第90章 ~ユリスとロディアス~
ロア達が初めての汽車旅を経験している頃、アルカドールの城の一室。
二人の人物の姿があった。アルカドール王国女王ユリスと、彼女に仕える騎士達の長、ロディアス。
「イルトが、腕輪を……!?」
「一時ながら外したようです。暗殺者を捕らえる為ですので、止むを得ないとも取れますが……」
ユリスはその場で踵を返した。彼女の薄紫色のドレスや、眩いばかりの金髪が空を泳ぐように靡く。
「イルト、私の為に自らの命を危険に晒すなんて……何て愚かな事を……!!」
ロディアスに背中を見せつつ、歳若い女王は自らに仕える兎型獣人族の少年に思いを馳せた。
胸元で片方の拳を握る。彼女の瞳には、薄らと涙が。
「ユリス様、私がイルトの立場だったのなら、恐らく同じ事をしたでしょう。イルトにとって貴方は、絶望の底から救い出してくれた、恩人に等しい存在ですから」
彼女の気持ちに配慮を配りつつ、ロディアスはユリスに語る。
ユリスの後ろ姿から、返事は返って来なかった。
暫しの沈黙の後、
「……魔族の力を感じます。恐らく彼らは、近い内に再び刺客を差し向けるでしょう。私を殺す為に」
「このアスヴァンに唯一人残った、『あの剣』の使い手である貴方を排除する事が、恐らく魔族の目的でしょう」
僅かに間を空け、ロディアスは続ける。
「ですが、絶対にそんなことはさせません。命に代えても貴方をお守りします」
真意の籠った言葉に、ユリスは振り向いた。
少女の透き通るような瞳は、ロディアスの真剣な眼差しを映す。
「貴方をお守りする事こそが、前女王……メイリーア様とのご約束ですから」
「……お母様との?」
花を象った首飾りに手を触れつつ、ユリスは訊き返す。
ロディアスの口にした「メイリーア」とは、ユリスの実母であり、アルカドール王国前女王。
すなわち、ユリスが女王に即位する以前まで王座に就き、国を統治していた女性である。
「お亡くなりになる直前に、私に命じられました」
頷きつつ、ロディアスは言う。
ユリスは前女王――自らの母に思いを馳せた。
「……私にも、まだ殺されるつもりはありません。お母様の命を奪った、あの『魔族』をこの手で討つまでは」
普段とは変わり、ユリスには険阻な面持ちがあった。
「ロディアス、エンダルティオに通達をお願いします。『魔族』の気配が間近に迫っていると」
「承知致しました」
ロディアスは少女に一礼し、部屋を後にした。
「あ、そうだ」
猫型獣人族の少女の隣に腰かけていたアルニカが、何かを思い出したかのように言った。
彼女は肩掛けカバンを開き、中を探り――何かの包みを取り出す。
「アルニカ、それ何?」と、ロア。
オレンジの髪の少女は答えずに、膝の上で包を解き、中身をロア達に見せた。
中身は、猫やヒヨコ等、動物を象ったクッキーである。アルニカの手製。
「ロア達にあげようと思って、昨日作ってみたの。……色々あったけどね」
昨晩のリオとの出来事を思い返し、アルニカは苦笑した。
「へー、これアルニカが作ったの?」
「すげーな……食っていいのか?」
ロアとルーノが聞き返す中、猫型獣人族の少女はまじまじとアルニカの膝の上のクッキーを見つめていた。
心なしか、彼女の視線は猫を象ったクッキーに集中しているようにも見える。
「もちろん、食べていいよルーノ」
アルニカは答える。
「ホントか? じゃあ……」
ルーノは手を伸ばして、クッキーの一つを手につかんだ。
故意にではないだろうが、猫型獣人族の少女が視線を向けていた猫を象ったクッキーを。
「…………?」
ルーノが猫を象ったクッキーを口へと近づける間、猫型獣人族の少女は表情を疑問一色に染めていた。
そして、ルーノはクッキーを一口。
「!?」
疑問に染まっていた猫型獣人族の少女の顔が、驚愕で塗り潰された。
「ん~、旨いな」
クッキーを噛み砕きつつ、ルーノは率直な感想を告げる。
