第97章 ~迫る狂気~
陽が完全に落ち、宵闇の時を迎えた頃――。
場はロア達の居るヴァロアスタ王国から離れ、アルカドール王国。
月の光が淡く照らす夜中にも関わらず、街の中には多くの少年少女達の姿が。
人々が寝静まる頃にもかかわらず、街に出歩く少年少女達――彼らには、一つの共通点があった
エンダルティオという組織に所属している事、である。
歳若い少年少女達と言えども、彼らは立派な「騎士」なのだ。
剣や槍、各々自ら使い慣れた武器を手にしていた。
「お疲れ、何か変わった様子はあったか?」
少年達の中でも一際高い背を持ち、大人びた面持ちを持つ少年が居た。
長めの髪型を金色に染め、胸に複数のペンダントを下げた彼は、周りに立つ数人の少年少女達に労いの言葉をかける。
「いえ、こっちは特に何も」
「そちらはどうですか? イワンさん」
応じたのは、エンダルティオの少年少女達。
イワン=セイヴィルト。エンダルティオの団長、すなわち少年少女達を纏める立場にいる少年。
「ああ、こっちも特に変わった様子はねーな」
月を見上げつつ、イワンは後輩達に返した。
「じゃ、俺は持ち場に戻るから、引き続き見回り頼む」
言い残し、イワンはその場から去って行った。
ユリスへの暗殺未遂が起こって以降、アルカドールでは魔族の侵攻に対し、警戒を強める事が決定された。
夜中に少年少女達が見回っているのは、それ故である。
この見回りが始められてから数日経っていたが、これまでは特に変わった様子は見受けられていない。
イワンが戻った先は、アルカドール城の城門前だった。
女王ユリスが居る、国の最重要な場所と言っても過言ではない場所である。
二人の人物が、イワンを迎えた。
騎士団団長のロディアスと、純白の毛並を有する兎型獣人族の少年、イルト。
彼らは、城の警護の任を負っている。
「ども、何か変わった事は?」
声の届く範囲まで歩み寄り、イワンは二人に問いかけた。
ロディアスが答える。
「ご苦労様、こちらでは何事も」
「で、そっちは?」
ロディアスに続き、イルトがイワンに言葉を紡いだ。
冷静な性格の持ち主である彼らしく、淡々とした口調である。
月の光を受け、彼の白い毛並が淡い光を帯びていた。
「こっちも特に」
イワンは、眼前の城を見上げた。
「そういや二人ともここに居て、女王さんの警護は大丈夫なんすか?」
「ユリス様の警護には、リオさんとヴルームがついている」
ロディアスが即答した。
イワンは、不安げに漏らす。
「……ちゃんと警護出来んのか、リオのやつ」
城内のユリスの寝室には、三人の人物の姿。
天蓋付のベッドに腰掛けるユリスと、彼女の前に立つリオとヴルーム。
ユリスは普段のドレスでは無く、ネグリジェに身を包んでいた。
「今日も同じく、変わった様子は無いとのことです」
「そうですか……それは何よりです」
空色の毛並を持つ犬型獣人族の男性、ヴルーム。
彼は現在のアルカドール王国の状況を、ユリスに説明した所である。
傍らの机に置かれたランプが、室内を薄く照らしていた。
「もう休んでいいんじゃない? 女王様、疲れてるんでしょう?」
ショートヘアの快活少女、リオ。彼女はユリスに促した。
ちなみに、リオはその手に槍を握っている。彼女愛用の武器。その長さは、リオの身長を軽く超えていた。
ユリスは頷いた。
「そうします、お気遣いをありがとう。リオ」
「……では、外に居ます。リオ、頼んだぞ」
と、ヴルーム。
「まっかせて、ヴルーム先生」
リオは自らの胸をぽんと叩きつつ、応じた。
ヴルームの「頼んだぞ」という言葉は、ユリスの警護を、という意味である。
せめてユリスが気兼ねなく眠りにつけるよう、就寝中の室内警護はリオが一人で行うことになっていた。
「ああ、何かあったら呼んでくれ」
犬型獣人族の男性は、机の上のランプを手に取り、火を消した。
寝室内は、暗闇で満たされる。
窓から射す月の光だけが、唯一の灯りとなった。
ヴルームは扉を開き、寝室を後にした。
部屋にはベッドに入るユリスと、傍らで槍を片手に立つリオが残る。
「アノーレア・デ・フレイヴィネア……」
