表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/9

第九章 白き巫女 第五話

 王国とメリル教との歴史を綴ったタペストリーが壁面を飾る謁見用の広間で、一同は女王の出座を待った。アイリーンとヴィンセント、シンとメレディスら数人の護衛のみが入室を許され、メッツィーナの高官や僧侶も姿を見せず、差程広くも無い中規模の部屋ではあったが室内はがらんとしていた。

 白は部屋のあちこちに置かれた大きな彫像に幾分怯え気味であり、片手で首から下げた手紙の袋を握り締め、もう片手でアイリーンの腕にしがみついている。広間には椅子も用意されてはおらず、皆立ったままであり、それがこの国の尊大さを匂わせているのか、それともトランセリアを蔑む意識の表れなのか、アイリーンは計りかねていた。 

 大きな銅鑼の音が鳴り響き、触れ係が女王の出座を告げる。白はびくりと身体を縮こませ、ますますアイリーンにすがりつく。その細い肩を抱き寄せ、アイリーンは紗の掛かる壇上に向こうに現れた、女王ミレーヌの気配に意識を集中させた。

 数人の僧侶を従え、玉座にゆっくりと腰を下ろしたミレーヌは、しばらくは言葉を発せずに、じっと白髪の少女に視線を向けている。女王の後ろに控える僧侶の中には、シャローンと彼女と共にアイリーンを訪ねて来た僧侶も居り、そして次期女王、ミリアムの幼い姿もあった。

 それまでの儀式に、ミリアムはほとんど姿を見せていなかった。お披露目の式典とは名ばかりで、申し訳程度に出席するとすぐにお付の者達が少女を中座させていたのである。

 女王より少し下がった位置の椅子に腰を下ろしたミリアムは、初めの内は幾分つまらなそうな表情でそっぽを向いていたが、広間に白の姿を見つけると、なにやら興味を持ったようにお付きの尼僧らに話し掛けている。母親よりもさらに鮮やかなオレンジ色の髪が、くるくるといくつも渦を巻いて少女の細い肩にこぼれ落ち、これも母譲りなのであろうくっきりとした顔立ちには、幼いながらも支配者の明確な意志を持つ強い光に満ちた瞳が輝いていた。

 ミリアムの視線に気付いた白は、おどおどとしながらもその少女から目を離す事が出来ぬようであり、二人はしばらくの間じっと互いを見つめ合っていた。

 最初に口を開いたのは巫女王ミレーヌだった。

「…トランセリアの方々には遠方よりはるばるお越しいただき、まずは御礼を申し上げる。アイリーン殿、代表のお役目大儀である。何か不自由などしてはおられぬか?」

 アイリーンはそっと白の手を離し、小さく頷きかけてから、女王に向かってこれ以上無い程の優美な一礼をし、答える。

「女王陛下にはご機嫌麗しゅう存じ上げます。さっそくのお心遣い恐悦至極に存じます。大変に行き届いた歓待を頂戴致しております故、何も不足などございませぬ。これも陛下の御威光の賜と存じ上げます、一同を代表致しまして、御礼を申し上げたく存じ上げます」

「それは重畳。…早速だがアイリーン殿、何やら変わった者を連れておると聞き及んでの。…それその子供の事じゃが」

 早くも本題に入ったミレーヌの問い掛けに、アイリーンは緊張を押し隠し、にこやかな笑みを浮かべて言う。

「はい、旅の途中で難儀している所を助けたのでございますが、世話を焼いている内に情が移ってしまいまして。見目も可愛らしく素直な良い子でございましたので、国元に連れ帰って養女にと考えております。…そうは申しましてもまだ幼い子供でございますので、このように重要な謁見の場で粗相をしてはなりませぬ。出来れば控えの間に下がらせとうございまするが」

「ふむ、そこじゃがのアイリーン殿。その子供は我が国の民でもあるようじゃし、こちらで面倒を見たいと考えておるのじゃ。トランセリアの方々の手を煩わせる事もあるまいしのぉ…」

「陛下の情け深きお心には感服つかまつりました。誠に有難きお申し出ではございますのですが、話を聞けば一人の身寄りも無く暮らしてきたとの事でございまして、見知らぬ人の中で暮らすよりも、多少でも懐いてくれております私どもの方が、この子の慰めになるのでは無いかと愚行致します。只今陛下より賜った有難きお言葉にて、最早十分過ぎる程のお気遣いを頂いた事でございましょう。…それに、気が早いとお笑いになりまするかも知れませぬが、わたくしアルフリート陛下にこの子の件で使いを出してしまいました物ですから…」