彼の片手には、顔面の上半分がかじり取られた形の猫型クッキー。
「芋虫シチューの頃と比べたら、大分進歩したんじゃねえか?」
「むっ!? ルーノ、それまだ言うの!?」
「……悪い」
オレンジの髪の少女と、青い毛並の兎型獣人族の少年のやり取りを見て、ロアは笑みを浮かべた。
そして、猫型獣人族の少女は――
「な、な、な……!!」
途切れ途切れに「な」と漏らし、ぶるぶると体を震わせている。
その視線は、ルーノへと向いていた。
「ん? どうした――」
彼女の異変に気付いたロアは、問いかけようとする。
が、茶髪の少年が言葉を言い終えないうちに、
「何てことをするんだ、この死神がああああああっ!?」
汽車の走行音にも勝る声で、猫型獣人族の少女は叫んだ。
ほぼ同時に、彼女は座席の背の部分を蹴り、ルーノへと弾丸のように突っ込み、
「んがはぁああっ!?」
鈍い音と共に、ルーノの叫び声。
状況を理解しきれていないルーノに向けて、少女は蹴りを入れたのだ。
三発目。それも今度は腹部では無く、顔面である。
「な、ななな何しやがんだこのやろう!?」
前二回と違い、タメ口を利いていないにも関わらず蹴られたルーノは抗議する。
すると、間髪入れずに返事が返ってきた。
「それはこっちのセリフだ、君はそれでも血の通った獣人族か!? 猫の顔面半分をかじり取るなんてっ!!」
察する所、こういう事らしい。
彼女はどうやら、猫を象ったクッキーを本物と思いこみ、それをかじったルーノに激怒した、と。
「……」
呆然とする、ロア達三人。
ルーノは蹴りを入れられた鼻の辺りをしっかりと抑えていた。
「貴様さては、バラヌーンの回し者か!? 魔族の手先か!?」
猫型獣人族の少女は、自身の荷物の中から鞘に収められたレイピアを取り上げた。
今にもルーノに切り掛かりそうな雰囲気である。
「ちょ、待って待って待って!!」
「それクッキーです!! クッキーですから!!」
慌てて、ロアとアルニカが仲裁に入った。
「……え、クッキー?」
猫型獣人族の少女は、誤解に気付いたらしい。
レイピアを荷物置きに戻して、彼女は座席に戻った。
「……オイ、そんなレイピア持ってるってことはオマエ、剣を扱えるんだよな……?」
絞り出すような声が、ルーノから発せられた。
どうやら、ここらが限界だったらしい。
「当然だ。扱えない武器を持ち歩く者がいるかね?」
先ほどの謝罪も無しに、猫型獣人族の少女はしれっとしていた。
ルーノの怒りは限界点に達したらしく、
「決闘を申し込む!! ヴァロアスタに着いたら、オレとサシで勝負しろ!!」
どのような形でも良いから、彼は三発も蹴られたカリを返したいらしい。
「ちょっとルーノ、相手は女の子――」
アルニカがルーノを諭そうとした時、
「構わんよ? 君程度に私の相手が務まるかは疑問だがね」
猫型獣人族の少女は、あっさりと了承した。
おまけに、ルーノの怒りをさらに煽るような言葉を添えて。
「な、に、おおおおお……!?」
怒りのオーラを周囲に吹き出すルーノ。
「時に、もう一つ尋ねたいのだが……」
少女は視界からルーノを排除し、視線をロアとアルニカへと向ける。
最早、ルーノの事など気にも留めていないらしい。
「君達は、ヴァロアスタに何用なのだね?」
「人探しに」
答えたのは、ロア。
「人探し?」
「はい、『ニーナ』っていう人を探しているんです」
アルニカが付け加えた。
すると、猫型獣人族の少女の様子が変わった。
「ニーナ……?」
より真剣な目線を向けつつ、少女はアルニカに問う。
「君、それはもしやヴァロアスタ王国騎士団団長、『ニーナ=シャルトーン』の事かね?」
「え、そうですけど……ご存じなんですか?」
「よく知っているとも」
僅かに間を空けて、少女は続ける。
「何故なら――」
猫型獣人族の少女が言葉を紡ごうとした時だった。
突然、汽車内に火薬が爆発する音が響き渡った。銃声である。
同時に、窓が砕け散る音。