朝焼けの屋敷
「ひっく……、あー飲み過ぎたかなぁ」
騎士ギルバートは騎士らしからぬ言葉を口にした。
手には剣を持たず酒瓶を持ち、軽めの鋼装備をした騎士。騎士というには堕落しきっている素振りに当惑してしまう。
ギルバートはボッサボサの長い金髪を掻き上げて、胡乱な瞳がミズキをじっと見る。酒のせいで焦点は定まってないが、ミズキの顔をじろじろ見てきた。
「パッとしない顔だねえ。お嬢さんはどうしてここにいるのかなぁ?」
酔っているにしては呂律の回った言い様だ。素振りがフラついているだけにギャップがある。
「えと、王都に行こうかと……」
「ふーん、こんな時間に? ひっく……」
しゃっくりを交えて、疑心な眼差しがミズキを貫く。
ミズキは目を逸らし沈黙する。その理由を話すこともできたが、言語化するのは少々骨が折れるからだ。
ギルバートは酔いか思案を巡らせているのか。瞳を数秒閉じてからいう。
「……まあ、深くは問わないさ。けれど」
と、彼女は顔を近づけてきた。酒の匂いが眼前に漂い、ミズキはとっさに鼻先を抑える。
「なんかぁ、お前から嫌な気配するんだよねえ」
彼女の言葉に、身体は本能的に後退りする。この感覚、かつてルラからイブの残穢を嗅ぎ付けられたような。だから、もしかして彼女もそういうものを察知する加護か何かを持っているのかと思った。
酒の匂いを嫌がって、彼女からイブを口にされるのを嫌がって、両方の意味で身を引こうとするがギルバートは気にせず身体をやけに寄せてきて手がミズキの身体に触れる。
彼女の空いた手はミズキの腰部分から臀部の方へおりてくる。サワサワとする感触を不愉快に思っていると、彼女の手はするりとポッケに入りそこから手を取り出し、取り出したものを彼女の前に出した。
「あ、それは……」
彼女が取ったものは、ヘレナからもらった魔除の魔石というものだ。淡い紫色に発色しているのが特徴的で、見た目的にはアメジストみたいなものだ。
それがなければ、この裏道を抜けることはできない。返してもらおうと、手が伸びる。
その時、耳を塞ぐほどの雄叫びが道の先で鳴った。
魔獣の叫びだ。何かを見つけたような獣の呻きだ。聞き覚えのあるそれはダークウルフの声だろう。だが、疑問するのはそれがダークウルフのものかどうかではない。なぜ、こんなに近くに聞こえるのか、だ。
ミズキは恐怖で萎縮する。
ギルバートは、ひゃっくりをしながら後方に胡乱な瞳をむけた。すると、森林の中から突如漆黒の狼が飛び出してきた。黒色の毛並み、獰猛な牙を剥き出しにして襲いかかってきた。それこそ魔獣ダークウルフだった。
ミズキは反射的に姿勢を低くして目をつむった。
「や、やだっ」
というミズキに対して、ギルバートは酔っているに関わらず一切身体を震わすことなくダークウルフとの距離を定めて、身体を回して左足で飛びかかったウルフの顔面を蹴った。いわゆる回し蹴りだ。
見事、蹴りを受けてウルフの身体は地に叩きつけられ怯む。それを見逃さないギルバートは身体の反動を利用し、右手に持った酒瓶でウルフの頭蓋を割った。
呻き声を出してウルフは血飛沫を辺りに散らすが、魔獣であるウルフは血飛沫と一緒に黒い霧に代わり空気中に溶けるように消えていく。
「え、やったの」
目を開けると、そこにダークウルフの姿はなく悠然と立ち尽くすギルバートだけであった。
ギルバートは森林の方を一瞥すると、ミズキから取った魔除の魔石をじっと見る。
「お前、これ誰から貰った?」
「誰って、えと、ヘレナだけど」
答えに惑ったが、魔獣との遭遇のせいか口が軽くなる。
答えた後に、いっちゃまずいことだと思い口を抑える。
ギルバートは一考し、手に握った淡い紫色のそれを握り潰した。
「ちょっと! それがないと私……」
「こんなの持たない方がいい。それより」
彼女はそう言いながら、ミズキに再び近づき。有無を言わさず、ミズキを片手で担いだ。
「な、何するの! ねえ! うわっ、酒臭いっ!」
いきなり担がれ、また肩に乗せられ丁度ギルバートの顔に近く姿勢となっているため酒の匂いが強烈だった。
「我慢しろ。お前には話を聞かねばならない」
「は? 話ならここで」
「屋敷で、だ。お前のこともそうだし、それに嫌な予感が……」
「屋敷? もしかして屋敷にいくの?」
さーっと血が熱くなるのを感じる。
「や、やだ。嫌だよ! 戻ったら、私、私。殺される!」
「はあ? 何を言っているんだ」
急なミズキの狼狽に困惑するギルバート。いつの間にか、彼女は酔いから抜けていた。
「殺されるの! 私、死んじゃうんだよ!」
取り乱して、そう嘆くミズキ。
「殺されるって一体誰に?」
