孤独
1
――あなたはまだここに来て一日目。従者としてのお仕事は翌日より教諭しましょう。
フィロルド・リリィの部屋でしばらく放けていると、アメリア・ルイスが部屋を訪ねてきてミズキに告げた。彼女はリリィに夕食の準備が整った事を告げに来たのだが、そのついでに従者兼奴隷のミズキに今後の方針について聞かされた。
まず第一にミズキの立ち位置だ。
奴隷という役柄は手酷い物だと想像だにしていたわけだが、ルイスの説明ではリリィ本人の所有物という扱いらしい。多くは家に仕え従わすものらしいが、このクラクの宮殿の家主はリリィしかいないという話だ。
そう聞かされ、今一番にリリィの部屋に飾られた両親の肖像を思い出した。喉元にまで突き出した記憶は物憂げな横顔を覗かせたリリィを見て呑み込んだ。
続けて、ミズキがリリィの所有物であるならばその処遇はリリィ本人任せるという話。リリィはその行方にすんなりと頷いて、軽く言った。
「堅苦しい間柄は御免です。ミズキは奴隷ですが、契約者なのですから」
どこか嬉しそうな口ぶりだった。つまるところ、付き人といったところだ。
そして第二にミズキの従者としての教育だ。
翌日から先輩従者が何人か代わって指導するらしい。しょっぱなから全部を教える鬼畜はなく、とりあえず清掃から教えるという話。並行して宮殿の内装を覚える、という面もある。一石二鳥っていうやつだ。
最後にルイスは耳慣れない言葉を口にした。
「ミズキがリリィ様の付き人になるのならば――少しは騎士道なり魔術なり、加護を身につけなければなりませんね」
「騎士道? 魔術? 加護……って?」
まるで幼児のような受け答えに、リリィもルイスも目を丸くした。
ルイスは呆れたようにため息を吐いた後に、思い出していう。
「ああ、そういえば記憶が飛んでいるのでしたね。これは骨が折れますね。そうですね――リリィ様、夕食後、加護の修練を為さる時にミズキに教えて頂けませんか?」
ルイスはミズキの記憶喪失を念頭に、リリィに懇願する。
「勿論です。言われずともミズキに見せるつもりだったわ」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
ルイスは終始、淡々として面差しで会話し部屋を出て行った。
従者と主人の距離感の遠さを感じる。そういうものなのだろうかと少し思ってしまうところだ。
「それじゃあ、ミズキ、食事に行きましょうか」
「え、うん……」
微妙な心境を胸中に渦巻かせた調子のまま、リリィに言われるがまま従った。
2
どうして食事を部屋まで直接持っていかないのか。なんていう疑問は果てなく虚しい。
あまりに広い食堂に、丈にあった大机が横たわっている。机に備わっている椅子が整然と立ち並び、二人しかいない食堂では持て余しているに違いない。
食事はその二人の分しか用意されておらず、誰かその様子を見る従者一人もいない。
ミズキとリリィだけの食堂。憂い感じずにいられなかった。
ギギっと椅子を引く音が虚無に響く。座って食事をするところで、銀食器の擦れる音がしきりに鳴った。
この虚しさ、不快に思わないはずがない。ミズキにしては会って一日もない美少女と二人きりで、話題の行方もなくてどうしようもない。
この食事について話をしようとも、見慣れない魚の煮付けや見慣れない野菜のソテーや、微妙な色合いのスープを目にして話題の所在を見失っていた。この見慣れない、が記憶喪失のせいだと憎むばかりだ。
だが、ついに沈黙に耐えかねて適当な言葉を打ち出した。
「ル、ルバートはどうしたんでしょう?」
長い沈黙のせいか、距離のある敬語で発した。それが気に食わなかったのか、リリィは面を上げて少し不服な面差しを見せた。
視線に気まずい空気を絡ませて、リリィは口を開けた。
