新しい私
唄が聞こえていた。
それがどんな唄だったかは、今や空漠たることだ。そう前述で断言する割りに、空漠と言い収めるところがその唄がどんなに空虚なものであったかを示している。
あるのは虚脱感だ。それをいつ聞いていたのか、どこで聞いていたのか。判然としない。それが、唄である事以上に、そのどこであったかの把握がそもそもできていない。
そのために、きっとそう虚脱感を得ているのである。
そんなに漠然としたものなのに、それがどういった唄であるかは精神が覚えている。
何かを讃えるような、何かを慈しむような――悲歎な唄だった。
ある意味で、それは祈念している悲歎の唄は、少なくとも夢の続きで聞いていたのだと思う。
1
夢で目覚める。そういった表現は、何とも珍妙だ。だけど、世界が真っ白で幻想的であるところで目覚めるとそりゃあ夢だと判断を尽くす。しかし、なんだろうか。夢で感じる現実の模様。もはや、荒唐無稽なイイ様となっている。
事の状況と云えば、騎士のような形をした女性に助けられた――ような状況である。目が覚めて、声をかけられた相手は、最初こそは昔よく見ていた少女漫画の王子様らしき形であったが仮面を取った正体は、美しい女性であった。
残念といえば、残念。これが夢ならば、イケメンの王子様が仮面の中の正体であったらいいのにと、都合の良い妄想を思案していた。夢といえど、思い通りにならないところに現実感を漂わせている。
といっても、白い世界のような白バラの平原であったり、何かを感じさせる樹木だったりと、思案を尽くせば尽くすほどに夢としか認知できない。だけども、中途半端な夢の構成に、その光景を夢と現実の狭間だと叙述するしかない。
その狭間から騎士の女性、ルバート・エリザベスに誘われ白馬に乗馬した。彼女の身体を後ろから抱く形で、落とされないようにしっかりと掴まる。
「……君はどうやってここに?」
ルバートは慎重に尋ねてきた。彼女のその質問、出会って似たような事を聞かれたものだ。ここを仮に現実の一端だとするならば、その真意はここが稀な場所だと言う事かな。しかし、そうだとしても彼女の質問に期待通りの答えはできなさそうだ。だから、私は曖昧に返事をした。
「き、気づいたらここに……」
「全裸でか?」
「ええと……そう」
うまく答えられず、騎士風の彼女は小さなため息を吐いていた。
「まあ、いいさ。君の所在はルラに聞けばいい。それまで、眠ってもらおうかな」
彼女の言う誰かの固有名詞に疑問を持つ間もなく、彼女が青色の小瓶を私の鼻の近くに寄せてきた。すると、その小瓶から漂う芳しい匂いに当てられて、私の意識は消失した。
夢で目覚め、夢で眠る。矛盾した感覚。それを夢ではなく、現実だというのだけど、そろそろこの奇妙な風景を認めなければならないのかもしれない。
次、目覚めた時は、現実を忘れることにしよう。
「ん……」
身体が揺れている。時折、強く揺れる。緩急をつけたような揺れ、その不安定さに気づいて私は目を覚ました。
どうやら、私は馬に乗っているようだ。それも綺麗に揃った白色の馬。毛並みは、それに相応しく靡かせていた。それを操っているのは、甲冑姿の人。だれだろうか、この人。それに、私はどうしてここに……。
記憶が曖昧なまま、甲冑姿の人を背後から伺っていると、声をかけられる。
「おや、目覚めみたいだね」
「え、と……はい」
とりあえず返事をしてみた。
「それにしても、驚きだよ。都市郊外の境界線外で寝ていたんだからね。それも全裸で」
そういわれて、自分の身体を見てみるとマントのような布一枚を羽織っているだけで、全裸だった。恥ずかしくなって、甲冑姿の人に抱きつく形で隠した。
「ははっ、まあ、魔物に襲われなくて本当に良かったよ。私が君を見つけなかったら今頃、魔物のいい餌になっていたところさ」
「えっ……」
背筋が凍った。ふと、後方を伺う。その魔物とやらが追っていないかを見る。
「大丈夫だよ。もうこの辺は国領付近だから魔物が出ないように結界がある」
「そ、そうなんだ……」
「ああ、じきに町に着く。……そういえば、君は寝ていたから名前を聞いていなかったね。名前は何ていうのかな?」
「あー、と私の名前は――」
