怖くて、怖くて、踏み出したい
ルバートが告げた言葉は衝撃的だった。
『死の加護、いるんだろ? 君の中に』
ミズキの中にいる死の加護。彼女はそれを見抜いているのだ。記憶を失っていた時、ルラがミズキの中にいる加護を呪いのものだと見抜いていたが記憶を戻した後、ルラはどういうわけだかミズキの中にいる加護に気づいていなかった。そのため、理屈はわからぬとも自分の中にいる忌々しいそれを悟られぬようになったものだと思っていた。
死の加護はイブの残穢で呪いだという。それは同時に世界から嫌われているイブと同じものだと認識されていた。それゆえに、自分の中にいるその存在を知られてはいけない。そのイブを持つ自分も同等のことが言えるからだ。
なのに、ルバートはミズキの中にいる加護を言い当てた。それがイブに愛された者だとも彼女は知っていた。
「な、何を言っているの……?」
誤魔化すようにいうが、ルバートの凜然とした眼は真面目であった。
そこに悪意もなく、劣情もない。ただただ真剣な眼差しで、そこに混ざっているとすれば悔やむような情があった。
彼女は呼吸を整えて言葉を続けた。
「犠牲、束縛、死。加護の中でも強い呪いとしてあげられるもの……。君はその中の死を授かったはずだ」
「し、知らないよ……! だ、大体、なんでそんなこと言えるの!?」
目を逸らしながら抵抗する。
ルバートは至って冷静で、一切ミズキから視線をそらさずにいう。
「……私が君をこの世界に呼び寄せたからだ」
「え……?」
それは思ってもいなかったことだった。
ミズキは死の加護によってここへ導かれたと思っていたが、どうやら自分がこの世界に来た元凶はミズキがこの世界に来て初めて出会った彼女だったようだ。
「な、なんで……」
言葉が震える。肩が震える。
この世界に来て怖い思いしかしていない。しかも、それは一度きりではなく、何度も何度も味わう苦痛だった。
視界が歪む、ルバートの顔をまともに見られない。そして、怒りと恐れが混じった声が罵声となって出てくる。
「なんで私なの!? なんで怖い思いしなきゃいけないの!? いやだよ! なんで、どうして……」
目にいっぱいの涙を浮かべて糾弾する。悲痛な叫びだ。
ルバートは酷く苦悶したように面を歪めてポツリと呟いた。
「君でなければ死の加護は憑いてくれなかったのだろう。加護は人を選ぶ。私は死の加護に見合うものを探したのだが、この世界には死の加護に見合うものはいなかったのだ。だから、異世界にそれを委ねた」
段々と経緯が明瞭になっていく。だが、それはあまりにも理不尽なものだった。
「だから? だからって何?! 死の加護って呪いなんでしょう?! イブの残穢なんでしょう?! イブって、世界から嫌われているものなんでしょう!? なんで、そんなものを……」
「ああ、イブは憎いよ」
ミズキの罵倒を遮るように、冷たく彼女は吐いた。
「イブのことは憎い。今こそイブのいない時代だが、いずれイブは再び蘇る。蘇り、再び世界を災厄に陥れるだろう」
「じゃあ、なんで……。死の加護を私に……」
厳密には、死の加護を誰かに憑かせることはイブの残穢の蘇りともいう。忌々しいそれを顕現させた彼女の思惑は判然としない。
ルバートは儚げな面差しで月夜を見上げていう。
「イブにはイブの残したものを使うしかない。たとえそれが世界に嫌われる力だとしても……」
イブへの対抗手段としてのイブの残穢、呪い。
何度も死を迎える内に、イブがどれほど憎まれているかは知っている。その憎まれているものが残した力を使ってでもイブに立ち向かおうとする彼女の心緒はとてつもなく重いものだと悟った。
思えば、ルバートは元騎士だという。ここの騎士がどういった立場なのかミズキにはまだわからない部分もあるが、そんな騎士を捨ててでまで、そしてイブの残穢を使ってでも彼女はイブが憎いということなのだろう。
「まあ……これが上手くいかないものでね。君は記憶を戻し、ローヤルチョーカーはリリィによって付けられてしまった」
ミズキは不意に自分の首元に巻かれた宝物ローヤルチョーカーに手で触れた。
ローヤルチョーカーは他人を従える宝物だという。つまり、ルバートは死の加護を授かったミズキを利用しようと考えいた、と結論づけられる。
忘却する宝物と他人を従える宝物はルバートがルラに頼み用意したものだということを聞いていることを加味すれば、自然とその考えに至る。
けど、結果的に記憶は戻り、チョーカーはリリィの手によって付けられた。
