第92章 ~ニーナ~
薄紫色の毛並を持つ猫型獣人族の少女、ニーナは強盗二人の両手両足首をロープで縛り、自由を奪う。
因みにロープは、汽車のどこからともなく、車掌が見つけて来た物。
銃は処分した。加えて両手両足を縛られれば、強盗には最早成す術は無いだろう。
「そうか、君達がユリスの手紙にあった『世界の担い手』だったのか」
強盗は鎮圧され、車内には再び走行音だけが包む。
座席に戻ったニーナに、ロア達は要点の説明を済ませた。
とは言うものの、彼女はユリスからの手紙で大方の事は知っていたらしい。
「ということは……まさか、君がロアか?」
ニーナの言葉の先にいたのは、ロアでは無かった。
ロアの隣に座っているルーノである。
「オレじゃねえよ、ロアはこっちだ」
兎型獣人族の少年は、自らの隣に座る茶髪の少年を親指で指した。
ニーナは視線を横に動かし、ロアと目を合わせる。
「僕だよ、僕がロア」
するとニーナは、どこか安堵したような表情を浮かべた。
「だろうな。そこの青い彼よりも、よほど利発そうな顔をしている」
青い彼、すなわちルーノの事である。
「何ィ!? そりゃどういう意味だよ!?」
「ところで、先程の事についてだが」
ルーノの問いかけを、ニーナはさらりと流した。気持ちが良い程のスルーぶりである。
ニーナは、そのオッドアイの両瞳でしっかりとルーノを見つめ、言葉を紡いだ。
「君はさっき私に決闘を挑んだな、私がヴァロアスタ王国騎士団団長と知ってなお、その決意は揺るぎないかね?」
淡々とした口調の奥底に、静かな威圧感が感じられた。
そう、彼女はニーナ=シャルトーン。17歳の若さにして、ヴァロアスタ王国騎士団団長。
相応の強さを持っている事は、容易に想像がついた。
先程の強盗二人を容易く退けた事といい、間違っても弱い筈など無い。
「っ……」
ニーナが放つ静かな威圧感に、ルーノは言葉を濁した。
数秒の後、ルーノは半ばやけくそ気味に応じる。
「あ、あたりめえだ!! くだらねえ理由で三発も蹴られたカリは、きっちり返すからな!!」
ずびしっ、とルーノはニーナを指差した。
すると猫型獣人族の少女は視線を外し、ふっと鼻で笑う。
「あの、女王様とは、どういう関係なんですか? ご友人だってことは聞いてましたけど」
ニーナの隣に座っていたアルニカが、問いかけた。
ユリスとニーナの関係が如何なる物なのか、ロアやルーノにとっても聞いておきたい所である。
「ああ、私はヴァロアスタ王国国王に仕える身だからね。会談や来国の際、アルカドールの女王たるユリスとは何度か顔を合わせる機会があったのだよ」
ニーナがユリスとの関わりの所以を語る。
「今や彼女は立派に一国の女王だな。初めて会った時はあんなに小さな少女だったというのに」
猫型獣人族の少女は、ユリスという少女と初めて顔を合わせた時の事を思い返す。
どういう機会で会ったのかは、既に記憶には無かった。が、初めてユリスを見た時の事はよく覚えていた。
当時のアルカドール王国君主、メイリーア女王に連れられていたユリスはとても小さかったのだ。
そして――母親に似ていた。母親に似て澄んだ瞳を持ち、心優しい性格を感じさせた。
「それ、分かる気がする」
汽車の走行音が低く響く中、ロアが返した。壁の窓の向こうには、大きな湖が姿を見せる。
茶髪の少年は続ける。
「小さい頃のユリスはおてんばな女の子だった。けど、それが今ではあんな綺麗になって、国を治めてる」
「茶髪の……いや、ロア。君はユリスの?」
ニーナはロアを「茶髪の君」と呼びそうになったが、訂正した。
少し間を空け、ロアは答える。
「友達、僕はそう思ってる。ユリスが僕をどう思ってるかは……分からないけど」
無言のまま、ニーナはロアを見つめていた。
