呪術師ーー名前のない少女
燃え盛る屋敷の玄関口は異様な炎が柱となって来るものを拒んでいた。
異様な光景にミズキとヘレナは立ち尽くす。
ヘレナは右腕を失っている。呪術師という者に切られたそうで、切られてなお切り口を布で縛って出血を抑えて使用人としての任を全うしている。だが、その任は今停滞する事になる。
轟々と燃え盛る炎は屋敷全体を覆っている。これだけ大規模な火事である。敷地内に萌えている草木に燃え移り、クラクの街まで炎上するのではないかと心配する。けれども、ミズキはその燃え盛る炎を不思議そうに見つめていた。
その思惑はヘレナも同じだったようだ。
屋敷は確かに燃えている。辺りを巻き込んで焼き尽くすような熱がここからでもわかる。なのに、屋敷は形を崩さず炭になった部分が見受けられない。みためだけの炎上そう思ったが、近づいたヘレナが見せかけでないことを思い知る。
「本物……」
柱となっている炎に手を伸ばしたヘレナは、飛んできた火の粉で反射的に引いた。火の粉から感じた熱は本物だったのだ。
ヘレナは不思議な炎に覆われた屋敷を見上げる。この炎は屋敷を燃やすというよりは守っているものだと推察した。
ミズキは不安そうな面をしてヘレナに尋ねる。
「どうするの……?」
「どうするも何も、屋敷の中にリリィ様がいます。どうにかしてリリィ様の安否を……」
ヘレナの顔に苦悶が浮かぶ。もはや冷静を装っている場合ではないのがうかがえる。
「屋敷の中には入れないよ」
不意に、三者からの声が割り込む。
ヘレナは希望のない言葉に、面をしかめて振り向いた。と、彼女はその主の顔を見るなり驚いて声をあげる。
「ギルバートさん……なぜ、ここに?」
声をかけてきた人物はミズキが裏道で遭遇した人物だ。ギルバート・アリア。全身鋼装備で整え、長く伸びた金色の髪が騎士たる風格を見せる。が、あまり手入れされていない髪質や定まっていない瞳が格を落としていた。
最初に会った時よりか幾分か語調は整っていて、瞳も真っ直ぐとしているようだがそれでも酒の抜けた様子ではない。ほのかに赤い頬がその証明だ。
ギルバートはミズキを担いで屋敷へと来た。彼女は屋敷の状態を見るなり、先に向かっていたようだが。
「私は祈祷師の付き添いで来た」
「祈祷師? ここに祈祷師が来ているのですか?」
「知らないのか? 祈祷師は屋敷に呼ばれたから私も同行していたのだが……」
ギルバートの言葉に、ヘレナはしばし考える。そして、気づく。
「呪術師……」
ヘレナは忌々しいその名称を口にする。
「やはり……呪術師がいるのか?」
「はい。私が見たのは変身の呪術を使う者です」
「変身……か」
ギルバートは思い当たりがあるような面差しをした。
「屋敷内には姿見の対話があります。屋敷の誰かに変身し、それで連絡をとったのでしょう」
冷静に分析するヘレナ。ギルバートは気難しそうに唸った。
「なんのために祈祷師を……」
呪術師の思惑がわからない。ギルバートはそういう思いで、顔をしかめた。
「あ、あの祈祷師って……?」
話の内容についてこれていないミズキは、場違いにも質問を投げた。
案の定、ギルバートもヘレナも不愉快そうな眼差しをむけて来た。
二人の視線に恐れ慄くミズキ。不愉快そうな二人だったが、ヘレナは舌打ちをしながらも教えてくれた。
「祈祷師は死者を弔う者です。死者を弔い思う事で自らが尊き者の加護になるという信念を持ち信仰しています」
ミズキはそれを聞いて何かを思い出しそうになる。自らが加護になる部分が気になった。誰かが祈ってまで加護になる意味がわからないとか、皮肉めいたことを言っていたような。
ヘレナに続いて、ギルバートが現在に即したことを交えて話す。
「彼女達は死者や加護の存在がいて動く事になる。だから、今回もそうのはずなんだが……」
ギルバートは思慮するように顎に手を当てた。
「ギルバートさん、あの炎は何でしょうか?」
ヘレナは話を進めた。
「あれは魔法というより、加護よりのものだろう。この地についた加護か誰かの加護だとは思うが、クラクにはあのような加護があるのか?」