 広間を静寂が支配する。沈黙を続けるミレーヌの様子に、アイリーンはこのまま諦めてくれる事を祈った。アルフリートの名前を出した効果が果たしてどう出るか、女王は再び口を開く。その声は先程までよりも幾分抑えられた物だった。

「……アイリーン殿、この期に及んで隠しても詮無い故にはっきりと申そう。その子供は我が国の物なのじゃ。…いやここに居る我が娘ミリアムの物じゃ。今すぐに引渡して頂きたい」

 突然自分の名を出されたミリアムは驚いて母親を見つめる。如何にも何か尋ねたそうな少女のその反応に、ヴィンセントは彼女自身は何も聞かされていないのだと察しを付けた。そしてもちろんアイリーンも知らぬ振りで答える。

「どういった事でございましょうか。わたくしには何の事やら見当も付きませぬが…。この子の話ではこの歳になるまで、ほとんど人と関わる事無く暮らして来たと申しておりますが」

「おとぼけは無しじゃアイリーン殿。トランセリアがその子供の事情に通じておる事は、調べが付いておるのじゃからの」

 それ迄黙ってやりとりを聞いていたヴィンセントが口を挟む。おそらく既に村長から話が伝わっているのだろうと考えたからだ。

「巫女王陛下、子細を聞き及んでいるのは私一人だけでございます。アイリーン様は何もご存じでは…」

「ヴィンセント殿、発言を許可した覚えは無いぞよ」

 言葉を遮ってそう言い放つミレーヌ。彼女は始めから弁の立つヴィンセントを相手にするつもりは無かった。アイリーンを与し易いと見、彼女にしゃべらせてぼろを引き出そうと考えていた。

「事情?…何やら事情があるのでございますか。このような年端もいかぬ民草の子供に、止ん事無き王族との関わりがあろうとは想像も付かぬ事でございますが…。女王陛下におかれましては、どなたかと思い違いをなさっておられるのではございませんでしょうか」

「そのように目立つ容姿をしている白子の子供を、見紛うなどあるはずが無かろうが」

 あくまでも知らぬ振りを決め込み、丁重な態度を崩さずに返答を続けるアイリーン。ミレーヌはそんな彼女とのやり取りに次第にいら立ちを感じ始めていた。

 隣国の王女であったアイリーンの生い立ちや現在の事情は、もちろん女王自身承知している事であり、離宮に隔離されて育った世間知らずの姫君など、たやすく言い包められるだろうと考えていたのだ。再び沈黙したミレーヌは、凄みのある低い声と、ねめつけるような視線でアイリーンに迫った。

「……アイリーン殿、これが最後じゃ。その者をこちらに引渡して頂きたい」

「…先程からの陛下のおっしゃりようは、戸惑う事ばかりでございます。事情も分からず人ひとりを物のようにやり取りするなど、慈悲深い巫女王陛下の言葉とも思えませぬ。わたくしにはとても承服出来兼ねます」

 女王の気迫に気丈に立ち向かい、要求を突っぱねたアイリーンであったが、その返事がミレーヌの怒りに火を付けた。

「たかが子娘一人にこのような時間を取られるほど、妾は暇では無いのじゃ!その者はこれより執り行う儀式の贄となる。産まれた時よりそのように決まっておったのじゃぞ、昨日今日現れた者が横から口など挟むで無い!」

 全てを明かしてアイリーンに叫ぶミレーヌのその言葉に、最も衝撃を受けていたのがミリアムであった。少女は目を見開いて白と母親とを交互に見比べ、思わず立ち上がって声を上げた。

「…は、母上。贄とは……。こ…この子供を、神に捧げるというのですか?……そのような、…まだ幼い、…妾よりも幼い子を。……そのような…」

「……ミリアム、そなたは黙っていなさい。あまりうるさくするようなら、ここに居させる訳にはまいりませんよ」

「けれど母上、…けれど。……あのように小さな、……妾よりも小さな…」

 つぶやきを止められぬミリアムを、かすかに悲しげな表情を浮かべて見つめていたミレーヌは、やがて視線をアイリーンへと戻した。女王は娘を退席させる事を周囲に命じなかった。いずれにせよ儀式が始まれば分かる事であり、この先王位に就けばこのような場面には幾らでも遭遇するだろうと考えたのだ。