「(見た所、普通の少年に見えるが……何故、彼を『世界の担い手』に選んだ? 何か意図があるのか? ユリス……)」
ユリスからの手紙で、ニーナはロアの事を予め聞いていた。
世界の担い手に選ばれたのなら、少なくとも相当に強そうな少年だろう、などと考えていた。
が、会ってみればロアは強そうな雰囲気を醸している訳でもなく、どこにでもいそうな普通の少年に見える。
他の二人も同様。ルーノは普通の兎型獣人族で、アルニカは普通の少女だ。
「あの、これ食べませんか?」
ニーナの思考を断ち切る声が、アルニカから発せられた。
オレンジの髪の少女は、ニーナに手作りのクッキーを差し出す。
「ああ、ありがたく頂こう」
返事を返しつつ、ニーナはクッキーを一枚受け取った。ヒヨコ型である。
もの珍しげに見つめた後、ニーナは一口かじった。
「……!!」
その途端、猫型獣人族の少女の様子が変わった。
無言でクッキーをかみ砕くニーナの表情が、みるみる驚愕するような色を帯びていく。
「あの、もしかして口に合わなかったとか……?」
アルニカが問いかけた時、ニーナは突然視線をアルニカに向ける。
そして、逆にアルニカに問いかけた。
「オレンジの髪の君、君はもしや、菓子職人かね?」
「え、え? 違いますけど……」
ニーナは質問を重ねる。
「名前は何と?」
「ア、アルニカです」
だじろぎつつ、アルニカは自らの名を名乗った。
「アルニカ……これは君が?」
ニーナは、かじりかけのヒヨコ型クッキーを指した。
アルニカは数度頷く。
向かいの席で、ロアとルーノは二人の少女の会話を見守っていた。
「実にユニークな味だ。近々、レシピを教えてはくれないかね?」
意外な申し出が、ニーナの口から発せられた。
「別に構いませんけど……」
アルニカが返す。
すると、ロアがニーナに向かって言葉を紡いだ。
「ニーナ、……さん」
呼び捨てにすると蹴りが飛んでくるかと思ったのか、ロアはさん付で呼んだ。
間髪入れずに、ロアに返事が返ってくる。
「『ニーナ』で構わんよ、何だね? ロア」
「ニーナ……一応訊いておくけど、僕達は君を信用しても大丈夫なんだよね?」
その言葉で、ニーナは全て察した。
現状、ヴァロアスタ王国は魔族との繋がりを持っている事が疑われている。
ユリスの暗殺に、ヴァロアスタ製の魔弾が使われた事実からも明らかだ。
世界の担い手であるロア達、魔族にとっては警戒すべき相手に他ならないだろう。
「(今の状況を考えれば、そう言われるのは当然だろうな)」
心中で呟いた後、ニーナはロアに、
「ユリスは、私の事を何と言っていた?」
直接答えずに、敢えてロア自身に答えを導かせるような言葉を返す。
ユリスがニーナの事を何と言っていたのか、ロアは思い返した。
「確か……魔族に委ねるような、気の弱い存在じゃないって」
そう。ニーナが魔族と通じてる者かも知れないと言う意見を提示されたユリスは、否定した。
何の根拠も確証も無い筈なのに。
心の底から、この薄紫色の毛並の少女を信頼していたのだ。
ニーナを信じる理由は、ユリスにとってはそれだけで十分だったのだろう。
「では、私を信じたまえよ」
ロアに返すと、ニーナは足元の荷物を纏めはじめた。彼女は窓を指差す。
「君達、もうじき終点だ。荷物をまとめておきたまえよ」
ニーナが指差した窓を、ロア達は視線で追った。
「お……」
蒸気音を響かせながら大地を走る汽車の中、ルーノが一言呟いた。
窓の向こうには、壮大な光景が。
外側を大きな塀で囲まれ、無数に立ち並ぶレンガ造りの建物。製鉄場と思しき建物から突き出た煙突から立ち昇る煙。
「着いたみたいね……」
と、アルニカ。
アルカドール王国に続くアスヴァン三大国。
中でも最も大きく、最も強い力を持つ国家、ヴァロアスタ王国。
じき、汽車は着こうとしていた。