――あれ? 私の名前ってなんだっけ? どうして思い出せないんだろ。
違和感があった。それは目覚めてからあったことだ。記憶が曖昧で、あやふやで、不安定で、気分がすぐれない……。
「ん? 大丈夫かい? 顔色が悪いみたいだけど」
「いや、だ、大丈夫……」
なにこの違和感。いやだ。嫌だ。イヤダ。思い出しちゃいけない――。
「……はあっ。ご、ごめんなさい。へ、変な話だけど、自分の名前、わかんない、みたい」
不審を漂わせていった。
「え……まさか、記憶喪失ってやつかい?」
「そ、そうみたいです……」
自分でも不確かな事だと思っていう。
「うーむ、それは困ったな。これから君を何て読もうか――そうだ! ミズキと呼ぼう!」
「ミズキ?」
「君みたいなピチピチな若い子にはぴったりだよ」
ミズキか……。
「うん」
「それにしても記憶喪失か。それならば、……そうだな。姫様にでも相談するかな」
一体何の相談なのだろう。そう思って、その人の顔のわからない甲を見上げた。
「もうすぐ町に着く。君は何も心配しなくていい」
「うん……」
よくわからないけど、親切そうな人だ。何も知らないし、その人についていくのが一番良い選択だ。私は、白馬に乗って、周りの閑散とした森林の風景を珍しげに眺望してることにした。
名前の知らない甲冑姿の人のいうように、すぐに町へと着いた。
町並みは、石造りの建物が主で地面もまた石畳で、中世ヨーロッパのような感じだ。? 中世ヨーロッパってどこだよ……、まあ、いいや。整えられた町並みに、思わず感嘆の声を漏らした。
「あらまっ、お帰りなさい! ルバートさん」
と、アーチ状の入口を通ると、近くを歩いていた小太りのおばさんが喜々としてルバートと呼ぶ甲冑姿の人に話をかけてきた。
「これはフランチさん。今日もお綺麗ですね。私が出かける以前より、素敵になられたのではないですか?」
「いやねえ、もう! そうだっ、無事に帰って着たことだし、これをあげるわね」
このルバートっていう人は、なにお世辞なんか言っちゃってるんだか。それを真に受けるなんて、愚直だなー。
「ありがとうございます。ありがたく頂きます」
「いいのよ。それにしても、後ろの子はどうしたの?」
おばさんがこっちを伺おうとするので、思わず布を顔を隠すように覆った。
「……ああ、この子は道中で拾ったのです」
「まさか、捨て子……」
「そう……かもしれません。とにかく、姫様に報告をしようと」
「そうよねえ。ごめんなさいね。呼び止めちゃって」
「いえ、では、行きますね。お綺麗なお嬢さん」
そういって白馬はゆっくりとした調子で直進を始める。後方を見ると、最後まで自分の年齢を忘れたような顔で赤らめているおばさんが見えた。
「ほら、これ食べるといい」
そういわれて、手渡されたのは先ほどおばさんからもらい受けた細長い赤い果実だった。
「いいの? えーと、ルバートが貰ったものじゃないの?」
申し訳なくいう。
「いいんだよ。私はリンゴは苦手だからね」
「ふーん」
と、リンゴと呼ぶ細長い赤い果実をじっと見た。……リンゴってこんな感じだっけ? わかんないけど、お腹もすいているし、齧ることにした。
それにしても、このルバートっていう人。白馬に乗って街を歩くだけで、黄色い歓声が上がっている。ルバートは、兜も外さずに、手を振ってそれを返している。そろそろ外したらどうだろうか。
あっ、このリンゴ美味しい……。芯も食べられるみたいだ。
「ちょっと、寄りたいところがあるんだがいいかな?」
「早く姫様とやらに報告しなきゃいけないんじゃないですか?」
イヤミったらしくいった。
「そのような返しができるのならば大丈夫だな」
「拒否権ないじゃないですか……」
「あははっ」
ま、記憶喪失って割に妙に落ち着いているから別にいいけどさ。
白馬はとある店の前で止まった。ルバートは颯爽と白馬から降りると、兜を剥いだ。すると、そこから現れたのは金色の髪をした可憐な顔をした美女だった。
近くにいた数人の女性が、色めきあっていた。
「これ持っていてくれるか」
と、いって彼女が投げてきたのは兜だった。それを懸命に受け取って、うろたえていう。
「いきなりなに?」
「お留守番だよ」
