二つ月のある丘で
ここが異世界である一番の証拠は天空に浮かんでいる。
二つの月ーーそれが世界を怪しく見下ろしている。月が二つあることが、ミズキの知らない世界の模様であり異世界である何よりの証拠であった。
ミズキは屋敷から離れ丘を目指していた。
弱々しい決意を心に秘め目覚めた三度目の夜。死から逃げるのではなく、今度はリリィのそばにいるために。そう決めた。だが、それでも双眸から恐怖が消えず手足の震えは隠せない。
それが自分であることを何より自分が分かっている。丘を登っていると、何度も死んだ情景が思い出される。恐怖が蘇る。それでも歩みをやめないのは後悔があったからだ。
「……はあ、はあ」
体力のなさからの息切れか。恐怖から来る動悸が荒れているのか。そのどちらもがミズキにはあった。
ミズキを前進させようとする後悔。それが細く切れそうな糸でも、自分を変えようとわずかに繋いでいた。消えない恐怖を引きずって、ミズキは丘を目指すのだった。
武器倉庫で、ヘレナとアメリアと別れ数十分ほどで丘へとたどり着く。途中、余計な考えがふっと過るがたどり着いた途端にそれは霧散する。
丘の上にそびえ立つ一本木。この丘を象徴しているかのように、そこに生えている。
不意に、身体が震える。丘、そして一本木ーーここはミズキにとって忌々しく恐ろしい場所だからだ。
ミズキは一瞬だけ恐怖を振り払って正面を向く。
一本木の幹には鎖が巻き付けられていた。それは前回と同様だ。
同じ事を見て、死の加護を再びを意識し自覚する。幹に巻き付けられた鎖は前に見た同様、切られてそこにあった。
ミズキは直感する。すでにこの場所にルバートがいることを。
辺りを見渡して、ミズキは大きく口を開く。
「ルバート! いるんでしょう!!」
恐怖の隠せない叫び。その叫びに答えるように、一本木のかげから淡い光の粒が現れ集まる。それは人影を作り出し、そこから浮かび上がるように現れる。
「ミズキ、お前が来たか」
驚くような素振りで、木陰から現れたのはルバート・エリザベスだった。
金色の長髪を靡かせ、騎士たる風格を漂わす姿。だが、彼女の肩書きは騎士ではなく傭兵。みなが吹聴するような騎士崩れのルバートである。
彼女が本当に現れて、ミズキは思わず息を飲む。
「……お前がここへ来たということはーーお前の中にいる加護は本物だということか?」
彼女は自問するかのように語る。
ミズキは苦悶を浮かべる。今、彼女にいう事は糾弾ではない。ミズキは自制し、いう。
「本物だよ……」
恐れるようにいう。
彼女は驚いたような顔をするが、すぐに面を正して向き直る。
「どこまで私から聞いている?」
彼女は奇異な聞き方をする。だが、ミズキに対して正しい問いかけであった。
ミズキは神妙に頷いて端的に答える。
「ルバートが死の加護を利用しようとして、色々ーー」
そこで途切れた。深くは語れなかった。言おうとすると惨めな気持ちになる。
しかし、ルバートはそのことを聞いて察したように納得する。呟くように、確認すると彼女は訥々と紡ぎ始める。
「それを聞いて、どうしてここに来た? 私になど会いたくなかっただろう?」
「正直、躊躇する所はあるよ……。でも、あなたが、リリィが私を信じているって言ったからっ」
涙を浮かべ叫ぶようにいう。
ルバートは目を白黒させて驚いたが、感心するように頷いて見せた。
「それは私が言ったのか?」
確かめるように問いかける。
ミズキはすかさず肯定して、思い出したことを口にする。
「マリアを永遠に愛してる、そう言ってた」
その言葉に、ルバートは不意を突かれたように眉を上げた。
「そうか……。どうやら、本当に死を経験し再びここに戻ってきたようだな」
気難しい表情で頷き思慮する。そして、彼女の中で決意が固まる。
「なら、多くを語る必要はないだろう。それを言わせた私が認めるんだ。ミズキ、君はこの苦難を超える覚悟はあるか?」
その問い、愚問だった。
そんなこと何度も悩んだことだ。だとして、すんなりうなずくことはできない。
苦難を超えるとなると、それはとても難しいことだと考えてしまう。
だから、ミズキはこう解釈していう。
