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イヴの世界  作者: あこ
一章 ここが私の新世界
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嘘だよ


「お湯加減は如何ですか?」

「えと……」

 ミズキは困惑していた。

 屋敷の広大さに恥じぬ広々とした浴槽に、ポツリと入浴する緊張感に苛まれながら自分を見る視線に当惑する。その本人は風呂場であるに関わらず従者の服装から着替えず、見張っているわけだ。服装を着たままの彼女と裸の自分との違いに妙な恥辱を得ていた。

 答えに惑っていると、ミズキのお風呂に付き合っているアメリアは首を傾げながら続ける。

「お背中流しますよ」

 と、従者らしいサービス心を剥き出して近くの桶と石鹸の置かれた場所を一瞥した。

「じ、自分でできますからっ」

 正直、見られることに心持ちならない。ミズキとしてはこの場から去って欲しいのだ。

 だが、彼女が素直にこの場を離れず見張っているのにも理由がある。それはミズキの容態を気にしてのことだろう。

 朝から錯乱状態が続き、ルラが訪れた後も精神は乱れ状態は不安定だ。それを気にして、ルラが帰った後、彼女から助言を聞いたアメリアはこうしてミズキを側で介護する姿勢を取っている。

 最も、ルラから聞いた助言は汗臭い身体を何とかして、ということだろう事は容易に想像できた。

 して、ミズキは精神状態を整理できずにいる。死の瞬間を鮮明に記憶している気味の悪いさを引きずり、身体の異常なさ、そうした倒錯ぶりに複雑さを抱かずにいられない。

 アメリアが表情を崩さずに、逐一心配した言葉をかけてくれている間はほんのちょっとだけそういう物を忘れられた。彼女がここにいるのは気恥ずかしさこそ覚えるけど、心の拠り所になっているのも事実だった。

「……アメリアさん、ごめん」

 ミズキは不意に、そう呟いた。

 ミズキの後ろでじっと立っているアメリアはすぐには言わなかった。何かを悩んでいる間なのか、意地悪な間なのか。でも、その間の末、風呂場に困ったような笑みが漏れた気がした。

「何の謝罪ですか?」

「だって……見ず知らずの私を屋敷に置いてくれて、本当は私はそれに報わないといけないのに。こんな、こんな……」

 意味の判らない事はある。ついていけない部分は多々ある。それはミズキの精神的なところで言える事。ただ実際、異世界に放り出されてこうしてよくしている部分を蔑ろにするのは悪い事だと思った。