「いいえ……。クラクに加護が憑いているのかは知りません。それに、こんな炎の加護を持つ人もいないはずです」
「……姫様は加護持ちじゃないのか」
「リリィ様は加護を持っていません。そのはずです」
だとしたら、とまた考えがギルバートの中で巡る。
魔法でもなければ、加護でもない。だが、呪術の類とも言えなかった。
「クラクについては私よりルバート様やアメリアさんの方が詳しいので……」
ヘレナは力不足を感じて、そう言った。ギルバートは小さく頷いた。
屋敷の中に入れず、考えをあぐねる二人。ヘレナは無力な自分に嫌気をさして面を暗くしていた。ギルバートはひたすら考えふけるが、正答が見当たらない。
炎に近づけば、その熱を前にして跳ね返されてしまう。すっかり立ち往生となってしまっていた。
そんな中、ミズキは不思議な感覚に見舞われていた。
「呼んでいる……?」
直感的なものだろうか。無意識がミズキを呼んでいるような気がした。
どこからかはわからない。けれども、身体は勝手に、屋敷の方に赴いていた。
「よ、よせ!」
ミズキの不審な行動に気づいたギルバートが制止しようと試みるが、ミズキの姿はすでに炎で包まれた玄関口の前にいた。
ミズキは炎の前に立つ。まるでそこに吸い込まれるがごとく、ミズキは炎の中に入ろうとした。
その時、ミズキは頭の中でどうして炎の中に突っ込むのか。そして、このまま自分の体が焼却されるではないかという恐怖が震え上がる。
いやだ。やめてよ。死にたくないよ。そう意識しても、身体はそれを汲んでくれない。何かに導かれるように、身体はその中へと、屋敷へと、炎を跨いで入っていった。
死ぬ、そう思った。けれども、身体は炎で焼かれる事なく屋敷の中へと入っていった。
「え、と……どういう事?」
どこかで聞いた歌が聞こえた。聞き覚えのある歌を耳が捉えていた。それが何なのかわからず、目を瞑っていた。
死を覚悟して目を瞑っていたが、次に目を開いた先は薄ら赤い光景だった。
炎の柱を通った先はエントランスである。そこは周囲を炎が覆っており、火の粉が辺りを舞っていた。
炎の色が空気中に溶け込んで、光景が赤々しく燦然としていた。
ミズキは炎の中にいるはずなのに、あまり熱を感じなかった。ふと、後ろを振り向くとそこは外から見た炎の柱が轟々と燃え上がり、改めて自分が炎の中を通ったことを自覚した。
ミズキは唖然とする。理解が追いつかない。いきなり身体が引っ張られたような感覚があると思えば、何事もなく炎の柱を突破していた。この炎が不思議なものであることはわかっていたし、炎は人が近づくと威嚇するように火の粉を出していたのもわかっていた。どうしてミズキだけがここを通れたのかがわからない。
考えようにも、理解する材料がない。
考えるのを諦めて、状況把握に専念する。
炎に囲まれたエントランス。炎に囲まれているのに、熱を感じない。エントランス内に飾られている品が燃えている様子もない。
炎があるだけで、知っているエントランスと何ら変わりない場所だ。
リリィは屋敷内にいるということだが、炎のせいで二階や他の部屋に進むことはできない。先ほどのように、ミズキは炎の中を通ることができるかもしれないが自ら進んで炎の中に入る勇気はない。
ということもあり、ここから出ることも難しく。ミズキは不安になった。
後戻りのできない場所でミズキはコクリと喉をならす。緊張から喉が乾いて来た。決して、炎の光景からくる錯覚ではないと思う。
エントランスをよく見ると、その中央に誰かがいた。
エントランスに入ってから聞こえていた歌。それは中央の人物から聞こえるものだった。
修道服というものだろうか。シスターともいう、簡素な制服を身に纏ったその女性は両手を結び祈り歌っていた。歌詞はない、賛美歌のような音程でまるで誰かに捧げるような歌だった。
その彼女の側で、仰向けで倒れている人物がいた。それはリリィだった。
「リリィ!」
