加護
1
夕食後、リリィとミズキは屋敷の前庭にいた。
屋敷と門の間にある前庭は広く、爽涼な噴水がその中央で鎮座しているに関わらず栄えた景色に魅入られる。広大な前庭に整然と立ち並ぶ街灯もまた夜の前庭を美観にする要因であろう。
淡い橙色の街灯は窮屈に並ぶわけでもなく、適度な間隔で景観の邪魔にならないよう外を照らしている。ガスとも電気とも違うような明かり。ミズキは自然とそういった感想を抱いていた。
「……変な月」
天空に浮かぶ小さな月――蒼と紅を別けて混ぜたような明かりは記憶を失ってなお、底にあるイメージが月の違和感を抱いていた。
しかし、倒錯ぶりな月にも妙な親近感を抱いて見惚れていた。
「ミズキどうしたの?」
視線が揺れ動く。凛然とした声質に物寂しさを含蓄した音のほうへと振り向くと、妙で幻想的な月明かりに見下ろされたリリィが立っていた。
また魅了される。彼女の風貌は女性であるミズキでさえ目を奪われる美しさだ――だが、女性であるに関して未だ疑念がある。それはリリィの両親についてだ。
両親がどちらとも女性同士なのを当たり前だと言っていた。それを追求する機会を見失い、思慮のままに収めているが、それは記憶喪失の中に答えがあるのだと思い込んでいる。そうでなければ――。
疑念を押し殺して、微笑を浮かべる。
「ううん、なんでも。ちょっと月に見惚れていたんだ」
「そうね。今日は満月だものね」
リリィは独特な月を見上げていう。その姿はさながら高貴な姫様。実際彼女はこのクラクで姫を謳っているわけだが、名状に違わぬ姿だ。
彼女は仄かな色めきを漂わせて、こちらに澄み切った藍色の瞳が見つめてくる。
「それじゃあ、今から加護を教えましょう。みていてください」
夕食前に、ルイスがリリィに言っていた加護の修練というやつだ。彼女は月夜の下で手を広げ仰いだ。
正面の虚空に手の平が差し出される。リリィは念じるよう瞳を瞑って黙する。言葉は発さない。ただただ寡黙に、手のひらに力を集約しているような雰囲気だ。
すると、月夜の天空から舞い降りるみたいに淡い光がリリィの周囲に現れ始めた。どれもが雪のように小さく明かりを強くまた弱く点滅を繰り返して虚空に彷徨い始めた。
不思議な光景に生唾を呑み込んだ。幻想感も増して、時折現実を疑ってしまう。けれども、頬をつねっても幻めいた景色は悠然と目の前を揺らがない。
つくづく記憶喪失なのが妬ましいものだ。
そう思っていると、リリィは口を開き始めた。
「この光はね。幼い加護なの。まだ加護の力を覚醒していなくて役割もない小さな加護」
「役割?」
疑問の部分をリリィに訊いた。彼女はまるで先生になったみたいに得意げになって続ける。
「加護は成長すると役割を持つの。その役割っていうのは、例えば火だったり水だったり、自然的なモノを司る力のこと。大体の加護はそういう祝福の加護として成長するの」
火の加護、水の加護――ミズキは有体の言葉で納得していた。つまるところ、そう呼ばれる前の加護が、リリィの周りでゆらゆらと舞っている光なのだ。
「加護は成長するとどうなるの?」
役割を持った加護はどうなるのか。幼い加護と同じようなものなのか気になった。
「獣あるいは人みたいに変わって人に憑くの。成長した加護は取り憑いた人にしか見えないーー例外もありますが」
ミズキなりに噛み砕くて理解するに守護霊みたいなものだとした。まあしかし、その守護霊も今のミズキがハッキリと判っているものではない。
「そうなんだ。リリィには、その加護憑いていないの」
取り憑いた加護が三者なら目視できないのなら、リリィだけが見えている加護がいると思って聞いた。
彼女のことだ。得意げな面持ちでその加護がどんなものか嬉々として話すのだと、だがその予想は彼女の暗い面差しが裏切った。
「私にはこれが精一杯です……」
よく考えれば察せたことだ。ルイスも言っていたが、リリィは加護の修練をしているのだ。期待するような加護を持っていないことくらい想像できていたはずだ。
