クラクの宮殿・3
個性的な姉妹らしき二人と別れ、ミズキは右往左往していた。
有り体の場所は清潭な風体のアメリア・ルイスことクラクの従者の一人に案内してもらった。その後、居合わせた姉妹らしきアルマとハナに出会いその場で自己紹介。ここまで三人の従者もといこれから同僚となる人物に出会ったところで、次の行き場を見失っていた。
初心の従者的には仕事の内容を他の従者から聞く他にない気がするが、先ほどのアルマやハナに聞くよりルイスを探した方が賢い。彼女が屋敷の案内をしてくれたのだから、きっと指導係を担っているのだと、ミズキは内心で決めつけた。
方向性が定まったところでミズキは中庭から遠のくことに。ルイスの居場所を逡巡しながら、足を動かすところでふと頭の隅で別の思惑が浮かび上がった。
「あ、フィロルド・リリィ……」
口は無意識に、想起した言葉を呟いた。
意図しない呟きに、理性が疑問を抱く。その所在は考える前に身体が動いていた。
どこに行くんだ私ーーなんていう自身の行動に反した思案に躊躇する。何かに引き寄せられるように身体は動き歩いている。いつのまにか、頭ん中ではリリィの不敵な笑みが浮かび埋め尽くされた。
理性が希薄となってリリィを求めるような本能に移り変わっていく。理由などどうでもいいと言わんばかりに身体はリリィを求めていた。
広い屋敷の中を練り歩くミズキ。リリィを求めていてもこぉんな場所で的確に見つけることなどできないはずだ。理性ならそういうだろうが、今のミズキに見つけられないなどという理性は持ち合わせていない。
ただただ感覚的に屋敷の中を歩いて、リリィのいそうな、また気配、直感に従って扉を探していた。
屋敷の二階付近、ここら辺は主人の住まう部屋や客間、衣装部屋などが設置された階だ。案内をしてくれたルイスが懇切丁寧に説明してくれた。
ここが主人の住まう部屋、寝室兼個室である事を今のミズキは考えていない。直感のままに、付け足すならここから呼ばれているような気がするのだった。
ミズキの瞳は廊下に立ち並ぶ扉を見定める。このどれかにリリィがいるのかという理論的な考えなどなく、赴くままに気になった扉を定めて歩を進めた。
何を躊躇するわけでもなく、目の前の戸を開ける。すると、
「強制の首輪ってのは本当に優秀ですね」
入ると、目先にフィロルド・リリィが華やかなワンピース姿で出迎えてくれた。開口一番、彼女が呟いたのはミズキの首に巻かれたチョーカーの性能についてだった。
リリィに遭遇した途端、理性がふっと浮かび上がって冷静になる。どうやら、ミズキはいつのまにか強制の首輪の影響下にあったらしい。
そう思って首元に巻かれたそれを手触りして、ハッとリリィの面差しを伺った。彼女は不敵に笑みを浮かべ、続けていう。
「ちょっと呼んでみたのです。実験というやつです」
端的にその旨を話すリリィ。憎たらしいが、心を撃ち抜くような純朴な笑みを前に言い返す気合もない。姫様というのは悪戯も可愛げなものに変える才能があるようだ。
理性と本能の乖離を二度味わったミズキ。つくづく強制の首輪――ローヤルカラーに恐怖する。だが、姫様の手前、その恐怖の所在も意味がないものだと自覚した。
ため息も通り越して、意気のない返事をする。リリィは愛想よく笑うだけで、強制の首輪の性能を達観している。
閑話休題。
リリィは興が覚めたのか手のひらを返して、近くの椅子に座った。椅子に備わるように円形の机があり、その上にティーカップが乗っている。なにげに凝視すると仄かに湯気が立っているのを伺える。それを見るに、ここの従者が近い内に持ってきたものだっと察することができた。
リリィの興味から外れミズキは手持ち無沙汰を再び得る。
せっかく従者に成り立ての身なのだから、リリィはその従者にいくらか話しても良さそうだが彼女は読みかけの本に目を通している。
