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イヴの世界  作者: あこ
一章 ここが私の新世界
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新たな一日・1

1

 精神と肉体の差異。それは狂態を呈していた。

 肉体は平気なはずなのに、精神は直接頭の中弄られたみたいに傷だらけだ。その倒錯ぶりに、安定を求めようとする本能が違和感を察して身体までもが異常だと思い込み嘔吐感や倦怠感を生み出していた。

 ミズキは、あの夢の中で期待していた異世界生活の変革など再び想起する余裕もなくベッドの上で寝そべっていた。

「あ、あ……」

 うわ言みたく嗚咽を漏らす。狂った気はその口から漏れていた。

 それを訝しげに、気掛かりに目を張るのはアメリアだ。

 彼女にしてみれば、起こしに来た際に突然気が動転したかのように面を青白くさせ嘔吐までするミズキを目撃したのだ。『昨日』とのまったくのギャップに驚かされる。しかし、ミズキのことまだ知らない彼女は、なにかとてつもない暗い過去を悪夢として想起したのではないか、くらいに留めていた。

 この状態のミズキを朝からアメリアは気に掛け世話をしていた。アメリアには予定があったのだが、それを繰り上げこれから屋敷に住む新人の世話を優先している。

 して、アメリアはその予定もあっていつまでもミズキを世話できず頭を悩ませている部分もあった。

 アメリアはベッド上でうめき声を上げるミズキを横目に、一度ここを後にして主人の下、リリィの部屋を訪れることにした。

 リリィには先刻、すでに報告してある。ミズキの世話もリリィからの言伝でもある。それに即してもとよりあったアメリアの予定をリリィから繰り上げるようとも言われている。

 しかし、予定は繰り上げているだけであって本日中にどのみちこなさなければならない事柄だ。

 アメリアは予定のため屋敷を離れることを伝えにリリィの部屋を訪れたのである。

「失礼します」

 仰々しい面持ちでリリィの部屋に入室する。

 中に入ると、アメリアの声に気づいたリリィが足早に駆けつけてきた。

「ミズキは大丈夫?」

 アメリアが来て早々、ミズキの容態を案じる。

 アメリアは少し当惑を瞳に映して口を開く。

「いえ……、怯えているような、精神的に参っている部分があるようで」

「そう……。ねえ、ルラにはみてもらったの?」

 リリィは心配そうに目を伏せていう。

「ルラ様には朝方にお伝えしましたが、夕方からしか診られないとのことで」

「そうなの……」

 項垂れた様子でいう。

「これからまた診られるよう伝えにいきます。ルラ様が診られてからでも良いのでリリィ様もミズキの様子を伺ってはどうでしょうか?」

 リリィを訪ねた本筋は、お見舞いの打診のためだった。

「ミズキはリリィ様の従者であります。それに宝物を使った契約もされています。もう一度、彼女の容態を間近で案じるのも契約を交わした主人の務めですよ」

 瞳だけまぁるく優しくさせて、主人たるリリィを説諭するようにいう。無表情ながらも、瞳の優しさだけで面全体が慈愛に満ちてるように見える。

 アメリアが言ったように、もう一度、ということからリリィは一度ミズキの部屋を訪れている。

 朝方アメリアから報告があって真っ先に向かったのは誰でもないリリィである。

 だが、リリィは朝訪問してから今一度ミズキに会うことに戸惑いを見せていた。

 その戸惑いの所在。アメリアはこの屋敷に仕える身として、幼い頃の彼女を仕えた時から見ていた身として察していた。

「……あの宝物はやはり気まぐれでつけられたものなのでしょうか」

 アメリアは真剣な面持ちでいう。そのまま続けて、

「そのようなお気持ちで付けられるような代物ではありませんよ。あの宝物は」

「わ、わかっています。確かに最初は悪戯心でしたけど、あ、ほんのちょっとですからね!」

 当惑して言葉を乱すリリィ。

「でも、ミズキは……」

 リリィは想起していた。

 ミズキが屋敷に来た日のことだ。ローヤルチョーカー彼女に付けた日、その夕食での会話を思い出していた。

 最初は奴隷のつもりだったが、彼女の側にいてくれるという言葉。付き人として従者としての意味が強くなった言葉だった。それこそ主に尽くし仕えるローヤルチョーカーの本意なのだろうが、リリィは迷わない言葉に惹かれていた。

