屋敷の一日・3
3
「遅いです。ミズキ」
自室で出迎えてくれたフィロルド・リリィは機嫌悪く面合わせた。
彼女のラフな寝巻き姿はお姫様の休日を彷彿とさせる。金色の髪に合わさった高貴な姿に、彼女の怒ったようなふくれ顔以前に見とれてしまう。
一瞬、見蕩れて遅れてミズキはいう。
「ご、ごめん」
奴隷兼従者のミズキは、そのような役柄を匂わせない態度で話す。
隣でそれを見ているアメリアは驚いた表情で、リリィと視線が合う。すると、リリィは神妙な面差しで彼女のほうに示した。
「ま、いいです。中に入ってください」
少し棘の感じる言い方で、身体を戸から避けてミズキを招く。
ミズキは小さなお辞儀をしながらリリィの自室へ入る。お盆を傾けないよう気をつけて、部屋にある丁度良い机の上に置いた。
「リリィ様、食事に遅れまして申し訳ありません」
アメリアは深々とお辞儀をした。
「いいの。ミズキの体調が優れなかったのはすでに聞いていましたし」
リリィはアメリアから、ミズキの朝の調子について聞いていた。
聞いておいて意地悪な対応をしたリリィに、姫の気質を感じる。
「ミズキはミラに診てもらうことにしました」
「ええ、それが良いでしょう」
リリィとアメリアは、部屋の中で朝食を準備している姿を一瞥した。
「では、私はこれで」
と、篤実に頭を垂れる。
「アメリア」
不意にリリィから呼び止められ、首だけを振り向かせた。
「これから王都に行くのでしょう?」
リリィの端的な問いかけに首を縦に振って応えた。
アメリアの澄んだ瞳はリリィのどこか物憂げな面を捉えた。その所在を察して、アメリアは口角に微々たる笑みを含ませていう。
「リリィ様が気に病む事ではありません」
「でも、ルベルナがいない今。私が行くべきなのに……」
「当主が不在時の代行とはいえ事務作業は任せられません。リリィ様の本来の立場は《姫》なのですから」
戸の前で、アメリアとリリィが話しているのがちらつく。ミズキはその室内で状況を一瞥しているが、リリィの顔に憂くを染めているのが気になった。
相変わず、会話の内容はイマイチ掴めない。
二人の会話は、リリィの神妙な頷きで終えた。アメリアは去る際にチラとこちらを見てきたけど、無表情の視線にその意味を感じられなかった。
リリィはこちらに戻ってきて、朗らかな笑みを繕っていう。
「さあ、食事を取りましょうか」
「う、うん……」
同じ卓につくミズキとリリィ。
咄嗟に口ごもってしまったのは、その笑みの裏にある憂い。その所在を聞いても良いのかと逡巡したからだ。
彼女の従者――付き人として彼女の孤独に寄り添うと言っておいてミズキはまだ彼女のことを何も知らない。
踏み込む勇気がないのはミズキ自身の本心のせいなのか。だとしたら、つくづく記憶喪失は忌々しい。
けれども、それを思い出したときリリィに言った台詞も自分自身も嘘になる気がして心がざわつく。
不意に、首元に巻かれたローヤルチョーカーに手が伸びる。これはリリィとの奴隷としての契約そして証だ。彼女が命令すれば、意思なく実行を余儀なくされる宝物。
リリィが訝しげな視線でこちらを見てくる。
その視線に答えるように、口は疑問を開いた。
「ねえ、どうして私なの? この屋敷には他にも拾われて来た人がいたのに」
まだ日は浅いがそれくらいの情報は知っている。知っていることを前提に、なぜ私を選んだのか。その是非を問う。
リリィは難しそうな顔に歪めると、澄み切った瞳がミズキの不安な瞳を見つめた。
「直感じゃダメかしら?」
純朴な双眸をした彼女が口にしたのは至って誠実なものではなかった。
ミズキは不服に顔を歪めるが、同時にため息を吐いた。
すると、リリィの口先から笑みがこぼれる。まるで、子供を見るような面をしていた。
「……リリィのこと何も知らない」
つい言い訳が口をついた。だが、その言葉にリリィは当然だと首を縦に振る。
「ええ、そうね」
「何も知らないのにどうして……」
不安定な感情がこみ上げた。瞳は弱々しく、まるで自分自身の所在がハッキリしなく足場がおぼつかない場所に立っているようだ。それは記憶喪失だからではなく――別の感情がそう思わせていた。
記憶とは違う本性がそう訴えている。
リリィは優しい笑みを作った。
「……あなたは私が欲しかった言葉をくれた」
その言葉に亜然となって、目を白黒させた。目線を上げると、神妙な面差しが瞳に写った。
「私だってあなたを知らない。でも、人との関係は何も知らない所から始まるものでしょう? これからあなたを知っていく、あなただって私を知っていけばいい」
彼女は諭すように言葉を紡いでいく。優しげな調和のような音色で、耳朶は心地の良い感覚を覚えていた。
「何も知らない――けど、私は私が欲しかった言葉をくれたあなたの言葉を信じている。それがあなただと」
リリィは微笑を浮かべる。姫と呼ばれるに相応しい慈悲深い微笑だ。
彼女の言葉は素直に嬉しいものだ。けれども、それを素直に受け取れない自分がいて面は複雑を極めた。彼女にとっての言葉は、ミズキにとっては彼女を慰めたいと思ったから出た言葉だからだ。同時に、記憶喪失ゆえの言動と思慮した途端にホラ吹きのように思えて胸を張れない。
思慮は至ってネガティブだ。
ミズキは面持ちを正して、純朴な眼差しを直視する。
「ありがとう、リリィ」
複雑ではあるが、信じてくれるといったその言葉は嬉しい。これは本音だ。ここに居場所ができたみたいに心が暖かくなる。
そう思うと、自然と柔和な笑みが作れて口角が上がった。
「……でも、これは要らなかったんじゃない?」
ついローヤルチョーカーの有無について触れる。これはミズキと従者として関わる以前、出会った直後に奴隷としてつけられたものだ。
リリィは困ったように笑みをこぼしていう。
「私の従者になるのだから必要よ」
「従者でも必要なの……。ていうか、奴隷から格上げ公認ってこと?」
「そう……なるわね」
じーっと透き通った瞳を見つめる。リリィは若干目線を気恥ずかしそうに逸らしていった。
「最初は奴隷としてだけど、いいの! 似合っているわよ、ミズキ」
急に姫様的な雰囲気を出して褒めるリリィ。説得力はないが、最終的にミズキのことを従者として選んだのは本当のことだ。
従者は主人に付き従う者だ。このローヤルチョーカーも奴隷としてより、従者の所有物であるほうがしっくりくる。これを見越してつけたのかもしれない。
いや――それよりもぴったりな理由がある。彼女が最初に言った、直感だ。
奴隷としても、従者としても、ローヤルチョーカーが似合っていると言われても嬉しくはない。けれども、不意に顔を綻ばせていた。
「もう……。変な命令はしちゃだめだよ」
と、呆れ咎めるようにいう。すると、
「それはどうかしら?」
リリィはいたずらな笑みをちらつかせていうのだった。
暑ぽよ。。。




