ミズキの憂鬱
後ろ髪引くような愛の席との出会いの一件を終え、屋敷は少々慌ただしく動いていた。
リリィの本日の予定はローズ騎士団長との面会。その付き人にササキを指名して、折角の近侍の称号を得ているはずのミズキはお留守番を食らった。
その背景には王や国に正式な近侍として認められていないことがあるが、その意味に理解できていないミズキは不服ながらもリリィとササキの背中を空く見送るのだった。
寂しさが残る。明日は二人きりで王都を回る約束をしたものの、今日の過ごし方に逡巡してしまう。
王都を見て回るのもいいが、あまりに広く方向性が定まらないことから気乗りしない。
リリィとササキを見送った後、数分ほどその場で立ち尽くししているとアヤチから声がかかる。
「ミズキ、ちょっと」
「はい?」
少し不躾に応えてしまう。咄嗟に、口を噤んでなんですか? と取り繕う。
「今朝からメグチを見ないのですがご存じないですか?」
「え、見てないですけど」
そう言いながら想起する。
今朝はリリィに起こされ、無様な姿をアヤチに見られ、さっさと着替えエントランスに向かえば感じの悪い愛の席との邂逅があった。
その合間でメグチに出会ったかと言えばそんな記憶はなく、騒がしい彼女の声も聞いていない。
自分の言葉に真実味を感じて頷いて言及すると、アヤチは気難しそうな顔をして、そうですか、と残念そうに呟く。
「何かあったんですか?」
「いえ、流石にこの時間まで姿を見ないのは不自然でして……。あの子ったら何も言わずどこへ行ったのかしら」
不意に姉の顔を見せるアヤチ。
「それだったら、私王都の方を探してきます。私、やる事ありませんし」
手持ち無沙汰もあり、提案を申し出る。
「それは助かります。屋敷を空けるわけにはいかないので、あの子をお願いします。見つけらた姉の説教があるからとお伝えください」
「はは、わかりました」
アヤチの冗談を軽く笑って了解する。
彼女は笑って誤魔化しているが、やはり妹の不在を心配しているようだ。それはミズキがメグチの捜索を申し出た時に、彼女の顔色がパッと明るくなったのが示している。
今日一日の過ごし方にあぐねていた手前、目的ができたからちょうどいい。
屋敷で雑用されるより、目的ありきで王都をぐるっと回る方が心地よいのだ。
早速、王都の方へ向かおうとするとき後ろから追うように声がかかる。
「ミズキ、夕方には戻っていらしてください。ラマン様との約束がありますので」
「はい、わかってます!」
夕方のスケジュールに了解してミズキは王都へかけだした。
王都の賑わいは初日に訪れた時から変わらない。
王位継承式を前にして、商人や祈祷師が辺りを闊歩している。
商人は王都の中心街で店を開き商いを行っている。祈祷師は王都に点在する教会を回り、王宮にあるという聖域の開放を待っていた。
普通の人間だけでなく、獣人やエルフといった亜人も行き交う光景は未だ新鮮味を感じる。これが異世界かぁ、なんていう感慨深い気持ちはまだ残っていた。
この世界に来て、もう異世界なんていう感覚はないとは思っていたけどやはり王都の街並みと風景にはファンタジー感を拭えない。まだ自分がここに馴染めていない証拠でもあった。
さて、メグチを探す目的があるわけだがミズキに当てがあるわけではない。王都がどのような作りをしているかもわからない。行き当たりばったりでアヤチから引き受けたのはいいものの、実際王都に出てきて全く役に立たないことに気づく。
そもそもメグチがどこへ行くとか、当てさえわからない。彼女のことで知っていることと言えばネコが好きということくらい。
後、思い当たることといえば……。
「……アリゼル」
昨晩のことだ。アリゼルはメグチに用があって訪問があったみたいだが、その所用はなんだったのだろう。
何となく、アリゼルくらいしかメグチの行方を握る手掛かりはなさそうだ。昨晩のアリゼルのメグチに関するやり取りには不審を抱いていていた。その正体が掴めないまま今日に至るわけだが。こうなるんだったら、メグチの挙動について聞けばよかったと後悔する。
「ねえ、ちょっと」
「へ、あ、な、なに?」
急に声をかけられて突拍子もない声が出る。
振り向くと、そこには顰めっ面で睨む見覚えのある幼女がいた。いや、正確には幼女らしい風貌をした生意気な少女。
「カ、カシュ……」
驚きながら彼女の名前を口にしながら視線が彼女から隣で怪訝な様子のファルマに移る。エルフのファルマは近侍らしくカシュの一歩後ろで控えている。
「なぁに驚いてんのアンタ。驚くのはこっちよ」
カシュは呆れ顔で言い放つ。
疑問で首を傾げていると、カシュは顎で周りの行き交う人を示した。