 しかし、胸を打つ言葉から一転して、今のミズキはまるで昨日と違うように見えてしまった。それこそがリリィが戸惑ってしまう理由だった。

(ミズキの過去は知らない。これから知ってゆけるはずなのに……)

 あの姿のミズキを自分の手に負えない闇を背負っているのだと感じたのだ。

 それに気まぐれで闇を垣間見てしまったという事。

 後ろめたさの正体それも含め、彼女を選び知ろうとする思いと彼女の背負う闇を垣間見たという相反する思いからだ。

 その闇は知らない。だが、あれほどの乱れようにどれだけの闇を秘めればそうなるのか。大きさだけが目に見えていた。

 彼女を選び従者としたリリィ。そう思うほどにミズキを大事にしたい気持ちがあった。

 なのに、その自信がない。

 怖くて手が震えている。再び会って今度はちゃんと声を掛けられるだろうか。

 不安は尽きない。その様子にアメリアが慈愛の眼差しを向けてきた。

 静かな調子で近づいてきて、リリィの震えた手を握った。

「我が主はよく仰っておりました。気まぐれや直感ほど真の胸裏である、と」

 アメリアの主とはクラクの屋敷の主人であろう。現在、不在であるがアメリアなど従者が真に仕えている相手である。

 アメリアは主を話す時さえ無表情に見えるが、瞳はどこか遠くを見ているような様相を呈している。

「懊悩されているという事はそれほどに考えられている証拠です。なら、それを無碍にしてはいけません」

 一呼吸置いて続ける。

「会うのに自信がないのでしたら一度深呼吸してみてはどうでしょうか? そうですね、アルマに紅茶を淹れて貰うよう伝えておきましょう。彼女の紅茶は色味も風味も今のリリィ様に合った物を提供できるでしょう。身体を落ち着かせて、紅茶に舌鼓を打って、貴方の気まぐれを信用できるようになったらミズキにお会いになって下さい」

 一息でそう言って、最後にこう締めくくる。

「それくらいの時間がリリィ様には必要です。大丈夫ですよ、貴方が選んだ人です。まだ日は浅く、彼女の秘めるものも知るところではありませんが、きっと応えてくれますよ」

 一瞬だけアメリアが微笑みかけたように見えた。

「あなた、今笑った?」

「どうでしょうか。でも、そう見えたならリリィ様も我が主と同じ洞察をお持ちですね」

 冗談めいた発言だ。

 けど、リリィは少しだけ勇気を貰った。

「ありがとう。アメリアの言う通りそうさせて貰うわ」

「はい。では、私はこれで」

 アメリアは丁重にお辞儀をして、扉から出ようとする。その間にリリィが止めた。

「ねえ、アメリア」

「? なんでしょうか? アルマには伝えておきますよ」

「そうじゃなくて」

 アメリアはとぼけるように首を傾げる。彼女に向かってリリィはちゃんと口を開いていう。

 だが、開いた口は声を出さなかった。

 アメリアは一瞥していう。

「知るのは誰だって怖いものです。知ってなお近づこうとするのもっと怖いものです。ですが、それを越えて関係というものが生まれます」

 また微笑だったのか。らしいそれは相変わらずわかりにくいが、それ以上言わず彼女はここを後にした。

 リリィは深呼吸をする。

 まったく怖くなくなったわけではないが、一つ決意が生まれた。

 自分もミズキの側にいるように、と。

 そういう、まだ拙い決意だ。


区切りの続きやで

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