 渦中の人物である白は事情を上手く飲み込めていなかったが、自分についてこの激しい会話の応酬が為されているという事だけは理解していた。アイリーンの手と胸元の手紙とを握り締めて身を固くしている白は、アイリーンのその手の平がじっとりと汗ばんでいるのを感じ取っていた。

 アイリーンがゆっくりと告げる。

「……女王陛下、国家にはそれぞれその国の事情がある事も存じ上げております。メリル教の総本山であるお国のやり方ももちろんございますのでしょう。…けれど、幼い少女の命を奪うなど、如何なる理由があろうと許される事では無いのではございませんでしょうか。どうかお考え直しを切にお願い申し上げます。…陛下といえど、お三人のお子様の母親である事に変わりはありますまい。お腹を痛めて産んだ子供と同じように、この子を思いやって頂く訳にはまいりませんでしょうか…」

 硬軟取り混ぜた見事なアイリーンの折衝に、ヴィンセントは感嘆していた。彼は謁見に先立って、アイリーンに三つの注意すべき点を伝えていた。一つは決してメリル教の考え方に異を唱えない事、二つ目は三人の子を持つ母親であるミレーヌの、親子の情に訴える様に会話を誘導する事、そして三つ目はひたすら時間を稼ぐ事である。

 ユーストの間諜を通じて、シルヴァが親書を携えてこちらに向かっている事はヴィンセントの知る所となっていた。それさえ間に合えば一気にトランセリアが有利となる。午後にはミリアムが託宣を授かる儀式が行われる段取りとなっている。最も重要なこの祭事を、中止や延期など出来るはずも無く、時が迫ればミレーヌに必ずあせりが生じるとも考えていた。壇上の女王は薄く笑って答えた。

「そこまでお分かりとあらば議論の余地は無かろうぞ、その子供の行く末は我が国の事情で決まる事じゃ。元王族といえど他国の民に口出しされる謂れは元よりありはすまいの。…すっかり時間を取られてしまった、これにて謁見は終了じゃ」

 そう言って立ち上がったミレーヌは、背後に控える尼僧に白の身柄を確保するよう命じる。アイリーンは慌てて白の手を離し、壇上に歩み寄って懇願した。

「お待ちを!お待ち下さい陛下!まだお話は終ってなどおりませぬ。陛下!わたくしは白を手渡すなど承知した覚えはございません」

「……しろ?…白と申すのかその子供の名は。……なるほどの、良く付けたものじゃ。…謁見は終りじゃと申したぞ」

 冷たく告げる女王のその言葉に、アイリーンの白い頬が紅に染まり、それまで抑えていた感情が爆発する。アイリーンは語気も荒くミレーヌに言い放つ。

「…陛下、…な…名前も、ご存じありませんでしたのですか。…なんという無慈悲な。なんという恥知らずな…。それが、それが一国を治める王の為さり様かっ!幼子を犠牲にしてまで玉座が欲しいのですかっ!」

 壇上から見下ろすミレーヌの刺すような視線を、アイリーンの鋭敏な神経は痛みすら覚えて感じ取った。それでも彼女は顔を上げたまま、敢然と女王に立ち向かう。

「……そうじゃアイリーン、おぬしの言う通りじゃ。妾は何を犠牲にしても、我が娘ミリアムを玉座に据える覚悟じゃ。…無慈悲じゃと、恥知らずじゃと。何とでも言うがよいわ。今さら妾が汚れる事など少しも怖れはせぬ。人間の、それも希少な白子の幼子を贄に捧げた強力無比な神の御加護を、王位と共に娘に与えてやる事が妾の最後の望みじゃ。……それとも、おぬしにその代りを用意する事が出来るとでも言うのか?」

 ミレーヌの発した言葉は押し殺した静かな物であった。だが同時に有無を言わさぬ重圧を持ってアイリーンを圧倒した。それは確かに彼女の本音であり、トランセリアの誰もが反論など不可能だと悟った。

 両手で杖を握り締めて立つアイリーンは、必死で次の言葉を絞り出そうと考えを巡らしていたが、女王を説得出来る材料などもう彼女には残されていなかった。

 アイリーンは心底から己の無力さを呪った。あらゆる局面を打開するアルフリートの機智が欲しかった。大陸を網の目のごとく覆い尽くすユーストの耳目が欲しかった。そして如何なる敵を前にしても、微塵も揺るがぬシルヴァの気魄が欲しかった。今のアイリーンには何も無かった。彼女が自らの頼みとする物は、見えぬ目と人よりわずかに優れた聴力、捨てようとしても捨てきれぬ元王族の血統だけだった。