彼女の動きに疑問を感じながらも冷静に辺りを見渡すと、人がミズキ達を避けて大通りを歩いているのがわかった。
それを見て、ミズキは人通りを邪魔しているのに気づいた。
「わかった? 何一人で突っ立って考えてんのか知んないけどさ。こんな大通りで、しかも人通りの多い場所でぼーっとしてんのは迷惑よ」
見た目幼女のカシュから至極正論を言われる。
「面目ない……」
「ふん、ま、いいわ。で、アンタこんな所で何してんの? 今日もフィロルドはいないみたいだけど」
「え、ま、まあ……。リリィは騎士団のとこに挨拶に、私は別宅から行方がわからなくなっている使用人を探そうと思って」
「ふーん、要はハブられたってわけね」
心無い言葉が胸を突き刺す。
「使用人の行方は騎士団に頼めばいいじゃない。そーいうのって騎士団の仕事でしょ。そもそもフィロルドの近侍はフィロルドのそばにいるのが普通でしょ。それが姫の近侍なんだから」
「そ、そんなこと言われても……」
しばし、沈黙。
すると、カシュは大きく息を吐いてミズキに告げる。
「ここじゃ邪魔になる。ちょっと知り合いのとこ行きましょう」
パシッとカシュの小さな手のひらがミズキの手を掴む。
突然の行動にミズキは驚くが、されるがまま連れられる。その背後でファルマが呆れた息を漏らしていた。
カシュに手を引かれ連れられたのは大通りを外れた路地裏だ。
大通りの殷賑さは消え、ミズキたちの足音だけが聞こえる。
「ねえ、私メグチを探さないといけないんだけど……」
目的も言わずスタスタと歩くカシュの背後に声をかける。
すると、カシュは大きく息を吐いてその場で止まり、ミズキの手を振り解くとその後ろについて来てたファルマに声を投げかけた。
「ファルマ、今から騎士団のとこ行って行方不明者のこと報せてくれる?」
「……ええ、わかりました」
ファルマは一瞬惑った表情を示していたが、その答えは意外にすんなりしたものだった。
「頼むわね」
そう一言告げるカシュに、ファルマは軽く会釈して横目でミズキを一瞥した後、先ほどの道を戻って行った。
「はい、これで探す必要は無くなったわね」
「そんな強引な……」
「こんなバカ広い王都で何もなしに一人で探す方が無謀だわ」
と、呆れ気味に彼女は一蹴した。
「一応、アリゼルっていう姫がどこにいるか知ってるかもって思ったんだけど……」
そう言いながら、内心アリゼルの所在を知らないため無謀だとは自覚する。
「アリゼル? なんでアリゼルが出てくんのよ?」
「昨日の夜、うちに訪問しにきたんだ。なんかメグチに用があった見たい何だけど……」
「姫が他所の使用人に用? 変なの」
そういってカシュは続ける。
「ふーん、アンタもしかしてそれでアリゼルの宅にでも行こうと考えてたの?」
「ま、まあ、そうだけど……。結局、アリゼルの家もわかんないんだけどね」
「それだったら残念ね。アリゼルは今屋敷を空けているわ。何でも、ナルミナ小国に所用だってさ」
意外にもカシュはアリゼルの居所を知っていた。だが、ミズキはそれを気に留めずナルミナ小国について聞いた。
「え、ナルミナ小国ってどこ?」
「どこってオルファナスの隣の国。海に面した小国、ナルミナ小国っていってもオルファナスの法治国だけど」
「はあ……そうなんだ」
地理については全く把握できていないミズキだ。
「捜索は騎士団に任せない。アリゼルに何か聞きたいんならラマンが開くパーティーで聞けばいい。フィロルドのとこにも来たんでしょ、招待状」
「う、うん」
あの異質な愛の席の姿を思い描きながら肯定する。
「王宮が姫達の面会を主催できない以上、参加するほかないからね」
彼女のいう意味をミズキはあまり理解できてなかったが、隣で合わせるように頷いた。
ただその姿を見るカシュはミズキが理解できていないのを知ったように鼻で笑う。しかし、具体的なことは言及しなかった。
ミズキは少しムッとするが、カシュはそれを無視して話を続ける。
「ほら、着いたよ。ここが知り合いのとこよ」
会話に夢中になっていたせいか、いつの間にか目的の場所に辿り着いていたようだ。
大通りから路地裏に入り込み、そこから狭い通路へ続く分かれ道を通っていた先に行き止まりがある。そこには看板が立てかけられており、泡が盛られたジョッキを模した絵が描かれていた。
看板の様相からして酒場の雰囲気が感じられるお店だ。して、空はまだ明るく酒場に踏み入る雰囲気ではない。
だというのに、中から騒々しい客の宴が聞こえていた。
ミズキはカシュに確認を取るように、指でそこを示す。カシュは勝気な赤目を光らせ、一言合ってるわ、と返してきた。
ミズキは小さな声で、嘘でしょ……、と嘆くのだった。