口を開けば悪戯な子供満載の彼女も、そうやって黙っていると絶世の美少女だと認めざるえない。最初の印象と何一つ変わらない形に、目を奪われるのだった。
一体どんな両親から彼女の姿と性が生まれたのか気になるところだ。
リリィの興味からそれている間、ミズキは彼女の部屋を気になって瞳をキョロキョロさせる。
一人で寝るには持て余したキングサイズの寝台が最初にちらつく。キングサイズであるのに、それ以上に広い部屋が整然とした一室を感じさせる。壁際のクローゼットやタンス、今リリィが座っている椅子や机など無駄のない配置で点在する家具一つ一つに気品を感じる。宮殿という名に恥じない一室。また一室を照らすシャンデリアも火のような明かりで吸い込まれそうな美しさがある。
そうやって観察するに、一つ気になるものが視界に映った。
ミズキは気になってそれがよく見える場所へと近づいた。思わず感嘆を漏らして、それに注目する。
「綺麗な人……」
思った事はすぐに口を飛び出した。
この部屋で一番大きな装飾品だ。写真というべきか絵画というべきか。鮮麗な線で描かれた人物像が年季感じる大きな額縁に入れられて飾られていた。
そこに写っているのは、二人の女性だ。
一人は座って、一人は座っている女性に寄り添うようにくっついている。仲睦まじげなポーズに心奪われる。座っている女性はお姫様のようなドレスで、寄り添っている女性は騎士のように気品あるシルクのローブを羽織っていた。
姫と騎士。近い記憶をたどれば、リリィとルバートといったところだろうか。
「いい絵でしょう?」
「リ、リリィ……」
いきなり横から言葉が入り、お姫様を呼び捨てにしてしまう。とっさのことで、口を抑えて誤魔化すとリリィは微笑を零した。
「いいですよ。リリィで。奴隷、従者といえど、強制の首輪の契約者なのですから。堅苦しいのは御免です」
「そ、そう……」
その意味をハッキリと理解できるものではないが、ミズキなりに考えると、首輪のせいで距離が近いから距離を感じる口調を遠慮している、ということだろうか。
リリィは簡単に話した後、視線を絵画のほうに戻した。
「この絵、誰だか判ります?」
意図しない質問にあっけを取られる。出会って一日も経っていない人に向ける質問ではないと、ミズキは心中で糾弾する。
きっとリリィもそう思っているのだろう、と彼女の悪戯な笑みが物語っていた。
このお姫様は、という悪口も喉元で抑え、記憶の薄い頭は答えを振り絞った。
「リリィのお姉さん……?」
当然、ハッキリした答えでないため疑心気味な回答である。
ミズキの答えの迷走ぶりを判っていたかのように、リリィは笑った。
「違いますよ。この二人は、私の両親です」
「へー両親か……」
なにげなく頷いて見せたが、その表現は間違っていないかと疑惑する。ひょっとした言い間違いだと、姫様はそんな可愛いとこもあるのだと含んで笑みを零した。
「ええ、二人は凄惨なイブの時代に出会い結ばれたと聞いています」
そう話すリリィの横顔はどこか物憂げだ。凄惨なイブの時代――記憶が曖昧なミズキはそれがどういった時代なのか判らないが、それを追求するのはリリィの横顔から野暮だと思った。
その油断ゆえに、先ほどの疑惑が口先に出る。
「両親って、どっちも女の人みたいだけど……」
そう口にした瞬間、おかしな違和感に駆られる。同時に、嫌な緊張。リリィの顔は亜然としていた。
続けて何かを言う前に、リリィは淡々とした様子で話す。
「なに当たり前のことを言っているのですか?」
「え……」
阿呆にも取れる驚嘆の声に、この人は一体といった具合の真顔に当惑する。すると、図ったように扉の締まる音が共鳴した。
「あら、誰か来ていたのかしら」
不気味な扉の音に、リリィは気にもとめない様子だ。
だが、反対にミズキは妙な寒気が背筋を撫でた。不気味な開閉音だけじゃない、会話の齟齬もそうだ。
それらが重なりあったせいかもしれない。
悪寒が何かの前触れではないことを祈って、不意に首元の首輪を撫でた。