過去の私にさようなら・後①
茫然自失。思考は停止していた。
「まさか姫が亡くなるとは」
「そんな言い方をするな。原初の姫だぞ」
「原初って言っても加護もねぇのにさ」
「まあ、何にしても王位継承式の後に巡礼が始まるはずだったのに、その前に亡くなるなんて不運だな」
「ばか、王位継承式すら行われないよ。皇女様もどっかいっちまってんだから」
近くにミズキがいるに関わらず、クラクの別邸で見張りをする騎士団の所属する騎士の二人が二人きりで話をしていた。会話の内容は茫然としているミズキには聞こえていない。
クラクの別邸での事件。狂気的なメグチがアヤチを刺したこと、別邸の中でリリィが首をかじられ血を流して死んでしまった。
リリィが死んでしまったのは魔獣に襲われてしまったそうだ。別邸の裏手に、ネコに似た四足歩行の藍色の魔獣が死んだ状態でいるのが見つかっている。その牙にはリリィの肉皮がついていたためその魔獣がリリィを襲ったのは明白だった。魔獣の名はケルピー。姿はネコのようで小柄だが、獰猛な牙があり噛み付かれた肉は簡単に裂かれるほどだという。使い魔として使役しているネコとの違いは尻尾が二つに割れていることと耳がないというところ。して、その魔獣ケルピーはガラスを破って別邸に侵入しリリィを噛み殺し裏手へ行って死んだのだ。
不自然なメグチの行動と魔獣ケルピーの局地的な行動。それらの見分は騎士団に託された。
「にしても、なんで魔獣がこんなところに……」
「魔獣が王都に侵入してきたらハンナ様が察知するんだけどねえ」
「そもそも魔獣は結界があるから入って来れないっての」
また二人が見張りのくせしてぼやいている。二人の緊張感がないのは、アンもラマンもいないからだった。あの事件の後、ハンナがこの見張りを連れてきた。ハンナも一通り別邸内の様子を見てからすでにいなくなっている。エステル教会の司教と呼ばれる愛と怒の席の二人と、聖騎士が不在のこの場は二人にとって談笑の場所になっていた。
メグチに刺されて重症になっていたアヤチはアンがこの場を去るときに自身の教会へ連れていっている。
ミズキがこの場に取り残されているのは、ラマンからここで待つよう指示されているからだ。だが、その実は事態を飲み込めず思考を放棄してしまっている節もある。とはいえ、ラマンからそう言われて一時間以上は経っている。
「なぁに、見張りのくせにおしゃべりに夢中?」
門から入ってきた人が気怠けな口調で見張り二人を責めるようにいった。その人物を確認した見張り二人は途端に背筋を伸ばして深々と首を垂らす。
その様子が茫然自失になったミズキにさえ届く。一時間以上も自失状態が続いているとはいえ、周りの状況を見るくらいは回復できていた。
ミズキはその場をゆっくりと顔を上げてみる。すると、目の前に派手な金髪をしたいかにもギャル(ミズキ的に言えば)のササキがいた。
「やっほ、ミズキ。元気してた?」
「……そう見えます、か」
ミズキは嫌味たっぷりいった。
ササキはそれを気にしていない様子で続ける。
「まあ、散々だよねぇ。まさかリリィ様が亡くなるなんてさぁ」
「ササキが守るんじゃなかったの? なんで、ササキがリリィのそばにいなかったの?!」
急に、人ごとのように話すササキに苛立って声を荒げるミズキ。
ササキはルバートに変わってリリィの付き添いで王都にきている。なのに、ササキはあまりリリィのそばにおらず単独行動が目立っている。
それを責めるが、ササキはおちゃらけた顔をやめ、キッと目つきが鋭くなりミズキを見下ろしてきた。
「それはあんたの役目でしょ?」
「……っ、私は」
「近侍でしょ? リリィ様が選んだのはあんた。私は王都のご機嫌取りに仕わされているだけ」
