第94章 ~ルーノ対ニーナ~
ニーナは、ロア達三人をヴァロアスタ王国内の剣術修練場へと招いた。
高所に位置していた駅に対し、修練場は低い場所にある故、周りの建物が非常に大きく感じられる。
製鉄場から突き出た煙突から立ち昇る煙が空へと延び、建物に付いた大きな歯車が、まるで時計のようにゆっくりと回転していた。
「さて、どこからでもかかって来たまえよ」
レイピアを片手に持つニーナは、向かい合う位置に立つルーノに告げる。
ロアとアルニカは、修練場の傍らで決闘の様子を見守っていた。
(コイツの力がどれ程かは、オレには分からない。まずは様子を見て……)
ルーノは、ニーナの力が如何ほどかを見定める事にしていた。
が、ニーナが次に発した言葉によって、彼は作戦変更を余儀なくされる。
「どうした、来ないのかね? よもや決闘を申し込んでおきながら怖気づいたか?」
付け加えるように、ニーナは鼻で笑った。
「な、んだと……!?」
猫型獣人族の少女が発した言葉が、ルーノの導火線に火を付けた。
ルーノは剣を片手に、足に力を込める。
「……上等だこのヤロウ!!」
兎型獣人族の少年が修練場の地面を蹴った瞬間、大きな土埃がまるで爆発するように巻き上がった。
ルーノは凄まじい勢いで、ニーナとの距離を詰める。
(兎型獣人族の脚力か、跳ぶ事に特化していると聞いていたが、これ程とはな)
ニーナが心中で呟くと同時に、ルーノは彼女目がけて剣を振るう。
彼女が頭上からの剣の一振りを受け止め、すぐさま弾いた。
ルーノは地面に着地し、ニーナ目がけて続けざまに剣撃を浴びせる。
手加減はしていなかった。もしかしたら彼は、汽車で三発も蹴りを入れられた事をまだ根に持っているのかも知れない。
(アルカドールの者だけあって、太刀筋は優れているな)
ルーノの攻撃を防ぎ返しつつ、ニーナは心中で呟く。
戦闘中にも関わらず、彼女にはルーノの剣技を分析するだけの余裕が残されていたのだ。
「おおおッ!!」
一旦剣を引き、ルーノは大振りに剣を振るう。
ニーナは今度は剣を受けなかった。その場で体を反らすように曲げて、剣を避けたのだ。
剣の一振りによって起こった風圧が、ニーナの薄紫色の毛並を靡かせる。
追撃が繰り出される前に、ニーナは後方へと飛び退いた。
ルーノは剣の構えを一旦解き、彼女と視線を合わせる。
「どうした、もう降参か?」
ニーナは小さく息を吹いた。
オッドアイの両目でルーノを見つめつつ、言葉を紡ぐ。
「大層な口を利くだけのことはあると認めよう」
一方的に攻撃を受けていたにも関わらず、彼女の口調には余裕さが垣間見えている。
ヒュン、とレイピアを一振りし、ニーナは付け加えた。
「……次は、私の番だな」
ニーナはレイピアを構え直す、相対するルーノもまた、剣を構え直した。
獣人族の少年と少女は僅かの間、互いの目を見つめ、対峙し合う。
一時の沈黙が、修練場を支配する。
「ニーナさん、かなり剣術に長けてるよね。ロア……」
「うん、一方的に喰らってるように見えるけど、ルーノの攻撃を全部受け流してる」
獣人族同士の決闘を間近に見ていたロアとアルニカ。
彼ら二人は戦いの様子を冷静に観察していた。
「剣術的には、私の『エレア・ディーレ』に近い感じかな?」
アルニカの言う通り、相手の攻撃を正面から受けるのではなく、受け流すことによってダメージをほぼ無くすという概念は、アルニカが用いる剣術と同様だった。
すると、アルニカの隣でロアは首を横に振る。
「確かにそうかも知れないけど……多分、それだけじゃないと思う」
「どういうこと?」
オレンジの髪をかき上げつつ、アルニカは問い返した。
ロアは答える。
「ルーノが使ってる『イルグ・アーレ』って剣術あるでしょ?」
「え、あの跳びながら相手を攻撃する剣術のこと?」
今度は、ロアは首を縦に振った。
「獣人族だからこそ使える剣術だよ。きっとニーナも、そういう剣術は使えると思う」
アルニカは、修練場に立つニーナの横顔を見つめる。
思い返してみれば、この戦いでまだ彼女は一度もルーノに攻撃を仕掛けていない。
「そっか……」
アルニカが呟いた。
ニーナが攻めに転じた時こそが、戦いの本番であろう。
猫型獣人族である彼女の力が如何なる物なのか、どのような剣術を用いるのか。
ロアとアルニカは、戦いを見守る事に決めた。
修練場に風が吹き、小さな土埃を舞わせる。
その瞬間、修練場を支配していた沈黙が破られた。
「ふっ!!」
ニーナが地面を蹴り、姿勢を低め、そして勇ましげに毛並を靡かせつつ、ルーノへと走り寄ったのだ。
(!? コイツ、速え!!)