そういって、ルバートは店内へと入っていった。
人使い荒いな。記憶喪失だっていうのに……。知り合って、一時間も経っていないよ、多分。
はあ、周囲の目線が気になる。布を剥いだら裸だし、すっごいいやな状況だ。早く店から出てこないかなー。
ルバートが入った店は、よくわかんなかった。よくわかんないっていうのは、無論店前の看板には店名らしきものが描かれているがどうしてか読めない。それが、記憶喪失の産物かはわからないけど、とにかく読めず店がどういったものか判断が付かない。
店のガラス越しに飾られているショーケースには、何やら飾り物があって、察するにアクセサリーショップだろうか。なんだ、誰かにプレゼントでもするのか。
なんて、考えてしばらくいるとルバートは布袋を提げて出てきた。
「お待たせ」
デートで彼女を待たせた彼氏みたいなことをいう。
「別に……」
なんで、私も彼女の反応をしてんだ。
「あははっ、悪いね。それじゃあ、急ごうか」
そういって、ルバートは器用に布袋を持ったまま白馬に乗った。
「はい」
といって、ルバートは空いた手と布袋を持った手を差し出した。私は、兜を渡し、布袋を受け取った。
「わざわざ兜をかぶりなおすの?」
「そりゃあね」
「めんどくさ……」
「もう習慣になっているんだよ。この姿の時は基本全身装備しておくように、とね」
彼女は二度兜をかぶった。彼女は、手綱を叩いて白馬を走らせた。それに振り落とされないように、しっかりと硬い甲冑に捕まった。
大した時間もかからず、白馬は目的の場所にたどり着いた。
姫様とやらの所在は、そう名乗るに相応しい屋敷だった。水堀にかけた橋を渡ると、屋敷の外からは想像できないほどの美しい中庭が広がっていた。
「ここは……?」
無意識に訊ねた。
「ここはクラクの屋敷だよ」
「クラク?」初めて耳にする単語に二度尋ねる。
「この街の名前だよ。ま、クラクはこの国の中でも田舎なんだけどね」
「ふーん」
つまり街の一番偉い人が住んでいる場所ってことか。
そんな浅い想像して、白馬は屋敷内部へと侵入していく。しばらく、広大な眺望を見ていると、白馬は途端に止まった。
「着いたぞ」
ルバートの合図に、不意に驚いて間を置いて反応する。
「う、うん」
先に降りたルバートは、降りるのに困った私を見て両手を差し出してきた。それに掴まって、地面へと降りた。先程までずっと白馬に乗っていたせいで、降りたとたんにふらついてしまう。と、ルバートは優しげに支えてくれた。
相手が女に関わらず照れて彼女から離れると、どこからか使用人の服装をした女性が現れた。
「ルバート様、お帰りなさい。馬は私が預かりましょう」
丁寧な口調で彼女はいう。
「ああ、頼む」
ルバートにいわれ、使用人の彼女はお辞儀をして白馬の手綱を持ってどこかへ行ってしまった。
「そうだ。ミズキ、私は着替えるから君は屋敷の中を適当に散策するといい」
「えー……」
うなだれて見せている内に、ルバートはさっさと行ってしまう。
はあ、裸なんだけどな……。そう思いながら、頼りない布一枚をしっかりと握って屋敷へと入っていった。
中は、思ったよりは質素な空間だった。ギラギラするほどの装飾はなく、かと言って屋敷らしく広大とも云える空間が広がっている。何とも、筆舌しにくい中途半端な作り。
エントランス正面には、作った彫刻家にしかわからないような偶像が飾られてある。奇妙なことに、人間の身体半分でしか作られておらず、これが完成形なのか半端に作ったものなのか、凡人の私にはわかるまい。女性の乳房がやけに、整えられて作られているところ見ると、やはり芸術家は女性をモチーフにするのが多いのかもしれない。
そんな凡庸らしい思考を浮かべ、屋敷を歩き回ることに。
ここ屋敷って言っていたけど、外装から見てみるに城っぽいな。水堀なんかもあったし、それに内装もそれに近しい。屋敷って言う割には、ここには姫様とやらがいるみたいだし。
ルバートの曖昧な指示のせいで、これからの行動が見当たらない。適当に散策してろって、こんな広い屋敷の中じゃ迷ってしまう。それから、二度ルバートと再会できるとは思わない。
