その果てにある絶望・後
エピローグ
この身体は休まず、瞳を閉じず、辺りを燃やし尽くしていく。
一箇所が燃えれば辺りをまるで伝播していくように燃えていく。地面にか細く残った火は建物へと移り、このクラクの街だけを燃やしているようなーー意志のある炎が燃やしている。
目の前に人がいれば迷わずそれを燃やしていく。一人残らず、クラクにいる者は全員燃やしているようだった。
それを身体の中から瞳を通して見ているだけのミズキ。人が静かに消えゆく姿を見て、精神がまともでいられるはずなかった。
ミズキは身体の中で叫んでいた。誰か止めて、もうそんな光景見たくない。
ミズキが自分の身体を動かせるようになったのは世界に日が昇った時だった。
街の中心だった場所。辺りは塵と炭となって消えている。微に焼けた臭いが鼻についた。
「あ、あ、あ……」
言葉はうまく出ない。整然と並んでいた街並みは消え、遠くの方を広く見渡せるほど何にもなくなった。屋敷の方向に屋敷はなく、街の外だと思しき所は緑が残っていた。やはり、あの炎は燃やすものを線引きしている。クラクの街だけを焼いていた。
身体は裸であるが、羞恥を感じる余裕もない。
フラついた足取りが誰かを求める。誰かーー温もりが欲しかった。
ミズキは自然と、教会下の壕のある場所へと赴いていた。
壕への扉は開いていた。教会の建物自体は燃えてなくなっていたが、扉だけ開けたまま残されていた。
もしかしたら、壕にいる人だけは残しているのかもしれない。そんな儚い期待を抱かせる。
だが、その入り口は期待を抱かせるものではなかった。
中に入ると焼けついた臭いがした。壁面がまるで引っ掻かれたような気味の悪い線が所々にある。そして、壕の中心部分で人間の形をしたまま黒くなった物体が所狭しとあるのを目撃する。
物体の一つは眠るように、物体の一つはもがくように、様々な壕での様子がそのまま残されていた。そして、何よりその光景はミズキの精神を追い討ちするだけのものだった。
「うえっ、うっ……」
その場で胃液だけを吐き出す。
よく見れば、アメリアやササキ、傭兵の姿も見受けられた。そして、片腕を失くし壕へと戻っていたヘレナの姿も変わり果てそこにあった。
ミズキは誰に訴えるわけでもなく首を振り身体を震わせる。
違う。自分のせいではない、と。首を小刻みに振り続ける。
逃げるように壕を出て、いく当てのないミズキは屋敷の方へと向かう。
屋敷に何もないはずなのに、何かあるのだと思い込んで向かっていた。もはや、縋る思いだ。ミズキは一人で何もできないのだ。
この状況が怖くて、誰か知っている人、一人でもいて欲しかった。
裸足のまま歩いていく。裸足に炭や塵がこびりついてついてくる。建物のものか、人のものかはもうわからない。でも、気味が悪くて屋敷までの道のりで裸足を血が出るまで擦り付けて払っていた。
屋敷の跡地まで来ると、ミズキの顔は不意に色を取り戻す。
何もないかと思われたその場所に、不自然な扉が立っていたのだ。
青白く発光する扉一枚。まるで見えない空間でもあるのか扉は音を立てて開き始める。
扉の中は見えない。が、開いた扉から誰かが出てきた。
「まったく、これは思った以上に悲惨な状況なのですね」
達観したような口ぶりで出てきたのは小柄な童女だ。
ゴシックロリータと呼ばれるような格好で、長髪のツインテールがいかにもな童女を演出させている。その顔はどこか大人びていて世界を見下ろすような高貴さを兼ね備えていた。
その童女が扉を出た瞬間、扉は自らが焼かれていたことを思い出したかのように黒く朽ちて塵となって消えた。
彼女はそれを一瞥し、小さく息を吐いた。
「クラクには申し訳ないのですね。魔術師の使命を全うできず、本当に……」
悲壮な様子が童女の双眸から伺える。
ミズキは気づく。彼女のことを知っている。
生意気で上から目線の童女。ルラだ。魔術師ルラ。
ミズキは心が浮き立つ。誰かに巡り会えたのが。知っている誰かに。
助けを求めるように足は不器用だが駆け出していく。縺れながらもこけないように足は彼女の元へとかけていく。
ルラはゆっくりとこちらに視線を動かし、ミズキに気づくと瞳を鋭く睨ませ手を空で上から下に強く動かした。すると、それに対応したようにミズキの身体が空に持ち上がり地べたに強く叩きつけられた。
「がっ、あっ……」
胸が強く打ち付けられ、鈍い痛みが全身を広がる。
