楽しい狩り
邪魔な物は蹴飛ばす。
床に散らばった漫画雑誌も、袋が開けっ放しのスナック菓子も、脱ぎ散らかした衣類も蹴飛ばす、蹴飛ばす、蹴飛ばす。
――ようやく辿り着いた。
薄暗い部屋の中で若い男が明かりを付けた。
明かりに照らされ、ボウボウの髪や汚らしく伸びた髭、脂ぎった顔が明らかになる。
明かり……と言ってもそれは照明ではない。パソコンのモニターが部屋を照らす唯一の光だった。
まだ昼間だというのに、カーテンを閉め切っているせいで、昼なのか夜なのか、時間の感覚さえ失われる。
いや、この男には時間など関係ないのだ、なぜならこの男の現実は モニターの向こうにあるのだから……。
ポテトチップスの袋を開けようとして勢い余ってしまい、机の上においてあった財布に右手の甲がぶつかる。財布は物で埋め尽くされた床に落下し、その中身をブチまけた。
男は何枚かの小銭をめんどくさそうに拾い上げる。また面倒なことにカード類もこぼれてしまったようだ。
「お」
カードの中に懐かしい物を見つけ、男は少々驚いた様子だった。ラミネート加工されたそのカードは、都内の大学の学生証。表面には、橋本旭矩と記載されている。
橋本旭矩。それがこの男の名前である。
学生証の顔写真は、まだ幼さの残るあどけない少年であった。今の旭矩とは、とても似ても似つかない、他人の学生証を持ち歩いていると言われて弁解しても、誰も信じてくれないだろう。
旭矩は学生証を財布に戻すと、先ほど買ってきたコンビニ弁当にもくもくと箸をつけた。
大学への進学を機に、旭矩は一人暮らしを始めた。最初は順調だったキャンパスライフも、一向に友達ができず、授業にも付いていく事ができなかった為、徐々に大学から姿を消した。
唯一の話し相手は、コンビニの店員くらい。それこそ弁当を温めるかどうかくらいのもので、会話と言うよりただの確認だ。
二日に一回。コンビニへの買い物が、旭矩に取って唯一の外出時間であり、運動の時間であった。
食事が終わり、すぐにエッジのショートカットアイコンをダブルクリックし、ゲームにログインする。キャラクタースロットには二人のキャラクターが表示されている。
『ろな』と『アーセル』。
PK用キャラの、ろなと違い、アーセルは主にろなの装備や消耗品を買い揃えたり、普通のプレイヤーとして、野良のパーティーに参加し情報収集をする、いわばろなの影であった。
PKは町に入ろうとしても、町を守る警備兵に攻撃され倒されてしまう。
ろな程のPKになれば、警備兵すらあっさりと倒せてしまうのだが、PKはNPCからアイテムを購入する事ができない。
そこでアーセルの出番というわけだ。アーセルを選択しゲームに入る。
アーセルの種族はヒューマン。性別は男。クラスは戦士タイプだ。五つある種族の内、バランスに優れオールマイティーに育てることができる初心者向けの種族である。
直前にログアウトした『ロアンの町』の風景がモニター一杯に広がる。中世ヨーロッパの世界観を持つエッジらしく、町の風景も典型的なそれであった。
ロアンの町で一通り消耗品を買いあさると、アーセルはフィールドへ出る。
アーセルのレベルは53……エッジの現段階の最大レベルは75なので中級クラスのプレイヤーといったところか。
人目につかない枯れたダンジョン『ロアンの森』へ向かうアーセル。
ロアンの森はレベル10前後の狩場で、出現するモンスターの経験値が、レベルの割には低すぎるマズイ狩場で有名だった。
そのため、ここを訪れるプレイヤーは皆無に等しく、ろなへのアイテムの受け渡しなどは、すべてここで行われていた。一応、周囲に誰もいないことを確認し、アイテムを放り投げる。
すぐさまリスタートし、ろなを選択。アイテムを拾い上げ、狩りの準備が整った。
無論、狩るのはモブではない。プレイヤーだ。
すると偶然、ロアンの森にプレイヤーがやってきた。
装備や挙動を見れば解る、初心者丸出しのヒューマンのメイジクラスだ。
今日は趣向を変えてMPKにしよう。
旭矩はモニターの前で、マヨネーズで汚れた唇を歪ませた。
MPKとはモンスターを使ってPKする行為で、PKよりもタチが悪いと言える。
大量のモンスターを素手で殴り、一匹、二匹と連れて回る。それを繰り返すうち数は30を超える大所帯となった。
――そろそろいいだろう。
先ほどのプレイヤーの元に向かうが、それまでに装備を持っていた最低ランクの物に変える。
こうすれば、MPKではなく初心者プレイヤーが不注意にモンスターを刺激してしまい、ピンチなのだと一目でわかるだろう。
向こうが初心者であればなおさら。なんとかしようとして、モンスターを攻撃する。
性別を女性にしたのにも、ワケがある。むさくるしい男よりも、可愛いらしい女の子のほうが助けてあげたくなるというもの。MMOプレイヤーの過半数は男性なのだから。中には下心丸出しで、女性キャラクターに声をかける者もいる。中身が男だとは知らずに。
だからこそ、ろなはエルフの可愛らしい少女なのだ。目を欺くため、そしてなにより旭矩の趣味でもあった。
ヒューマンメイジに近づき、一言。
「助けて!」
ヒューマンメイジの『アイスニードル』が、引き連れていたモンスターの一匹に直撃した。だがそれは、同時に全てのモンスターの注意を引き付け、一斉に攻撃を受けることになった。
ヒューマンメイジは成す術もなく、地面に倒れる。
同時に再びターゲットがろなに戻るが、ログには0か1のダメージしか表示されない。
ろなのレベルは75。このレベル帯のモンスターの攻撃など蚊に刺される程度のものだ。
「早く逃げて!」
ヒューマンメイジの意外な一言にモニターの前の旭矩は笑った。
おめでたい奴だ、と。
『フレイムバースト』を放ちザコを一掃する。
ようやく自分がMPKされた事に気付いたのだろう、ヒューマンメイジが叫んだ。
「何でこんなことするの? ひどいよ!」
薄暗い室内に下品な笑い声がこだまする、旭矩が腹を抱え笑い狂っているのだ。
『ばーか』
リアルの旭矩のセリフと、ゲームの中のろなのセリフがクロスする。
そのセリフを残し、ろなは去っていった。




