新たな一日・2
真っ暗闇の海の中に沈んでいる。海中にいるのに、息ができていて生きている。
いつまでも沈み続けている。何も聞こえない。何も見えない。それでも、身体は圧迫されている。息だけが続いている。
死なない。死ねない。終わりがない。
悪夢だーー。
「はっ……、はあ、はあ」
ミズキは眠りから醒めた。
全身がびっしょりと汗で濡れている。気持ちの悪い感覚は頭の中だけでなく、身体にも襲った。
荒い呼吸を整えて徐々に、現実に感覚を取り戻していく。
自分の肢体を触って、特に喉元を入念に掻き毟るようにして確認する。抉れてはいない。呼吸も荒いが正常だ。瞳もちゃんと動いている。生きていた。
「全く、目が覚めて早々騒々しいのだから」
ミズキの錯乱を呆れたようにぼやく幼女の声が割り込む。
ミズキは急に手を出された小動物のように身体をビクつかせ、視線だけを声の方に動かした。
「何もしないのですね。一体、どんな悪夢を見ればそうなるのか。よくもまあ、こんな面倒なのを拾って来たのですね」
ミズキの容態を心配するどころか瞳を虚げにさせて傍観していた。
見覚えのあるドレスを身に纏った口の悪い幼女だ。袖やスカートの裾にまでフリルをつけ、メルヘンチックな様相は彼女が下げているツインテールがよく似合う。口を開かなければ、御伽噺にでも出てきそうな無垢な幼女だが、彼女が性悪なことをミズキは知っている。
「な、なに……」
震えた声が彼女の動向を探る。
口の悪い幼女は露骨なため息を吐いた。
扉の前にいた彼女はベッドに座るミズキに長いツインテールの先を撫で付けて近づいてくる。ミズキの前に、虚無な瞳が来る。
興味なさそうな瞳を前にして、恐怖が身体中を駆け巡る。恐怖のせいか身体は強張って彼女の前から逃げられなかった。
「…………貴方って」
この先の言葉は想像できた。何度も、何度も、告げられたことだ。
その言葉がミズキの心を何度も乱した。そして、殺される動機の一つになっている。
口の悪い幼女、ルラは自身の加護でミズキにイブの呪いたる何かを感じ取っていた。その加護のせいで、ミズキはかき乱されている。今回も、また不適なことを囁くに違いない。
そう思って、彼女から目を逸らし目を瞑る。
耳元に淡い息がかかる。スーッと吸い込む音が聞こえ、ついにそれは告げられた。
「臭いが酷いですね。今すぐお風呂に入って汚れを落としてください。汗臭いですね」
告げられた事は、ミズキにとって素っ頓狂な事だった。
ルラは鼻頭を摘んで、ミズキの側から離れた。
今、彼女から貶されたわけだが、それよりもイブの名が出なかったことに驚いた。
ミズキは目元を丸くさせて、彼女の方を見つめる。
「なんですか? 悪いけど事実ですよ。家畜小屋のようなすえた臭いです」
彼女はなおも悪口を助長させていう。
ミズキはわけがわからないと言った顔で彼女の方を見るが、彼女はただただミズキの体臭を責める言い草しかしてこない。
災厄らしいイブの名は一向に出てこなかった。
「ああ、もしかして貴方の容態のことを気にしているのですか?」
ルラは視線の意味に気づいたのか。一定の距離を保ってそういう。
「お姫様に言われて見に来ましたけど、精神状態に乱れはありますが身体に異常はないのですね。私の加護もそう告げています」
「え、そ、そう……」
果てしない違和感が襲う。どうして、このルラはミズキの中にいるというイブの呪いを見ぬいていないのだろうか。イブについて散々、語ってくれて不安を煽った彼女が真逆のことを言っている。
わからないが、今回と以前の違いと言えば、
「……記憶?」
不意に、そう呟いた。
遠くでミズキを見張っているルラはその呟きに首を傾げたが、ミズキは慌てて首を振った。
「な、何でもないです。何でも……」
「そう。だったら、早くお風呂に入って来るのですね。臭いったらありゃしない」
「あはは……変な言い方……」
今日日聞かない文言に苦笑いを浮かべると、部屋に長居したくないルラは早々に退散した。
部屋に残るミズキ。言い知れぬ感覚が蘇る。
今までと違う出来事に困惑する。だが、それは一つの希望のようにも思えた。
何でこんな世界にいるのか。どうして自分は苦しまなければいけないのか。
様々な疑念、疑惑は尽きない。なにが正解なのかもわからない。
もしかしたら、自分にイブの呪いなんてないんじゃないかと思った。だって、何でも見抜くはずのルラがそれを告げなかったのだ。
これまでの全てが夢で、今から本当の異世界のお話が始まるのかもしれない。
よくある異世界の物語。今から始められるじゃないか。
「あは、あははは、あははははは……」
乾いた笑いが出る。手先を広げて見下ろすと、震えた手がそこにある。
混乱する頭、未だ現実と空想の錯誤に身体が追いつかない。それでも、自分が何度も死んだ感覚は本物だと頭の中で響いて叫んでいる。
ミズキにある呪い。
ミズキだけの狂った笑い声。誰かの笑い声のように聞こえる。
何度も聞いた笑殺。それがミズキの耳元で囁かれている。
耳を塞いでも、手元を通り抜けて聞かせてくる。
あの出来事全てが真実だと訴えてくる。
ミズキはまだ悪夢の中に居座っていたのだ。
久しぶりだじぇ