「でも、ササキは傭兵でしょ! 何でリリィを守らないの?!」
そう糾弾すると、ササキは面倒そうに目線を斜め向こうにあげる。
「あんたさぁ、悪いけどアタシにはアタシのやることあんのよ」
「何を……」
「確かに、王都からの要請とはいえ傭兵のアタシが姫を守れなかったのは落ち度だよ。けど、姫の側にいて守るという意味では近侍であるあんたの落ち度だ。近侍ってのはそれほど重いものなんだよ」
「でも、私は近侍だと認められていない……」
「それは王都だろ。あんたは、あんたを認めたリリィ様を信じられないのかよ」
「……うっ」
「……いや、信じられなかった、か。もうリリィ様は亡くなったし」
ササキは言葉でミズキの胸をぐさりとさす。
「まあ、いいや。アタシ、今からクラクに戻るからアンタはどする?」
「どうするって……?」
「一緒に戻る? 王都にいてもすることないでしょ」
「いや、あのラマンさんにここで待ってて言われたんだけど」
「はぁ? ラマンにぃ? ふーん、変なのに目ぇつけられたね」
「ササキはもうここを発つの?」
夜の深い時間だ。朝日が顔を出すまで数時間もないくらいだろう。
「まぁね。王都がこんな状態だし、代わりにルバートさんがここへ来るよ」
「ルバートが……」
「あんた王都に残るんだったらルバートさんに会ったらよろしく言っといて」
ササキはそう言い残し別邸を後にした。
ササキと入れ違いでラマンがやってくる。やってきたラマンには、後ろに背の高い信徒二人を従えていた。別邸で初めて見たときに連れてきた人たちだ。
「ミズキだいぶ待たせたわね」
とろんとした愛らしい表情でいうラマン。初めて会った時に感じた冷めた雰囲気とは大分違う。
「それでは行きましょう」
「え、どこに……」
「教会よ」
ラマンは朗らかに微笑を作った。
ラマンの教会ーーエステル教会、愛の宗派。その教会は王都オルファナスの中央区にある。それは王都を象徴する王宮の近くにあった。まるで王都のもう一つの顔だと言わんばかりにその場所に建っている。
外観も怒の宗派の教会に比べて数倍大きく見える。敷地も大きな庭まで広げており、愛の宗派の大きさを感じさせた。
教会の敷地に入ると、数人の信徒が出迎える。皆がラマンに向かって深くお辞儀をしている。心の中しか彼女らの目の色が色めいて見えるのは愛の宗派ゆえのものだと感じた。ラマンに心なしか似ているような気がした。
敷地に入って左手方向にある建物の方にラマンは前を歩く。敷地に入ってすぐの建物は礼拝堂のようで、それとは別の建物用だ。そちら側について歩いていると正面から見知った人物が歩いてくるのが見えた。
敷地にある街灯に照らされたその顔はどこか険しい顔をしている。それはきっとラマンを見てのことだろう。そのラマンは逆にニンマリと笑っている。
「あらぁ、アンちゃんじゃない」
話かけられたアンは一旦の間を作っていた。無視でもしようと思ったのか、何らかの葛藤の垣間見える間をおいてアンは大きくため息をついて言葉を発す。
「いちいち声をかけるな」
「ひっどい言い草ねぇ」
ラマンはそういう割にににこやかだ。
「アン、どうしてここに……?」
ミズキが不思議そうに訊ねる。
「アヤチをここへ連れてきたんだよ」
と、アンが後方の建物方を一瞥する。
「え、それってアンの教会じゃなかったの?」
「私がここにしたらって提案したの。アンの教会じゃ設備もちゃんと診れる人もいなからってね」
ミズキの疑問はラマンの話によってすぐに解消される。
ラマンは親切そうに言っているが、アンはどこか不機嫌そうに顔をしかめていた。
「っち……」
舌打ちしてアンはそのまま立ち去っていった。
悪態をつくアンに対してラマンはなぜだかうっとりとしている。つくづく変な人だとミズキは思った。