 自分の不甲斐無さを痛感しながらも、それでもなおアイリーンはけして俯かず、蒼白となった美しいかんばせをミレーヌに向け続けていた。

 親書が間に合わぬと判断したヴィンセントは、これ迄と思い最後の手札を出す為に一歩前に歩き出そうとする。その時、アイリーンが言った。

「………出来まする」

「…なに?何と言ったアイリーン」

「贄の代りになる物をご用意出来ますると申しました」

 ミレーヌはかすかに微笑みすら浮かべ、アイリーンの発言を茶化すように言う。

「ほう、面白い。一体なんであろうの。…一つ言っておくが、贄は汚れを知らぬ浄らかな物であると言う事が最低条件じゃぞ。……夫がおり子供までもうけたおぬしの身では、もちろん代りになどならぬゆえな…」

「存じております。この身ではございませぬが、わたくしは二つ、汚れの無い物を持っております」

 アイリーンはそう言って彼女の目を覆うアイマスクを外した。両目を見開き、アイリーンははっきりと女王に告げる。

「……わたくしの両の瞳を差し出しましょう。ご存じの通りわたくしは盲いでございます故、この両目は生まれてこの方ただの一度も物を映した事がございませぬ。わたくしは仮にもイグナート公国の元王女。その両眼なら、贄として白の身に代わる物となりましょう。…わたくしの目玉をくり抜いて神前に捧げ下さいませ」

「姫様っ!」

「アイリーン様、いけませんっ!」

 そう叫んで駆け寄ろうとするシンとメレディスを、ミレーヌが一喝する。

「近寄るで無いっ!まだアイリーンと話をしておる!」

 女王の気迫に二人は立ち止まる。先程の激昂が嘘のように、アイリーンは杖を手に静かに立って居る。それは彼女の一世一代の嘘だった。目を治療して二人の家族を見る事が出来た事迄、メッツィーナには知られていないだろうとアイリーンは考えていた。そして同時に我が子ウィルフィーと、夫シンのおぼろげな顔立ちをしっかりと記憶に刻み付け、溢れだしそうになる涙を必死で堪えていた。ミレーヌがため息と共に言う。

「……何故じゃ、アイリーン。…何故そうまでしてたいして知りもせぬ、所縁も無い子供一人をかばい立てするのじゃ」

「…わたくしは祖国より逃亡の末、トランセリアの皆様に助けられた身の上でございます。アルフリート陛下のご厚情により、この上ないご加護と幸福とを賜っております。その陛下が常々おっしゃっているのでございます。『トランセリアにとって王族とは民の為に存在する。身を守る術を持たぬ弱い民を守る事が、我々に課せられた最大の務めだ』と。…トランセリア閣僚の末席に身を置くわたくしが、幼い少女の命を守る為に最善を尽くすのは当然でございましょう。わたくしとて、そうして守られて今ここに居るのでございますから」

「……変わり者じゃ、……アルフリート殿は」

「素晴らしく賢く、とてもお優しい方でございます。陛下がこの場にいらっしゃいましたならば、きっともっとお上手な為さり様で女王陛下をご説得あそばしたでしょうが…、わたくしにはこの方法しか思い付きません。…さあ、今すぐにこの両目をえぐり出すがよろしい。陛下が為さらぬのならばわたくし自身の手で…」

 言うなりアイリーンが手にした仕込み杖の鯉口を切る。杖が剣になっていると知らなかったミレーヌは、たじろいで身をのけ反らせ、叫ぶ。

「え、衛兵!剣じゃ、剣を取り上げい!」

 広間の隅に居た衛兵が慌てて駆け出す。シンとメレディスもアイリーンを止めようと走り出す。その二人よりも早く、それまで一言も言葉を発しなかった白がアイリーンにすがりつき、叫ぶ。

「だめっ!…あいりーん、だめっ!…だめぇっ!」

「し…しろちゃん?…いけません、離れてっ」

 白は『贄』という言葉が何を意味する物か分からずにいた。しかし、アイリーンが自分を守る為に、その目を差し出そうとしている事は理解出来た。少女は懸命に自分を可愛がってくれた人を助けようとしていた。

