しばらくしてリィルの呼吸が安定すると、また竜車の中に静寂が広がった。先に口を開いたのはミーグだった。
「こノ毒ハ…ドウいう物なンダ…?」
「…いい質問だね。この薬は古代の王朝『ラピド・ミラ』で作られたんだ」
「フム…人族の国カ」
「そう、凄い技術力があったけど、もう何千年も前に滅んだんだ。けほっ、それで、栄えていた頃に王家とか英雄の遺体を綺麗に残そうとしてこの薬を作ったの」
「毒薬ヲか?」
「違うよ。当時は死ぬ前に飲むと苦しむことなく死ぬ、安楽死の薬だったの。ゲホっ」
「本当ニ…苦しム事無ク死ぬノカ?」
「どうだろうね。死ぬ以外、ゲホッ、ほとんど症状がないのは本当だけど、苦しいかどうかは本人にしか…ケホ」
「それもソウか…」
咳が出ることも気にせず、魔法薬の話を嬉嬉として語るリィルにミーグは相槌を返す。魔族として軍の隊長を率いてはいるが、人族に興味がない訳ではない。むしろ、侵略する側だからこそ知っておきたいという心理があるのだろう。早口に喋りたい事を喋ると、また一息ついて静かな時間が流れる。
「…あなたこそ…隊長っていう感じじゃないよ?」
「……」
今度はリィルから話を聞いていたミーグに質問を投げ返す。これまでの旅で魔族と関わることは幾度かあったが、良くも悪くも魔族は人間に対して拒絶的であった。人間界を半分も奪った罪悪感だったり、侵略者である魔族に対し人間が残虐な行為を繰り返したことであったり。そもそも人間界にいる魔族のほとんどは軍人で、人間に対する敵対心を持っている。
少なくとも出会ってすぐにこちらの話を信用して真面目に聞いた魔族は、リィルの知る限りミーグただ一人だ。
「俺ハ…生まレタ時かラ…他者の嘘が分カル」
「魔力が見えるんでしょ?」
これまでの言動から薄々気づいてはいた。
人間でもまれにそういう能力を持った者は生まれてくることがある。魔力は感情や思考に左右されるから嘘が分かるのだ。そう言った特殊能力を持つ者は『特別な呼称』をされることがままある。
リィルの問いに小さく頷いて返すと、頭に着けた鎧を脱ぐ。鬼のような形相に長く伸びた角と牙、そして何より目についたのは耳元まで裂けた大きな口だった。
「ソウダ…そノ代償か…俺ハ生まレツき…口が裂けテイた」
「…それは関係ない。天罰や代償なんて存在しない」
「……カモな」
魔法薬師としてそういう場面は何度も目にしてきた。
『神の子』といって天翼病の子供を崇めて治せる病気を治させなかったり、『天罰』といって疫病の治療を拒んだり、治るものを諦めていく者たち。自分から死のうとする者は知った事ではないが、くだらない理由で自他の命を粗末にする人間は沢山いる。しかし、リィルの言葉に賛同するミーグの苦笑は諦めが混じっている。
「…他者ハ…俺ガ何も言ワなケレば…ヌケヌケと嘘をツイた」
「……」
「嘘ヲ指摘すレバ…人が離れテイくノは当然ダ…例エ其れガ…無垢ナ子供の問いデもな」
そう吐き捨てるミーグの言葉はこれまでよりも苦々しげだ。ミーグの放った言葉の辛さはリィルには一切理解できない。だからその悩みには軽々しく同意もしないし否定もしない。ただ、これまでの会話よりもはっきりと感情がこもっているように感じた。
「世に嘘ハ必定…俺ハ…世界かラ除けラレた」
「……ケホッ」
「幸い…コノ能力は…軍に誂エ向きダッた…争イ事は苦手ダガ…居場所ハ此処しカナい」
「なるほど…」
軍なら会話は必要最低限になるだろうし、嘘を吐くものもいないだろう。もし仮に嘘を吐く者がいたら、スパイや不審人物の発見につながるのだからある意味天職といえば天職なのだろう。
「ソレニ…人間なラ嘘を吐かナイ…或いハ…噓が見えナイのデハと…」
「…どうでしたか?」
「…クックッ…俺が会っタ人間ハお前だケダ…幸イ…希望を抱イテいらレるな」
「なら…人間には会わない方がいいかも」
苦笑しながらリィルの問いに答えるミーグに倣って、リィルも微笑みながら皮肉交じりに言葉を返す。大分温くなったナイフを床において空になった鍋を見つめる。ふと、頭の上に光が灯った。
「その顎…私が治そうか?」
「…治せルノか?」
「ゲホッ、私なら治せるよ」
「自分ノ咳も治せナイのニ…イヤ、済まなイ…侮辱スルつもりハ…無かッタ」
「へーん、だ。ケホッ治りたくないなら別にいいよーっと…ゲホッ、ゲホッ」
ミーグの意地悪な質問についと顔を背けながら、ワザとらしく頬を膨らませる。ミーグが本気で言ったのではないのはわかっているが、リィルにだって魔法薬師としての矜持というのがない訳ではない。
まあ、ミーグの言うことももっともなんだけどね…風邪ひきの医者とか説得力ないし…にしても…今日はやけに咳がひどいな。薬はちゃんと飲んだはずなんだけど…
「拗ねルナ…本気なノハ…見ればワカる………本当ニ…治るノカ?」
「ゲホッ、ゲホッええ、もち…ゲホっゲホッ!?…ごッ…ひゅ…ゲッ…かひゅっ、おぇ」
「…オい…どうシタ!…大丈夫カ!?」
「ゲホッゲホッ…っこ、れ…かひゅーっ…ちがっゲホッ…」
張り裂けそうなほどの頭痛と酸素を取り込めない過呼吸。酸欠で視界がチカチカと瞬き、全身の筋肉が引き攣るような感覚に包み込まれていく。
息ができない…苦しい…身体が…全身が痛い…なんで…調合は完璧だったのに…そんなこと考えてる場合じゃない…なんとかしないと…
――この薬は古代の王朝『ラピド・ミラ』で作られた――
――王家とか英雄の遺体を綺麗に残そうとして――
!…この症状は…でもなんで…違う…今は解毒しないと…でも
ポーション鞄はすぐ目の前にあるが、倒れ込んだ時の向きが悪く、ギリギリのところで手が届かない。ミーグがリィルのそばで膝をつくが、パニックを起こした酸欠の頭では何を話せばいいのか分からない。
「コヒュッ、く…ゲホッ…薬…ゲホッゲホッ、赤い、瓶…かひゅっ」
「…!分かッタ!」
何とかミーグの胸にしがみついて言葉を絞り出すと、同時に事切れたように全身から力が抜けていく。身体はガクガクと震えているのに、呼吸音は全くしない。
リィルの言葉を聞いたミーグはすぐに傍らのポーション鞄をつかみ取り、中身を探す。しかし、薄暗い竜車の中、唯一の明かりは瘴気の雲と外から差し込むランプの明かりだけだ。リィルは魔法薬を丁寧に色分けしているが、偏った光の中ではどれが赤いのか分からない。加えて、ミーグの手はリィルの数倍もある。小瓶を漁るのには向いていない。
「……クソっ」
「…………」
ミーグは自分でもなぜこれほど必死になっているのか分からないまま、赤い瓶を探して悪態をつく。その背後で、失神したはずのリィルの身体がゆらりと音もなく立ち上がる。その手には再び真緑に燃え上がる大振りのナイフが握られていた。




