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悲劇のいきさつ  雛子が雛子だったころ

 朝が来た。また朝が来た。

 倉橋雛子くらはしひなこはベッドの布団に包まったまま憎々しく朝日を眺めた。

 永久に夜が明けなければいいのに、なんて何度思ったことだろう。もしそうなってくれるというのならば、自分が持っているなにを差し出したってかまわない。

 雛子は唇を噛んだ。シーツを握りしめた。体が小刻みに震える。

 

 なにを差し出してもいい?自分の命でも?


 そうすれば、もう永遠に朝はやって来ないだろう。すべて終わらせることができる。「わたし」を永遠に終わらせられる。

 だけど、怖い。

 何度もそうすることについて雛子は考えた。こんな、天使の仮面をかぶった悪魔に監視されているような毎日ならいっそ、と。

 あの子を見ていると自分が本当にダメな子で、クズで、この世にいらない子のように思えてしまう。そう思ってしまう自分がまたいっそうダメに思えて、自分に自信が持てない自分がみじめで、愚かな自分を切り刻んでくしゃくしゃにしたいと思う。 

 けど、できない。そんな勇気さえ、わたしにはない。雛子はいつもこの堂々巡りにがんじがらめにされて、朝を迎えるのだった。


「雛子、まだ寝てるの?」

 可愛らしく、それでいてどこか威圧感のある声が、ドアの外から聞こえた。この可愛い声は、雛子にとっては心臓を締め付ける鎖そのものである。吐き気がして、雛子は何も答えなかった。

「なにやってんの、雛。もう起きないと遅刻するって、ママが」

 しめた。今日はまだママがいるんだ。

 雛子はほんの少し安堵して、ベッドから体を起こした。

 ドアを開けて部屋に入って来た舞子は、いつも通り溌剌はつらつとしていて、それでいて女の子らしさを忘れない、みんなに好かれるオーラを纏っていた。そこに立っているだけで、学校では目立つ存在だし人気者だということがすぐに分かる。

「はやく準備しなきゃやばいじゃん。わたし、先に行くよ」

 舞子はにっこりと笑ってそう言うと、可愛いヘアピンで留めたサラサラのショートカットをなびかせて階下に下りていった。かすかにシャンプーのいい匂いが残っていた。

 雛子は階段を下りる舞子の足音が終わると、のそりのそり立ち上がり、ぼさぼさの髪に手をやった。指は髪にすぐ引っかかって、通らなかった。目が隠れるほどの前髪はピンで留めたりせず、このままにしておく。これで不必要に相手の顔を見ずにすむ。

 髪を適当にとかして、制服に着替え、鞄をもって、雛子は階下に下りた。

 下では雛子と舞子の母親である幸江が忙しそうに大きなバッグになにかを詰めていた。ふと雛子に気付いて、

「雛子、朝の挨拶ぐらいしなさい。ほら、はやくご飯食べちゃってよ。ママ今からおじいちゃん行ってくるから」

 また忙しそうにバッグにあれこれ詰めはじめる。

 雛子は黙って食卓に着くと、「いただきます」とぼそりと呟いて好物の焼きジャケに箸をのばした。

「もう、舞子とちがってあんたはほんとのんびりしてるわねえ」

 幸江が雛子の方をちらと見て、呆れたように言った。


 雛子と舞子は双子の姉妹である。雛子が姉で、舞子が妹。一卵性双生児なので顔立ちはそっくりなはずである。そっくりなはずなのに、雛子と舞子が双子だとは十中八九、誰もわからないだろう。二人は纏っているオーラが初めから違っていたのだから。

 舞子は明るく社交的で、要領がよかった。幼いころから誰とでも仲良くなれ、友達も多く、幼稚園でも小学校でもどこでも人気者だった。またしっかり者で勉強スポーツとなんでもできるので、大人たちからの信頼も厚く、優等生で通っていた。

 対して雛子は人見知りが激しく臆病で、はじめて会う人の前ではよく母親の後ろに隠れていた。それでも小さい頃は「おとなしい良い子」とされ大人たちから可愛がられもしたが、幼稚園、小学校と進むと級友たちからぐずぐずしていてうっとうしいと、いわゆるいじめを受けるようになった。勉強も、スポーツも、何をやってもぱっとせず人並み以下で、雛子が何かの分野で脚光を浴びることは皆無だった。

