最後の晩餐
キィ……と足元の車輪が泣いて馬車が速度を落としていく。
ランサ国はブバルの街を出て今日で2日目の晩。
順調にいけば明後日の朝にはツヴァイク王国の首都ヴァイスに着くはずだ。
速度を落としきった馬車を停車させて、御者が荷台を開ける。
「今日はここで休む事になります、近くに川がありますので水浴びや洗濯をする方はどうぞ」
そういって御者は馬の世話をしに馬車の前方へと戻っていった。
エノスとマナは服の着替えを一着ずつしか持っていなかったため、洗濯をしに川へと向かう事にした。
馬車で揺られ続けるというのは存外に疲れるものだ。
エノスは馬車を降りた所でひとつ伸びをした。
馬車の中からは出発の時に絡んできた傭兵崩れが刺々しい目で睨んでいるが流石にこんな所で事を起こして恥をかきたくもないだろうし、気にする必要もないだろうとエノスは考えていた。
御者の言葉どおり、すぐ近くに川が流れていた。
馬を休ませる小屋も近くにあったようだし、どうやら馬車で移動する際によく使われる休憩するための場所のようだ。
エノスは肩に背負っていた布袋を下ろすと早速洗濯を始めた。
洗い終わると近くの木の枝に服をかけて乾かしておく。
「明日の出発時までに乾いてるといいね」とマナと話しながら馬車の方まで戻った。
翌日、馬車の中で眠ったエノスとマナは起きてすぐに昨日干しておいた服を取りにいった。
エノスは自分の迂闊さを呪った。
干しておいた服が何者かによって切り裂かれていたのだ。まぁ誰の仕業であるかなど火を見るよりも明らかだが。
ボロ切れのようになってしまったそれはヴィクターが用意したあの服だった。
幸いマナの服は無事だったので大事にするべきではないかと考えたエノスはボロ切れをその場に残して無言で馬車に戻った。
馬車に乗るとニヤついた顔でこちらをみる傭兵崩れが先に座っていて、マナが文句を言おうとする。
エノスだって言いたいことはある、しかしこんな狭い環境で揉め事を起こすのは得策ではないしそもそも証拠がない。
それにあの服がなくなった事でヴィクターとの縁も切れたように感じていたのだ。
それはエノスにとって悪くない感情だった。
そんな事もあり顔を真っ赤にして可愛い耳を逆立てたマナを落ち着かせて席に着く。
あと一回寝ればもう目的地は目と鼻の先だ。
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エノス達の馬車がその場を発った次の日。
そこには一体の獣がいた。
いや、獣のように見えるそれはどうやら獣人であるらしい。
「あンの馬鹿クマのせいで少しばかり時間を食っちまったが……まぁ金も手に入ったし悪くもなかったか」
よく見ると、その獣人の手にはボロボロになった布切れが握られていた。
さも愛おしそうに鼻を押し付け持ち主のものであろう匂いを嗅ぐ。
「もう少しで会えそオだなぁ」
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馬車は舗装された道をひたすら進んでいた。
目的地が近くなっているからか進むに従って道が綺麗に均されていくので、あまり揺れることもなくのんびりとした旅の行程となっていた。
馬車の速度が少しずつ落ちてきた。本日の宿に到着したのだろう。
あと一日眠ったら朝早い時間にはヴァイスに着く。そこにはエノスが焦がれてやまないあの彼女がいる。
そして、エノスの記憶がそこにあるはずなのだ。
逸る気持ちを抑えて自らの書いた絵を見つめる。
ーー待っていろよ
何度絵にそう呼びかけたかわからない。毎日寝る前と起きた後に、動かない彼女へメッセージを送り続けた。
ようやくその言葉が現実となりそうだ、とエノスは少し顔を綻ばせた。
それを横で見るマナは複雑そうな表情をして、エノスが微笑むと自分も嬉しいのか、はにかんでみせたのだった。