 情緒が不安定なミズキは、唐突に謝罪の言葉を口にし率直な言葉を口にした。

「貴方がどこの誰だか知りません」

 アメリアは謝罪の意に対して訥々と紡ぎ始めた。

「生まれも素性も知りません。けれど、リリィ様が認めたお方です。私たち従者はそれを疑うわけにはいけないでしょう」

「……リリィが認めたからいいの?」

 そういうと、アメリアは小さく返事をした。

「私は認められるほど立派な人間じゃない……」

 ミズキはか細く呟いた。

「それは貴方が決める事じゃないですよ」

「自分のことなんて自分が一番よく知ってる! どんなに駄目か、どんなにグズか。どんなに……」

ーーつまらない人間かくらい。

「貴方もしかして記憶が……」

「あっ、え、えと、忘れてください……」

 アメリアは口を閉じた。

 バツの悪くなったミズキは背を向け、浴槽の奥に進んで声を弱々しくさせていった。

「ごめん、出ていって。自分で上がれるし、自分で部屋に戻れます。だから」

 一人にしておいて、そう言おうと思ったがアメリアはこれ以上を察して言葉を割いていう。

「わかりました。脱衣所に服を置いておきます。食事は部屋の方に」

「いい……」

「……かしこまりました」

 アメリアは静かな足音を鳴らして風呂場を後にした。

 他人行儀な姿勢だ。飽きられただろうか。

 勝手なことを口にして、勝手に悲しくなる。それが自分なのだ。

 アメリアが風呂場からいなくなったのを見計ってお風呂から出る。つい横目に遮った鏡に映る自分の姿を見て、目を背けてしまう。

 記憶が蘇る前は純粋な瞳をしていたのに、記憶が戻った途端に見飽きた自分の虚な瞳をしている。瞳は精神を映す鏡だというがこうも顕著に出るものかと自嘲する。

 身体は十七くらいだが、貧相な体付きが目立つ。胸の育ちを信じた実際十七の頃の淡い希望は二十を越えたあたりで諦めたことを思い出す。

 胸の育ちが悪いのも、童顔も、気に入らない特徴を引き継いだ自分の体躯に嫌気が差す。だから、ミズキは鏡に映る自分の姿をじっと見れない。

 若返ってさえ、自分の身体であるのは間違いない。しみやしわなどはなくなっているようだが、それでも自分の姿を見るのには抵抗がある。

 考えも程々に、恐怖を思い出す前に風呂場を出る。

 脱衣所で丁寧に水気を拭き取って、用意された服装に着替えた。

 お風呂に入る前と変わらない質素な着心地の服に着て、迷うことなく自室へと向かおうと廊下へ出た時、甘い声がミズキを呼び止めた。

「ミズキ……大丈夫?」

 その声に、ミズキはゆっくり振り向く。

 顔は見れなかった。虚な視界に、純白のワンピースが映る。

「私、心配したの。ミズキにどんなことあったか判らないけど……」

 彼女の表情は暗い。表情を見ていないミズキは彼女のその口調で想像していた。

「私はミズキの主人です。だからっ、ミズキのために、私っ」

「どうして?」

 ミズキは冷く言い放った。

 反射的に身体を引かせたリリィは困惑する。

「どうしてリリィは私に構ってくれるの?」

 ミズキの中に段々嫌な気持ちが湧き上がる。悪い気持ち。不快な気持ち。

「どうしてって……。やっぱり、ミズキはその首輪は気に入らない?」

 ミズキの首元に付けられたローヤルチョーカー。付けられた者は主人の命を全うする宝物だ。

 ミズキにとってこれはリリィとの繋がりを自覚するものだ。そのはずだった。

 何も知らないで、たった一人の自分をそばに置いてくれている彼女の存在はミズキにとって重要な存在だったはずだ。でも、思い出してそれらの意味は変わった。

「……気に入ってるよ」

「そ、そう。ならーー」

「だって、これは奴隷の証何でしょ?」

「え……」

 そう意味は変わった。いや、最初からその意味は変わらない。記憶のなかった自分が、そしてリリィが言い様に解釈したものでしかなかった。

「私みたいな人間にはピッタリな物だよ。リリィは一眼でそれを見抜いてくれたんだね」

 皮肉が口から飛び出す。そこで、ミズキは初めてリリィの当惑めいた面を見た。

 虚な瞳がリリィのまっさらな瞳を突き刺す。彼女は瞳を潤ませいう。

「ち、違う!」

「違う? 違わないよ。リリィは私のこと奴隷だって言ったんだよ。だから、足を舐めさせたりしたんだよね」

「それは……」

「すごいなぁ、リリィ。お姫様って呼ばれるだけあるよ。私がどれだけ卑しくて醜いかを知ってくれている」

 自嘲は止まない。皮肉は口から離れない。今、自分がどれほど醜い顔をしているのか。彼女の純朴な眼差しには似合わない自分がそこにいた。

「私にリリィの付き人なんて似合わないよ。資格なんてないんだよ。だって、私はーー」

 中身のない人間だ。そう言おうとした口は突然、閉じられた。

 涙目で近づいてくるリリィは眼前で感情を剥き出していう。

「似合わないなんて言わないでください……、資格がないなんて言わないでください……。ミズキは言ってくれました。一緒にいてくれるって」

ーーああ、そんなこと言ったけ。でも、それって記憶が戻っていない時の話だなぁ。

 何だか、遠い記憶を思い出すように虚な瞳が上向いて瞑る。

 記憶ってのは性格の一部だ。ならば、記憶がない自分ってのは他人でしかないと思う。

 ミズキは近づいてきたリリィを引き剥がして、彼女から目を背けた。

「ミズキ!」

「嘘だよ」

 その言葉に、リリィは唖然と目を白黒させた。

「全部、嘘。笑顔も言葉も全部、全部!」

「…………ミズキ、記憶が戻ったの?」

 リリィは声を震わしながら気づいたことを疑問した。

 ミズキはあざけるように面を歪めていう。

「そうだね。だからね、昨日までの私のことは忘れて欲しいな。だって、それ全部嘘だから」

 冷淡な言い様。自分でもどんなに冷たい人間かくらい知っていたが、悲しそうな面差しをしてこちらを見据えるリリィを前にして驚くほど自分の感情がぶれていないことに気づいた。

 死に対する恐怖が、吹っ切れたのだろうか。その所在は判らない。

「大丈夫だよ。私は付き人になれなかったけど、奴隷にはなれるから。リリィが望むなら何だってするよ。ああ、でも、死ぬのだけは嫌かな」

 最後に、そう冷たく言い放つと、目を吊り上げたリリィが涙を浮かべて言い返してきた。

「私は……昨日のミズキを信じます」

 涙ながらに、彼女はミズキの側を過ぎ去っていった。

 一人残ったミズキは気に入らなそうに呟く。

「私の何知ってんのさ……」

 か細い声。一人になって複雑な思いが心中でチラつく。

 静かな足音が廊下に響く。ミズキはリリィの背が消えた廊下の奥を一瞥して、自室へと戻っていった。

閲覧ありがとうざいます!更新頻度は相変わらずですが励みになります!

やっと話が進みそうです。。。

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