太陽の軌道
新卒で入社し、社内の複数の部署で研修を終えた半年後。私が本配属されたのは、花形の営業部だった。男所帯の営業部の紅一点であった佐代子さんはそれだけで目を引いたが、何より私が彼女を気になったのはその美しい所作だった。私とはちょうど一回り違ったが、何気ない雑談のときでさえ直立して指先をピンと伸ばす。髪を耳にかけるしぐさはまるでドラマのワンシーンを見ているようにドキドキしたのはきっと私だけではなかったはずだ。艶やかなロングヘアーはいつもきれいに切り揃えられていた。のちに、旦那さんが美容院に勤めていることを教えてもらい、おおいに納得したものである。顔や体格に特筆するような点はなかったが、振る舞いはしなかやで無駄がなく、女性らしさがあった。
「のびのびしましょう、のびのび」
彼女の口癖は私の目指すべきところだ。常識にとらわれず、女性らしい観点から提案する企画はクライアントにも好評で、まさに「人につく営業」だったろう。彼女自身としては「女性」「女性らしさ」「女性視点」というのを強みには思っていなかったらしい。ただ、多くの企業は男性中心主義でもっと改良の余地があると何度も私に説いて聞かせた。
「新人さん、柳生さんの背中をしっかり見ときなさいね」
同行中に彼女のお客さんから何度同じ言葉を掛けられたか数えきれない。佐代子さんは、「皆さん、私を立ててくれただけよ。とても有り難いわね」と照れくさそうにしていたが、クライアントたちにとってそれは決して社交辞令ではなかったことを私は重々承知している。営業という職を長く続ければ続けるほど、彼女がいかに優れた人物であったかは自分の仕事を通してみることができたのだ。
ここまで彼女の特徴を振り返ってみると、なんて完璧な人物だろうと思う。だが、本当に非の打ちどころのない人であったならば、到底私には目指せないものだと諦めていただろう。「彼女は特別なのだ」と距離をつくっていたに違いない。私は素直に人をうらやむことができるほど、大人ではなかった。
そう、佐代子さんにも唯一無二と言っていいような欠点があった。笑顔がないのである。もちろん愛想笑いはできるのだが、声を上げて笑ったりするどころかくすりとも笑わない。それにもかかわらず営業成績は優秀なのだから、やはり企画する能力が優れていたのだと言わざるを得ないだろう。
どうしても気になって、一度だけ佐代子さんのかつての上司に酒の席で尋ねたことがある。なぜ、彼女は笑わないのか。しかし、やや間が空いて、言葉に出すのをためらうようなそんな小さな声でぽつりと言葉を落とした。
「彼女、笑うわよ。でも、笑わないわ」
聞いてはならない暗黙のことだったと気付いたときには既に遅い。しかし、私は「柳生佐代子」という人物についてますます惹かれていったのである。