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イヴの世界  作者: あこ
序章 無垢な少女
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宝物番ルラ

 かぽーん。

 お風呂に浸かって今一番に浮かんだ擬音。なぜだが、それ妙にしっくり来て何の由来だったかも思い出せなのに面白いくらい頭の中で反芻する。この流れで鼻歌でも鳴らせば気分が味わえそうだと考えていた。

 広いお風呂。どでかい屋敷に見合った作りのお風呂は一人で入るには持て余すものだ。きっと、屋敷に住まう人全員入浴したって、余裕があるくらいの大きさだ。

 贅沢な味わいを一人で愉しむミズキ。アメリアに汗を流せと言われ、彼女が用意してくれたお風呂に奴隷兼従者兼付き人三拍子のミズキは一番風呂を嗜んでいた。

 風呂は生命の洗濯なんて言葉のせいか。寝覚めの悪い愚鈍な悪夢はすっかり消え去って、謎の擬音について思慮するほどに回復していた。

 夢も身体の怠けを取り払ってミズキはさっさとお風呂に上がった。

 脱衣所にはちゃんと着替えが用意されていた。きっとアメリアだろう。しっかりした先輩かつ面倒見のいい人だ。理想の上司らしい振る舞いに、ミズキは心をなでおろしていた。

 心身共に綺麗にしたミズキはアメリアを待たせてはいけないと気を急がせる。ゆっくりでもいいと言われたものの立場的にそうも言ってられない。

 慣れていない従者の制服に着替えて脱衣所から出た。

「ったあ……」

 突然自分ではない声、そして身体は衝突を感じた。

 驚いてその元を探すに、その人物はよろけながらこちらの方に視線をあげた。

「もうなぁに、急に扉開けるとかどうかしています」

 敬語口調で責める甘言に近い声質に当惑しながらも、ミズキは謝罪を込めて礼を下げた。

「す、すみません。人がいると思わなくて……」

「人がいるいない関係なく扉を開けるときは確認する! 当てて怪我でもしたらどうするんですか」

 最もなこと言われ頭を下げるばかり。声は依然と幼児のように甘い音で、声色とその内容の倒錯ぶりに逡巡してしまう。

 頭を上げる際、ちらりとその姿を拝見する。足は踵の高いブーツを履いていて、その付け根辺りまで紅色のスカートが覆い隠している。まるで意地悪な王女のような派手なドレス姿、だがその体躯、幼女そのものだった。