ごめんの言葉が喉元でくすぶった。
リリィはミズキの申し訳なさそうな面差しを横目に言葉を紡ぐ。
「加護は人の思いから出来たもの。私が呼び寄せられる思いはまだ小さなものなんです――いつかはエリザベスみたいにたくさんの思いと一緒に……」
儚げな面相で語るリリィ。彼女の情を読み取ったように幼い加護の光が彼女の身体に近づいたり離れたり揺れ動いた。
「ふふ、ありがとう。貴方たちは優しいね」
リリィの面は柔らかく、小さな加護たちに向けて微笑を浮かべた。
「加護の修練ってそうやって会話? することなの?」
「うん、そうね。貴方も私みたいに触れてみる? 小さな加護だけどみんな暖かいんだよ」
彼女は虚空を泳ぐ小さな加護をミズキの方に誘導するように手を動かす。
ミズキは少しだけワクワクしていた。不思議なもの、初めて見る子供のように好奇心を膨らませ手を伸ばす。どんなに暖かいんだろう、と想像している内に小さな加護に手を近づけていくが、
「あれ……」
小さな加護たちはするりと手を避けて、リリィの背面へ逃げるように泳いだ。
「加護が避けるなんて珍しい……」
リリィの驚いた言葉は、ミズキの心に痛く突き刺さった。
今までの会話から、本来ある加護が憑くのは難しく小さな加護は祈れば寄ってくるようなもの――だと考えれば、その小さな加護にさえよけられるミズキは立場がない。
「私、人徳とかないのかな……」
加護が思いの一種だというなら、そーいうものも必要なのかとつぶやいてしまう。
リリィは少々励ますように面を上げていう。
「たまたまだと思う、よ?」
「自信なさげに言うのやめて……」
それはそれで傷つく、とうなだれた。
「でも、ミズキにはすでに加護が憑いているのかもしれないよ。幼い加護は強い加護から遠ざかるから」
「そんな加護、視えないけど」
加護は本人しか視認できないというが、ミズキには小さな加護が戦くような加護が見えていない。あまり、傷薬にもならないフォローだが、リリィは補っていう。
「近くに姿が現れる加護もいるけど、夢の中で現れる加護もいるの。今夜、もしかしたら遭えるかもしれないよ」
「夢の中で遭えるってどんなメルヘン」
というよりロマンチックな加護。自分に、リリィが懊悩している加護が憑いているとは思えないが、もし加護が憑いているなら良い加護を望みたいところだ。
加護の修練もとい加護の教習を終えて、ミズキは自室に帰っていた。
ミズキの自室は、使用人の服に着替える際に貰い受けた部屋だ。ここに到着早々、全裸に布を巻いただけの姿を不憫に思いまた今後の生活のために使用人が使う小部屋の一つを貰った。
タンスとクローゼットと姿見とテーブルや椅子、後ベッド。部屋で過ごすために必要な家具は一式揃っていた。リリィの部屋のように景観を重視して、装飾品が散りばめられた部屋に比べ質素だがこの方が落ち着く。
ミズキは早速ベッドに転がって天井を見上げた。
夢の中で遭えるかもしれない加護。加護は憑くものだと言っていたが、記憶喪失の自分のことを知っているのだろうか。
夢は希薄で透明で儚い。覚めてしまえばなかったかのように霧散して記憶の奥底に閉じ込めてしまう。そんな夢の中で遭って話をしたところで覚えているものか些か疑問だ。
(ま、加護なんて憑いているとは思えないけど)
淡い期待は抱かない。抱いたところで後悔して虚しくなる。
それをミズキはよく知っている――はずだ。
中途半端なザワつきが睡眠を前にして訪れる。眠れないだろうと理性が語りかける。が、眼は自然と閉じてまるで夢に誘われるように眠りにつく。
完全に眠ってしまう前に、声が聞こえた気がした。
――やっと逢えるね……私の愛おしい瑞樹。
眠る前に聞こえた声すら、起きた瞬間に忘れてしまうだろう。
加護説明回ぽよ。
ざくっりしているけど、幽霊か精霊か何かと思ってくだはいぽよ。