槍頭の付け根付近を持ち、リオは小さな声で呪文を唱えた。
彼女の呪文に呼応するように、槍頭から炎が灯る。
といっても、イシュアーナの戦いの時のような巨大な炎では無く、蝋燭に灯す程度の極めて小さな炎である。
窓から射す月の光だけでは室内の状況を見渡せない為、リオは魔法の炎を灯りとして使うつもりなのだ。
勿論、ユリスの方に光が届かないよう調節していた。
「リオ、今日も苦労をかけます」
「ううん、これもあたし達エンダルティオの仕事だから」
リオは、ポケットから小さな直方体の包みを取り出した。
包みを解くと、固形物が覗く。
「はむっ」
彼女はそれを一口、食べた。
リオが口にしたのは、アルカドール特特製の携帯食である。
外見は小さな直方体の固形物だが、一つ食べるだけで十分に空腹を満たせ、一晩眠らずに活動出来るのだ。
エンダルティオの少年少女達は皆、携行している。
「イワン兄もカリスも、皆この国を守る為に頑張ってるんだし、あたしもしっかりしないとね」
リオはもう一口、携帯食を頬張った。
夜食を摂りつつも、彼女は槍に灯した炎で室内の状況を確認している。
「……素晴らしい使命感。流石、ヴルームが一目置いているエンダルティオです」
「え、ヴルーム先生あたしの事何か言ってた?」
周囲に気を配りつつ、リオは女王の方を振り返る。
ユリスの顔は見えなかったものの、彼女の髪が白いシーツの上に、まるで流れを作るように広がっているのが視認出来た。
天蓋付のベッドに横になり、美しい金髪を月光に煌めかせるユリス。
リオには、とても幻想的な光景に思えた。
「イワンに似て、友達想いな子だと伺っています」
「……あー、前にそんな事言われたような気もするかも」
何時だっただろう? と、リオは思考を巡らせ――思い出した。
イシュアーナ戦後の、補習授業の時だ。
「でも、イワン兄に似てってのはちょっと引っ掛かるかな?」
笑みと共に、リオは返す。
ユリスから返事は返って来なかった。
返事の代わりに、ベッドの方から小さな寝息が返ってきた。
女王は、眠りについたらしい。
(ん、もう寝ちゃったんだ……やっぱり疲れてたんだね)
声には出さず、リオは心中で呟いた。
彼女は再び、槍に灯した炎の灯りを頼りに、周囲の状況に気を配り始める。
(さて、今日も何事も無ければいいけど……)
この夜も、昨日と同じく何事も起こりませんように。
この夜も、誰も傷つかずに済みますように。
窓の外の月を見つめ、リオは願う。
しかし――彼女の願いを打ち砕く存在は、既に間近まで迫っていた。
夜空に浮かぶ月の下――アルカドール王国上空。
三匹の怪物が翼を羽ばたかせ、滞空していた。黒い体色持つ魔物、ガジュロス。
背中にそれぞれ一人づつ、魔族からの使者を乗せていた。
「下等種族共の掃き溜め……吐き気のする国だ」
風に白髪を靡かせつつ、興奮するような口調で呟いたのはザフェーラ。
魔卿五人衆の一人、すなわち極めて強い力を持つ魔族である。
「さテ……ユリス女王は、キミにあげるヨ」
言ったのは、仮面で顔の上半分を隠した魔族の少年、クラウン。
ザフェーラと同じく、魔卿五人衆である。
彼が発した言葉は、ザフェーラに向けられた物では無い。
言葉の対象は、もう一人の少年だ。
「……」
その少年は、眼下に広がるアルカドール王国の夜中の街並みを見下ろしていた。
鋭い眼光を持ち、顔の下半分を口布で覆った少年。
イシュアーナ戦にてロアと交戦した、鎖鎌使いの少年である。
「聞こえてるかイ、ジェド?」
クラウンからの問いかけに、鎖鎌使いの少年――ジェドは、答えなかった。
彼の鋭い眼光は、アルカドールの城へと向けられている。
「……殺したくてウズウズしてるのは分かるけド、返事くらいして欲しいネ」
ジェドの横顔を見つめつつ、クラウンはため息を吐いた。
彼らのやり取りを見守っていたザフェーラは、腰から一本のナイフを抜いた。
月光を受けて煌めく刃を舌で軽く舐め、彼女は呟く。
「ジェド、血に飢えてんのはオマエだけじゃねえんだぞ……?」
醜悪な笑みと共に、醜悪な言葉が放たれる。
今、三つの狂気がアルカドールに襲い掛かろうとしていた。