追い迫るニーナの姿を前に、ルーノは心中で呟く。
猫型獣人族の走力はかなりのものだった、ピューマ型には及ばないものの、ルーノが驚愕する程の速さは備えていたのである。
ニーナが走破した後には、土埃が舞う。
瞬く間にニーナが持つレイピアの射程内に入り、ルーノに向かって攻撃が繰り出された。
レイピアという軽量の武器を駆使した、素早く途切れの無い攻撃である。
「ぐっ!!」
一瞬、ルーノは目を瞑った。
否、眼前に繰り出された攻撃を受け、思わず目を瞑ってしまったのだ。
ルーノは直ぐに目を開き――。
(!? 何処に行った、アイツ!?)
驚愕した。
ルーノの直ぐ側にいた筈のニーナの姿が、無かったのだ。
辺りを見回そうとした瞬間。
(っ!?)
ルーノの長い両耳が、レイピアを振る風切り音を捉えた。
音の発せられた先――自らの真上に、ルーノは視線を向ける。
途端、レイピアの刃が、彼の眼前に迫っていた。
「おわっ!!」
不意の攻撃を仕掛けられたルーノ、反射的に剣で受け、レイピアの一撃を喰らうことは免れた。
ルーノが目を瞑った瞬間、ニーナはその場で跳び、ルーノの頭上から剣を振ったのである。
一瞬の隙を突かれたルーノには、さもニーナが消えたように感じた。
空中で一回転し、ルーノの背後に着地したニーナ。
彼女は再び跳び上がると、回転の勢いと共にルーノへ斬りかかった。
回転の勢いで威力を付け、レイピアという軽量な剣によりスピードを引き出した剣技。
さらに猫型獣人族のニーナの俊敏性と運動能力が合わさっていた。
「あの剣術って……『イルグ・アーレ』?」
「ううん、ロア。一見すると似てるけど、あの剣術は違う」
アルニカが言葉を紡いでいる間も、ニーナはルーノに攻撃を浴びせていた。
先程までとは、状況が一変していた。
「『サルグ・アレーラ』。『イルグ・アーレ』に回転動作を加えて、そして無駄な動きを欠いた高等剣術……私も使ってる人を見たのは初めてだけど」
「まさか……猫型獣人族だけが使いこなせるっていう、あの剣術?」
ロアは、「サルグ・アレーラ」という剣術に覚えがあった。
ルーノのような兎型獣人族が主に使う「イルグ・アーレ」とは違い、この剣術を会得するには脚力の他にもう一つ、必要な物がある。
激しい回転動作を取ろうとも目を回すことの無い、「平衡感覚」だ。
猫型獣人族が持つ能力は、脚力、そして発達した平衡感覚。
彼らは三半規管と前庭が特別に発達しており、抜群のバランス感覚を有しているのだ。
故に目を回すことなど無く、高所から転落しても、足から着地する事が可能である。
(一旦距離を取るか……!!)
ニーナの攻撃の速度が緩んだ一瞬を見逃さず、ルーノは後方へ大きく飛び退いた。
ロア達が見上げる程の高さまで跳んだ彼は、心中で考えを巡らせる。
(どうする、接近戦じゃ敵いそうもねえ……!!)
ヴァロアスタ王国騎士団団長のニーナの剣術の腕は、ルーノを越えていた。
ルーノが思ったように、接近戦で敵うとは言い難い。
(それに、オレの『イルグ・アーレ』もあんな小さいヤツが相手じゃ……!!)
途端、ルーノの視界に銀色の刃が映った。
紛れも無く、ニーナのレイピアの刃である。
「!?」
ルーノを追って、ニーナもまた高く跳んでいたのだ。
油断していた、猫型獣人族の少女から、一時も目を離すべきでは無かったのだ。
「例え一瞬だとしても、戦いの最中に気を抜けば命取りになるぞ!!」
その言葉と共に、ニーナは空中でレイピアを振った。
「うあっ!!」
空中で強引に身を翻し、ルーノはレイピアを避ける。
しかし、空中で体制を立て直すことまでは出来なかった。数秒――ルーノは背中から、地面に墜落する。
「がっ!!」
背中を襲う痛みに、ルーノは悶える。
その時、彼は数秒前のニーナの言葉を思い出す。
一瞬だとしても、戦闘中に気を抜けば命取りになるという言葉を。
「!!」
身を起こし、ルーノは視線を巡らせる――ニーナは、ルーノの側に立っていた。レイピアは下ろしている。
彼女はルーノと違い、華麗に着地していた。
「どうした、もう降参かね?」
ルーノの台詞を、ニーナはそのまま返した。
兎型獣人族の少年は答えず、その場に立ち上がる、そして、自らの剣に視線を向ける。
彼の視線は、剣にはめ込まれた黄色の魔石に向けられていた。
「いや、まだだ。まだ終わっちゃいねえよ」
ルーノは、薄紫色の毛並を持つ猫型獣人族の少女に、挑戦的な言葉を紡いだ。
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【キャラクター紹介 20】“ニーナ”
【種族】獣人族
【種別】猫
【性別】女
【年齢】17歳
【毛色】ダリアパープル
本名は「ニーナ=シャルトーン」、ヴァロアスタ王国騎士団団長を務める猫型獣人族の少女。
紫色の毛並とルーノよりも小柄な体格が特徴で、「~したまえ」「~かね?」という口調で話す。
剣術の腕は高く、「サルグ・アレーラ」という猫型獣人族にしか扱えない剣術を会得しており、ルーノを圧倒する。
魔法を扱うことも出来、汽車では強盗の放った弾丸を、魔法の力で生成した壁で防いだ。
小柄な体格に合わせてか、武器は剣身が細く、剣よりも軽量なレイピアを用いる。