☆かくれんぼ。
僕の名前はフェリシオ。フェリシオ・ヒースコート。
公爵家、ヒースコート様のお屋敷で、庭師をしている。
姓は同じだけれど、僕はヒースコート家の人間ではない。
旦那様はとてもすごい。裕福な暮らしをしているのにもかかわらず、それを鼻にかけない、お優しい方なんだ。
それというのも、孤児院や経営が苦しくなった教会に寄付をしている。かく言うこの僕も、孤児として身寄りがなく、十三年前、ヒースコート家に引き取られた。
旦那様には一人息子がいる。名前は、ローランド。
彼は僕よりもひとつ年上だ。
旦那様には、彼と年が近いこともあって、兄弟のようにして育てていただいた。
その旦那様は去年、病で他界してしまった。
当然、嫡男のローランド様はヒースコート家を継ぐことになり、必然的に奥さんを迎えなければいけないわけだ。
――彼には結婚の噂が囁かれている。
その噂はなんと、郊外にまで広がっているんだ。
それというのも、公爵家の花嫁探しっていうのもあるんだけれど、それ以上に関係しているのが、ローランド様が人目を引く容姿をしているということにあった。
襟足まである金の髪に、高い背。すっとした顎のラインに、女性のような長い睫毛。グレーの目は澄んでいて、吸い込まれそうなくらい、綺麗だ。それなのに、立ち姿はたくましい。彼はとてもハンサムなんだ。
「フェリシオ、この娘はどう思う?」
お呼びがかかった僕は、ローランド様の部屋に赴けば、肖像画の一枚を見せてきた。
彼女は清楚で控えめな白のドレスに身を包み、麦畑を思わせる金の艶やかな髪を後ろに束ねている。透けるような白い肌に、大きい二重の目。
絵の中の彼女はとても美しかった。
彼女はローランド様の奥方様候補のひとりだ。とても美人だと有名で、気品がある。だけど、気位が高いと、あまり良い噂は聞かない。
でも、ローランド様の奥方様選びだし、いくら僕がローランド様と兄弟のように育てていただいていたといっても、公爵家の人間じゃない。何も言える権利なんてない。
「……僕に、口出しする権利なんてありません」
苦しい。
胸が痛い。
僕は泣きそうになるのをなんとか我慢して、失礼しましたと一礼すると、すぐに踵を返し、部屋から出る。
僕を呼び止める、ローランド様の声が背中越しから聞こえたけれど、聞こえないふりをして遠ざかる。
――そう、僕は、泣きたくなるほどローランド様が好きなんだ。
いつの間にか芽生えた淡い気持ち。
僕はこの気持ちが恋だと知ってからずっと、ローランド様を見ていた。
同性なのに、こんな気持ちはおかしいと思う。だけど、ハンサムで優しい彼なら、この気持ちが芽生えるのも当然かもしれない。
一度知ってしまった恋を諦めることができなくて、今でもズルズルとこの想いを抱いている。
それでも……ローランド様は時期に奥様を迎え、家庭を持つ。この気持ちにも終止符を打たなければならない。
ローランド様は公爵で、数ある土地を経営している、とても身分のある方だ。
そして僕は、所詮は孤児。旦那様に拾われた、ただの庭師。容姿だって見窄らしい。細すぎる体型に、どこにでもあるような茶色い髪をした、ただの人だ。
この恋はけっして叶うことはない。
ローランド様への恋を諦め、傍で尽くすか、それとも新しい場所を見つけてこの屋敷を去るか……。
僕は運命の分かれ道に立たされている。
仮に、ローランド様の元から離れ、新しい働き場所を見つけるとしても、もうすぐ三十を迎えてしまう僕はそう若くもない。雇ってくれる奇特な人なんているだろうか……。
見上げれば、太陽は真ん中にきている。
……もうこんな時間なんだ。
あ、そう言えば、ナミのご飯がまだだった。
僕は腕で乱暴に目を擦り、溜まっていた涙を引っ込めると、ナミを探しに庭へと下りる。
ナミっていうのは、去年出会った白猫だ。旦那様が亡くなられた数日後、路上で馬車にひかれそうになったところを助けた。
ローランド様の許可をいただき、僕が飼うことになった。
彼女は僕の家族の一員であり、良き相談相手でもある。
どうしよう、ナミに何かあったら大変だ。
もし、路上に出ているようなら、保護しなきゃ。