思わず、名を叫んでしまった。歌に割り込むような大声で、歌っていた修道服の女性は歌を止めゆっくりとその面差しをこちらにむけて来た。
「あら? あらあら? あらあらあら? まあ、一体誰に招待されたのかしらぁ」
ミズキを見るその目はやけにキラキラしていて、瞳の中に星を散らしているかのようなきらめきがある。彼女はミズキの登場に驚くどころか、ゆったりとした語調で面白そうにしていた。
「招待って……」
招待されたつもりはない。当惑まじりの眼差しに、相手の修道服の女性は小綺麗な顔に微笑を刻んだ。
「いいえ、きっとそう。あなたも誰かに導かれてここにいるのね。こんな尊き瞬間に巡り逢うなんてないんだから」
うっとりとした眼差しが、一度意識なく床に寝そべったリリィを一瞥する。
ミズキは何を言っているかさっぱりという風に困惑する。
「な、何言ってるの?」
「そのままですよぉ。エステルのお導きに従って私はここへ来たのです。あなたは……ああ、わかりましたぁ。きっとこの人のために来られたのですねぇ。よかったぁ。誰一人参列しないなんて浮かばれませんからぁ。よかったぁ。本当によかったぁ」
と、彼女は嗚咽まじりにいう。燦々とした瞳が後ろの方に視線が揺れる。視線は後ろから少し上がって、その瞳は見上げ涙を流し始めた。
早い口調で、事を悲しんでいるのか慈しんでいるのか。おそらく両方の情が込められた口調でいう修道服の女性。ミズキから、リリィから視線を外した彼女の視線の先には、エントランスに飾られた石像に人が一人吊り下げられていた。
ミズキは一瞬目を遮りそうになった。それが嘘だと信じたかった。
玄関口の顔とも言える芸術品たる石像に被せられて張り付けられた遺体。それはまるで皮肉みたいに、この屋敷の使用人として、またまとめる人柄の女性が飾られていた。
アメリアだ。彼女に生気がないことは一目瞭然だった。手足はぶらんと垂れ下がり、頭も力なく折れたみたいに傾いている。何より、心臓辺りを貫いたのか。胸元がバックリと割れて身体中を鮮血で染めていた。
ミズキは不覚にも焼きついてしまった人の死を前にして、抑えきれない嘔吐をその場で吐き出した。
「ぐえっ、え……あっ、あっ、はあ、はあ」
「まあ、失礼。こんなに綺麗なのに非道いわぁ」
彼女はいたく悲しそうにいう。
自分が死ぬことは何度もあったが、他人が死んでいる光景は初めてみる。こんなにも恐ろしいものだと自覚させる。
ミズキは姿勢を低くして口元を抑える。できるだけ視線を上げずに、寝そべっているリリィの方を見るように努める。そうして、呼吸を整えて言葉を絞り出す。
「あ、あなたが呪術師?」
「呪術師? 知りませんねぇ……。私は王都から来た祈祷師です。ルナリアとお呼びください」
どうやら彼女が祈祷師ということだ。死者を弔い、加護を慈しむ者。ミズキが想像していたよりも、奇妙な存在だった。
「私が呼ばれここへ来た時にはこのような状態でしたぁ。だぁれもいなくて、私を呼んだ当人は亡くなっていられましたし、不思議だとは思いましたぁ。けど、私は死者を弔う者。私は祈り願っていたわけなのですぅ」
それは先ほどの歌の事を指すのだろうか。
「そしたら、まあ不思議! 加護が満ちたのです! 屋敷を守るが如く覆ったこの炎……。素敵ですぅ」
彼女は周囲を取り巻く炎を恍惚な眼差しで見ている。そして、足元で寝そべっているリリィを一瞥していう。
「我らの信仰する姫様の中でもフィロルドは特定の加護も持たず姫を騙って、相応しく思っていませんでしたけど。こんな素敵な加護を隠し持っていたなんてぇ。今までフィロルドに信仰疎かになっていた、ルナリアをお許しください。明媚な加護よ」
ルナリアは周囲を見渡すように視線を揺れ動かす。何かを探しているような挙動だ。
ここに加護がいるとでもいうのか。加護は視覚できるものもあるというが、ほとんどは本人しか見えないものだという話。彼女は見えない加護に媚び諂うような姿勢を取っていた。
当然、ミズキもその姿は確認できない。視線で探ってみても、燃え盛る炎だけが視界に映る。