「苦難とか私には怖くて手に余るものだよ……。だから、私はただリリィのそばにいたい……、それだけを考えてここを超えたい……」
身の丈に合わない台詞を吐いているみたいだ。身体が本能的に強張っている。
けれども、他人から見てどんなに倒錯ぶりであろうとも、リリィのそばにいたい。それは本心なのである。
ルバートの澄んだ瞳がミズキの強張った顔を貫くように見つめてくる。
そして、彼女は破顔した。
「ふふっ、それでいい。だから、私は認めたのだろうな」
そういって、彼女は続ける。
「ミズキ、きっとたくさんの怖い思いをしたことだろう。それを引きずることは悪いことではない。むしろ、君の利点だ」
彼女の言葉に訝しげになる。
「恐怖を忘れ心に残らない者など人間とかけ離れている。君はその中でも、とても人間らしいーーだから、死の加護は君を選んだのかもしれないな」
判然としなかった。して、それを問い続けるつもりもない。彼女の中で自己完結した言葉で、こちらが首を傾げたところで、彼女は神妙な面持ちをするだけだった。
一瞬沈黙が訪れ、ミズキは不意に疑問を口にする。
「ねぇ、マリアって誰なの?」
不躾だったかもしれないが、少し踏み込んだ疑問だった。
ルバートは困ったように面をしかめたが、覚悟して左手をこちらに見えるように向けてきた。
ミズキはじっと彼女の左手を見る。
見たところ綺麗な白い手だ。変哲ない手ともいえる。元騎士とはいえ、その手で剣をふるい戦場を制してきただろうに傷一つない綺麗な手である。
美しい手でも自慢したいのか、そう思ったが注目すべきは左手の指ーー薬指につけられた指輪だった。
ミズキの視線が、その指輪に注視したところでルバートは語り始める。
「私の婚約者だよ」
「婚約者……?」
疑問が浮かぶが、すぐにここが女しかいない世界であることを思い出し彼女の物悲しそうな面に向き直る。
「ああ……」
彼女はそう同意し、それ以上言おうとしなかった。
ミズキでさえ、彼女の苦しそうな表情からしてそれを追求するのは不躾なのは分かる。そして、彼女が語らずとも婚約者の行方は今までのことを踏まえれば近しい推察が浮かぶものだ。
その推察は自然と口をついで出た。
「イブ……」
世界にとって忌々しい言葉は、相手の驚嘆を引き出した。
彼女はその言葉に苦悶を浮かべ同意を示した。
「そうだな……。だから、私はどんな手を使ってもイブを永遠に亡き者にしなければならない」
「永遠?」
「ああ、そうだ。今はイブのいない休息の時代、いずれ来るイブの時代ーーその時代で終わりにする」
ルバートは厳かに語った。
「いずれってそんなのもっと先の話かもしれないのに?」
無知な問いかけに、ルバートは面を暗くさせて答える。
「イブの時代から始まり、休息の時代と交互に時代は現在まで繰り返してきた。そして、時代が繰り返されていく中で休息はその時代の年が短くなってきている」
そして、彼女は酷なことを告げた。
「来るんだよ。近い将来にイブは復活し時代がーーイブの時代、その第五のイブの時代がな」
酷い宣告に、ミズキは本能的に身を震わせた。
イブというものが、正直ミズキの中で判然としないものだといことら相違ない。だが、世界から嫌われ憎まれていることくらいは認識している。
世界に具体的にどのようなことをもたらすのか。ミズキはそれを目撃するのか。
事が大きすぎて思考が追いつかない。
ルバートはそのイブを倒すためにミズキの中の死の加護を必要とした。
ーー私がそれを相手にするの?
顔面蒼白なミズキを見て、ルバートは呼吸を整えて優しい語調で話す。
「悪い。近いとはいえ大分先の未来の話だ。今する話じゃなかったな……」
「いや……」
言葉が惑う。着地点のない会話。
ルバートはミズキの元に近づいて、美しい笑みをしていう。
「ミズキ、今はリリィのことだけを考えろ。この窮地を脱するために」
「うん……」
釈然としない気持ちを引きずりながらも、現実的に思慮し返答する。
「それじゃあ、ミズキ、今回まで見てきたこと全部教えてくれ」
彼女の言葉に、ミズキは現実に引き戻され訥々と、三度目の夜までの出来事を話し始めた。
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