「……アヤチ大丈夫なのかな」
ふと、ミズキは心配を口にする。身体の状態もそうだが、アヤチの妹メグチが亡くなったことで精神的なものも心配する。
そんな心配の呟きをラマンは聞いていたようで彼女はポツリという。
「最愛の者が居なくなって人は、加護は輝くのですよ。ああ、羨ましいわ」
ラマンの横顔は狂愛に満ちていた。それを本当に愛おしいものだと思っているような素ぶり。そして、自らにも訪れることを望んでいるような、そんな顔だった。
愛の席。その名前に相応しい態度と言えばそうなのだろうがミズキはそれが不気味でならなかった。
その後、ミズキは教会の一室に通される。そこはアヤチが療養されている建物とは違う建物中にあった。
その部屋はシンプルな応接間といった感じだった。
中に入ってミズキは少し驚く。ソファーに見知った人物がちょこんと座っていたからだ。
「ルナリア……?」
それはエステル教会の信徒、ルナリアである。以前、クラクに騎士のギルバートと一緒に派遣されてきた人物だった。
ルナリアは人の入室に気づいて驚いたようにその場を立つ。その行動の俊敏さはミズキの後ろにラマンがいたからに違いない。
「よし、じゃあ、ミズキ座って」
ラマンはミズキにそう指図する。ミズキも言われるままにソファーに座る。ルナリアと向かい合う形で座った。
「あ、あの、これは一体……何ですか?」
当惑するミズキ。それは正面のルナリアも同じ気持ちのようだった。
ラマンは入り口近くに立ったままでいう。
「ミズキに提案があるの」
「提案?」
ラマンはすっと顔をミズキに近づけて告げる。
「ミズキには姫になってもらおうと思っているの」
「……は?」
理解ができず怪訝な言葉が飛び出す。それほどあまりに唐突な提案だった。
「どういうことですか……?」
ミズキは再び聞く。
「ん? 言葉通りだけど」
「いや、何で私が姫に……」
「近侍なら大丈夫。ルナリアをつけようと考えているから」
ラマンの自然な言葉に、ルナリアが驚愕している。彼女も初耳だったようだ。
「あの、経緯がよくわからないというか、私が姫、なんて」
「あんな素晴らしい加護を持っているんだから姫にならないなんて勿体ないじゃない」
「素晴らしい加護? それって予見できる加護のこと……」
「それはクラクが言っていることでしょ。わからない? まあ、わからないよね」
ラマンは指先を立ててミズキの胸元をさす。
「あなたの中にある加護。素敵だったわ。人の身体を支配して意志を出す加護なんて久々だったわ。あ、今は無理やり眠らせているから安心して。これから徐々に加護を使えるようになるために訓練しましょうね」
口早に話すラマン。その内容はミズキの頭を混乱させるだけのものだった。
ただラマンのいう加護がフィロルドの加護のことを言っていることは理解できた。それは悍ましい炎を吐き出す加護。クラクで、街や屋敷が焼き払われた状況を思い出す。
フィロルドの加護はリリィが死ぬことによってミズキにうつる。その加護は決まって周囲を焼き払うのだが、今回はラマンによってそれが抑制されているようだった。ミズキがミズキでいられているのはラマンの力によるものなのだろう。
ラマンが魅入られたのはその惨劇を生み出すフィロルドの加護。それを宿すミズキに心底肩入れしているということだ。
けど、ミズキにラマンの話を受け入れと言われたところで飲み込めるものではない。
この状況はリリィが死んだ上で成り立っていることだからだ。
そんなミズキの心情を読むかのようにラマンは囁くようにいう。
「あなたがフィロルド・リリィを引き継ぐのよ。姫として、ね」
ミズキには呪いの囁きとしか聞こえなかった。