しかし、ルナリアは何と言った? リリィが加護を持っている? リリィ本人からそうした話を聞いたことはない。むしろ、リリィは自分の加護を持っていない事を後ろめたく思っていたはずだ。
その理屈はミズキにはわからないが、ミズキが今考えるべきことは今どうすべきかだ。
「リリィ……」
「姫様はよぉく眠ってますよ。とっても強力な睡眠がかかっているみたいですよ」
「みたいって、どうしてそのままにするの!?」
「どうしてって? 私に魔法の解き方の心得はないですし、ここから出られるわけではありませんからねぇ。私、悲しい事に、この加護に嫌われているみたいでぇ」
他人事のようにいう。彼女の興味は、死者と加護にしかないようだ。
「でも、あなたは違うみたいですねぇ」
ルナリアはポツリと呟くように言った。
彼女の瞳は細くなり、燦然とした瞳は黒く疑いかかるような眼差しに変わる。
「貴賎を判断し選別する加護はより尊き存在です。まして建物さえも守護できるとなるとそれはそれは最上位の加護と言えます。そんな加護に、建物に入る事を許されたあなたは何者ですか?」
ルナリアは真っ直ぐな調子で話す。恍惚な調子も陶酔した語調もなく、言葉は鮮明だ。
問われたミズキは答えを言い淀む。考えても、彼女のお眼鏡にかなう回答は浮かばない。自分でもどうしてここに入れたのか、わからないからだ。
しばしの沈黙に、ルナリアは呆れたのか。リリィをチラと見て、石像にはりつけとなっている亡くなってしまったアメリアを見上げた。
そして、ルナリアは口を開き歌い始めた。
歌詞のない歌。賛美歌のようなリズムで、単調的だ。死を讃え、死を慈しむような情が込められたような歌。
ミズキはこの歌を知っているような気がした。どこで聞いたかは覚えていない。前世なのか、それ以後のどこかで、なのか。
はっきりとしない記憶。一つ言えることは、ミズキにとって気味の悪い歌だということだ。
彼女はミズキからすっかり興味を無くして、己の使命を全うしている。死者を弔うために歌を歌っているのだ。
ミズキはここで閃く。今なら、リリィを屋敷から連れ出せるのではないか。
出入口は炎で封鎖されている。けれど、彼女はミズキはこの加護に許されているといった。
彼女の言葉を鵜呑みにするわけではないが、この炎が加護の仕業でその加護に許された自分は自由に行き来できるという事になる。実際、無意識下ではあったが入れているのだから。
それをわざわざ試す勇気はない。かといって、ここに居座る器量もない。そうした矛盾の狭間で、リリィを連れ出すという正当性が屋敷から逃げるという閃きに至った。
ルナリアはすっかり歌に夢中で、それが儀式か何かはわからないがアメリアにそれを捧げている。
やるならいまだ。自分にリリィを抱えながら屋敷の出入口まで走れる体力があるかを考えていないが、考えれば考えるほど躊躇が生まれる。
ミズキは走り出した。
心の中で、リリィの名を叫ぶ。メアリーに問われた自分の役目。自分に役目なんてあるのだろうか。
ミズキはいつも逃げ続けていた。ずっと逃げてきた。逃げて、逃げて、逃げて、行き着いた先がここだ。
死ぬのは怖い。だけど、生きたくない。それがミズキだ。
『一緒にいる』
と言った記憶のなかった自分と、
『嘘だよ』
と、記憶を戻した自分が放った言葉。
自分がどんなに愚かであったかを自覚する。記憶を戻して、怖くなって自暴自棄になって、信じてくれている人を手放すなんて。
経緯がどうであろうと、ここは異世界だ。元の世界ではない。
ここに来たなら、変われ。変われ宮崎瑞季。そう頭の中でこだまする。
手を伸ばす。リリィを掴んでここから出て新しい日々をーー、
「ーーはっ……」
伸ばした手が宙からゆっくり下がっていく。いや、身体ごと落ちていく。落ちていくというよりは倒れているような。
伸ばした手は、リリィとわずかな距離届かず床に落ちた。
何が起こった? 何で倒れた? こけたとは思えない。何か衝撃があった。