「どうして私の記憶が戻っているってわかるんですか……?」
涙を拭いながら浮かべた疑念を問う。
「わかるさ。最初に君を見た時よりも加護が強くなっているからね。それに、私の加護はそういうのを報せてくれるんだ」
彼女は加護が見えているような口ぶりでそう説明した。先程の少女の背後に気づいたことといい、彼女は加護を捉えているらしい。
加護の強さがどのように映っているかは知らぬところだが、実際記憶を取り戻した時に死の加護はレベルアップだと言っていた。その変化を彼女は見抜いているのだろう。
二人の間に沈黙がひしめく。
ミズキとしては、もう死にたくないし逃げたい思いがある。怖くて怖くて仕方がない。死の加護が、死を宿命ずけるようなものならば逃げても無駄なのだろうがその理不尽さにただただ恨むしかない。
死の加護を、それを導くことになったルバートを。
「君には悪いことをした。君を都合よく利用とした私を責めてくれて構わない。憎く思ってくれていて構わない」
記憶をなくせば、確かに彼女の都合に合わせて利用できただろう。けど、彼女の望みは消えはからずともミズキはその手から逃れている。
「私はこれからリリィの元に行く。君はアメリアの元に行くといい」
彼女はミズキの隣を過ぎて屋敷の方へ行こうとする。
ミズキは悩んでいた。
足は震えている。目からは怖くて怖くて涙が溢れそうになる。
真実を聞いて、胸が締め付けらるような思いになって、何もかもを投げ出したい気分だ。
死ぬのは怖い。死ぬと再び目覚めて繰り返す理不尽な呪い。先の見えた死は怖いものだ。
「死の加護がどういうものか知っているんですか……?」
ミズキは声を震わせて問いた。
ルバートは振り向かずに、ただ一言いう。
「ああ、知っているよ。その様子だと、君はもう何度も死を経験したみたいだね」
凜然とした言い様に、ミズキは拳を握りワナワナと震わせた。
「わざわざ死地へ赴く必要はない。君は隠れていればいい」
「何それ!? なんでそんな勝手なの!?」
悲痛と憤怒の混ざり合った罵声。ミズキは情のままに続ける。
「勝手に呼び出して、なんなのそれ……」
「君は怖いのだろう?」
「怖いよ! すごく、怖いよ……」
ミズキは再び目に涙を浮かべる。
「笑いながら肉を抉られて、後ろから突然貫かれて、痛くて苦しくて、いつ死ぬんだろうって怖くて怖くて……」
面を手で覆う。涙が抑えきれなくなる。
「あの顔が何度も夢に出た。笑いながら私を殺すあの顔が……。でもそれは夢じゃなくて、全部本当で身体が覚えている」
「なら、無理に死ぬような真似をするな。怖いのなら隠れればいい」
そう諭すルバートに、ミズキは訥々と話す。
「私もそう思うよ。死にたくないなら逃げればいいし、隠れればいい。でも……」
ミズキが戸惑うのはリリィの顔がチラつくからだった。
リリィは記憶のない時の自分が言った言葉を信じてくれている。自分はそんなものは嘘だと一蹴したが、その事実が自分の胸に重くのしかかっていた。
そして、何より屋敷から出る際に、扉のおくで見えてリリィの寂しげな表情が判断を惑わしていた。
怖い。怖いけど、踏み出さなければならない。どうか、自分にその勇気が欲しい。そう思っていた。
ルバートはミズキの言葉を待った。
必死に言葉を振り絞ろうとするミズキ。ミズキは頑張って、頑張って、口にする。
「リリィのそばにいなきゃいけないって思ったの……」
面には、とてもじゃないが勇気があるとは言えない面をしていた。勇気もなく、懸命でもない。恐怖があり、悲痛があり、人を助けようとする人の顔ではない。
そこには弱々しい、ただ一人の少女の面差しだった。
矛盾した思い。怖いのに助けたい。彼女の面差しにそうした心情が伺える。
だが、言葉は真実だ。どんなに震えようが、どんなに苦しかろうが、どんなに自分に力がなくとも、そうでありたいと願う真実である。
ルバートは彼女の覚悟に答えなければならない。誰よりも弱々しいその覚悟に。
「そうだな……。リリィが君を選んだんだ。ならば、それに答えよう」
ルバートは小さく笑う。
「君のことは私が守る。ヘレナにも頼まれているしな……」
「ルバート……」
ミズキは洟を啜って彼女の名を呟く。
「君は話すべきことは他にもある。君にもあるだろう。けれども、それはすべてが終わってからだ」
彼女はまとめるようにいい屋敷の方へとくるぶしを返した。
「行くぞ、ミズキ」
屋敷へと赴くルバート。彼女の後ろに、ミズキは怖がりながらもついていった。




