第89章 ~猫型獣人族の少女~
ロア達が席に着いてから程なく、汽車はヴァロアスタへと発車した。
大きな金属の塊が勇ましく駆ける中、ロア達はじっと座り、窓に視線を集中している。
窓の向こうの景色は、次々と移り変わっていた。草原が現れ、次に山が現れたと思ったら、今度は湖が現れ。
「すげえな……」
感嘆の声を漏らしたのは、ルーノ。彼はロアの隣に座っていた。
ロアとルーノが隣り合って座り、彼らの向かいの席には、アルニカと薄紫色の毛並を持つ、獣人族の少女。
「本当……何だか絵本のページを次々めくってるみたい」
続いて、アルニカ。
因みにロアもまた、窓の外の景色を珍しげに見つめていた。
ロア達の様子を見ていた猫型獣人族の少女は、アルニカの隣で口を開く。
「君達、その様子から察するに、汽車に乗るのは初めてなのかね?」
改めて見てみると、彼女はとても小さかった。ルーノよりも、さらに小柄。
けれども、しなやかな薄紫色の毛並を持つ容姿は可愛らしく、女性ならば抱きしめたくなりそうである。
小さな背に反して、オッドアイの瞳は凛としており、大きな意志を感じさせた。
「当たり、初めてだよ」
彼女の向かいに腰かけたロアは、返答する。
(ん……?)
と、ロアはふと目を留めた。
彼の視線の先には、壁際にまとめられた猫型獣人族の少女の荷物。
ロア達と同じような肩掛けカバンと一緒に、「それ」はあった。
鞘に収められていても分かる。細身な剣身に、柄の部分に付けられた植物のツルを思わせる装飾。
(あの武器、レイピア……?)
猫型獣人族の少女が持っていたのは、レイピアだった。細身の剣身を持つ片手剣である。
「君達のような子供三人だけで、乗ったことも無い汽車に乗ったということか。利口だな」
特に嫌味は込めず、少女はロア達に言った。
すると、ロアの隣に座っていたルーノが小さく呟く。
「『子供』って……どう見たってオマエの方が小せえだろ」
ルーノ自身は、猫型獣人族の少女に聴こえないように、小声で呟いたつもりである。
その途端だった。
猫型獣人族の少女が静かに立ち上がり、その場でジャンプし、座席の間のテーブルを飛び越えた。
そして、小さな体の全体重を掛け、ルーノの腹部に着地……否、蹴りを入れた。
「おぐうっ!?」
腹部にめり込むほどの蹴りを受けたルーノは、無意識に声を発した。
身をよじらせて咳き込むルーノを余所に、少女は席に戻る。
「ちょ、いきなり何を……!?」
アルニカは、猫型獣人族の少女に問う。しかし、彼女は問いには答えずに、
「毛並の色合いから見て君は14~15歳、対して私は17歳。長幼の序は守りたまえ、青い兎型獣人族の君」
少女の言葉が、腹部を押さえて呻くルーノに聴こえていたかは定かでは無い。
ロアは、ふと気になった。ルーノは小声で呟いた上、汽車の走行音も混ざっていたというのに、彼女にはルーノのため口が聴こえていた。
猫型獣人族は、兎型獣人族同様に脚力が強いという事は知っていたが、耳も良いのだろうか?
「え、17歳……?」
疑問を発したのは、アルニカ。
「意外だったかね? 猫型獣人族は、必要以上に身長が伸びないのだよ」
猫の少女はアルニカの隣へと腰を下ろしつつ、応じた。
「んな事で蹴り入れんじゃねえよ……!!」
座席の上で呻くルーノは、そう言葉を紡ぐ。
小柄ながらも、全体重の乗った蹴りだ。かなり効いたらしい。
「ルーノ、大丈夫?」
と、ロア。
ルーノは腹部を押さえつつ、彼に応じた。
「ああ、あんなチビ猫の蹴りなんざ、どうってこと……」
言いかけた時、再び猫の獣人族の少女は跳び上がり、ルーノの腹部に蹴りを見舞った。
二発目。せめてもの情けか、一発目とは別の場所を狙っている。
「ごほあっ!?」
「タメ口をきくなら、せめて当人に聞こえないように言いたまえ」
そう残しつつ、彼女は席に戻る。ルーノが言った「チビ猫」という言葉が癇に障ったらしい。
ルーノは再び、呻き声と共に席の上に伏した。
「おおおおお……!!」
「おーい、ルーノ?」
ロアは隣で腹部を押さえ、丸くなっている青い毛並の兎型獣人族の少年を呼んでみる。
返事は返って来なかった。返ってくるのは、苦しげな呻き声だけだ。
(……この人)
自らの隣に座っている猫型獣人族の少女を見つめ、アルニカは心中で呟く。
(何だろ? 命令口調で、少し尊大な感じがあるけど……全然嫌味が無い)
と、不意に彼女がアルニカへと視線を向けた。
獣人族の少女の左右で色の違う瞳が、オレンジの髪の少女を見つめる。
「どうかしたかね? オレンジの髪の君」
「あ、いえ!! 別に……!!」
慌てふためくような仕草を交え、アルニカは返答した。
「……ところで」
猫型獣人族の少女は、視線をロアへと向ける。
「君達の行き先は、どこなのだね?」
「終点。ヴァロアスタまで」
ロアが答えると、彼女はその地名に反応したかのように、耳をぴくりと震わせた。
「偶然だな、私もヴァロアスタまで戻る途中でね」
猫型獣人族の少女は、ロアとアルニカ、そしてうずくまるルーノに告げた。
どうやら、彼女もヴァロアスタを目指しているらしい。行き先はロア達と一緒のようだ。