酒場でのこと
王都の昼間、ミズキは酒場の前にいた。
隣には悪戯な笑みを浮かべて立つカシュ・ミミがいる。
ここへ来たのはカシュに強引に引き連れられてのことだ。
昼間っから酒場とは何とも背徳感が否めない。とはいえ、下戸のミズキにとってはあまり心地の良い場所であるのは確かだ。
それに見た目幼女のカシュが酒場に連れてくることに違和感がある。
どうしてここへ? と質問が口を吐く前にカシュが口を開く。
「さあ、入ろうか」
ミズキの嘆きの声を無視して、扉を開いて中に入る彼女にミズキはフーッと息を吐いてついていった。
中に入ると、外で感じていた酒の匂いが一層強まって思わず鼻を覆う。
昼間だというのに、人はかなりいて小さな宴の場となっていた。
中年の女性が複数固まって、ジョッキを片手に顔を赤くさせ他愛のない話を広げている。特にカウンターに座る人はここのマスターらしき女性と絡み大声をあげていた。
扉を開けると鳴る鈴の音に気づいたカウンターにいるマスターらしき女性が会話を止めてこちらに視線を向ける。
「あら、いらっしゃい。ミミちゃんと……誰かしら?」
どうやらカシュのことは顔見知りのようだ。だが、当然ミズキのことは初対面であるため首を傾げていた。
「連れのミズキよ。一応フィロルドの近侍」
「一応って……」
突っ込みを入れるが強くは言えないミズキ。
「フィロルド……?」
確かめるように反応したのはマスターではなくそのの前のカウンターに座る女性だった。
その女性はワイングラスを片手に持ち机に突っ伏していた。入ってきて寝ているのかと印象を受けたが、その耳には二人の登場を聞き入れていたようだ。
その人はこの酒場にいる人の中では一際若めの風貌で、ワイングラス片手に顔を真っ赤にさせながら怪訝な表情でこちらに顔を上げてきた。
ミズキは思わずギョッとして身を引くが、視線が自然と彼女方に向く。しばらく、じっと見ると見覚えを感じた。
「あれ、あの人どっかで……」
小声で呟くミズキ。その最中、酒場がカシュの登場に色めいていた。
「何だい、カシュの姫が来たのかい?」
「おお、ミミ様じゃないか。付いているのはファルマ様じゃないみたいだが……」
「パッとしない子を連れてるなぁ、カシュちゃんよぉ」
酒場にいる連中が一様にカシュの登場に反応を示していた。一部にミズキの、もはや恒例となっている悪口が混ざっているが。
「え、えーと、ここってカシュの知り合い?」
「そうよ。てか、知り合いのとこに行くって言ったけど?」
「あ、そっか」
つい口に出た疑問も、出会った時にそんなことを言っていたのを思い出した。
知り合いというから、そのお店の主人と知り合いと解釈していたがお店の雰囲気からしてここの常連とも既知の仲のようだ。
皆が、一様にカシュのことを呼んでいる。完全にミズキはアウェイだ。
ミズキが萎縮していると、カシュは我が物顔でカウンターのところに近づいていく。そこでカウンターのとこで顔をあげた女性がカシュに声かけた。
「ねえ、ミミちゃん。あの子、フィロルドの近侍って?」
「そうよ。暇そうだから連れてきたの」
「暇ってわけじゃ……」
メグチの捜索という大義名分があったわけだけど、最もらしい理由を押し付けられ結果的に暇になったのだ。最初から暇みたいな言い方されて若干ふて腐る。
「フィロルドの近侍が暇なのか?」
カシュに話かけているカウンターに座る女性は何の気無しにそう口にする。ミズキは反射的にビクッとするが、それを彼女は特徴的な吊り目で流して見ていた。
「正式じゃないからねぇ。ササキっていう傭兵が各地の挨拶まわりの付き添いになっているみたいね」
「な、なんで知っているの?」
リリィと誰が行動しているかをカシュは知っていたのに驚き訊く。
だがミズキの質問をカシュは聞いていないふりをして話をする。
「そういうミミちゃんも暇なんでしょ?」
「バァカ、私は酒を飲みに来たのよ。暇じゃないわ」
「姫の交流会前に酒飲みに来るってどういう了見なのよ……」
「商工会の会長に言われたくないわ」
そう言いながら商工会の会長と呼んだ女性の隣に座った。そのままミズキを手招いて、隣に座るよう促してくる。
カシュに誘われるまま隣に鎮座する。
「あ、あの今会長って……」
ミズキは気になったことを口にする。
会長と言って思い出すのは王宮まで悪態をついていた女性の姿だ。カウンターに座る彼女に既視感を感じたのはそれを覚えていたからだ。
カシュが彼女のことを会長と呼んだことから、王宮の前で不穏な言動を吐いていたのを思い出した。
「ん、そうよ。王都オルファナスの商工会の会長、ここら辺の商人やら商いやらまとめている人」
カシュから受けた説明は非常にざっくりしたものだった。
「商工会の会長……」
そう確認するように、カシュの隣にいる彼女をチラと見る。