なぜ、と瞳だけが追って彼女を見つめる。彼女は冷淡な瞳を向けていた。それは酷く、他者以下を見下ろすものだった。
「…………」
ルラは黙殺し、醜い存在を見下ろしていた。
「な、なんで……」
言葉を発すると、ルラは口を開けるなと言うみたいにミズキの顔面を地面に押し付ける。彼女は離れた状態で、空で手を下にやるだけでそれができた。
そして、手を翻してミズキの身体を持ち上げ自分の目の前に浮かせ持ってくる。
実際に手で握られているわけではないのに、首元は締められ地べたから浮いている。首が苦しくて手が、何もない場所に手をあてがうが苦しさは取り除かれないし柔がない。
ルラの前で浮かんで彼女を見下ろす形で制止するミズキ。苦悶を浮かべ解放してくれと訴えかけるが、彼女はミズキのことなど見てないような口ぶりで話し始めた。
「私には誤魔化せないのですねーー熾加護、フォレグよ」
彼女は誰かの名前を口にした。
声は出ない。首を締められて出る声は窮屈で息が掠れたものだけだ。
「フィロルドの姫から依代を移したところで、あなたの居場所はないのですね」
ーー違う、私……。フォレグって言うやつなんかじゃ……。
思いは届かない。死ぬ、死ぬ。そう思っていると、首元が閉まる苦しさは途端に消え口が勝手に喋り始めた。
『お前はクラクの魔術師か? 哀れだなあ』
誰かがミズキの身体を使って喋る。それは物悲しくまた嘲るような様だった。
それを相手取るルラは空で掴むような仕草を止め脱力する。そして、怒りを額に滲ませた。
ルラが手を脱力すると、ミズキの身体はゆっくりと地面に降り立った。
『魔術師だというのに街一つ守れないとは、名前だけだなあ』
「ええ、確かに私は哀れなのですね。活動時間外を狙われ呪術師に拘束されるなど、街や国を守る魔術師は脆弱、怠惰極まりないのですね」
ルラは自らの情けなさを露呈した。
「クラクは消えてなくなりましたが、今度は国を守るためにあなたを殺すのですね」
彼女は不甲斐なさを切り替えて、魔法詠唱を始めた。言葉としては認識しにくい速度での詠唱は地が揺れ割れる。
地から人間の手のような大きな物が創造され、対象であるミズキの身体を捉えた。
その身体は避ける素振りもなく捕まる。だが、ルラは呆気ないとは思わなかった。
『おまえがこのフォレグを殺す? 一介の魔術師風情がずにのるな!』
捕まえたと思えた岩石の巨大な手はミズキの身体から滲み出る炎に溶けてなくなった。
ルラはやはりといった様子で次の詠唱を始めている。
炎を纏い接近してくるミズキの身体。すぐ近くのところで、ルラは羽のように舞い上がり逆さまになった状態で、ミズキの身体の脳天を指先で突いた。
すると、ミズキの身体の下にある地面がその身体を飲み込むように口を分けた。よく見ると地面には飲み込む口があり、薄暗い目があるように見えた。
『アトモス……』
フォレグは地面に呼び出されていたその存在の名を失念していたとばかりに嘆く。
「私はただの魔術師じゃないのですね。大賢者、それも加護殺しの異名を取った魔術師なのですよ」
恨めしげに視線を上げれば、ルラの嘲笑うかのような横顔が視界に入る。
ルラは知っていたのだ。加護が魔、それも使い魔の類に有効であることを。
そして、彼女は加減をしていない。
フォレグを飲み込もうとするこの使い魔は並大抵のものではないことを。どれだけの犠牲を払って契約したのか、そう思うほど最悪な使い魔を従えていた。
フォレグとて、意表を突かれてなければ逃げ果せたかもしれない。この意表があったとて、身体が馴染んでいれば対抗できていた。
悔やまれる。せっかく、表に帰ってきたのに。
フォレグは諦めて身体の中に還る。すると、元の持ち主であるミズキが戻って浮上してくる。
ミズキは死を直感した。
地面に飲み込まれるという奇妙な感覚。手を伸ばして見ても淵に掴めやしない。その上で、跳び上がっているルラがミズキを嘆くような眼差しで見下ろしていた。
ルラはすでに気づいている。ミズキの身体からフォレグの意識が消え元のミズキに戻っていることを。だが、気づいたところでミズキを助けようなんて思わなかった。
ルラの口が動く。何を言っているのか聞こえはしなかったが、本能的に察する。
ーー可哀な運命の小娘よ。せめて、苦しまずに殺してあげるのですね。
言葉ではない意志がミズキに伝わる。
ミズキは地の下に落ちてゆく。どこまでも、どこまでも、闇の中に埋めるように落ちてゆく。
そして、絶望の中で、ミズキはその果てでーー死んだ。