「え、よ、幼女?」

 責められている立場ながら、ふと本音が口を突いた。

「幼女ってなんですか。貴方は叱咤されて人の悪口を言うんですね」

 幼女の姿でかつ幼女に相応しい整った二つ結びの金髪が怒気を孕んだ声色に共鳴するように揺れ動く。

 意地の悪い返しに押し黙って項垂れた。すると、空気が抜けたみたいに笑みが鳴った。

「冗談ですよ。きつく咎めるつもりはありません。初めて私を見た人は口を揃えて小さいと言いますし」

 彼女はミズキを知っていようである。

「それに小さいのにしっかりしてるとか言われますね」

 思わずドキリとする。次に口を開けたらきっとそう言っていたに違いない。

 幼女はらしい微笑を浮かべて、こちらを定めるように視線を上下した。

「ふーん、貴方がルバートが言っていた子ですか」

 しみじみと澄んだ瞳がすべてを見通すようにミズキの顔相を計っている。

 と、彼女はふと呟くように口走った。

「へー……そうなんですか。ふふっ」

「?」

 まるで誰かと話しているかのような口調だ。だが、その相手は彼女の側に誰もいない。それをミズキに向けてるとしても彼女が頷くようなことを言った覚えはない。

 幼女の相手は、小さな手の平をひらひらと動かした。頭をこちらに下げて、という意味合いだ。何か耳朶に吹き込むつもりらしい。

 大人然とした幼女のジェスチャーに従い姿勢を低くする。すると、彼女の口元がミズキの耳朶に近づいてこそばゆい息がかかった。

 なんだか照れるような仕草にドキドキする。が、そのドキドキは一瞬で別の意味に変わった。

「貴方って《イブ》に愛されているのね」

 咄嗟に耳を抑えて姿勢を元に戻した。心臓を握られたような感覚に、一瞬だけまどろんでしまう。

 なぜそんな錯覚を抱いたのか。明瞭になるはずもなく、耳打ちした相手はくすくすと笑っていた。

 ――また《イブ》だ。きっとその言葉が私の心を惑わしている。

 何か判らないはずなのに、根底で勝手に理解しているような矛盾。でなければ、このドキドキに説明はつかない。

 幼女は笑みを繕って続ける。

「どうりでルバートが気にするわけですね。気にしすぎだとは思いますが、まあ無理もない」

「な、何の話……?」

 呼吸を整えていう。

「ルバートは元騎士ですが、直情的で何をしますかわかりません。忠義はあるけど――まぁ、相手がイブなら」

含んだ笑みに身体が震える。この身体、何か知ったように強張っている。質問の所在を無視した発言に、頭は益々雲がかかった。

「イ、イブってなんなの?!」

 焦燥から出た言葉。幼女の相手は小さな笑みを仕向けていった。

「世界の厄災そのもの、です」

 不敵に感じる笑みだ。抽象的な答えは頭を悩ませるだけだった。彼女はもう語らないと言わんばかりに踝を返した。

 ちゃんと説明して欲しい。この身体の震えも、自分の心底で疼いている慟哭の正体を教えて欲しい。ただ記憶がないだけじゃ気がして、どうにも気が気でならない。

「どうされました?」

「わっ……、あ、ルイスさん……」

 突然、アメリアに声をかけられ自分で思った以上に声が出た。彼女もその声に驚いて目を白黒させていた。

「なにここでぼーっとしているんですか。湯浴みを終えたらさっさと詰め所に来てください」

 どうやら彼女はわざわざ迎えに来てくれたようだ。淡々とした顔つきだが、面倒見の良い先輩従者である。

「す、すみません。ちょっと幼女が――」

 と、いって言葉を悩ませた。先ほどの女の子は幼女と呼ばれるのを気に入らない素振りだった。だが、訳を話そうにも口当たりの良い文言が浮かばない。

 すると、アメリアは幼女で判ったのか溜息を零した。

「ルラ様に出会ったのですか? 珍しいですね、あの方は宝物庫もとい自室からあまり出ないのですが」

「ルラ?」

 どこかで聞いた名称に眉をひそめる。

「ええ、ドレス姿の小さな若い女性ですよね? あのお姿ですが、歳は随分召されていているんですよ」

「マジですか……」

 大人なのような雰囲気はそのせいだったらしい。しかし、あの見た目で年上となると人間離れも甚だしい。

「あの人、ルラってどういう……」

 先ほどのルラから受けた挑発に似た煽りのヒントを彼女から聞く。

 彼女は少し悩んだフリをした後に、そうですね、と前置きして応えた。

「ルラ様はこの宮殿の宝物番です。特にクラクの秘宝の管理を任されていまして、そのために彼女はここに居住しています」

「はあ……」

 秘宝ってものがよくわからなかったが、宝物のように何らかの力があるものだと認知しといた。ミズキの首には宝物ローヤルチョーカーが付けられているが似たようなものだろうか。

「宝物番に関しての詳しい経緯は判りません。何しろ、ルラ様の方がこの宮殿にいる時間が長いですし、私がここに勤める頃にはいらっしゃいました。後は、ルラ様のもう一つの肩書きが大賢者であることくらい」

「大賢者?」

「はい。魔術連盟の評議会でいくつか任命されるものなんですが、中でも大賢者は最上級の称号で世界に三人しかいないんですよ」

「そうなんだ……」

 あの幼女が、なんて続けそうな言葉は必死につぐんで抑えた。

 あまりヒントになりそうなことは聞けなかった。聞けたのは、幼女らしからぬ称号と貫禄があるということだけだ。

「……イブって何なんだろう」

 不意に、つぶやいていた。自分の心を不明にも惑わす文言。判らないことばかりだ――と、

「イブ?」

 小さな呟きをアメリアの耳が拾っていた。

 彼女なら教えてくれるかもしれない。意気を取り戻して面を上げると彼女の憂くな眼差しが視線を奪った。

「……二度とその言葉を口にしないでください。特にあの人には……ルバートさんには……」

 噛み締めるような口ぶり。感情をあまり表出さない彼女が初めて見せた複雑な表情。

 彼女はそれだけいって背を向け歩き出した。

「忘れてください。ほら、今朝も言ったでしょう。今日は忙しいのです。行きますよ」

「は、はい……」

 なんだったのか。結局イブに対する答えはない。

 曖昧ではぐらかされて、ないがしろにして。判ったのは――イブってのは世界の嫌われ者で厄災。

(そのイブに愛されているってなんなの……)

 背筋がゾッとしないわけもなく、ただただ悪寒が胸中でくすぶった。

次回更新は来月になりまふ。

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