「エリザベスはクラクでは衛兵なのです。だから、彼女は衛兵の宿舎に住んでいますよ。今頃は宿舎じゃないかしら」
「へー……そうなんだ……」
会話が止まる。
自分ってこんなに会話下手なのか。記憶があるとき自分はちゃんと人と話していたのか、と記憶のない自分を恨んだ。
この気まずさから、つい本音が口から出る。
「こんなに広い食堂なのに、二人しかいない……ね」
せめて、そのルバートやルイスが一緒だったらいいのに。その言葉だけは胸に閉じ込めた。
すると、銀食器の擦れる音が止んだ。
リリィは途端に食事を止めたのだ。何か地雷を踏んだのかと萎縮する。と、彼女は唇を震わしていう。
「貴方が来るまでは一人だったわ」
不意に、喉がつばを呑み込んだ。
「クラクはやけにしきたりを気にするの。奴隷もそうだし、この食事に主人以外と共にしないとか」
ミズキがここへ来てリリィに会った時、奴隷云々言っていたことを思い出す。クラクには必要ないものだと言っていたが、そういったしきたりがあったらしい。
それにしても食事を主人だけで取るとか、孤独なしきたりである。先ほどから見せていた憂くな面差しの理由はそのせいなのだろう。
「……――えとか」
最後の方だけ、躊躇したように口ごもって聞こえなかった。気になるのは、肩を震わす素振りだ。
ミズキは言葉に詰まった。簡単な優しげな言葉や励ます言葉はパッと浮かぶが、それが軽薄極まりなく感じて易易と口にできない。
ただリリィの寂しそうな面持ちを見て放っておくこともできず、次に浮かんだ言葉をいった。
「わ、私がいるからっ!」
つい出た言葉はリリィの面を上げた。彼女は驚いたように目をぱちくりさせて視線が混ざり合う。
急に恥ずかしくなって、ミズキの頬がみるみるうちに赤くなる。視線を外して、勢いのままに席から立ったミズキは静かに着席した。
恥辱を祓うように言葉を続ける。
「私はリリィの奴隷で、付き人……なんでしょ? それって一緒にいるってことだから、えーと、つまり……。そーいうことだからっ!」
言葉ってのは、どうしてこうも上手くいえるものじゃないのかと悔やむ。自分に話すスキルがないことに恨むばかりである。
整理のできていない感情的な言葉は、リリィの微笑を誘った。
「ふふ、そうですね。ありがとう、ミズキ」
「――っん」
たった一瞬だった。時が止まった錯覚を覚えるくらい、リリィの面差しに見蕩れてしまっていた。
朗らかで純朴な笑み。まっすぐな藍色の眼が優しく包み込んでこちらを見上げている。一瞬だけの微笑に、ミズキはまるで高明な芸術家の描いた絵画を見たように心奪われていた。
「ミズキ?」
ミズキにとっては一瞬でも、リリィには阿呆にほうけているようにか見られておらず心配される。
それにハッと我を取り戻す。
「あっ、うん。でも、この首輪は余計だけどね」
「それがないと奴隷として認めてくれないと思ったのです……」
「べ、別にいいけど……。リリィ、あんな命令したじゃない」
羞恥を味わった変態プレイを思い出す。
「あれは……」
ポッと彼女は顔を赤らめる。
ミズキはそれで悟る。あれも奴隷を承認させるための演技であって欲しいと思ったが割とマジだったらしい。
「ああいう命令はやめてよ……」
いつかああいう趣味に身を堕としてしまいそうで怖い。
「ええ」
ほんのり嘘の混じった笑みに溜息を零した。
「はあ、まあでも、私を呼ぶくらいは、いいから」
テレを刻み込んだ面でいう。すると、リリィは笑って応えた。
「はい!」
リリィの笑み。ミズキは彼女の笑みにいつになったら慣れるのだろうと思った。
気恥ずかしい思いと、もどかしい思いが胸中で織り交ざる。
確かなことはミズキはすでにリリィに魅了されているということだ。
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頑張るぞい!