「ルバートにだよ!」
「ルバート? 騎士崩れのか」
騎士崩れかどうかはミズキにしてみれば知ったことではない。ミズキにあるのは何度もそのルバートに殺されたという記憶だ。
ギルバートは呆れたように面を歪めた。
「ルバートは騎士崩れだが、堅物なやつだ。人殺しなど」
「でもっ、私はっ……」
この目で目撃した。何度も、何度も、何度も、殺された。そう言ってしまうところだったが、本能的に言葉は止められた。
死を繰り返していることを言って良いことなのか。確か、死を繰り返すことはイブの残穢で呪いの加護であることをルラは説明していた。
呪いを受けていることを知られるのは良くない。イブはそもそも良くない存在だと思われている。その呪いも同じである。
いきなり沈黙したミズキを不審に思ったギルバートはいう。
「予知の加護でもあるのか?」
「いや、ないよ……」
「じゃあ、どうしてルバートに殺されるなんて世迷言を」
ミズキの頭の中で言い訳を探し出す。でも、もっともらしいものは見当たらない。
数秒ほど悩んだ末、口をついた言い訳。
「私、昔奴隷でひどいことされたから。そのせいで変な夢を見て、混ざったのかも」
「……元奴隷か。それならお前、ルバートに拾われたんじゃないか?」
ミズキは黙って返事をした。
「虐げられた相手と救ってくれた相手を混在したのだな。だが、恩義を返す相手を間違えるのは良くない」
彼女は宥めるようにいう。
不意に、ミズキは面を暗くさせる。ミズキは複雑な心境だった。
「ルバートは騎士の生まれだが、親身な人柄だ。お前がどんな悪夢を見てきたが知らない。けれど、ルバートを疑うのはやめてくれないか」
そう言われても、ミズキは素直に首は触れない。
ミズキは実際に、ルバートが自分を殺す瞬間を何度も見ている。狂った面も、狂った叫びも。
ただギルバートの話す口調に嘘は感じられない。ここで、自分の見た光景とギルバートの言葉に矛盾が生まれ思案に迷いが生じる。
まだミズキには状況を客観的に判断つくような心緒にはなれない。だが、初めて自分の光景を疑うという考えが生まれる。
疑い。考える。だけど、その答えは見つからない。
あれがルバートではないというのか。ミズキはルバートについて知ることは少ない。だから、あれこそルバートの本性だと知ったのだ。
不明なことが再び矢継ぎ早に起こる。
「そういえば、あの石はヘレナから貰ったと言ったな?」
考えを遮って彼女は、前の話題に転換する。
ミズキは担がれたまま、ギルバートの顔の横で首をふる。
「本当か?」
「本当だよ……」
せめるような言い様に、嘘なく答えた。
「……ヘレナも元々奴隷でな。ルバートに助けられ拾われた身だ。まさか、彼女が……」
「何言っているの? あの石って魔除じゃ」
そういうと、ギルバートはポツリと告げた。
「あれは魔除の魔石なんかじゃない。その逆、魔獣を引き寄せる魔石だ」
「へ?」
突飛なことに、唖然となる。
「どうしてお前に持たせたかわからないが、それがヘレナだとは信じられない。もしかしたら、呪術師が関わっている可能性が……」
新たな単語に、頭が混乱する。何度も繰り返した死の中で呪術師という単語は出てこなかった。
その意味を訊こうと口を開こうとした時、ギルバートは足を止めた。
いつの間にか、屋敷近くまで戻っていたのだろう。夜更けだった景色は朝焼けに変わりつつあった。
もう屋敷に戻ってしまったことに、複雑に思う。と、足を止めてからやけに黙っているギルバートが気になった。彼女は少し上を見上げて目を見開いていた。
不審に思って、彼女の視線を追う。その先には、赤く燃え上がる屋敷があった。
「え……」
言葉を失う。それはギルバートがそうだったように、ミズキもそうなった。
日数としては少ないが、それでも長くいた屋敷が炎で包まれていたのだ。ミズキのいた屋敷が火事になっていた。
「お前はここで待っていろ。屋敷には近くな」
「な、何?」
戸惑うミズキを他所に、ギルバートはミズキを優しく降ろす余裕もなく乱暴にミズキは地面に落とされる。
ギルバートはそんなミズキを見ている隙もなく、屋敷の方へと走っていた。
「何が起こっているの……?」
誰に問う相手もいない呟きが虚しく炎に吸い込まれる。目の前では轟々と燃え盛る屋敷がある。
わけがわからない。だが、一つだけ本能が理解していることがある。
やけに早くなる心音が報せている真実。それは、ミズキの死が近づいているということ。
自分の知らない新たな死の足音が心音となって現れる。
背後に感じる魔獣の気配から逃げるように、ギルバートの忠告を無視して燃え盛る屋敷の方へ走るのだった。