「……熱い」
不意に、そう呟いた。
全身が熱くなっている。身体中を駆け巡る血液が高速で流動して熱を生み出している。身体が異常を発している。頭がぼんやりとする。そして、痛みが出てきた。
背中だ。背中から痛みを感じる。内臓が強く握られているような感覚。その部分からまるでマグマでも発生しているような熱まである。
恐怖のままに頭を動かして背のそれを確認する。背にはナイフが突き刺さっていた。
それを視認した瞬間、猛烈な痛みを自覚する。
痛い、痛い、痛い。取って、取って、取って。いやだ、いやだ、いやだ。死ぬーー。
その時だった。自分でも、祈祷師のルナリアではない声が聞こえたのは。
「何でこんなとこにいるの? もう、とっくに君は魔獣の餌になっていると思ったんだけどな」
一つの声のはずなのに、まるで四人の人間が一緒に喋っているように聞こえた。
淡々としているようにも聞こえれば、嬉しそうな調子で話しているようにも聞こえる。悲しそうにも聞こえてば、怒っているようにも聞こえた。そんな情すらも乱れた曖昧な声。
ミズキは反射的に、戦いた。そして、怖くなった。
その声の主は俯けに倒れたミズキの上に馬乗りになってのっかかる。その衝撃に、嗚咽を溢すがその主は気にせずミズキの髪を掴んで床に顔面を強く押しつけた。
「やっぱり気づいていたんだね? やっぱり気づいていたんだ? やっぱ殺せば良かった。ああー本当、甘いなー、甘いよー、私はあああぁ」
「や、いたっ……」
擦り付けられる痛みと馬乗りに乗っかられ身体にかかる負担からくる痛み、また背を刺された痛み。様々な痛みが混ざり合って、痛覚が混乱している。
ミズキの上で半狂乱気味に叫ぶ者。そう叫んだ後、ミズキの髪を引っ張って目を合わせてきた。
ミズキはその主の顔を見てギョッとした。
そこには四つの顔があるように見えた。顔は一つだ。一つだと思う。だが、ミズキにはその顔はルバートにもヘレナにもアメリアにも端正な女性にも見えたのだ。
「誰なの……?」
ミズキはか細い声でといた。
相手は自嘲した。
「誰だって? 誰だろう? 誰なんだろうね? わかんない。わかりません! わかんないや!」
語調が混ざっている。気持ちの悪い喋りだ。
その相手は、手を自分の顔に持っていき四つの顔を拭うようにした。すると、そこから現れたのは表情の全くない少女だった。
目はそれほど大きくない。鼻も綺麗に整っているわけでもない。唇は紫色で、髪は真っ白で長いそれは伸びるだけ伸びて手入れされているようにも見えない。
相手の少女はくぐもった声でいう。
「名前のない少女、そう呼ばれている」
感情のない顔が感情なく述べた。
「名前のない少女……?」
その名前とも言えない呼称を繰り返すようにいう。
「うん、呪術師、名前のない少女だって。ふふふ、アタシにはぴったりだ」
抑揚なくそういった。そして、
「もういいよね? もういいね? もう殺しちゃうねぇ!?」
少女は再び誰かの顔に成り代わる。ミズキの知らない人だが、きっと少女の顔ではない。
少女の顔でないそれは恍惚に満ちた顔で馬乗りのまま、ミズキの背に刺さったナイフを握りそのまま背の肉を抉った。
「ーーーーーーああああああああ」
痛みが強く出る。全身に電撃が走ったようで、身体がびくんと跳ねる。
「ああ、いい! 実にいい!」
少女は悦を浮かべて嬉しそうにミズキの頭を撫でる。
ミズキは痛みのあまり失禁した。地に血液と尿が溜まりとなって流れていく。
「ねえ、見せて! ねえ、見せて、アタシにその顔をっ!」
少女は無理やりミズキの頭部の髪を引っ張り、顔面をこちらに向けさせる。
ミズキは虚な瞳をしていた。僅かだが視覚は残り、聴覚は生きている。いつ死ぬんだろう、いつこの痛みから開放されるのだろうと思っていた。
最後に、少女の顔を見た時、ミズキは本能的のこの顔を知っていると思った。
少女はミズキの真っ青な顔を見ていうのだ。
「あぁ、なんて可愛い姿!」
ーー狂っているな。この世界。
ミズキは再び死を迎えた。