僕は彼女の定位置になっている、日当たりの良い薔薇園へと急いだ。
「ナミ、出ておいで~」
「にゃあ~」
「ナミ? あれ? どこにいったんだろう? ナミ? 道路に出てはいけないよ? また危ない目に遭うからね? ご飯あげるから、出ておいで?」
姿を見せないけれど、ナミの鳴き声がしたそこで、話しかけてみる。
すると、猫の鳴き声じゃない、彼の低い声も間近に聞こえた。
「フェリシオ? 何処にいる?」
ああ、どうしよう。ローランド様が僕を探している。だけど、ナミが心配だ。また馬車にひかれそうになるかもしれない。
ごめんなさい、ローランド様。
僕は心の中で謝って、僕を呼ぶ低い声に返事をしないで、引き続き、ナミを探した。
「にゃあ」
どれくらいの時間を探しているだろう。一向に見つかる気配がない中、背後でナミの鳴き声が聞こえた。
意外と近いかも。
しゃがみ込み、ナミの声がする方を覗き込む。
「ナミ、見つけた! ……って、あれ? ナミ? おかしいな声がしたと思ったのに……」
見つけたと思ったそこには、だけどナミの姿がない。
目の前に広がるのは、綺麗な緑の茨ばかりだ。
「ナミ? どこに行ったの?」
ふたたび、ナミを探すため、ほんの少し腰を上げる。
そこには蕾が目立つ場所で、開花するには、あと二、三日くらいかな。
ローランド様は赤い薔薇がお好きだから、きっととても喜んでくださるだろう。
ローランド様のことを考えていると、背後から、彼の声がした。
「フェリシオ? どうかしたのか?」
振り向けば、太陽の明るい日差しを受けた、背の高い、彼がいた。
ああ、ローランド様。
あまりの綺麗な光景に、直視できず、そっと顔を俯ける。
見えたのは、赤い薔薇の蕾。
たしか、赤い薔薇の蕾の花言葉は、『純粋な愛』『愛の告白』だ。
もしかして、ナミが応援してくれているのかな……。
彼女は猫だけど、猫は人間の気持ちを理解すると聞くし、それに、僕はいつも、彼女にローランド様の恋心を相談している。
もし、彼女が応援してくれているのならば……。
彼女の行為を無駄にはできない。
たとえこの恋に破れたとしても、彼の傍にいられなくなっても……。
もう終止符を打たなければいけないのかもしれない。
「フェリシオ?」
逸らした視界の端で、ローランド様が歩み寄るのが映った。
「あ、すみません。俺、あのっ!」
言え、ここで言わなきゃ、一生後悔する!!
僕は両脇に力なくぶら下がっている手を拳にして、目前にいるローランド様を見上げた。
「僕は、貴方が好きです!」
言った声は震えていて、とても小さい。
だから聞こえないんじゃないかと思ったけれど、それも心配はなかったみたいだ。
「ああ、フェリシオ。君はなんて……可愛らしい真似を……」
ローランド様はそう言うと、僕の前に跪いた。
「わたしも君が好きだよ。ずっと見ていた」
僕の手が、ローランド様の手によって掬い取られると、拳が解かれた。
手の甲に、薄い唇が乗った。
うそ? ほんとうに?
頬を抓ってみても、痛いばかりだ。
「うそ、うそだ。だって貴方はいつも花嫁候補の肖像画を僕に見せて、どの子にしようって相談してきたじゃないっ!!」
「あれは……すまない。わたしが悪かった。君がわたしのことをどう思っているのか知りたかったんだ。君を試すようなことをしてしまった」
試す?
想像していなかった展開。ローランド様が話す言葉の意味を理解出来ず、口をあんぐり開けていると、彼はにっこり微笑んだ。
「君に先を越されてしまったけれど、今夜はわたしがリードしよう」
ええっ!?
「あの、それって、それって!!」
「今夜は寝かせない」
力強い腕が、僕の体を包んだ。
ローランド様に抱きしめられ、身動きできずにいると、足下がこそばゆい。
見下ろせば、ナミが頬を擦り寄せていた。
彼女は僕と遊んでいるつもりだったのかな?
それとも、恋のキューピットを担ってくれたのかな。
「にゃあ」
……フフ。もう可愛いから、どっちでもいいや。
見上げれば、真っ青な空が広がっている。
今日は、ジメジメしたこの季節には珍しい、すっきりとした五月晴れが広がっている。
これからも、ずっとこういう日が続くんだろうな。
**END**