 人気者の舞子と双子であるということもいじめに拍車をかけた。「全然似てない」「出来そこない」「舞子ちゃんがいるんだから、あんたはいらないんじゃない?」

 舞子は最初は雛子をかばっていた。だからクラスメイトたちは舞子に嫌われまいと、表だって雛子を攻撃しなかった。不器用な雛子はうまく言葉にできなかったけれども、心の中でいつも舞子にとてもとても感謝していた。

 それが、いつからだっただろう、舞子の態度が変わって来たのは。クラスメイト達と一緒になって雛子に暴言を吐いたり、叩いたりするようになったのは、いつからだったのだろう。

 舞子はいつかの日、雛子にこう言ったのだ。

 「もう我慢の限界。いつもいつも庇ってやってんのにさあ。わたしだってあんたみたいな出来そこない、うっとうしくてしょうがなかったんだから」

 中学にあがって、いじめは雛子の日常のようになってしまった。それと同時に舞子という双子の妹の存在が、雛子の存在すべてを否定しているかのようで雛子をいっそう苦しめた。



 雛子が始業ぎりぎりに学校に着くと、下駄箱に上履きがなかった。靴下のままで教室に向かうと何人かの男子生徒が通せんぼをして教室に入れてくれなかった。やっとの思いで教室に入ると机の中がゴミでいっぱいだった。雛子はそれを淡々と片付けて席についた。誰も話しかけてくる者はいない。

 給食にはいつの間にかゴミが入っていて、休み時間は無理やり空き教室に連れていかれ数人に小突かれた。

 放課後はさっさと帰ろうかと思ったが、べつのメンバーにつかまった。その中には舞子がいて、朝の元気で可愛らしい様子からは想像もできない残酷な笑みをうかべ、正座させられている雛子を見下ろしていた。

 まさに「天使の仮面をかぶった悪魔」雛子はいつも思う。舞子はけっしてぼろは出さない。両親の前、先生の前では「しっかり者の優等生」の仮面をがっちりつけている。そんな要領の良さのほんのひとつまみも舞子にはない。そんな狡猾な面やしたたかさを含めて、舞子は完璧だった。雛子の欲しいものをすべて持っている。

 雛子はずっと舞子が羨ましかった。どうして双子なのに舞子が輝く物をすべて持っているのか、その不公平さに我慢ならず、ベッドの中で自分の体を血が滲むまで掻きむしったこともある。

 舞子のように少しずつでもいいから明るくなろうと思った時もあった。けれどもそう思った直後に舞子という存在が大きな壁のようにたちはだかり、雛子の足を竦ませる。舞子が舞子として存在している限り、わたしも絶対的に気弱な雛子なのだ、とそう思った。わたしたちは正反対の双子なのだから。

 親や教師には何も期待していなかった。彼らは舞子の演技を真実だと思い込んでいる。パパもママも忙しいし、ママは何かと雛子を舞子を比べる。自分のダメさにがっかりしているのだろう、と雛子は感じていた。


 どすっ。

 舞子のつま先が正座するよう押さえつけられている雛子の腹部を強く打った。ニ回、三回とだんだん激しく打つ舞子の可憐な顔は悪魔の笑顔に歪んでいる。

「うっ」

 雛子は堪らず胃の中のものを床に吐いた。焼きジャケの匂いがした。なんとか顔を持ちあげて、勝ち誇ったような舞子の顔を盗み見る。

 憎い。妹が憎い。こいつがいる限り、ずっとわたしの人生はこんな風だ。だけど、一言も言い返せない自分も大嫌いだ。同じ双子なのに、本当に自分はクズだ。なんのために自分は存在しているのだろう? 誰もわたしに関心をもっていないのだ。せいぜいいじめるくらいにしか、関心がない。いなくなってもそれはそれでいい存在なのだ。親だって舞子がいれば十分だろう。舞子が羨ましい。舞子のようになれたら。みんなに信頼されて、必要とされている、舞子のようになれたら。ああ、だけど舞子がいる限り、わたしは舞子にはなれない。舞子がいる限り、わたしはダメな雛子、いらない雛子なんだ。



 雛子はしばらくその場に蹲り、遅くなって帰宅した。母親は帰宅が遅いことと制服が汚れていることを咎めたが、舞子がうまく立ち回って納得させた。

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