「だめぇ…、だめ…え…。…わたし、いく…です。…あいりーん…だめ。……わた…し、…いく……で…す」

 泣きじゃくりながらアイリーンの腰にしがみついて離れようとしない白。少女に怪我をさせないように、杖を両手で頭上に持ち上げるアイリーン。その杖を、上背のあるシンがすかさず奪い取り、駆け付けた衛兵にメレディスが加わり揉み合いとなる。

 トランセリア側は皆剣を持たぬ丸腰であり、シンの鉄棍ももちろん取り上げられていた。槍を持つ衛兵と仕込み杖の奪い合いになった混乱の最中、白の小さな身体がはじき飛ばされ、床に倒れた。その弾みで少女が首からぶら下げていた古びた袋は呆気無く紐が千切れ、中の手紙の束が床にばらばらと散らばる。慌てた白は這いつくばるように手紙を掻き集める。

「あっ!…てがみ、…てがみが」

「しろちゃん!…しろちゃん!どうしたの?……大変、手紙が落ちてしまったのね」

 アイリーンは両膝を付いて床を手探りで進み、白と一緒に散らばった手紙を拾い集める。気が動転した少女は手が震え、磨き上げられたつるつるとした床から上手く手紙を拾えないでいる。

「…ああ、……てがみが。…ああ、…ああ……」

「大丈夫よ、…慌てないで。今拾ってあげますからね。……泣かないで、大丈夫よ」

 声を掛けて取り乱す少女を落ち着かせるアイリーンに、シンも杖を放り出して加わり、床に落ちたそれを拾い始める。衛兵はあっけに取られてその行為を見下ろし、騒ぎは幾分収まった。

 広間の隅に、一つだけ遠く飛ばされた手紙を一人の人物が拾い上げ、白に歩み寄る。震える声で少女に話し掛けたのは、王女ミリアムであった。

「……これ、……この…手紙は」

 皆が意外に思って王女を見つめる中、自分に向けられた発言だと気付かぬ白が、一人下を向いたままひたすら手紙を拾い続ける。ミリアムはそのすぐ傍に膝を付き、手紙を差し出して言った。鮮やかなオレンジ色の髪に気付いた白が、ようやく顔を上げる。

「そなたじゃったのか…。これは妾が出した物じゃ、妾が…書いた手紙じゃ。…そこにあるほとんどがそうじゃ、どれも…見覚えがある。……そなたじゃったのか。……そんなに…大切に…してくれて…」

 アイリーンとシンは残りを全て拾い上げ、そっと白に手渡した。不思議そうな表情を浮かべた白は涙ぐむ王女を見上げ、乱雑にまとめた手紙の束を握り締めたまま呟く。

「……?……これ、てがみ…です。……えらい、おぼうさまの…てがみ。……おばあさまの、てがみ…です」

 壇上で小さく尼僧の悲鳴が上がる。シャローンが蒼白な顔色で膝から崩れ落ち、床にがっくりと手を付いていた。静まり返った広間に、立ち上がったミリアムの声が響く。

「母上、この者は妾の友人です。…贄の件どうかお考え直し下さい」

「な…何を言い出すのですミリアム!…シャローン、どういうことじゃ?何をしておる?……ええい、誰ぞ王女を下がらせい。早うせい!」

 女王の命令に再び動き出す衛兵達であったが、その場を動こうとしないミリアムに手荒な真似も出来ず、困り果てている。ようやく壇上から下りた尼僧達が数人掛かりで王女を引き摺って連れ出そうとする。抗うミリアムと立ち上がったアイリーンが同時に叫ぶ。

「母上、お願いです!どうかこの子を!…ええい離せ!離せと言うに。……母上っ!」

「お待ち下さい陛下!ミリアム様のお話を…」

 慌ただしくなった場の中にあって、一人ヴィンセントが入口の扉を振り返る。室内にいる人物の中で、最も冷静に周囲を見る事が出来た彼のみが、なにやら扉の外が騒がしくなっている事に気付いた。いつもなら真っ先にその騒動を察する筈のアイリーンですら、我を忘れて女王に詰め寄っていた。ヴィンセントは勝利を確信し、にやりと笑って呟いた。

「……間に合った」

 次の瞬間広間の重厚な扉が乱暴に音を立てて開かれる。遅れて触れ係の上ずった声が響いた。

「と…トランセリア王国王妃殿下、…シルヴァ・リーベンバーグ様御入場でございます!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