再びの屋敷
ルバートとミズキは屋敷の近くへと到着していた。
月夜は依然怪しく地上を照らしていた。その不気味さが怖くて、ミズキは身震いする。その正面を歩くルバートは凜然とした面差しだった。
屋敷の敷地内に入ったところで、あるものに気づく。
「なんでこんなところに馬竜がいるんだ?」
屋敷の前庭に乱雑に止められた馬竜とそれに引かせている一人乗りの車があった。不自然な事に、御者を乗せる正面の台にその者はおらず空っぽのように見えた。
ルバートがそう疑問を漏らしていると、車の戸がゆっくりと開かれ中から人が降りてきた。
修道服を着た女性だった。目がやけにキラキラしていて、まるで星を散らせたような輝きのある瞳。だが、その瞳はにも関わらず退屈そうで面も険な様子だ。
ミズキは不意に怖くてルバートの後ろに隠れる。ミズキは車から降りてきた女性のことを前回見たのを知っていた。
ルバートはどうやら彼女のことを知っていたようで、その名を呼ぶ。
「ルナリア、どうしてここにいる?」
修道女のルナリアはルバートの姿に気づいて煌めいた瞳をこちらにむけた。
すると、不適に笑って言う。
「あら、あら、これは騎士崩れのルバート・エリザベスじゃないですかぁ?」
「私のことはいい。どうして祈祷師の君がここにいる?」
「おや、おやぁ? 聞いてないんですかぁ? 私、ここの使用人に呼ばれたんですけどぉ」
と、彼女は少し明るさを取り戻したキラキラした瞳でミズキの方を一瞥した。
「迎えもなしなんてぇ、礼儀がないんじゃないですかぁ」
「呼ばれた? 付き添いもなくか?」
ルバートは空っぽの御車台を見る。
「付き添いはいましたよぉ。でも、その人、酔っ払っていてそっこから落っこちたんですよぉ」
「……ギルバートか」
「そうですぅ」
自分のペースで緊張感もなく話すルナリア。付き添いがギルバートだと察したルバートは神妙な面差しで頷いた。
「それでぇ、そこの使用人は私を屋敷に案内してくれるんですよねぇ?」
ルナリアの視線はミズキに移動する。
虚を突かれ話をふられたミズキは狼狽する。助けを求めるように、ルバートに視線を向けると彼女はひっそりと耳打ちしてきた。
「確かアメリアに化けて祈祷師を呼んだと言う話だったな」
彼女は道中で説明したことを思い出して口にする。
「なら、それに乗るしかない。呪術師の思惑がわからない以上、な」
と、彼女はルナリアの話に乗るように示唆してきた。
「えと、はい……」
ルナリアに不安ながらも返答するミズキ。
そんな彼女の姿を見て、ルナリアはキラキラした瞳を細めて言う。
「頼りなさそうな使用人ですねぇ。まぁいいですぅ」
そう言って、ギクシャクして屋敷へと向かうミズキの後ろにルナリアがつく。その背後で伺いながらルバートもついて行った。
「あらぁ、ルバート・エリザベスも一緒に来るのですかぁ?」
「なんだ、悪いか?」
「いえ、いえ、騎士崩れのあなたがいればきっと何かあっても大丈夫でしょうからぁ。安心ですぅ」
「……相変わらずだな」
皮肉にも取れる言い様のルナリアに対して、至って冷静に対処するルバート。
「ふふふ、騎士を返上してもその加護の強さはあなた自身の信仰の強さの賜物ですよねぇ」
「私は君たちのように加護を信仰しているつもりはない」
「あら、あら、そうですかぁ。まったく、憎らしいこと」
と、彼女は一瞬面をしかめた。
屋敷の戸の前にミズキが立つ。後ろには屋敷の戸が開くことを待つルナリアが奇妙な笑みでいた。
ミズキは心臓がバクバクする。この扉の奥に、恐怖の権化があるのではないかとという不安。
ここを離れる際に、それは理解している。名前のない少女は、あの丘で捕え縛っているが、みなが狼狽するほどの脅威がまだいる。呪術師メシアだったか。ミズキはそれを相手に、言葉にしようのない恐怖を感じ取っていた。