明日の朝方街に着くようにと時間の調整をしたこともあってか、まだ日が高い。
そこでエノスはマナを連れて本日の簡易宿泊所となった小さな森を散策することにしたのだった。
「ここの森はとても静かですね」
ここの、というのはあの悪夢があった森と比較してのことだろう。
そう考えたエノスはあぁ、という短い返事で留めることにした。
「そういえばマナはモデクレスが本拠地って言ってたムーアンから来たんだったか。旅は辛いか?」
「いえ、正直楽しいくらいです。誰かと二人で旅をするのなんて初めてですから。あ、それとマナはムーアンに行ったことはないんです」
「ん、そうなのか?」
モデクレスは今回ムーアンから奴隷を連れてスターティア王国に行ったと言っていたが……とエノスが思案しているとマナから答えが返ってきた。
「はい、マナはスターティア王国でモデクレスさんに買ってもらった新参なので」
そういえば思い返すとモデクレスは自分とスターティア王国で買った奴隷の護衛をして欲しいと言っていたっけ。
その買った奴隷がマナだったわけだ。
スターティア王国は奴隷に厳しいという話だったが……まぁ抜け道はどこにでもあるということか。
「それで多少は街の地理を知っていて、奴隷としての教育のため、とモデクレスさんにお使いを頼まれた時に……」
「俺と会ったってわけか」
その言葉にマナはこくんと頷く。頭と一緒にピコンと動く猫耳が可愛らしい。
「なるほどな……ちなみに生まれはどこなんだ?」
エノスが何気なくそう聞くとマナは体をびくんと震わせた。
そういえば言っていたな……混ざりモノだったから追い出された、と。
「すまん、無神経だった。忘れてくれ」
「い、いえ……だいじょぶれす。ええと。エノスさんと会った街から三日ほど馬車でいったところにある小さな村……です」
動揺しながらも気丈に教えてくれるマナ。
俺との旅はもうすぐ終わってしまうだろう。そのあとマナはどうするのだろう?村に帰っても居場所はないだろうし……可能ならメイドや侍女として雇えないだろうか?自分は騎士団長だ、という話だしそれくらいならなんとかなりそうだとエノスは考えた。
ヴァイスに着いて落ち着いたらマナに話してみよう、と決めたところでマナの後ろの茂みがガサガサと音を立てた。
「マナ、こっちへ」
エノスはマナの手を引くと後ろにいるように、と言い置いた。
茂みから姿を現したのはどうやらイノシシだ。
特に魔獣というわけでもなさそうな普通の動物だ。何故か敵意をこちらに向けてきているのでマナを連れて逃げるよりは……
ーーフッ
エノスは腰に下げた剣を抜き放つと一息でイノシシの頭を落とした。
「す、凄い……」
後ろにいるマナが驚嘆の言葉をあげている。
マウェッタの時にはこれ以上のことをやっていたはずだが……あぁ、恐怖で見ていなかったのかもしれないな。
ふとイノシシが倒れたところを見ると青い花が咲いていた。何故かひどく気になるその花からエノスは目が離せなかった。
「これはセラリスの花ですね。こんな陽の当たらない森に咲いてるなんて珍しいです」
結局どうしても気になってしまったエノスはその花を摘んで持っていくことにした。
「さて、こっちの大物はどうしたものかな……」
結局、イノシシは馬車の簡易宿泊所に運んで乗客と御者に振舞うことにした。
乾燥した肉に飽き始めていた面々は、大喜びしてエノスに感謝を述べるのだった。
あの傭兵崩れだけは「ケッ」と冷めた顔をしていたが、焼いたり煮込んだりしたイノシシを満面の笑みで次々に頬張っていたのをエノスは見逃さなかった。
咎めるつもりもなかったが。
そうして和やかな夜が明ける。
エノスとマナも温かい空気にあてられてにこやかに過ごした。
エノスが本当の意味で和やかに過ごせる夜はこれが最後かもしれない。
当の本人はそんなこと、知る由も無いが。
5万字以上書いてようやく前置きが終わったか、といった感じです。