「何?」
視線に気づいた彼女は怪訝に圧をかけるように言ってくるため、ミズキは視線を伏せた。
「あなた見覚えあるけど、もしかしてどっかで会った?」
「へ……?」
不意に会長の方から声が飛んでくる。
正直に答えていいものか悩んだが、ミズキは咄嗟に首を振って答えた。
会長はミズキの素振りに、ふーん、と怪訝な様子だったが追及はしなかった。
「で、こんな昼間にお酒を飲みにきている不良な会長さんは何しているかな?」
「同じ不良の姫に言われたくないわ」
と、会長はワイングラスに注がれたお酒を一口含む。
会長の言葉に、カシュは鼻で笑いながらお酒をマスターに注文する。ついでにミズキのにも同じのを注文していた。
ミズキは誘われるがままに、カシュの隣でぼーっと話を聞いていた。流されてここにいるが結局ミズキは蚊帳の外だ。
「改めて紹介するわ。この人、ライドウ・メリア。見ての通り堕落した会長よ」
「堕落してねぇわ!」
と、言いながらライドウと紹介された彼女はワイングラスの中身を飲み干した。
カシュはそれに苦笑して目の前に置かれた酒に口をつける。
がたんとグラスを乱暴に置くライドウ。その音に、びくりとするミズキは緊張を隠すようにカップに口をつけるふりをする。
「王宮はこのままあれを王位につかせる気だ。ルーバー様がどれほど今の王権に貢献していたかわかっちゃいない!」
「仕方ないわ。聖域を開くには正当な王位継承者をつかせるしかないんだから」
カシュとライドウの会話を隣で静かに聴くミズキ。
「それはわかってるけどねぇ……」
「加護は人を選ぶ、それが王族の彼女でなければない以上免れないわ。加護のこと考えれば、王都の事情なんて瑣末なのね」
カシュの不躾な言葉に、少し空気がピリついた気がした。
酒場の人間がカシュの言葉に聞き耳を立てていた。誰かがそれに反応するかのように、舌打ちする人がいた。カシュはそれを感じていたようで、含んだ笑みを口元に浮かべる。
「ミミちゃん、ここで言うことじゃないよね?」
ライドウが急に酔いから冷めたように、トーン低くしてカシュに詰め寄る。
「本当のことでしょ。加護や姫の事情優先するのがアルケイド、そして世界のあり方なんだから」
カシュは赤く真剣な眼差しをライドウに向ける。相手が年上で会長であるにも関わらず、その視線の形は物おじしていない。
重い空気の中、ミズキはカシュに関心していた。同じ姫とは思えないほど自信に満ち溢れ自分の正直だ。カシュの見た目は幼女っぽいが実年齢はもっと上なんじゃないかと推察する。
「それは私らだって理解しているわ。けど私らは加護の事情だけで王位は認められない」
ライドウは憤慨を露わにし話を続ける。
「王位って加護を匿うものだけじゃないでしょ? ここには民がいる。それ蔑ろにするなんて間違ってるわ」
「……そうね」
カシュが神妙に頷いた。
「……何も私たちはあの小娘を認めていないわけじゃない。私らはただ……王位として立ち向かうその真意をしっかり示して欲しいのよ。あのことがあったから余計にね」
ライドウは無気力に語った。悲しげな青眼が空っぽのワイングラスを見つめる。
そんな中、酒場の扉が開かれる。
「騎士団の方に届出出してきましたよ……。静かですね」
入ってきたのはカシュの近侍、ファルマだった。入ってきて漏らしたのはその静寂さの言及だ。
「あら、ファルマ、ご苦労」
「どうしたんです? もしかしてまた何か余計なことを……」
「そんな何も言ってないわよ」
「そうですかね?」
不思議に思うファルマだが、的を得ている。流石に、カシュの近侍であるから、彼女の言動、行動は理解しているようだ。
そう思っていると、ファルマの視線がミズキへ向く。
「ミズキ、使用人のことはもう心配ないと思います。もう一人の使用人にそう伝えてください」
「あ、ありがとう……」
ファルマの気遣いに戸惑いながらも感謝する。
それを他所に、ライドウが独り言のように呟く。
「前の二の舞にならなければいいけどねぇ」
カシュは隣でそれを聞いていて、不意に何かを思ったかのように頷く。
ここまでカシュとライドウの会話を聞いていたミズキだが、その内容はさっぱりわからない。それに内容を追及することもしなかった。
「あ、私そろそろ……アヤチに伝えなきゃいけないし」
居心地悪くなってそういう。
「そうね、じゃあ。マスター私、行くわ。メリアもね」
カシュは不敵な笑みを浮かべ、椅子から降りるとファルマの方に寄る。それを見送るメリアは不服そうに面を歪めていた。
「ファルマ会計しといて、私とミズキの分」
と、主人のいう指示にファルマは一つ返事してカウンターへと近づいた。
「それじゃあミズキ、行くわよ」
「う、うん」
ミズキも急いでこの場を後にした。