だけど、ぼーっと分かりやすい場所で突っ立っておくのも手持ち無沙汰だ。無策であるけど、彼女の言うように適当に散策をすることにする。
まあ、しばらく散策して……もう迷ったわけだけど。
「……ここどこ?」
なんて疑問を漏らす。私の格好は、未だに布一枚の全裸だ。こんな知らない場所で、不審な状態で放られるとは流石に無策過ぎたか。
なにげに、寒気がするし早いとこ人間らしい格好になりたいところだ。
というか、散々屋敷内を歩いたと思うけど人を見かけない。ここで見たのは、中庭で白馬を引取りにきた使用人だけだ。
こんな広い屋敷に、使用人がひとりなんてことはあるまい。だけど、こんなに不思議と見かけないことを不審に覚える。
そうやって迷っていると、ふと屋敷の先ほどの中庭と違った庭へと踏み入れた。
屋敷入口前の庭と違って、とても鮮麗された狭隘な庭だった。
庭には、シンプルな噴水が中央に飾られている。その周りには、チューリップの花が咲き誇って囲っていった。
先ほどの庭と違った美しさに見蕩れて、庭内を練り歩くことにした。咲き誇るチューリップを眺望しながら、その中央にある噴水へと近づく――と、そこには一人の女の子が噴水の噴射を見上げて淵に座っていた。
その女の子、淡い色をしたドレスを着用している。髪も、流れるように綺麗にセットされた茶髪で、胸元のネックレスや手首のブレスレッドといったアクセサリーから、まるでお姫様のような少女がそこにはいた。
この庭もそうだったけど、また少女にも私は見蕩れてしまった。いかにもなお姫様が、まさか世界に存在していたなんて驚きだ。
そう見蕩れている、私のやましい視線に気付いたのか、お姫様らしき少女は澄んだ双眸をこちらに向けてきた。
「だれ?」
彼女の声色は、少女らしい幼い声だった。見た目的には、十七くらいの容貌を伺えるが、その声色に純朴さを感じられた。
「あ、と……ここに連れてこられた……ものです」
不審を悟られるように、慎重に話す。
「連れてこられた? ああ、もしかしてエルザベスにですか? またあの人は拾い物をしたんだ」
と、彼女は繰り言を漏らしてそっと噴水の淵から立ち上がってこちらの方を向いた。
「それにしては妙な格好ですね。全裸で捨てられたんですか?」
「えと……記憶がなくて」
小声で応えた。
「記憶喪失? ……もしかして、元奴隷なのかな」
彼女は突飛なことを言う。
「全裸だし、どこかの国で奴隷として過ごしていたのかも」
「そーなのかな?」
そういわれてもはっきりしないことだ。
「あなたはどうせ行く場所などないのでしょう?」
「そ、そりゃあ……」
右往左往わからないために、当たり前のことだ。
「丁度、私、『ある物』をエリザベスにお願いしていたの」
「『ある物』?」
急に、不安がこみ上げてコクっと喉が鳴る。
「エリザベスは頭の硬い人だから、クラクには必要ないっていうの。そんなんだから、田舎だと馬鹿にされるのに」
「は、はあ……」
彼女は段々と、ゆっくりとした調子で近づいてくる。
「そうだ! あなたはこれからここの屋敷で暮らす事になるからプレゼントをあげるわ」
「え……プレゼント?」
出会って一分もないくらいで、お姫様らしき人物から贈り物を頂けるなんて親切な人だ。それに、流れで住まわせてくれるなんて素敵だ。
そう思って、全裸を覆う布を繕ってギュッと握って彼女の前に立つと、彼女は目を瞑ってと言ってきた。
そんなこと言われると期待するなー、なんて思って期待に胸を膨らませていると、首元がヒヤッとして驚いて目を開創になる。
「もう付けられるから我慢して」
つける? 一体なにをつけているのだろう……。
「はい、素敵な贈り物が装着されたわ」
と、いわれて、彼女の指先が首元をなぞるとじりっとした熱を感じた。
恐る恐る目を見開くと、目の前には純粋にこちらを見上げていた。
手には何も持っていない。目を瞑っている間に感じたのは、首元の感覚。そっと、首元を触れると何やらアクセサリーらしきものが巻かれていた。
「素敵な『チョーカ』が付けられたわ。よろしくね、私の奴隷さん」
無垢な少女の瞳からは邪慳さが見下ろされていた。
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