そもそもこの戸は開くのかという不安もあったが、何より今からパンドラの箱でも開くかのような怖さから手が震えて動かない。
迷っていると、ルバートがミズキに近づいて肩に触れてきた。
「何があっても私が守る。君はそばにいると決めたのだろう?」
その言葉に喉がゴクリと鳴る。
怖い。その一歩が怖くて仕方ない。
彼女の微笑に、少しだけ勇気を貰う。
「何をしているのですかぁ? 早く開けてもらえませんかぁ」
後ろからルナリアの催促する声がかかる。
ルバートはミズキから身を引き、見守る。
緊張感に苛まれながらも、震えた手を戸にかけた。
どうか開きませんように、なんて矛盾したことを思いながら戸を押した。すると、戸は至って普通に開き始めた。
「なんだか、暗いですねぇ」
戸の奥の暗闇に、ルナリアはぼやいた。
ルバートが警戒を強める。腰についている剣の鞘に手をかけ、周囲をみはる。
扉があまりにあっけなく開いたため、ミズキは驚いていた。そして、すぐに屋敷内に入らず遠目で闇を見据えていた。この闇のどこかに、恐怖が潜んでいるようで足は踏み出せない。
ミズキより先に、ルナリアとルバートが屋敷内に入る。
暗くて不自然な場所に、なんの戸惑いもなく入る二人に置いてかれないようについていく。と、エントランスの灯りは突如燈り始めた。
「……なんですかぁ。これは大した歓迎ですねぇ」
と、悠長に呟くルナリア。
ミズキはふとルバートの方を見る。彼女もミズキの方を見ていて視線が合う。お互い何事だと言った眼差しで、周囲の状況を図る。が、その視線は一箇所に集約された。
それを見たルナリアが先ず最初に声をあげた。
「あら、あら、あら」
退屈そうだった瞳は色を戻したように、キラキラした瞳が一層燦然と輝く。
「フィロルドを彩るなんて面白いですねぇ」
そういう彼女の視線の先には、エントランス正面に飾られた彫像に縛り付けられたリリィの姿があった。
「リリィ!」
真っ先に彼女の名を呼んだのはルバートだ。
駆け寄ろうとするが、二階から悠然と降りてくる一人の姿に足を止めた。
「招かざる客がいるようですね。やはり、あの少女では殺すのは無理でしたか」
そう冷淡に吐き捨てるようにいう彼女は黒いワンピースを纏っていた。
闇のように黒いワンピースを纏ったその姿はさながら魔女だ。現実感のない銀色の髪を靡かせ、不適な笑みがこの場を凍りつかせる。まさしく白銀の魔女。ミズキが不意に浮かべた文言が似合う女性だった。
「メシア……」
彼女の名を忌々しく呟くルバート。
「騎士崩れとはいえ数多の加護に愛され、愛され続けているなんて羨ましいですね。加護に愛されている者相手じゃ少女には手強かったでしょう」
冷徹な眼差しが周囲を貫く。
「どうして呪術師がいるのですかぁ?」
間の抜けた声でルナリアが空気も読まずにいう。
彼女の言葉を無視して、メシアとルバートの間で会話が広げられる。
「目的はなんだ……?」
恐る恐る問いかけるルバートに、メシアは口角をあげ微笑んだ。
「エリザベス。お前ならわかるでしょう? 私はフィロルドの中にいる存在が欲しいのですよ」
「……なんで、貴様が知っている?!」
「さあ、どうしてでしょうか? まあ、賛美歌が期待できなくなった以上、多少強引な手を使う必要がありますけど」
彼女はそう告げた瞬間に、屋敷の入り口は途端に閉じられた。
屋敷の中に、閉じ込められる。ミズキとルバート、そしてルナリア。
「貴様……リリィに手を出すというのなら容赦はしない」
「騎士の名を捨てたお前じゃ姫は守れない」
その瞬間、お互いの間に淡い光が生まれる。
ピリピリとした空気感の間で、ミズキは萎縮しその行方に当惑するしかなかった。




