リィルライトの魔法薬
リィルは北西大陸の王国出身である。
もっとも、住んでいたのは王国の外れにある村の更に外れ、暗い湿地の中で小さな家で薬屋の真似事をしていた。両親はなく、物心がついた時から魔法薬教本を元に片端から作り続けていた。
しかし、閉鎖的な環境で育ったリィルは薬の使い方に関して、教本に載った用途しか知らなかった。その結果、教本に乗らない使い方をする者たちはリィルの店で違法薬品を依頼するようになる。その中でも特に危険かつ稀少な薬は知る人ぞ知る隠語として『リィルライトの魔法薬』と呼ばれるようになった。
一般人でしかないリィルが勇者一行の旅に付いて行った理由の一つ、それこそが『リィルライトの魔法薬』の回収である。
「―――は明日の正午に出発だとよ」
「飯に混ぜれば――――だろうな」
どうしよう…なんで私の薬が東大陸に…いや、今はとにかくバレないように回収しないと…でも…
最早目の前の料理に手を付けることも忘れて背後の会話に聞き耳を立てる。
除血薬は服用して2時間後にその者をミイラ化させるという劇毒で、無味無臭かつ発症するまで一切自覚症状がない。本来は死体に薄く塗り込むことで安全かつ素早く綺麗にミイラを作る薬だが、一瓶でも薬が川に流れれば何十万、何百万もの人間や動物を殺せるほどの劇毒のため、使用が禁止された古代の魔法薬だ。
「…でか耳」
「支援部隊の貨物が西の衛兵広場に置きっぱなしだったからな、やりやすかったぜ」
「俺たちも、バレる前に退散するとするか…」
「そうだな。おい!会計!」
…!追いかけないと…っ!?
二人の魔族はウェイトレスを呼び出して席を立った。急いで鞄から金貨を取り出して机の上に放り出すと、店を出る二人を見失わないように追いかける。人通りが多いわけではないが、街行く魔族達は体格も様々なためすぐに見失いそうになってしまう。
飯に混ぜたって言ってたけど…まだ持ってる可能性もある…急がないと…
焦るリィルが追いつきそうになったところでタイミングよく二人の魔族は路地裏に入る。バレていないことを確認して、懐から取り出した杖を構えた。
「失神!」
「ッ!誰だ!」
「失…がふっ!」
リィルは魔法を二つ同時に使えない。片方の魔族は呪文が直撃し、そのまま前のめりに倒れるが、もう一人の魔族は反射的に膝蹴りを繰り出し、呪文を唱えようとするリィルの脇腹にめり込んだ。肺の空気を全て吐き出させられ、呪文を唱えることができない。
「ちっ、魔王派の間者か?くそっ」
「…っ…っは…ぁ…!」
パキンッ!
ただでさえ瘴気でボロボロの肺と気管を攻撃されたせいで呼吸もままならない。咄嗟に懐の中にあったアンプルの口を割って相手に投げつける。割れたアンプルは中身をまき散らしながら男にぶつかり、魔族の身体に薬を付着させる。
「な、なんだ、こぉおぉおぉおぉぉぉ…………」
「……かっ…こひゅっ……はっ……」
息ができない酸素が回らない肺が痙攣してる早く空気を、早く早く早く。
酸素は回らず、代わりに血ばかりが喉の奥から溢れて気管を塞ぐ。
「……ひゅっ……っこ……」
魔族を昏倒させることはできたが、肺へのダメージが大きすぎて呼吸することもままならない。うずくまったまま、パニックを起こして頭で必死に呼吸をしようと体に命令を送る。過呼吸と酸欠が同時に小さな体を圧迫する。
「……ひっ…はっ…はぁっ…っはぁ…げほっげほっ」
何とか呼吸できるようになると、今度は気管に詰まっていた血が口から溢れ出す。咳き込みながらもなんとか過呼吸を脱して、息を落ち着かせながら立ち上がる。
ただでさえ肺がボロボロなのに…でも今は薬の回収が先…
最初に失神させた方の男に近づき、荷物を漁る。これまではローブで顔がよく見えなかったが、狼のような様相に思わず体が硬直する。しかし、騒ぎを聞きつけて誰かが来ないとも限らないので、急いで荷物を漁る。生憎男は金貨の詰まった革袋程度しか持っておらず、放り出してもう一人の方の荷物を見る。
あった…!……でも…やっぱり中身が減ってる…
ローブの内ポケットにあった木箱の中に小瓶があるのを発見した。しかし小瓶は開封された形跡があり、中身は数滴残っている程度だ。小瓶の中身が本物であることを確認して炎魔法で焼却する。
魔族たちを壁に寄り掛かるように寝かせると、急いで宿に戻る。
「げほっ…けほっ…はーっ、はーっ」
可能な限り肺を刺激しないように意識しながら早足で路地を抜ける。二人の魔族は、衛兵広場にある貨物に毒を盛ったと言っていた。何の準備もなしにそこへ飛び込むほど冷静さを失ってはいない。
後援補給地で人間が捕まったとなれば何をされるか分かったものではない。下手をすれば魔界に入った勇者たちにまで迷惑をかけることになる。それだけは絶対に避けたかった。
薄暗いパブに駆け込み、急いで階段を駆け上がる。店主が怪訝そうな顔をしていたような気もするが、幽玄のローブを着ていればすぐに忘れる。散らかった部屋の中に入ると急いで荷物をまとめ始めた。
「お片付け…魔法薬…入れないと…」
開きっぱなしだったポーションテーブルに匙や秤を乗せると、杖で軽く叩いて縮閉する。
その片手間に鍋を縛っていた紐を解くと、事前に並べて置いた小瓶に注いでいく。もう素材がないので少しでも無駄にしないように慎重に注ぎ、蓋をしっかり閉めてポーション鞄に放り込む。その他の道具や素材も、使えそうにない物だけ残して残りを背負い鞄に放り込む。
「あ…巨人鋼の鍋」
水洗いして窓辺で乾かしていた鍋を手に取ろうとすると、不意に巨人鋼の鍋がキラリと光った。部屋に誰かが入った形跡はないが、買った時点で気がつかない罠が仕掛けられていた可能性もある。杖を構えて、そろりそろりと巨人鋼に近づいていく。
「姿を現せ!…きゃあ!」
ボンッ!ゴトンッ…
呪文を唱えた途端、巨人鋼の鍋が数倍の大きさに膨れ上がった。バランスを崩して落ちて来た鍋に押し倒されながら、何とか抱えて起き上がる。精々両手で持てる程度のサイズだった鍋は、今やリィルがすっぽり入れるほどの大きさになっていた。
「痛ったた…ケホっ…えっと、これってもしかして…小さくなれ!」
ッコトン…
もう一度呪文をかけると今度は元のサイズにまで小さくなる。不思議な性質を持つ巨人鋼の鍋を拾い上げると、やはり何事もなかったようなただの鍋である。
「…そうだ、ゲホっ…これを使えば…!」
にやりと笑うリィルの頭にはすでに一つの妙案が思いついていた。




